ガウスの歴史を巡るブログ(その日にあった過去の出来事)

 学生時代からの大の旅行好きで、日本中を旅して回りました。その中でいろいろと歴史に関わる所を巡ってきましたが、日々に関わる歴史上の出来事や感想を紹介します。Yahooブログ閉鎖に伴い、こちらに移動しました。

カテゴリ: 飛鳥時代

kougyokutennou01
 飛鳥時代の661年(斉明天皇7)に、斉明天皇(皇極天皇)が百済救援の為に難波を出帆した日ですが、新暦では2月13日となります。
 皇極天皇(こうぎょくてんのう)は、第35代とされる天皇(女帝)ですが、重祚して、第37代とされる天皇(斉明天皇)ともなっています。飛鳥時代の594年(推古天皇2年)に、父・茅渟(ちぬ)王(舒明天皇の弟)、母・吉備姫王(欽明天皇の孫)の女子として生まれましたが、名は、宝皇女(たからのひめみこ)と言いました。
 最初は、高向王に嫁して、漢皇子を産みましたが、その後舒明天皇の皇后となり、中大兄皇子(後の天智天皇)、間人皇女(後の孝徳天皇皇后)、大海人皇子(後の天武天皇)を産みます。641年(舒明天皇13年10月9日)に、夫の舒明天皇が亡くなると、翌年1月1日に、第35代とされる天皇(皇極天皇)として即位しました。
 643年(皇極天皇2年)に、飛鳥板蓋宮(いたぶきのみや)を営んで移ったものの、645年(大化元年6月14日)に、蘇我蝦夷・入鹿父子殺害の政変(乙巳の変)にあたり、弟の軽皇子(孝徳天皇)に譲って退位します。646年(大化2年1月1日)には、孝徳天皇によって、改新之詔が宣せられましたが、653年(白雉4年)には、中大兄皇子と共に、孝徳天皇を捨てて倭飛鳥河辺行宮に遷幸しました。
 654年(白雉5年10月10日)に、孝徳天皇が亡くなると、翌年1月3日に、第37代とされる天皇(斉明天皇)として重祚します。656年(斉明天皇2年)に、新たに飛鳥岡本宮を営んで移りましたが、658年(斉明天皇4年11月)には、有間皇子の変が起きました。
 660年(斉明天皇6年)に、唐・新羅連合軍が百済を攻略すると、翌年1月6日に、百済救援の為に難波を出帆し、筑紫国へ向かいます。661年(斉明天皇7年5月9日)に、筑紫国(現在の福岡県)の朝倉宮に入りましたが、同年7月24日に、朝倉宮において、68歳で亡くなりました。
 尚、667年(天智6年)に、間人皇女とともに大和国高市郡の越智崗上陵に合葬されています。

〇皇極天皇(斉明天皇)関係略年表(日付は旧暦です)

・594年(推古天皇2年) 父・茅渟(ちぬ)王(舒明天皇の弟)、母・吉備姫王(欽明天皇の孫)の子として生まれる
・626年(推古天皇34年) 舒明天皇との間で、長子となる中大兄皇子(後の天智天皇)を産む
・630年(舒明天皇2年1月12日) 数え年37歳で舒明天皇の皇后に立てられる
・641年(舒明天皇13年10月9日) 舒明天皇が亡くなる
・642年(皇極天皇元年1月1日) 第35代とされる天皇(皇極天皇)として即位する
・643年(皇極天皇2年) 飛鳥板蓋宮(いたぶきのみや)を営んで移る
・645年(大化元年6月14日) 蘇我蝦夷・入鹿父子殺害の政変(乙巳の変)にあたり、弟の軽皇子(孝徳天皇)に譲って退位する
・646年(大化2年1月1日) 孝徳天皇によって、改新之詔が宣せられる
・653年(白雉4年) 皇祖母尊(皇極天皇のこと)は中大兄皇子と共に、孝徳天皇を捨てて倭飛鳥河辺行宮に遷幸する
・654年(白雉5年10月10日) 孝徳天皇が亡くなる
・655年(斉明天皇元年1月3日) 第37代とされる天皇(斉明天皇)として重祚する
・656年(斉明天皇2年) 新たに飛鳥岡本宮を営んで移る
・658年(斉明天皇4年11月) 有間皇子の変が起きる
・660年(斉明天皇6年) 唐・新羅連合軍が百済を攻略する
・661年(斉明天皇7年1月6日) 百済救援の為に難波を出帆し、筑紫国へ向かう
・661年(斉明天皇7年5月9日) 筑紫国(現在の福岡県)の朝倉宮に移る
・661年(斉明天皇7年7月24日) 筑紫国(現在の福岡県)の朝倉宮において、68歳で亡くなる
・667年(天智6年) 間人皇女とともに大和国高市郡の越智崗上陵に合葬される

