ガウスの歴史を巡るブログ(その日にあった過去の出来事)

 学生時代からの大の旅行好きで、日本中を旅して回りました。その中でいろいろと歴史に関わる所を巡ってきましたが、日々に関わる歴史上の出来事や感想を紹介します。Yahooブログ閉鎖に伴い、こちらに移動しました。

カテゴリ: 社会

dai5kaiyoumaru01
 今日は、昭和時代中期の1952年(昭和27)に、伊豆諸島南部のベヨネーズ岩礁で海底噴火(明神礁)に、第五海洋丸が巻き込まれ沈没、乗組員31名全員が死亡(第五海洋丸遭難事故)した日です。
 第五海洋丸遭難事故(だいごかいようまるそうなんじこ)は、1952年(昭和27)9月24日に起きた、海上保安庁の海洋測量船「第五海洋丸」の海難事故です。9月17日に、ベヨネーズ列岩の北北東に海底火山が爆発し新島が出現したと漁船「第十一明神丸」から報告があり、18日6時55分に現場に到着した巡視船「しきね」により、新島は東西100m、南北150m、高さ30mと確認されました。
 そこで、同月23日午前、調査のために海上保安庁の海洋測量船「第五海洋丸」が東京港を出港、同日20時30分の「異常なし」の無線を最後に消息を絶ちます。その後、発見された漂流物などから、24日12時21分の噴火に巻き込まれて沈没したことが判明しました。
 地質学者の田山利三郎や河田喜代助を含む、調査員9名と乗組員22名の計31名全員が犠牲となり、世界の測量史上未曽有の大事件とされています。

〇明神礁(みょうじんしょう)とは?

 伊豆諸島南部、須美寿島の北約50km、ベヨネース列岩の東約10kmに位置する海底火山でです。1870年(明治3)と1946年(昭和21)に新島が出現しましたが水没し、1952年(昭和27)9月17日に、大噴火して再び新島を形成し、漁船第十一明神丸が発見し、名称の由来となりました。
 同月24日には、海上保安庁水路部の調査船第五海洋丸が当礁を調査中に海中爆発に遭い、31名が殉職しています。翌年の大爆発で水没し、海面下の岩礁となりました。
 1970年(昭和45)にも数回海底爆発が認められ、波浪礁をなし、以後も1986年(昭和61)までに、4回海底火山活動によるらしい海水変色が視認されています。ベヨネース列岩を含む直径約10kmのカルデラの東縁付近に形成された後カルデラ丘と考えられてきました。
 尚、付近の海域はカツオの好漁場として知られています。

☆明神礁関係略年表

<1869年(明治2)>
・海中噴火

<1870年(明治3)>
・海中噴火、新島形成

<1871年(明治4)>
・海中噴火

<1896年(明治29)>
・新島出現

<1906年(明治39)>
・4月14日:噴煙が上がる、軽石漂流

<1915年(大正4)>
・4月-7月:浅瀬を形成、海中噴火

<1934年(昭和9)>
・海中噴火

<1946年(昭和21)>
・2月:島が複数形成される
・12月:島が破壊され波浪礁になる

<1952年(昭和27)>
・9月17日:爆発と共に島が形成される
・9月23日:島が再び破壊され消滅する
・9月24日:第五海洋丸が噴火に巻き込まれ沈没、乗組員31名全員死亡(第五海洋丸の遭難)
・10月11日:島が形成される

<1953年(昭和28)>
・3月11日:大爆発多数・島が消滅する
・4月5日:島が再び形成される
・9月1日:青ヶ島から土砂を噴き上げる姿が見える規模の爆発が発生[3]
・9月3日:島が海面下に消滅

<1954年(昭和29)>
・11月4日:海中噴火

<1955年(昭和30)>
・6月25日:海中噴火

<1960年(昭和35)>
・7月21日:海中噴火、噴煙確認

<1970年(昭和45)>
・1月~4月:海中噴火、軽石漂流

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1614年(慶長19)江戸幕府が「伴天連追放之文」により、高山右近ら148人をマニラ・マカオに追放する(新暦10月27日)詳細
1744年(延享元)江戸時代中期の思想家・石門心学の祖石田梅岩の命日(新暦10月29日)詳細
1877年(明治10)薩摩藩士・軍人・政治家西郷隆盛が西南戦争に敗れ、城山で自刃する詳細
1901年(明治34)歴史学者服部之総の誕生日詳細
1931年(昭和6)若槻礼次郎内閣が満州事変の不拡大方針を示す「満州事変に関する政府第一次声明」を出す詳細
1945年(昭和20)GHQが「政府からの報道の分離の件」(SCAPIN-51)を出す詳細
1966年(昭和41)熊本県の天草五橋(パールライン)が開通した日詳細
1971年(昭和46)「廃棄物処理法」(昭和45年12月25日公布)が施行される(清掃の日)詳細
1996年(平成8)国連総会で9月10日に採択された「包括的核実験禁止条約(CTBT)」に日本等71ヶ国が署名する詳細
このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

tokushyuianshisetsu01
 今日は、昭和時代前期の1945年(昭和20)に、特殊慰安施設協会(RAA)による初の進駐軍向け慰安施設「小町園」が東京都大森に開業した日です。
 特殊慰安施設協会(とくしゅいあんしせつきょうかい)は、太平洋戦争後の連合国軍占領下において、日本政府の援助により、東京を中心に作られた「慰安所」を中核とした占領軍用の慰安施設でした。連合国軍兵士による強姦や性暴力を防ぐために、1945年(昭和20)8月26日に、資本金1億円(内、5,500万円は大蔵省が保証して日本勧業銀行が融資)で設立され、最大で5万5000人の売春婦を新聞広告などで募集したとされます。
 8月27日に、東京の大森海岸の料亭「小町園」を慰安所第一号に指定した他、各所に設置され、高級将校用慰安所として、10月20日に墨田区向島に「迎賓館大蔵」、11月に世田谷区若林に「RAAクラブ」が設置されました。しかし、翌年3月26日に、連合国軍東京憲兵司令官官房は「進駐軍ノ淫売窟立入禁止ニ関スル件」(オフ・リミッツ令)を通達し、特殊慰安施設協会(RAA)施設は閉鎖されることになります。
 その後、職を失った女性は、パンパンと称された街娼になったり、風俗街に移動したものもいました。

