ガウスの歴史を巡るブログ(その日にあった過去の出来事)

 学生時代からの大の旅行好きで、日本中を旅して回りました。その中でいろいろと歴史に関わる所を巡ってきましたが、日々に関わる歴史上の出来事や感想を紹介します。Yahooブログ閉鎖に伴い、こちらに移動しました。

カテゴリ: 室町時代

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 今日は、室町時代の1449年(文安6)に、足利義成(後の義政)が室町幕府第8代将軍に就任した日ですが、新暦では5月21日となります。
 室町幕府(むろまちばくふ)は、足利氏が京都に開いた幕府による武家政権です。1336年 (建武3年/延元元年11月7日) に、足利尊氏が建武政府を打倒し、「建武式目」を定めたところから実質的に始まり、主要政務機関である引付方、侍所、政所、問注所などが翌年にかけて稼働しはじめ、1338年(建武5年/延元3年8月11日)に尊氏が北朝から征夷大将軍に任ぜられ、名実共に整ったとされています。
 最初の頃は、尊氏は北朝の光明天皇を擁し、吉野の南朝と対立しましたが、3代将軍義満に至って、南北朝の統一を果たし、全国政権となりました。義満は、1378年(永和4年/天授4年)に京都室町に花の御所と呼ばれる邸宅を造ったので、一般にこの名で呼ばれるようになりました。
 職制はだいたい鎌倉幕府を継承し、三管四職を中心とする有力守護大名の連合政権的性格が強いもので、統制力に欠け、大名の勢力争いが絶えず起こります。また、土一揆などが相つぎ、応仁の乱(1467年~77年)以降著しく弱体化し、群雄割拠の戦国時代にはまったく有名無実の状態に陥りました。
 そして、1573年(元亀4年7月18日)に、15代将軍義昭が織田信長によって追放されて滅亡しています。尚、文化的には3代将軍義満の頃の北山文化、8代将軍義政の頃の東山文化と呼ばれる武家文化が展開し、対明貿易は中国の文物をもたらしました。

<室町幕府の歴代将軍(足利家)一覧>

・初代 尊氏(たかうじ)在職年:1338年(建武5)~1358年(延文3)
・2代 義詮(よしあきら)在職年:1358年(延文3)~1367年(貞治6)
・3代 義満(よしみつ)在職年:1368年(応安元)~1394年(応永元)
・4代 義持(よしもち)在職年:1394年(応永元)~1423年(応永30)
・5代 義量(よしかず)在職年:1423年(応永30)~1425年(応永32)
・空白 4代義持が代理 在職年:1425年(応永32)~1428年(応永35)
・6代 義教(よしのり)在職年:1429年(正長2)~1441年(嘉吉元)
・7代 義勝(よしかつ)在職年:1442年(嘉吉2)~1443年(嘉吉3)
・8代 義政(よしまさ)在職年:1449年(文安6)~1473年(文明5)
・9代 義尚(よしひさ)在職年:1473年(文明5)~1489年(長享3)
・空白 8代義政が代理 在職年:1489年(長享3)~1490年(延徳2)
・10代 義稙(よしたね)在職年:1490年(延徳2)~1493年(明応2)
・11代 義澄(よしずみ)在職年:1494年(明応3)~1508年(永正5)
・(再) 義稙(よしたね)在職年:1508年(永正5)~1521年(大永元)
・12代 義晴(よしはる)在職年:1521年(大永元)~1546年(天文15)
・13代 義輝(よしてる)在職年:1546年(天文15)~1565年(永禄8)
・14代 義栄(よしひで)在職年:1568年(永禄11)~1568年(永禄11)
・15代 義昭(よしあき)在職年:1568年(永禄11)~1573年(天正16)

〇足利義政(あしかが よしまさ)とは?