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

757年(天平宝字元)皇族・公卿・歌人橘諸兄の命日(新暦1月30日)詳細
1215年(建保3)鎌倉幕府初代執権北条時政の命日(新暦2月6日)詳細
1822年(文政5)洒落本・滑稽本・黄表紙・合巻作者式亭三馬の命日(新暦2月27日)詳細
1831年(天保2)禅僧・歌人・書家良寛の命日(新暦2月18日)詳細
1902年(明治35)生態学者・文化人類学者・登山家・探検家今西錦司の誕生日詳細
1977年(昭和52)国鉄が「一枚のキップから」キャンペーンを開始する詳細
2006年(平成18)漫画家・放送タレント加藤芳郎の命日詳細
2010年(平成22)鋳金作家蓮田修吾郎の命日詳細
このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

fujiwar1
 今日は、飛鳥時代の694年(持統天皇8)に、持統天皇が飛鳥浄御原宮から藤原京に遷都した日ですが、新暦では、12月27日となります。
 藤原京(ふじわらきょう)は、奈良県橿原市と高市郡明日香村にまたがる地域にあった飛鳥時代の都で、日本史上で最初の条坊制を布いた本格的な唐風都城でもあったとされます。694年(持統天皇8)に、持統天皇が飛鳥浄御原宮から遷都し、710年(和銅3)に、元明天皇により、平城京に遷都されるまで、三代(持統・文武・元明)16年間の日本の首都とされました。
 大和三山に囲まれた飛鳥地方に造営され、唐の制度を模し、左京・右京とも東西4坊・南北12条に区画されています。中央北部に宮城をおき、12の門、内裏、朝堂院などがありましたが、平城京遷都 (710年) の翌年に焼失しました。
 今でも、藤原京の中心にあった藤原宮の大極殿の土壇が残っており、周辺は史跡公園になっています。藤原宮跡は、1952年(昭和27)に国の特別史跡に指定されており、現在では、その6割ほどが保存されて、藤原宮及び藤原京の発掘調査が続けられてきました。
 この地域から、木簡約1200点が出土していて、古代史を解明する上で重要な資料となっています。これらの出土品は、「奈良文化財研究所 藤原宮跡資料室」や「飛鳥資料館」(明日香村奥山)で公開されてきました。

〇藤原京関係略年表(日付は旧暦です)

・676年(天武天皇5) 天武天皇が「新城(にいき)」の選定に着手する
・684年(天武天皇13) 天武天皇が京師を巡行して宮室の地を定める
・690年(持統天皇4) 高市皇子が、藤原宮の地をみ、藤原京造営が再開される
・691年(持統天皇5) 藤原京域を地鎮する
・692年(持統天皇6) 持統天皇が、藤原京の路をみ、藤原宮を地鎮する
・693年(持統天皇7) 持統天皇が、藤原宮の地へ行幸する
・694年(持統天皇8年12月6日) 持統天皇が飛鳥浄御原宮から藤原京に遷都する
・701年(大宝元) 「大宝律令」が完成する
・702年(大宝2) 持統太上天皇が亡くなり、遣唐使を派遣する
・707年(慶雲4) 文武天皇が亡くなり、元明天皇が即位する
・708年(和銅元) 元明天皇より遷都の勅が下り、和銅開珎を鋳造する
・710年(和銅3) 元明天皇により、平城京に遷都される
・711年(和同4) 藤原宮・大官大寺などが焼亡する