〇特殊慰安施設協会(RAA)関係略年表

<1945年(昭和20)>
・8月17日 成立した東久邇宮内閣の国務大臣近衛文麿は警視総監坂信弥に「日本の娘を守ってくれ」と請願したため、坂信弥は一般婦女を守るための「防波堤」としての連合軍兵士専用の慰安所の設営を企画する
・8月18日 内務省は同省警保局長橋下政実によって「外国軍駐屯地に於る慰安施設について」(「外国軍駐屯地における慰安施設設置に関する内務省警保局長通牒」)、および「外国駐屯軍慰安設備に関する整備要項」を各県に行政通達し、警視庁は花柳界の団体と打ち合わせを行なう
・8月26日 資本金は1億円(内、5,500万円は大蔵省が保証して日本勧業銀行が融資)で、「特殊慰安施設協会」が設立される
・8月27日 大森海岸の料亭「小町園」を慰安所第一号に指定する
・8月28日 特殊慰安施設協会(RAA)幹部が皇居前で宣誓式と万歳三唱を行なう
・8月28日 開業予定の小町園慰安所へマシンガンで武装したアメリカ軍兵士達がに乗り込み、すべての慰安婦たちを強姦する
・9月4日 特殊慰安施設協会の広告が毎日新聞に掲載される
・9月28日 GHQの軍医総監と公衆衛生福祉局長サムス大佐が、東京都衛生局防疫課長与謝野光に対して、都内で焼け残った花街5カ所と売春街17カ所に触れ、占領軍用の女性を世話してくれと要求する
・10月20日 東京の高級将校用慰安所として、墨田区向島に「迎賓館大蔵」が設置される
・11月 東京の高級将校用慰安所として、世田谷区若林に「RAAクラブ」が設置される

<1946年(昭和21)>
・3月26日 連合国軍東京憲兵司令官官房「進駐軍ノ淫売窟立入禁止ニ関スル件」(オフ・リミッツ令)を通達し、特殊慰安施設協会(RAA)施設は閉鎖される
・8月 「迎賓館大蔵」と「RAAクラブ」を占領軍が接収する

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

663年(天智天皇2) 百済再興をめざす日本軍と唐・新羅連合軍との間で白村江の戦いが始まる(新暦10月4日) 詳細
858年(天安2) 第55代の天皇とされる文徳天皇の命日(新暦10月7日) 詳細
1714年(正徳4) 本草学者・儒学者・教育者貝原益軒の命日(新暦10月5日) 詳細
1896年(明治29) 詩人・童話作家宮沢賢治の誕生日 詳細
1899年(明治32) 東武鉄道初の路線である北千住駅~久喜駅間が開業する 詳細
1928年(昭和3) フランスのパリにおいて、15ヶ国によって、「不戦条約」が調印される 詳細
1949年(昭和24) GHQによって「第一次税制改革勧告文概要」(シャウプ勧告)が出される 詳細
1969年(昭和44) 山田洋二監督の映画『男はつらいよ』(渥美清主演)第一作が公開される 詳細
1986年(昭和61) 東京都の清流復活事業により、玉川上水が21年ぶりに通水され、小平地点より下流部分の清流が復活する 詳細
このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

toukakansei01
 今日は、昭和時代前期の1945年(昭和20)に、太平洋戦争下の灯火管制が解除された日です。
 灯火管制(とうかかんせい)は、夜間空襲に備えて、爆撃の目標とならないように、一定地域において消灯、減光、遮光、漏光制限などを行うことです。1937年(昭和12)4月5日に公布(施行は同年10月1日)された「防空法」に規定され、同年9月17日の関東地方において5日間の防空演習が行われ、夜には警報に基づき灯火管制が行われました。
 1938年(昭和13)4月4日に、「防空法」に基づき、「灯火管制規則」が公布(施行は同年4月10日)され、夜間空襲に備え、灯火を消したり覆ったりして光がもれないようにすることとされます。しかし、太平洋戦争敗戦後の1945年(昭和20)8月20日に灯火管制が解除され、根拠法の「防空法」も、1946年(昭和21)1月31日に廃止されました。
 以下に、「防空法」(昭和12年法律第47号)を掲載しておきますので、ご参照下さい。

〇日本の灯火管制関係略年表

・1937年(昭和12)4月5日 「防空法」が公布される
・1937年(昭和12)9月17日 関東地方において5日間の防空演習が行われ、夜には警報に基づき灯火管制が行われる
・1937年(昭和12)10月1日 「防空法」が施行される
・1938年(昭和13)4月4日 「防空法」に基づき、「灯火管制規則」が公布される
・1938年(昭和13)4月10日 「防空法」に基づき、「灯火管制規則」が施行される
・1945年(昭和20)8月20日 灯火管制が解除される
・1946年(昭和21)1月31日 「防空法」が廃止される

☆「防空法」(ぼうくうほう)とは?