 室町時代の室町幕府第8代将軍です。1436年(永享8)1月2日に、室町幕府第6代将軍の父・足利義教の五男(母は日野重子)として生まれましたが、幼名は三春丸と言いました。
 1441年(嘉吉元)の嘉吉の乱で父・義教が赤松満祐に暗殺され、兄義勝が第7代将軍となります。しかし、1443年(嘉吉3)にの兄の急死により、わずか8歳の幼少で細川持賢、畠山持国、山名持豊ら宿老に擁立されて家督を継ぎ、将軍継嗣と定められました。
 1446年(文安3)に後花園天皇から義成(よししげ)と命名され、従五位上に叙任、1448年(文安5)に左馬頭となります。翌年には、15歳で元服して第8代将軍となり、参議・左中将を兼ねました。
 1453年(享徳2)に義政と改名、1460年(寛正元)に左大臣、1464年(寛正5)に准后宣下を受けます。当初子供がなく、同年に弟義視(よしみ)を後嗣に定めましたが、翌年に妻日野富子が義尚を生み、これを将軍にしようとして応仁の乱(1467~77年)の一因となり、執政が乱れました。
 1473年(文明5)には嫡子の義尚に将軍を譲りますが、実権は理財の才に優れた妻富子が握ります。その後、京都東山に山荘を造り、ここに慈照寺(銀閣寺)を建て、1483年(文明15)に移り住んで、東山殿と称されました。
 1485年(文明17)に出家、戦乱をよそに芸能風流を好み、文化人を庇護、茶の湯、絵画、能などを育て、いわゆる東山文化が栄える契機となります。1489年(延徳元)、義尚が近江陣中に没すると政務に復帰しましたが、幕政を立て直せぬまま、1490年(延徳2)1月7日、京都において、55歳で亡くなりました。

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1855年(安政2)経済学者・史学者・政治家田口卯吉の誕生日(新暦6月12日)詳細
1886年(明治19)「華族世襲財産法」(明治19年勅令第34号)が公布される詳細
1895年(明治28) 帝国奈良博物館(現在の奈良国立博物館)が開館する詳細
1912年(明治45)北炭夕張炭鉱(第二斜坑ほか)でガス爆発事故が起こり、死者269人を出す詳細
1951年(昭和26)沖縄社会大衆党、沖縄人民党を中心に「日本復帰促進期成会」が結成される詳細
1997年(平成9)「化学兵器禁止条約」が発効する詳細
2006年(平成18)生口島北IC~生口島南IC(生口島道路)の開通で西瀬戸自動車道が全通する詳細
2016年(平成28)京都鉄道博物館が開館する詳細
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 今日は、室町時代の1397年(応永4)年に、金閣寺(鹿苑寺)の上棟式が行われた日ですが、新暦では5月13日となります。
 金閣寺(鹿苑寺)(きんかくじ)は、京都府京都市北区にある鹿苑寺の通称で、相国寺の山外塔頭寺院です。室町幕府3代将軍足利義満は別荘北山殿に金閣などの殿楼を造営しましたが、1408年(応永15)の義満の死後、遺言により夢窓疎石を勧請開山とし、禅宗の寺院とされました。
 宗派は臨済宗相国寺派、本尊は聖観世音菩薩で、当時は金閣以外に紫雲殿、天上間、拱北楼、反橋、芳徳殿、天鏡閣、泉殿、護摩堂、懺法堂などが立ち並び、壮観を極めたものの、のちに紫雲殿、天鏡閣は南禅寺に、天上間は建仁寺に、懺法堂は等持寺に移転され、焼失や破壊された建物もあって衰退します。しかし、天正年間(1573~1592年)から再建が始まり、徐々に堂舎の修理、復興が行われ、昭和時代前期には、金閣、方丈(本堂)、不動堂、大書院、夕佳亭などがありました。
 ところが、中心となる金閣は、1950年(昭和25)7月2日に放火によって焼失、現在のものは1955年(昭和30)に同じ様式で再建されたものです。金閣の前の庭は、室町時代初期に改修されましたが、池中の島の配置などに山荘時代の面影を残す名園で、1956年(昭和31)に国の特別史跡・特別名勝に指定されました。
 そして、1994年(平成6)には、「古都京都の文化財」の一つとして世界遺産(文化遺産)に登録されています。