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1720年(享保5) 近松門左衞門が『心中天網島』を脚色し、人形浄瑠璃として初演される(新暦1721年1月3日) 詳細
1887年(明治20) 幕末明治維新期の政治家・薩摩藩主忠義の父島津久光の命日 詳細
1890年(明治23) 第1回帝国議会で山形有朋の施政方針演説が行われる 詳細
1912年(大正元) 「朝日新聞」において、夏目漱石著の『行人』が連載開始される 詳細
1918年(大正7) 「大学令」が公布される 詳細
「(第2次)高等学校令」が公布される 詳細
1927年(昭和2) 政治雑誌「労農」が創刊される 詳細
1957年(昭和32) 「日ソ通商条約」が調印される 詳細
このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

koutokutennou01
 今日は、飛鳥時代の654年(白雉5)に、第36代の天皇とされる孝德天皇が亡くなった日ですが、新暦では11月24日となります。
 孝徳天皇(こうとくてんのう)は、飛鳥時代の596年(推古天皇4年)に、父・茅渟王(舒明天皇の弟)、母(欽明天皇の孫)の長男として生まれましたが、名は軽(かる)と言いました。645年(大化元年)に、中大兄皇子(後の天智天皇)らにより蘇我蝦夷・入鹿父子が打倒される(乙巳の変)と、同年6月14日に、皇極天皇の譲位を受け、第36代とされる天皇として即位し、中大兄皇子を皇太子とします。
 元号を大化と定め、都を飛鳥から摂津の難波長柄豊碕宮 (ながらのとよさきのみや) に移しました。翌年1月1日に、四ヵ条の改新の詔(班田収授、租・庸・調の制など)を発し、国家体制の整備に着手(大化の改新)します。
 在位中には、高句麗、百済、新羅からしばしば使者が訪れ、北の蝦夷に対して、渟足柵・磐舟柵を越国に築き、柵戸を置いて備えました。しかし、653年(白雉4)に至り、中大兄皇子との対立が深まり、天皇が同意しなかったにもかかわらず、皇極上皇、間人皇后以下公卿百官人を率いて大和の飛鳥に戻ってしまいます。
 一人難波に残される中で、654年(白雉5年10月10日)に、摂津の難波長柄豊碕宮において、病気により、58歳で亡くなり、河内の大坂磯長陵(現在の大阪府南河内郡太子町)に葬られました。

〇孝徳天皇関係略年表(日付は旧暦です)

・596年(推古天皇4年) 父・茅渟王、母・欽明天皇の孫の長男として生まれる
・645年(大化元年6月14日) 皇極天皇の譲位を受け、第36代とされる天皇として即位し、中大兄皇子を皇太子とする
・646年(大化元年12月9日) 都を飛鳥から摂津の難波長柄豊碕宮 (ながらのとよさきのみや) に移す
・646年(大化2年1月1日) 四ヵ条の改新の詔(班田収授、租・庸・調の制など)を発し、国家体制の整備に着手する(大化の改新)
・647年(大化3年1月26日) 高句麗と新羅の使が調賦を貢ぐ
・648年(大化4年2月1日) 三韓に学問僧を遣わす
・649年(大化5年2月) 冠十九階を制定する
・650年(白雉元年2月15日) 白雉を観る儀式を行い、大赦し、年始に遡って白雉(はくち、びゃくち)と改元する
・651年(白雉2年6月) 百済と新羅が使を遣わして調を貢ぎ物を献じる
・652年(白雉3年4月15日) 僧恵隠を内裏に呼び、『無量寿経』を講じさせ、沙門恵資を論議者とし、沙門1000人を作聴衆にする 
・653年(白雉4年5月12日) 遣唐使を送り、一船の大使は吉士長丹、副使は吉士駒、別の一船の大使は高田根麻呂、副使は掃守小麻呂とする
・654年(白雉5年10月10日) 摂津の難波長柄豊碕宮において、病気により、58歳で亡くなる