 昭和時代前期の1937年(昭和12)4月5日に公布(施行は10月1日)された、戦時または事変時の空襲に際しての軍防空に即応する官・民、特に民防空を重要視して規定された法律(昭和12年法律第47号)です。第一次世界大戦後、航空機が急速に発達し、特に昭和時代になると空襲の脅威がより大きくなったため、1928年(昭和3)の大阪での軍・官・民合同の防空演習を皮切りに、1930年代には全国の主要都市で実施されるようになりました。
 1935年(昭和10)を境に、ヨーロッパ各国では「防空法」が制定されるようになり、日本でも内務省や陸軍省防諜課などを中心に、「防空法」制定に向けた動きが活発化してきます。その中で、1937年(昭和12)の第70帝国議会に政府提出法案として提出され、わずか9日間で成立しました。
 その内容は、空襲による危害を防止し軽減するための陸・海軍による防空に即応する民間の態勢で、灯火管制、消防、防毒、避難および救護、監視、警報などを迅速に行わせること、そのために道府県に防空計画を樹立させ、態勢を整えさせることなどです。同時に、関連法令として、「防空法施行令」(昭和12年勅令第549号)も10月1日に施行されました。
 その後の戦局の進展に伴い、1941年(昭和16)に昭和16年法律第91号による改正がなされ、民防空の定義に「偽装、防火、防弾、応急復旧」の4項目が追加され、また「防空計画」について、陸海軍大臣が示した「防空計画設定上の基準」を元に主務大臣が「中央防空計画」を策定し地方長官の防空計画へ準拠と指針を与える事と定められ、軍の民防空への関与が明確に示されるようになります。さらに太平洋戦争下の1943年(昭和18)に昭和18年法律第104号による改正がなされ、民防空の定義に「分散疎開、転換、防疫、非常用物資の配給、その他勅令を以て定むる事項」の5項目が加えられ、また「防空計画」について、地方長官以外の地方官庁が計画者に、軍司令官・鎮守府司令長官・警備司令長官が「防空計画設定上の基準」の作成提示者に加わり、地方の特性に応じた防空計画を策定することを可能としました。
 しかし、太平洋戦争敗戦後に機能を停止し、1946年(昭和21)1月31日をもって、昭和21年法律第2号により、廃止されています。

☆「防空法」(昭和12年法律第47号) 1937年(昭和12)4月5日公布・10月1日施行 

第一条 本法ニ於テ防空ト称スルハ戦時又ハ事変ニ際シ航空機ノ来襲ニ因リ生ズベキ危害ヲ防止シ又ハ之ニ因ル被害ヲ軽減スル為陸海軍ノ行フ防衛ニ則応シテ陸海軍以外ノ者ノ行フ灯火管制、消防、防毒、避難及救護並ニ此等ニ関シ必要ナル監視、通信及警報ヲ、防空計画ト称スルハ防空ノ実施及之ニ関シ必要ナル設備又ハ資材ノ整備ニ関スル計画ヲ謂フ

第二条 防空計画ハ勅令ノ定ムル所ニ依リ地方長官(東京府ニ在リテハ警視総監ヲ含ム以下之ニ同ジ)又ハ地方長官ノ指定スル市町村長防空委員会ノ意見ヲ徴シ之ヲ設定シ主務大臣又ハ地方長官ノ認可ヲ受クベシ

第三条 主務大臣ハ勅令ノ定ムル所ニ依リ規模大ナル事業又ハ施設ニシテ防空上特ニ必要アルモノニ付行政庁ニ非ザル者ヲ指定シテ防空計画ヲ設定セシムルコトヲ得
2 前項ノ防空計画ハ主務大臣ノ認可ヲ受クベシ

第四条 防空計画ノ設定者ハ其ノ防空計画ニ基キ防空ヲ実施シ又ハ防空ノ実施ニ関シ必要ナル設備若ハ資材ノ整備ヲ為スベシ

第五条 地方長官ハ勅令ノ定ムル所ニ依リ防空計画ニ基キ特殊施設ノ管理者又ハ所有者ヲシテ防空ノ実施ニ関シ必要ナル設備若ハ資材ノ整備ヲ為サシメ又ハ防空ノ実施ニ際シ必要ナル設備若ハ資材ヲ供用セシムルコトヲ得

第六条 地方長官ハ勅令ノ定ムル所ニ依リ特殊技能ヲ有スル者ヲシテ防毒、救護其ノ他防空ノ実施ニ従事セシムルコトヲ得
2 第三条第一項ノ規定ニ依ル防空計画ノ設定者ハ其ノ従業者ヲシテ防空ノ実施ニ従事セシムルコトヲ得

第七条 防空ノ実施ノ開始及終止ニ関シ必要ナル事項ハ勅令ヲ以テ之ヲ定ム

第八条 灯火管制ヲ実施スル場合ニ於テハ命令ノ定ムル所ニ依リ其ノ実施区域内ニ於ケル光ヲ発スル設備又ハ装置ノ管理者又ハ之ニ準ズベキ者ハ他ノ法令ノ規定ニ拘ラズ其ノ光ヲ秘匿スベシ

第九条 防空ノ実施ニ際シ緊急ノ必要アルトキハ地方長官又ハ市町村長ハ他人ノ土地若ハ家屋ヲ一時使用シ、物件ヲ収用若ハ使用シ又ハ防空ノ実施区域内ニ在ル者ヲシテ防空ノ実施ニ従事セシムルコトヲ得
2 行政執行法第五条及第六条ノ規定並ニ之ニ基キテ発スル命令ハ前項ノ規定ニ基キテ為ス処分ニ依リテ負フ義務ノ履行ヲ市町村長ガ強制スル場合ニ之ヲ準用ス

第十条 主務大臣ハ防空計画ノ設定者ニ対シ防空計画ノ全部又ハ一部ニ基キ防空ノ訓練ヲ為スベキコトヲ命ズルコトヲ得
2 前項ノ規定ニ依リ防空ノ訓練ヲ為ス場合ニ於テハ第三条第一項ノ規定ニ依ル防空計画ノ設定者ハ其ノ従業者ヲシテ防空ノ訓練ニ従事セシムルコトヲ得
3 第一項ノ規定ニ依リ灯火管制ノ訓練ヲ為ス場合ニ於テハ命令ノ定ムル所ニ依リ訓練区域内ニ於ケル光ヲ発スル設備又ハ装置ノ管理者又ハ之ニ準ズベキ者ハ他ノ法令ノ規定ニ拘ラズ其ノ光ヲ秘匿スベシ