〇金閣寺(鹿苑寺)関係略年表

・1225年(元仁元) 藤原公経が西園寺を建立し、併せて山荘を営む
・1397年(応永4) 金閣寺の開祖である足利義満が河内国と交換に西園寺を譲り受け、改築と新築を行い(北山山荘)、当時は「北山殿」「北山第」などと呼ばれる
・1399年(応永6) 現在の金閣寺舎利殿が完成したと推定される
・1403年(応永10) 相国寺七重大塔が落雷により焼失すると、義満は当地に七重大塔(北山大塔)を再建。相国寺七重大塔と同程度の規模とされる。
・1408年(応永15) 義満が死亡すると、義持は北山第に住んでいた異母弟義嗣をその生母春日局の屋敷に移し、自らここに入る
・1409年(応永16) 北山第の一部を破却して三条坊門第に移る
・1416年(応永23) 七重大塔が落雷で再度焼失する
・1419年(応永26) 日野康子が死亡すると、舎利殿以外の寝殿等は解体され、南禅寺や建仁寺に寄贈される
・1420年(応永27) 北山第は足利義満の遺言により禅寺とされ、義満の法号「鹿苑院殿」から鹿苑寺と名付けられ、夢窓疎石を勧請開山(名目上の開山)とする
・1467~77年(応仁元~文明9) 応仁の乱で、西軍の陣となり建築物の多くが焼失する
・1485年(文明17) 足利義政が参詣した際の、義政と亀泉集証(『蔭涼軒日録』の筆者)のやりとりが記録される
・1573~92年(天正年間) 西笑承兌が中興し、主要な建物の再建開始される
・1649年(慶安2) 舎利殿が大修理される
・1894年(明治27) 庭園および金閣を一般に公開すると共に拝観料を徴収して寺収入を確保する
・1897年(明治30) 舎利殿(金閣)が「古社寺保存法」に基づき「特別保護建造物」に指定される
・1929年(昭和4)7月1日 「国宝保存法」施行に伴い(旧)国宝に指定される
・1904~06年(明治37~39) 解体修理が行われる 。
・1925年(大正14)10月8日 庭園が「史蹟名勝天然紀念物保存法」によりに史跡・名勝に指定される
・1935年(昭和10) 満洲国の皇帝である愛新覚羅溥儀が、国賓として来日した際、鹿苑寺を訪れる
・1950年(昭和25)7月2日 放火により国宝の舎利殿(金閣)と安置されていた仏像等を焼失する(金閣寺放火事件)
・1956年(昭和31)7月19日 庭園が「文化財保護法」により特別史跡・特別名勝に指定される
・1952年(昭和27) 舎利殿(金閣)の再建に着工する
・1955年(昭和30) 舎利殿(金閣)の再建が竣工し、創建当時の姿に復元される
・1986~7年(昭和61~62) 金閣の「昭和大修復」が行われる
・1997年(平成9) 茶室「夕佳亭」の解体修理がおこなわれる
・2005~7年(平成17~19) 方丈の解体修理も行われる
・1994年(平成6)12月 ユネスコ世界遺産(文化遺産)「古都京都の文化財」の構成要素のひとつとして登録される
・2003年(平成15) 茶室「常足亭」 にチタン屋根を用い、最新技術を伝統建築に融合させた代表例となる