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1505年(永正2) 室町幕府より「撰銭令」が出される(新暦11月5日) 詳細
1877年(明治10) 北海道石狩町で開拓使石狩缶詰所が創業、本格的な缶詰生産が始まる(缶詰の日) 詳細
1934年(昭和9) 彫刻家高村光雲の命日 詳細
1945年(昭和20) 日本政府が日本共産党を合法化、徳田球一ら政治犯439人を釈放、自由戦士出獄歓迎人民大会が開催される 詳細
東京都の学童疎開(集団疎開)引揚げ第一陣が東京へ着く 詳細
1963年(昭和38) 「部分的核実験禁止条約(PTBT)」が発効する 詳細
1964年(昭和39) 第18回オリンピック・東京大会が開幕する 詳細
1997年(平成9) オペラ、舞踊(バレエ、現代舞踊)、演劇等の現代舞台芸術を上演する、新国立劇場が開場する 詳細

このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

wadoukaichin01
 今日は、飛鳥時代の708年(和銅元)に、「和同開珎」の銅銭が使用開始された日ですが、新暦では8月29日となります。
 和同開珎(わどうかいちん、わどうかいほう)は、日本で鋳造・発行されたと考えられる銭貨で、皇朝十二銭のうちで最も古いものです。飛鳥時代の708年(和同元)に発行され、銀銭と銅銭がありましたが、銀銭は翌年廃止されたものの、銅銭は、天平宝字年間(757~765年)頃までの長期間鋳造されました。
 708年(和銅元)1月11日に、武蔵国秩父郡から和銅が献上され、元号を和銅と改元したのを受けて、同年2月11日に、催鋳銭司(銭貨の鋳造を監督する役人)が置かれ、5月11日に、はじめて銀銭を使用させ、7月28日に、近江国に銅銭を鋳造させ、8月10日に、はじめて銅銭を使用させたと『続日本紀』に記述されています。直径24mm前後の円形で、中央には、一辺が約7mmの正方形の穴が開いている円形方孔の形式で、全国数ヶ所(近江国、山城国、長門国、播磨国など)で鋳造され、主に畿内およびその周辺で流通したとされます。

〇皇朝十二銭一覧

・「和同開珎」708年(和銅元)鋳造
・「万年通宝(萬年通寳)」760年(天平宝字4)鋳造
・「神功開宝(神功開寳)」765年(天平神護元)鋳造
・「隆平永宝(隆平永寳)」796年(延暦15)鋳造
・「富寿神宝(富壽神寳)」818年(弘仁9)鋳造
・「承和昌宝(承和昌寳)」835年(承和2)鋳造
・「長年大宝(長年大寳)」848年(嘉祥元)鋳造
・「饒益神宝(饒益神寳)」859年(貞観元)鋳造
・「貞観永宝(貞観永寳)」870年(貞観12)鋳造
・「寛平大宝(寛平大寳)」890年(寛平2)鋳造
・「延喜通宝(延喜通寳)」907年(延喜7)鋳造
・「乾元大宝(乹元大寳)」958年(天徳2)鋳造

☆『続日本紀』(巻第四)和銅元年の和銅に関する記述抜粋

・「和銅改元」に関する記述

和銅元年春正月乙巳。
 武藏國秩父郡獻和銅。
 詔曰。「現神御宇倭根子天皇詔旨勅命乎。親王諸王諸臣百官人等天下公民衆聞宣。高天原由天降坐志。天皇御世乎始而中今尓至麻氐尓。天皇御世御世天豆日嗣高御座尓坐而治賜慈賜來食國天下之業止奈母。隨神所念行佐久止詔命乎衆聞宣。如是治賜慈賜來留天豆日嗣之業。今皇朕御世尓當而坐者。天地之心乎勞弥重弥辱弥恐弥坐尓聞看食國中乃東方武藏國尓。自然作成和銅出在止奏而獻焉。此物者天坐神地坐祗乃相于豆奈比奉福波倍奉事尓依而。顯久出多留寳尓在羅之止奈母。神随所念行須。是以天地之神乃顯奉瑞寳尓依而御世年號改賜換賜波久止詔命乎衆聞宣。」故、改慶雲五年而和銅元年為而、御世年号止定賜。