第十一条 防空ニ関スル調査ノ為必要アルトキハ主務大臣、地方長官又ハ市町村長ハ勅令ノ定ムル所ニ依リ関係者ニ対シ資料ノ提出ヲ命ジ又ハ官吏若ハ吏員ヲシテ関係アル場所ニ立入リ検査ヲ為サシムルコトヲ得但シ私人ノ邸宅並ニ業務上ノ秘密ニ属スル事項及設備ニ付テハ此ノ限ニ在ラズ
2 前項ノ規定ニ依リ立入ル場合ニ於テハ其ノ旨予メ其ノ場所ノ管理者ニ通知スベシ
3 当該官吏又ハ吏員第一項ノ規定ニ依リ関係アル場所ニ立入ル場合ハ其ノ証票ヲ携帯スベシ

第十二条 第六条又ハ第九条第一項ノ規定ニ依リ防空ノ実施ニ従事スル者之ガ為傷痍ヲ受ケ、疾病ニ罹リ又ハ死亡シタル場合ニ於テハ地方長官、市町村長又ハ第三条第一項ノ規定ニ依ル防空計画ノ設定者ハ勅令ノ定ムル所ニ依リ本人又ハ其ノ葬祭ヲ行フ者ニ対シ療養又ハ葬祭ニ要スル費用ヲ給スベシ

第十三条 地方長官第五条ノ規定ニ依リ防空ノ実施ニ際シ必要ナル設備若ハ資材ヲ供用セシメ又ハ地方長官若ハ市町村長第九条第一項ノ規定ニ依リ土地家屋物件ヲ収用若ハ使用スル場合ニ於テハ勅令ノ定ムル所ニ依リ其ノ損失ヲ補償スベシ
2 前項ノ規定ニ依リ補償ヲ受クベキ者補償ニ付不服アルトキハ其ノ金額ノ決定ノ通知ヲ受ケタル日ヨリ、供用、収用又ハ使用ノ後六月ヲ経過シテ補償金額ノ決定ノ通知ヲ受ケザルトキハ其ノ期間経過シタル日ヨリ六月以内ニ通常裁判所ニ出訴スルコトヲ得

第十四条 地方長官第六条第一項ノ規定ニ依リ特殊技能ヲ有スル者ヲシテ防空ノ実施ニ従事セシメ又ハ第三条第一項ノ規定ニ依ル防空計画ノ設定者第六条第二項ノ規定ニ依リ其ノ従業者ヲシテ防空ノ実施ニ従事セシムル場合ニ於テハ勅令ノ定ムル所ニ依リ其ノ実費ヲ弁償スベシ
2 前条第二項ノ規定ハ前項ノ実費弁償ニ之ヲ準用ス

第十五条 防空計画ノ設定、防空ノ実施、防空ノ実施ニ関シ必要ナル設備若ハ資材ノ整備、第十条第一項ノ規定ニ依ル防空ノ訓練又ハ第十二条ノ規定ニ依ル給与ヲ為スニ要スル費用ハ地方長官之ヲ為ス場合ニ於テハ北海道又ハ府県、市町村長之ヲ為ス場合ニ於テハ市町村、第三条第一項ノ規定ニ依ル防空計画ノ設定者之ヲ為ス場合ニ於テハ其ノ者ノ負担トス
2 特殊施設ノ管理者又ハ所有者第五条ノ規定ニ依リ設備又ハ資材ノ整備ヲ為スニ要スル費用ハ其ノ者ノ負担トス

第十六条 防空委員会ニ関スル規程ハ勅令ヲ以テ之ヲ定ム

第十七条 国庫ハ勅令ノ定ムル所ニ依リ左ノ諸費ニ対シ其ノ二分ノ一以内ヲ補助ス
 一 第十五条第一項ノ規定ニ依リ北海道、府県、市町村又ハ第三条第一項ノ規定ニ依ル防空計画ノ設定者ノ負担スル費用
 二 第十五条第二項ノ規定ニ依リ特殊施設ノ管理者又ハ所有者ノ負担スル費用
 三 防空委員会ニ関シ北海道、府県又ハ市町村ノ負担スル費用

第十八条 特殊枝能ヲ有スル者故ナク第六条第一項ノ規定ニ依ル地方長官ノ命令ニ従ハザルトキハ三月以下ノ懲役又ハ百円以下ノ罰金ニ処ス

第十九条 第八条ノ規定ニ違反シタル者ハ三百円以下ノ罰金、拘留又ハ科料ニ処ス
2 故ナク第十一条第一項ノ規定ニ依ル資料ノ提出ヲ拒ミ若ハ虚偽ノ資料ヲ提出シ又ハ当該官吏若ハ吏員ノ立入検査ヲ拒ミ若ハ妨ゲタル者亦前項ニ同ジ

第二十条 町村組合ニシテ町村ノ事務ノ全部又ハ役場事務ヲ共同処理スルモノハ本法ノ適用ニ付テハ之ヲ一町村、其ノ組合管理者ハ之ヲ町村長ト看做ス
2 町村制ヲ施行セザル地ニ於テハ本法中町村ニ関スル規定ハ町村ニ準ズベキモノニ、町村長ニ関スル規定ハ町村長ニ準ズベキ者ニ之ヲ適用ス

第二十一条 国ニ於テ管理スル施設ニ関スル防空ニ付テハ勅令ノ定ムル所ニ依ル

第二十二条 本法ヲ朝鮮、台湾又ハ樺太ニ施行スル場合ニ於テ必要アルトキハ勅令ヲ以テ特別ノ定ヲ為スコトヲ得

  附 則

本法施行ノ期日ハ勅令ヲ以テ之ヲ定ム

「官報」より

防空法施行令 (昭和12年勅令第549号)

第一条 地方長官(東京府ニ在リテハ警視総監ヲ含ム以下之ニ同ジ)ハ道府県ノ全区域又ハ数市町村ノ区域ニ亙リ計画スベキ事項其ノ他必要ト認ムル事項ニ関シ防空計画ヲ設定スベシ
2 前項ノ防空計画ハ道府県防空委員会ノ意見ヲ徴シ之ヲ設定シ内務大臣ノ認可ヲ受クベシ
3 防空法第二条ノ規定ニ依リ指定セラレタル市町村長ハ市町村ノ区域内ニ於テ計画スベキ事項其ノ他必要ト認ムル事項ニ関シ防空計画ヲ設定スベシ
4 前項ノ防空計画ハ市町村防空委員会ノ意見ヲ徴シ之ヲ設定シ地方長官ノ認可ヲ受クベシ