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1882年(明治15)大隈重信らが立憲改進党を結成する詳細
1889年(明治22)静岡駅~浜松駅間(現在の東海道本線)が開業、長浜駅~大津駅間航路利用で新橋駅~神戸駅が繋がる詳細
1884年(明治31)柳ヶ瀬トンネル(全長1,352m)完成により長浜~敦賀の鉄道(敦賀線、後の北陸本線)が開業する詳細
1910年(明治43)輪島町の大火で、全焼1,055軒、半焼15軒の被害を出す詳細
1937年(昭和12)「朝日新聞」で永井荷風著『墨東綺譚』の連載が開始される詳細
1945年(昭和20)小説家田村俊子の命日詳細
1956年(昭和31)日本道路公団が設立される詳細
2020年(平成32)物理化学者長倉三郎の命日詳細
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 今日は、室町時代の1429年(正長2)に、足利義宣が室町幕府第6代将軍に就任し、義教に名を改めた日ですが、新暦では4月18日となります。
 室町幕府(むろまちばくふ)は、足利氏が京都に開いた幕府による武家政権です。1336年 (建武3年/延元元年11月7日) に、足利尊氏が建武政府を打倒し、「建武式目」を定めたところから実質的に始まり、主要政務機関である引付方、侍所、政所、問注所などが翌年にかけて稼働しはじめ、1338年(建武5年/延元3年8月11日)に尊氏が北朝から征夷大将軍に任ぜられ、名実共に整ったとされています。
 最初の頃は、尊氏は北朝の光明天皇を擁し、吉野の南朝と対立しましたが、3代将軍義満に至って、南北朝の統一を果たし、全国政権となりました。義満は、1378年(永和4年/天授4年)に京都室町に花の御所と呼ばれる邸宅を造ったので、一般にこの名で呼ばれるようになりました。職制はだいたい鎌倉幕府を継承し、三管四職を中心とする有力守護大名の連合政権的性格が強いもので、統制力に欠け、大名の勢力争いが絶えず起こります。
 また、土一揆などが相つぎ、応仁の乱(1467年~77年)以降著しく弱体化し、群雄割拠の戦国時代にはまったく有名無実の状態に陥りました。そして、1573年(元亀4年7月18日)に、15代将軍義昭が織田信長によって追放されて滅亡しています。
 尚、文化的には3代将軍義満の頃の北山文化、8代将軍義政の頃の東山文化と呼ばれる武家文化が展開し、対明貿易は中国の文物をもたらしました。

<室町幕府の歴代将軍(足利家)一覧>

・初代 尊氏(たかうじ)在職年:1338年(建武5)~1358年(延文3)
・2代 義詮(よしあきら)在職年:1358年(延文3)~1367年(貞治6)
・3代 義満(よしみつ)在職年:1368年(応安元)~1394年(応永元)
・4代 義持(よしもち)在職年:1394年(応永元)~1423年(応永30)
・5代 義量(よしかず)在職年:1423年(応永30)~1425年(応永32)
・空白 4代義持が代理 在職年:1425年(応永32)~1428年(応永35)
・6代 義教(よしのり)在職年:1429年(正長2)~1441年(嘉吉元)
・7代 義勝(よしかつ)在職年:1442年(嘉吉2)~1443年(嘉吉3)
・8代 義政(よしまさ)在職年:1449年(文安6)~1473年(文明5)
・9代 義尚(よしひさ)在職年:1473年(文明5)~1489年(長享3)
・空白 8代義政が代理 在職年:1489年(長享3)~1490年(延徳2)
・10代 義稙(よしたね)在職年:1490年(延徳2)~1493年(明応2)
・11代 義澄(よしずみ)在職年:1494年(明応3)~1508年(永正5)
・(再) 義稙(よしたね)在職年:1508年(永正5)~1521年(大永元)
・12代 義晴(よしはる)在職年:1521年(大永元)~1546年(天文15)
・13代 義輝(よしてる)在職年:1546年(天文15)~1565年(永禄8)
・14代 義栄(よしひで)在職年:1568年(永禄11)~1568年(永禄11)
・15代 義昭(よしあき)在職年:1568年(永禄11)~1573年(天正16)

〇足利 義教】(あしかが よしのり)とは?