<読み下し文>

和銅元年春正月乙巳。
 武蔵国秩父郡[1]、和銅[2]を献ず。
 詔して日く。「現神[3]と御宇倭根子天皇が詔旨らまと勅りたまふ命を、親王・諸王・諸臣・百官人等、天下公民、衆聞きたまへと宣る。高天原[4]ゆ天降り[5]坐しし。天皇が御世を始めて、中・今に至めまでに。天皇が御世御世、天つ日嗣[6]高御座[7]に坐して治め賜ひ慈しび賜ひ來る食國[8]天下の業となも。神ながら念し行さくと詔りたまふ命を衆聞きたまへと宣る。如是治め賜ひ慈しび賜ひ來る天つ日嗣[6]の業と。今皇朕御世に當りて坐せば。天地の心を勞しみ重しみ辱み恐み坐すに聞し看す食國[8]の中の東方武蔵国に自然に作成る和銅[2]出でたりと奏して献れりと。此の物は天に坐す神・地に坐す祗の相うづなひ奉る事に依りて、顯し[9]く出でたる寳に在るらしともな。神ながら念し行す。是をもちて、天地の神の顕し[9]奉れる瑞寳[10]によって、御世の年号を改め賜ひ換へ賜はく詔りたまふ命をもろもろ聞しめさへと宣る。」故、慶雲五年を改めて和銅元年と為て、御世の年号と定め賜ふ。

【注釈】

[1]武蔵国秩父郡:むさしのくにちちぶぐん=現在の埼玉県秩父郡。
[2]和銅:わどう/にぎあかがね=製錬を要しない自然銅。
[3]現神:あきつみかみ=現に姿をあらわしている神の意で多く天皇に用いられる。
[4]高天原:たかまがはら=日本神話における天上の国。
[5]天降り:あまくだり=天上から地上におりること。
[6]天つ日嗣:あまつひつぎ=皇位を継承すること。また、皇位。
[7]高御座:たかみくら=大極殿または紫宸殿の中央に設けられていた天皇の席。
[8]食國:おすくに=天皇の統治なさる国。天下。
[9]顯し:うつし=姿が見えている。実在する。この世に生きている。
[10]瑞寳:ずいほう=めでたい宝物。

<現代語訳>

和銅元年(708年)春正月乙巳(1月11日)。
 武蔵国秩父郡が和銅を献上してきた。
 (元明天皇は)次のような詔を下した。「現御神として天下を統治する天皇が詔として宣べられるお言葉を、親王・諸王・諸臣・百官の人々等、天下公民はみな聞き賜れと申し述べる。高天原から降臨されて、天皇の御世が始まり、中ごろから今に至るまでに、天皇の治世ごとに、皇位継承者として高御座に坐して治められて、人々を慈しんで来られ、天下統治のつとめとして、神ながらに思うというお言葉をみな聞き賜れと申し述べる。このように統治して慈しまれてきた皇位継承者の勤めとして、今は私が治世を担当しているので、天地の心を大切にし重く受け止めて畏み、恐れ多く思っていたところ、統治しているこの国の東方にある武蔵国に自然に生じた和銅が出たと奏上して献上してきた。この物は、天に鎮座する神と地に鎮座する神がともに愛でられ祝福されることによって、現出した宝物であるらしいと、神として思うのである。そこで、天地の神の現されためでたい宝物によって、御世の年号を新しく改元されると詔りたまうお言葉をみな聞き賜れと申し述べる。」そのため、慶雲五年を改元して和銅元年として、御世の年号を定められた。