第二条 防空法第三条第一項ノ事業又ハ施設ハ工場、鉱山、鉄道、軌道、無線電信、無線電話又ハ電気、瓦斯、海運若ハ航空ニ関スル事業若ハ施設トス

第三条 防空法第五条ノ規定ニ依リ整備ヲ為サシムルコトヲ得ベキ設備又ハ資材ハ左ノ各号ニ掲グルモノトス
 一 電気工作物、工場、鉱山、鉄道、軌道、診療所ノ類ニ付テハ灯火管制ニ関シ必要ナルモノ
 二 水道、下水道、瓦斯工作物、石油タンク、工場、鉱山ノ類ニ付テハ消防ニ関シ必要ナルモノ
 三 劇場、診療所、百貨店、地下ニ敷設シタル鉄道又ハ軌道、地下室ヲ有スル建築物ノ類ニ付テハ防毒、避難又ハ救護ニ関シ必要ナルモノ
2 防空法第五条ノ規定ニ依リ供用セシムルコトヲ得ベキ設備又ハ資材ハ左ノ各号ニ掲グルモノトス
 一 高層建築物ノ類ニ付テハ監視ニ関シ必要ナルモノ
 二 号報器ヲ有スル施設ニ付テハ警報ニ関シ必要ナルモノ
 三 学校、集会場、劇場、診療所、百貨店、地下ニ敷設シタル鉄道又ハ軌道、地下室ヲ有スル建築物、避難上有効ナル空地ヲ有スル工場其ノ他ノ建築物、運動場ノ類ニ付テハ防毒、避難又ハ救護ニ関シ必要ナルモノ

第四条 防空法第六条第一項ノ特殊技能ヲ有スル者ハ左ノ各号ニ掲グル者トス
 一 医師、歯科医師、獣医師、薬剤師及看護婦
 二 防空ニ関スル技能ニ付特殊ノ教育訓練ヲ受ケタル者ニシテ内務大臣ノ認可ヲ受ケ地方長官ノ定ムルモノ
2 防空法第三条第一項ノ規定ニ依ル防空計画ノ設定者ノ従業者ニシテ其ノ防空計画ニ基キ防空ノ実施ニ従事スベキモノ其ノ他正当ノ事由アル者ハ同法第六条第一項ノ規定ニ依リ防空ノ実施ニ従事セシムルコトヲ得ズ

第五条 防空ノ実施ノ開始及終止ハ内務大臣ヲ命ズ
2 前項ノ命令ハ関係アル地方長官及防空法第三条第一項ノ防空計画ノ設定者ニ対シテハ内務大臣、関係アル市町村長ニ対シテハ内務大臣ノ通知ニ依リ地方長官之ヲ発ス
3 内務大臣第一項ノ命令ヲ為スニ付テハ其ノ時期及区域ニ関シテハ陸軍大臣又ハ海軍大臣ノ通知ニ依ルベシ

第六条 前条ノ規定ニ依リ防空ノ実施ノ開始命令アリタルトキハ防空計画ノ設定者ハ監視及之ニ伴フ通信ニ関シテハ直ニ之ヲ実施シ防空上必要ナル其ノ他ノ事項ニ関シテハ其ノ準備ヲ為シ適宜之ヲ実施スベシ
2 監視及之ニ伴フ通信ハ前条ノ規定ニ依リ防空ノ実施ノ終止命令アル迄之ヲ継続スベシ

第七条 防空ヲ実施スル場合ニ於テ航空機ノ来襲ニ関シテハ左ノ各号ノ区分ニ依リ防空警報ヲ発ス
 一 警戒警報 航空機ノ来襲ノ虞アル場合
 二 警戒警報解除 航空機ノ来襲ノ虞ナキニ至リタル場合
 三 空襲警報 航空機ノ来襲ノ危険アル場合
 四 空襲警報解除 航空機ノ来襲ノ危険ナキニ至リタル場合
2 当該区域ノ防衛ヲ担任スル防衛司令官、師団長、要塞司令官、鎮守府司令長官若ハ要港部司令官(以下陸海軍司令官ト称ス)又ハ其ノ指定スル者ノ発スル防空警報ヲ以テ前項ノ防空警報トス

第八条 防空法第十一条第一項ノ関係者ハ第二条ニ掲グル事業若ハ施設又ハ第三条ニ掲グル特殊施設ノ管理者又ハ所有者トシ関係アル場所ハ此等ノ者ノ管理又ハ所有スル土地及建物其ノ他ノ工作物トス
2 防空法第十一条第三項ノ証票ハ別記様式ニ依ル

第九条 防空法第十二条ノ規定ニ依ル療養又ハ葬祭ニ要スル費用ハ防空ノ実施ニ従事セシメタル者ニ於テ之ヲ給スベシ
2 前項ノ費用ノ支給ニ関シ必要ナル事項ハ地方長官又ハ防空法第三条第一項ノ規定ニ依ル防空計画ノ設定者ニ在リテハ内務大臣、市町村長ニ在リテハ地方長官ノ認可ヲ受ケ之ヲ定ムベシ

第十条 防空法第十三条ノ規定ニ依リ補償スベキ損失ハ通常生ズベキ損失ニ限ル

第十一条 防空法第十四条ノ規定ニ依ル実費弁償ニ関シ必要ナル事項ハ地方長官又ハ同法第三条第一項ノ規定ニ依ル防空計画ノ設定者内務大臣ノ認可ヲ受ケ之ヲ定ム

第十二条 防空法第十七条ノ規定ニ依ル国庫補助ハ支出精算額ニ対シ之ヲ為ス但シ寄附金其ノ他ノ収入アルトキハ之ヲ控除シタル額ニ対シ補助ス
2 前項ノ規定ニ依リ交付シタル国庫補助金ハ左ニ掲グル場合ニ於テハ其ノ全部又ハ一部ヲ返還セシムルコトヲ得
 一 設備又ハ資材ヲ廃棄又ハ変更シ当初ノ目的ヲ達シ得ザルニ至リタルトキ
 二 補助金交付ノ条件ニ違反シタルトキ

