
第五海洋丸遭難事故(だいごかいようまるそうなんじこ)は、1952年(昭和27)9月24日に起きた、海上保安庁の海洋測量船「第五海洋丸」の海難事故です。9月17日に、ベヨネーズ列岩の北北東に海底火山が爆発し新島が出現したと漁船「第十一明神丸」から報告があり、18日6時55分に現場に到着した巡視船「しきね」により、新島は東西100m、南北150m、高さ30mと確認されました。
そこで、同月23日午前、調査のために海上保安庁の海洋測量船「第五海洋丸」が東京港を出港、同日20時30分の「異常なし」の無線を最後に消息を絶ちます。その後、発見された漂流物などから、24日12時21分の噴火に巻き込まれて沈没したことが判明しました。
地質学者の田山利三郎や河田喜代助を含む、調査員9名と乗組員22名の計31名全員が犠牲となり、世界の測量史上未曽有の大事件とされています。
そこで、同月23日午前、調査のために海上保安庁の海洋測量船「第五海洋丸」が東京港を出港、同日20時30分の「異常なし」の無線を最後に消息を絶ちます。その後、発見された漂流物などから、24日12時21分の噴火に巻き込まれて沈没したことが判明しました。
地質学者の田山利三郎や河田喜代助を含む、調査員9名と乗組員22名の計31名全員が犠牲となり、世界の測量史上未曽有の大事件とされています。
〇明神礁(みょうじんしょう)とは?
伊豆諸島南部、須美寿島の北約50km、ベヨネース列岩の東約10kmに位置する海底火山でです。1870年(明治3)と1946年(昭和21)に新島が出現しましたが水没し、1952年(昭和27)9月17日に、大噴火して再び新島を形成し、漁船第十一明神丸が発見し、名称の由来となりました。
同月24日には、海上保安庁水路部の調査船第五海洋丸が当礁を調査中に海中爆発に遭い、31名が殉職しています。翌年の大爆発で水没し、海面下の岩礁となりました。
1970年(昭和45)にも数回海底爆発が認められ、波浪礁をなし、以後も1986年(昭和61)までに、4回海底火山活動によるらしい海水変色が視認されています。ベヨネース列岩を含む直径約10kmのカルデラの東縁付近に形成された後カルデラ丘と考えられてきました。
尚、付近の海域はカツオの好漁場として知られています。
同月24日には、海上保安庁水路部の調査船第五海洋丸が当礁を調査中に海中爆発に遭い、31名が殉職しています。翌年の大爆発で水没し、海面下の岩礁となりました。
1970年(昭和45)にも数回海底爆発が認められ、波浪礁をなし、以後も1986年(昭和61)までに、4回海底火山活動によるらしい海水変色が視認されています。ベヨネース列岩を含む直径約10kmのカルデラの東縁付近に形成された後カルデラ丘と考えられてきました。
尚、付近の海域はカツオの好漁場として知られています。
☆明神礁関係略年表
<1869年(明治2)>
・海中噴火
<1870年(明治3)>
・海中噴火、新島形成
<1871年(明治4)>
・海中噴火
<1896年(明治29)>
・新島出現
<1906年(明治39)>
・4月14日:噴煙が上がる、軽石漂流
<1915年(大正4)>
・4月-7月:浅瀬を形成、海中噴火
<1934年(昭和9)>
・海中噴火
<1946年(昭和21)>
・2月:島が複数形成される
・12月:島が破壊され波浪礁になる
<1952年(昭和27)>
・9月17日:爆発と共に島が形成される
・9月23日:島が再び破壊され消滅する
・9月24日:第五海洋丸が噴火に巻き込まれ沈没、乗組員31名全員死亡(第五海洋丸の遭難)
・10月11日:島が形成される
<1953年(昭和28)>
・3月11日:大爆発多数・島が消滅する
・4月5日:島が再び形成される
・9月1日:青ヶ島から土砂を噴き上げる姿が見える規模の爆発が発生[3]
・9月3日:島が海面下に消滅
<1954年(昭和29)>
・11月4日:海中噴火
<1955年(昭和30)>
・6月25日:海中噴火
<1960年(昭和35)>
・7月21日:海中噴火、噴煙確認
<1970年(昭和45)>
・1月~4月:海中噴火、軽石漂流
〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)
〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)
| 1614年(慶長19) | 江戸幕府が「伴天連追放之文」により、高山右近ら148人をマニラ・マカオに追放する(新暦10月27日) | 詳細 |
| 1744年(延享元) | 江戸時代中期の思想家・石門心学の祖石田梅岩の命日(新暦10月29日) | 詳細 |
| 1877年(明治10) | 薩摩藩士・軍人・政治家西郷隆盛が西南戦争に敗れ、城山で自刃する | 詳細 |
| 1901年(明治34) | 歴史学者服部之総の誕生日 | 詳細 |
| 1931年(昭和6) | 若槻礼次郎内閣が満州事変の不拡大方針を示す「満州事変に関する政府第一次声明」を出す | 詳細 |
| 1945年(昭和20) | GHQが「政府からの報道の分離の件」(SCAPIN-51)を出す | 詳細 |
| 1966年(昭和41) | 熊本県の天草五橋(パールライン)が開通した日 | 詳細 |
| 1971年(昭和46) | 「廃棄物処理法」(昭和45年12月25日公布)が施行される(清掃の日) | 詳細 |
| 1996年(平成8) | 国連総会で9月10日に採択された「包括的核実験禁止条約(CTBT)」に日本等71ヶ国が署名する | 詳細 |