・銭貨の鋳造を監督する役人の任命に関する記述

<原文>

二月甲戌。始置催鋳銭司。以従五位上多治比眞人三宅麻呂任之。

<読み下し文>

二月甲戌。始めて、催鋳銭司を置く。以従五位上多治比眞人三宅麻呂を以て、之に任ず。

<現代語訳>

二月十一日、はじめて催鋳銭司(銭貨の鋳造を監督する役人)を置いた。従五位上多治比眞人三宅麻呂をこれに任じた。

・銀銭使用に関する記述

<原文>

五月壬寅。始行銀銭。

<読み下し文>

五月壬寅。始めて銀銭を行ふ。

<現代語訳>

五月十一日、はじめて和同開珎の銀銭を使用させた。

・銅銭鋳造に関する記述

<原文>

七月丙辰。令近江国鋳銅銭。

<読み下し文>

七月丙辰。近江国に銅銭を鋳せしむ。

<現代語訳>

七月二十八日、近江国に銅銭を鋳造させた。

・銅銭使用に関する記述

<原文>

八月己巳。始行銅錢。

<読み下し文>

八月己巳。始めて銅銭を行ふ。

<現代語訳>

八月十日、はじめて銅銭を使用させた。

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1232年(貞永元)鎌倉幕府3代執権北條泰時が「御成敗式目(貞永式目)」を制定する(新暦8月27日)詳細
1693年(元禄6)俳諧師・浮世草子作家井原西鶴の命日(新暦9月9日)詳細
1920年(大正9)日本初の近代的な道路整備計画が決定する(道の日)詳細
1945年(昭和20)昭和天皇臨席の第14回御前会議において、国体護持を条件として「ポツダム宣言」の受諾を決定する詳細
1950年(昭和25)GHQ指令に基づき、警察予備隊を設置するための「警察予備隊令」が公布・施行される詳細
1956年(昭和31)日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)が結成される詳細
1968年(昭和43)日本初の長距離カーフェリーである阪九フェリー(神戸~小倉)が運航開始する詳細
2003年(平成15)沖縄都市モノレール(ゆいレール)那覇空港~首里が開業する詳細
このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

1944374b.jpg
 今日は、飛鳥時代の672年(弘文天皇元)に、壬申の乱の瀬田川の戦いで、大海人皇子の軍と弘文天皇の近江朝廷軍が戦い、近江朝廷軍が敗北(翌日弘文天皇が自害)した日ですが、新暦では8月20日となります。
 壬申の乱(じんしんのらん)は、天智天皇が亡くなった後、大友皇子(弘文天皇)と大海人皇子(のちの天武天皇)との間で、皇位継承をめぐって争われた内乱でした。
 大化改新を指導(大海人皇子が補佐)し、668年(天智天皇7) に即位した天智天皇は、671年(天智天皇10)正月に、大友皇子を太政大臣に任命し、蘇我赤兄と中臣金を左右大臣に任じ、政治の表面から大海人皇子を締出しました。同年10月大海人皇子は病床の天皇に招かれ、後事を託されましたが拒否して東宮を辞し、出家剃髪して、妻(後の持統天皇)子やわずかの従者とともに吉野宮に引退します。
 同年12月に天智天皇が近江大津宮で病死し、大友皇子は近江朝で即位して弘文天皇となりました。672年(弘文天皇元年6月24日)に、近江朝方の先制攻撃を察知した大海人皇子は美濃国へ向かい、野上(現在の岐阜県関ヶ原町)に行宮を置き、本拠とします。東国の兵を集め、大和で呼応した豪族らとともに、同年7月2日に近江京へ進撃し、7月22日最後の一線であった瀬田川の戦いに勝利しました。
 その結果、大津宮は陥落し、大友皇子は自害、右大臣中臣金は斬刑、左大臣蘇我赤兄は流刑となります。勝利した大海人皇子は、翌年2月に飛鳥浄御原宮で即位し、天武天皇となりました。
 以後大化の改新が一層強力に推進されて律令体制が整備され、天皇を中心とする強力な中央集権国家が形成されていきます。

〇壬申の乱関係略年表(日付は旧暦です)