第十三条 防空法第三条及第十条ノ主務大臣ハ内務大臣、同法第十一条ノ主務大臣ハ内務大臣、陸軍大臣又ハ海軍大臣トス

第十四条 陸海軍司令官ハ監視網構成ノ概要ニ付及陸海軍ノ行フ防衛ノ必要上使用ヲ禁止又ハ制限スルコトアルベキ土地建物ニ付防空計画ノ設定上必要ナル事項ヲ防空計画ノ設定者ニ通知スベシ
2 前項ノ通知アリタルトキハ之ニ準拠シテ防空計画ヲ設定スベシ

第十五条 防空計画ノ認可ヲ為ス場合ニ於テ陸海軍ノ行フ防衛ニ則応セシムル為必要アル事項ニ関シテハ内務大臣ハ陸軍大臣及海軍大臣ニ、地方長官ハ陸海軍司令官ニ協議スベシ

第十六条 左ニ掲グル事項ニ関シテハ内務大臣ハ関係各大臣ニ、地方長官ハ関係地方官庁ニ協議スベシ
 一 防空計画ノ認可ヲ為ス場合ニ於テ当該計画中国ニ於テ管理スル土地家屋物件ノ使用ニ関スル事項
 二 防空計画ノ認可ヲ為ス場合ニ於テ設備又ハ資材ノ整備又ハ供用ニシテ他ノ法令ニ依リ認可又ハ許可ヲ要スルモノニ関スル事項
 三 防空法第三条第一項ノ規定ニ依ル指定及同条第二項ノ規定ニ依ル認可
 四 設備又ハ資材ノ整備又ハ供用ニシテ他ノ法令ニ依リ認可又ハ許可ヲ要スルモノニ関スル防空法第五条ノ規定ニ依ル命令
 五 防空法第三条第一項ノ規定ニ依ル防空計画ノ設定者ニ対スル同法第十条第一項ノ規定ニ依ル命令

第十七条 町村組合ニシテ町村ノ事務ノ全部又ハ役場事務ヲ共同処理スルモノハ本令ノ適用ニ付テハ之ヲ一町村、其ノ組合管理者ハ之ヲ町村長ト看做ス
2 町村制ヲ施行セザル地ニ於テハ本令中町村ニ関スル規定ハ町村ニ準ズベキモノニ、町村長ニ関スル規定ハ町村長ニ準ズベキ者ニ之ヲ適用ス

  附 則

本令ハ防空法施行ノ日ヨリ之ヲ施行ス

(別記様式) 略

 「官報」より

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1241年(仁治2)公家・歌人藤原定家の命日(新暦9月26日)詳細
1573年(天正元)織田信長との一乗谷城の戦いに敗れた朝倉義景が自決する(新暦9月16日)詳細
1610年(慶長15)武将・大名・歌人細川幽斎(藤孝)の命日(新暦10月6日)詳細
1842年(天保13)滝沢馬琴が、長篇小説『南総里見八犬伝』98巻を完成(完成まで28年)させる(新暦9月24日)詳細
1900年(明治33)義務教育無償の原則を明示した「第三次小学校令」が公布(同年9月1日施行)される詳細
1905年(明治38)映画監督成瀬巳喜男の誕生日詳細
1926年(大正15)社団法人日本放送協会(NHK)が設立される詳細
1941年(昭和16)高村光太郎が、妻智恵子を偲んで編纂された詩集『智恵子抄』が刊行される詳細
1997年(平成9)家永教科書裁判の第3次訴訟で、最高裁が原告の主張を一部認める判決を出し、家永教科書裁判が終結する詳細
このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

eitaibashihouraku01
 今日は、江戸時代後期の1807年(文化4)に、富岡八幡祭の人出で隅田川にかかる永代橋が崩落し、死者1,500人余を出した日ですが、新暦では9月20日となります。
 永代橋(えいたいばし)は、東京都中央区新川と江東区深川を結んで隅田川に架かる橋です。『江戸砂子』によると、1688年(元禄元年)に、深川の大渡しに代わって木橋がかけられ、左岸が永代島と呼ばれていたことにちなみ永代橋と名づけられたとされますが、『御府内備考』では、1698年(元禄11年8月1日)に、徳川綱吉の 50歳の賀を祝して全長185mの橋が架設されたとされてきました。
 1702年(元禄15年12月)の赤穂浪士の吉良上野介屋敷への討ち入りでは、討ち入り後に上野介の首を掲げて渡り、泉岳寺へ向ったとされます。1719年(享保4年)の洪水で破損したため、幕府は廃止を意図したものの、町人の要望で再建されました。
 しかし、1807年(文化4年8月19日)には、富岡八幡宮祭礼時に人波で落橋し、死者死者1,500人余を出す大惨事が起こります。1809年(文化6年)に、新大橋、大川橋とともに三橋会所が改架、修繕を負担することが許されましたが、1871年(明治4年7月8日)の高潮で橋が破損しました。
 1897年(明治30年)に、日本の道路橋では初の鋼トラス橋が架けられ、1904年(明治37年)には、東京市街鉄道(後の東京都電)による路面電車が敷設(1972年11月廃止)されます。1923年(大正12年)には、床版が木製だったため、関東大震災で焼損したものの、1926年(大正15年)12月には、関東大震災復興橋として今日の鋼橋が建設されました。
 尚、2000年(平成12年)に土木学会により「帝都を飾るツイン・ゲイト」のひとつとして土木遺産に認定され、2007年(平成19年)には、都道府県の道路橋として初めて、同じ隅田川の勝鬨橋、清洲橋とともに国の重要文化財に指定されています。現在の橋は、3径間アーチ橋で、支間距離100.6m、橋長184.7m、幅22mとなっています。