・668年(天智天皇7年1月3日) 天智天皇が即位する
・671年(天智天皇10年正月) 大友皇子を太政大臣に任命し、蘇我赤兄と中臣金を左右大臣に任じ、政治の表面から大海人皇子を締出す
・671年(天智天皇10年9月) 天智天皇が病の床に就く
・671年(天智天皇10年10月17日) 大海人皇子は病床の天智天皇に招かれ、後事を託されるが拒否して東宮を辞し、出家剃髪して吉野宮に引退する
・671年(天智天皇10年12月3日) 天智天皇が近江大津宮で病死する
・671年(弘文天皇元年12月5日) 大友皇子は近江朝で即位して弘文天皇となる
・672年(弘文天皇元年6月22日) 大海人皇子は使者を美濃国へ向かわせる
・672年(弘文天皇元年6月24日) 近江朝方の先制攻撃を察知した大海人皇子は美濃国へ向かう
・672年(弘文天皇元年7月2日) 軍勢を二手にわけて、近江京へ進撃を始める
・672年(弘文天皇元年7月7日) 息長の横河で戦端を開く
・672年(弘文天皇元年7月22日) 瀬田川の戦いに大海人皇子方が勝利する
・672年(弘文天皇元年7月23日) 大津宮は陥落し、大友皇子(弘文天皇)は自害する
・672年(天武天皇元年8月25日) 右大臣中臣金らが斬刑に処せられる
・672年(天武天皇元年9月) 大海人皇子は大和の飛鳥へ帰り、浄御原の新宮に入る
・673年(天武天皇2年2月27日) 大海人皇子が飛鳥浄御原宮で即位し、天武天皇となる

☆大海人皇子(天武天皇とは?

 飛鳥時代に活躍した第40代とされる天皇です。生年は明らかではありません(631年説がある)が、父・舒明天皇の第3皇子(母・皇極天皇)として生まれ、名は大海人 (おおあま) と言いました。
 668年(天智天皇7)に、兄が天智天皇として即位すると、皇太弟として政治を助けたとされています。671年(天智天皇10)に重病となった天智天皇が後事を託そうとしましたが、病気平癒祈願ため出家するとの名目で辞退し、吉野に引きこもりました。
 天智天皇の死後、672年(弘文天皇元)6月に挙兵し、鈴鹿と不破の関をふさいで東国の兵を動員して戦い、約1ヶ月後に近江大津宮に攻め込み、天智天皇の子である大友皇子(弘文天皇)を自殺させて勝利を得ます(壬申の乱)。
 翌年2月27日、飛鳥浄御原宮にて即位し、天智天皇の子の鸕野讃良皇女(後の持統天皇)をたてて皇后としました。天皇中心の政治の確立をめざして、改新事業の推進、律令体制の強化に努め、675年(天武天皇4)には、諸氏族の部曲の廃止や諸王臣私有の山野の収公などの処置を行います。
 681年(天武天皇10)に、「飛鳥浄御原宮律令」の制定を命じ、史書の編纂事業(後に『古事記』、『日本書紀』として結実)も始めました。豪族たちを統制するための官僚化にも努め、684年(天武天皇13)に八色の姓の制を定め、翌年に親王、諸王に十二階、諸臣に四十八階の位階制(冠位四十八階)を制定します。
 このように、天皇を頂点とする中央集権的支配体制を整備してきましたが、686年(朱鳥元)に飛鳥で亡くなり、墓所は檜隈大内陵(現在の奈良県明日香村)として造られました。

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1549年(天文18)イエズス会の宣教師フランシスコ・ザビエルが鹿児島に上陸する(新暦8月15日)詳細
1878年(明治11)「郡区町村編成法」、「府県会規則」、「地方税規則」(地方三新法)が制定される詳細
1910年(明治43)大連発の大阪商船鉄嶺丸が珍島沖の竹島灯台附近で沈没、死者225人を出す(鉄嶺丸座礁沈没事故)詳細
1917年(大正6)作曲家・作詞家浜口庫之助の誕生日詳細
1922年(大正11)応用化学者・企業家高峰讓吉の命日詳細
1924年(大正13)「小作調停法」が公布(施行は同年12月1日)される詳細
1953年(昭和28)「離島振興法」が公布・施行される詳細
1974年(昭和49)国営公園の最初の一つとして、国営武蔵丘陵森林公園(埼玉県滑川町・熊谷市)が開園する詳細
このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

↑このページのトップヘ