〇永代橋関係略年表(明治5年以前の日付は旧暦です)

・1688年(元禄元年) 深川の大渡しに代わって木橋がかけられ、左岸が永代島と呼ばれていたことにちなみ永代橋と名づけられたと伝えられる(『江戸砂子』より)
・1698年(元禄11年8月1日) 洪水による流失後、徳川綱吉の 50歳の賀を祝して全長185mの橋が架設されたとされる
・1702年(元禄15年12月) 赤穂浪士の吉良上野介屋敷への討ち入りでは、討ち入り後に上野介の首を掲げて渡り、泉岳寺へ向ったとされる
・1719年(享保4年) 洪水で破損したため、幕府は廃止を意図したが,町人の要望で再建される
・1807年(文化4年8月19日) 富岡八幡宮祭礼時に人波で落橋し、死者 1000人をこえる大惨事が起こる
・1809年(文化6年) 新大橋、大川橋とともに三橋会所が改架、修繕を負担することが許される
・1871年(明治4年7月8日)高潮で橋が破損する
・1897年(明治30年) 日本の道路橋では初の鋼トラス橋が架けられる
・1904年(明治37年) 東京市街鉄道(後の東京都電)による路面電車が敷設される
・1923年(大正12年) 床版が木製だったため、関東大震災で焼損する
・1926年(大正15年) 関東大震災復興橋として今日の鋼橋が建設される
・1972年(昭和47年)11月 路面電車が廃止される
・2000年(平成12年) 土木学会により「帝都を飾るツイン・ゲイト」のひとつとして土木遺産に認定される
・2007年(平成19年)6月18日 都道府県の道路橋として初めて、同じ隅田川の勝鬨橋、清洲橋とともに国の重要文化財に指定される

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1680年(延宝8)第108代の天皇とされる後水尾天皇の命日(新暦9月11日)詳細
1863年(文久3)八月十八日の政変による七卿落ちで、三條実美ら公家7人が長州へ向かう(新暦10月1日)詳細
1868年(慶応4)戊辰戦争で江戸幕府海軍副総裁榎本武揚が全艦隊を率いて江戸から箱館に向けて出航する(新暦10月4日)詳細
1881年(明治14)文部省によって「師範学校教則大綱」が制定される詳細
1944年(昭和19)第12回御前会議で「世界情勢判断及戦争指導大綱」を決定する詳細
1946年(昭和21)全日本産業別労働組合会議(産別会議)が結成される詳細
1948年(昭和23)東宝争議(第3次)で、砧撮影所に米軍の戦車7台・飛行機3機等が投入され、組合員が撤退する詳細
1962年(昭和37)有機化学者で大阪帝国大学総長だった真島利行の命日詳細
1969年(昭和44)小説家中山義秀(なかやま ぎしゅう)の命日詳細

このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

nittshyouken01
 今日は、昭和時代後期の1966年(昭和41)に、東京都人権委員会に日照権専門委員会が設置された日です。
 日照権(にっしょうけん)は、日照を享受して快適で健康な生活を送る権利のことです。高層の建物などにより、日当たりが妨げられて被害を生じた場合に、損害賠償・妨害排除などの請求の根拠として主張されてきました。
 昭和30年代の高度経済成長以後、都市への人口集中、地価の高騰は、土地の高度利用、建築物の高層化をもたらし、昭和40年代には、これに伴って生じる日照・通風妨害,電波障害等が深刻な問題となります。1966年(昭和41)には、東京都人権委員会に日照権専門委員会が設置されました。
 また、1970年(昭和45)に刊行された、高橋和巳著『白く塗りたる墓』で、「社会部による日照権および騒音公害の調査」が掲載され、1970年代初期の住民運動から、日照権という概念が提唱されるようになります。1972年(昭和47)に、最高裁が、「日照権・通風権が法的に保護するのに値する」とする初の判決を出しました。
 その後、1976年(昭和51)の「建築基準法」改正により日影規制が設けられるようになり、各自治体の条例などとともに、日照権の公法的保障が図られるようになります。しかし、住民は公法的基準をクリアした建物についても裁判所に訴えるようになり、裁判所も、被害が大きいと認める場合には、日影規制基準をクリアしていても民法上違法であるとして、損害賠償や差止め請求を認めていました。
 これを私法的基準と言い、日照権は現在のところ「公法」と「私法」という二重の基準で審査されてきます。
 以下に、「最高裁昭和47年6月27日第三小法廷判決」についての記事を掲載しておきますので、ご参照下さい。

〇日照権関係略年表

・1966年(昭和41) 東京都人権委員会に日照権専門委員会が設置される
・1970年(昭和45) 高橋和巳著『白く塗りたる墓』で、「社会部による日照権および騒音公害の調査」が掲載される
・1970年初期 「日照権」を巡る住民運動が起きる
・1972年(昭和47)6月27日 最高裁が、「日照権・通風権が法的に保護するのに値する」とする初の判決を出す
・1976年(昭和51) 「建築基準法」改正により日影規制が設けられる

☆「最高裁昭和47年6月27日第三小法廷判決」 

(居宅の日照・通風の妨害につき不法行為による損害賠償責任が認められた事例) 

【当 事 者】 
原告:東京都世田谷区砧町の宅地及び建物を購入した者 
被告:原告が購入した宅地の南側に隣接する宅地及び建物を購入し,その後家屋の増築工事を行った者(原告とほぼ同時期に購入) 

【事案の概要】 
原告は,被告が自ら所有する家屋の増築工事を行ったため,家屋及び敷地への日照を奪われ,南方から受ける通風も悪くなり,家族の健康が害されたこと,さらに,日照阻害のために,所有家屋を不利な価格で第三者に売却して他に転居せざるを得なくなったことを理由として,被告に対し,損害賠償の支払いを求めた。第一審である東京地裁は,被告の増築工事は,建築基準法違反の点を考慮しても損害賠償責任を生ぜしめるものではないとして原告の請求を棄却したが,第二審の東京高裁は,被告の建築基準法違反は甚だしく社会的妥当性を欠き,日照・通風妨害は忍容すべき限度を越えているとして,被告に対し,20 万円の慰謝料の支払いを命じた。 

【背 景 事 情】 
原告及び被告の土地建物の所在地は,建築基準法上の住宅地域に属していたが,当時,この地域は第二種空地地区に指定されていたため,同法第56条第3項により,建築物の延べ面積の敷地面積に対する割合(容積率)は,30 パーセント(当時)以下とされていた。しかし,2回にわたる増築により,被告建物の容積率は68パーセントに達し,しかも,被告宅の2階部分の増築は,建築確認手続きを経ない,いわゆる無届建築であったため,この増築に関し,被告は,東京都知事から,工事施工停止命令,さらには違反建築物の除去命令を発せられている。被告はこれらの各命令を無視し,工事を強行して増築を完成させ,その結果原告に被害を生じさせた。 

【判断の概要】 
①居宅の日照・通風は,快適で健康な生活に必要な生活利益であり,加害者の権利の濫用にわたる行為によってこれらが妨害された場合には,騒音悪臭などの積極的な生活妨害と大差なく,法的保護の対象となること, 
②南側家屋の建築が,北側家屋の日照・通風を妨げている場合,それだけで不法行為が成立しているとは言えないが,権利行使(増築)が,社会観念上妥当性を欠き,被害者において忍容すべき限度を越えたと認められる場合には,違法性を帯び,不法行為が
成立すること, 
③被告は建築基準法に違反し,また,東京都知事から受けた各命令を無視して工事を完成させたことにより,原告から,建築基準法の基準から保障される一定範囲の日照・通風を大幅に奪ったことを理由に,原告の請求を認容した。 

I はじめに
本件はいわゆる日照権に関する最初の最高裁判決です。ゆとりある住宅地においては,日照についての紛争が起こることは殆どありませんが,都市化や住宅事情の変化などが著しい大都市及びその周辺では,それまで誰もが当然のように享受してきた日照が,権利として意識されるようになりました。そして裁判における請求の内容も,加害者に対して損害賠償を請求したり,建築の中止を求めるものなど態様は様々です。今回紹介する裁判例は,日照・通風も悪臭や騒音と同様に法的保護の対象になり,加害者の権利の濫用により日照・通風が侵害され,それが忍容すべき限度を越える場合には,加害者の行為は違法となるとされ,原告の損害賠償請求が認容された事例です。 

II 権利の濫用と法令違反
(1) 権利濫用というのは,権利者であっても,ある行為が正当な権利行使の範囲を越えた場合には,その行為を例外的に違法とする理論です。本件における被告の増築行為は,自己の所有する土地家屋についてなしたもので,一見所有権に基づく正当な権利行使と言えそうです。しかし,本件増築行為は,単なる居住者の安全のみならず社会生活における土地利用の調整を趣旨とする建築基準法に違反し,また,違反の態様も悪質であったことから,裁判所は,被告の増築行為により被害者が認容すべき程度を越えた場合には,社会観念上妥当な権利行使の範囲を越えた権利の濫用にわたるもので,その増築行為は違法になると判断しました。 
(2) 日照妨害が問題となる事案においては,建築基準法との関わりが論じられるケース
が多いようです。本件でも触れていますが,建築基準法の規制があることによって,ある土地に建物を建てようとする者は,その地域ではどのような建物を建てることができるかを認識でき,周囲もどのような建物が建つということを予測ないし期待するわけで,ある意味では,建築基準法が日照・通風という利益を保障していると言えます。しかし,近時は,建築基準法違反のない中高層マンションの業者と周辺住民との間の紛争も深刻化しており,新たな視点からの解決が望まれます。 

III 受忍限度について
 本判決では,主として権利濫用論によって違法性の判断がなされていますが,その判断要素として,受忍限度が考慮されています。日照阻害に関する裁判例では,①被害の内容・程度,②加害・被害の回避可能性,③地域性,④先住性,⑤規制基準違反の有無,⑥交渉経過等の諸事情を総合的に考慮して,受忍限度の判断をなしていくのが一般的傾向ですが,本件では特に建築基準法違反や命令無視といった要因が,判断に大きく影響していると考えられます。 

Ⅳ 参考となる他の判例について
本判決後に現れた類似の事実に関する判例としては,虚偽の建築確認申請に基づく悪質な違反建築物により日照・採光・通風が阻害されたことを理由とした隣接建物居住者からの損害賠償請求を認容し,違反建築主に対し,慰謝料及び土地建物価格の低下による損害等の賠償を命じた京都地裁昭和 58 年2月 28 日判決(判例時報 1090-148),日影規制(建築基準法上,一定の時間帯に,ある地域・範囲に日影を生じさせないようにする規制。同法第56 条の2参照)対象外建物に対する日照被害等を理由とした建築工事禁止仮処分申請につき,日影被害の増大の程度が極めて大きい一部の者についてこれを認容した東京高裁平成3年9月25日判決(判例時報1407-69)があります。 

 (公害等調整委員会事務局主査 中川 一哉)

  『判例時報』(669-26)より

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1552年(天文21)萱津の戦いが行われる(新暦9月4日)詳細
1622年(元和8)儒学者・軍学者・山鹿流兵法及び古学派の祖山鹿素行の誕生日(新暦9月21日)詳細
1868年(慶応4)長岡藩家老河井継之助の命日(新暦10月1日)詳細
1874年(明治7)酒田県(現在の山形県庄内地方)で、農民1万人が過納租税の返還を求めるワッパ騒動が起きる詳細
1938年(昭和13)ナチの青年団であるヒトラー・ユーゲント訪日団が横浜港に到着する詳細
1940年(昭和15)東京市下で隣組を通じた回覧板による文書の回覧が始まる詳細
1943年(昭和18)東京都が上野動物園に猛獣の処分を指令する詳細
1964年(昭和39)「松川事件」がこの日限りで、真犯人不明のまま時効になる詳細
2017年(平成29)「水銀に関する水俣条約」が発効する詳細
このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

↑このページのトップヘ