 室町時代の室町幕府第6代将軍です。1394年(明徳5)に、第3代将軍足利義満の五男として生まれましたが、1403年(応永10)に青蓮院に入室し、得度して義円の法名を称し、天台座主となりました。
 しかし、兄の第4代将軍義持の死後、還俗して1429年(正長2)に、第6代将軍となったのです。最初の頃は、宿老との合議制をとっていましたが、徐々に将軍専制を強めるようになりました。
 そして、鎌倉公方足利持氏や土岐持頼らを討って、将軍の権力を強化したものの、政治不安をもった播磨守護赤松満祐に謀られ、1441年(嘉吉元)に、48歳で殺害されました。

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1868年(慶応4)明治政府が、民政方針を示す「五榜の掲示」の高札を設置する(新暦4月7日)詳細
1875年(明治8)詩人蒲原有明の誕生日詳細
1884年(明治17)「地租条例」が公布される詳細
1890年(明治23)琵琶湖疎水の第一期工事が完成し、全線通水が完了する詳細
1914年(大正3)秋田県内陸南部を震源とする秋田仙北地震(マグニチュード7.1)が起き、大きな被害を出す詳細
1930年(昭和5)神奈川県横浜市に山下公園が開園する詳細
1945年(昭和20)小磯国昭内閣により、「大都市ニ於ケル疎開強化要綱」が閣議決定される詳細
1958年(昭和33)劇作家・演出家・小説家・批評家久保栄の命日詳細
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 今日は、室町時代の1489年(延徳元)に、京都の銀閣(東山山荘・慈照寺)で上棟式が行なわれた日ですが、新暦では3月25日となります。
 慈照寺(じしょうじ)は、京都府京都市左京区にある銀閣寺の正称で、室町幕府第8代将軍足利義政の山荘東山殿を義政の死後、1490年(延徳2)に遺言により禅寺に改めて開創されたものです。宗派は臨済宗相国寺派、本尊は釈迦如来で、初期書院造りの遺構である東求堂と、2層の観音殿(銀箔を押す計画があったところから、銀閣と呼ばれている)からなり、いずれも1951年(昭和26)に国宝に指定されました。
 また、瀟湘八景の意匠による庭園は相阿弥の造築で、室町時代の東山文化を代表する名園として知られており、1952年(昭和27)に、国の特別史跡・特別名勝に指定されています。そして、1994年(平成6)には、「古都京都の文化財」の一つとして世界遺産(文化遺産)に登録されました。

〇慈照寺関係略年表(明治5年以前の日付は旧暦です)

・1482年(文明14年) 室町幕府第8代将軍足利義政が、東山に慈照寺観音殿(銀閣寺)の造営を開始する
・1483年(文明15年) 常御所が完成すると義政は義尚に政務を譲ってここに移り住む
・1485年(文明17年) 禅室として西指庵が完成すると義政は出家し、喜山道慶と称する
・1486年(文明18年) 義政自身の持仏堂として東求堂(国宝)が建立される
・1487年(長享元) 会所、泉殿(弄清亭)が完成する
・1489年(延徳元年2月23日) 観音殿(銀閣、国宝)の立柱上棟が行われる
・1490年(延徳2年) 足利義政は没すると、その菩提を弔うため義政の遺言によって東山殿は禅寺に改められ、夢窓疎石を勧請開山とし相国寺の末寺として整備される
・1491年(延徳3年) 慈照寺と名付けられる
・1550年(天文19年) 第12代将軍足利義晴と子の第13代将軍義輝により、裏山に中尾城が築かれ、そこに立て籠もって三好長慶と合戦を行ったが、戦火を受けて銀閣と東求堂を残して全焼する
・1615年(慶長20年) 宮城豊盛によって大改修が行われ、再び相国寺の末寺として再興される
・1951年(昭和26年) 銀閣と東求堂が国宝に指定される
・1952年(昭和27年)3月29日 庭園が、国の特別史跡および特別名勝に指定される
・1965年(昭和40年) 東求堂の解体修理が完了する
・1994年(平成6年)12月17日 「古都京都の文化財」の一部として ユネスコ世界遺産(文化遺産)に登録される

☆足利義政(あしかが よしまさ)とは?

 室町時代の室町幕府第8代将軍です。1436年(永享8)1月2日に、室町幕府第6代将軍の父・足利義教の五男(母は日野重子)として生まれましたが、幼名は三春丸と言いました。
 1441年(嘉吉元)の嘉吉の乱で父・義教が赤松満祐に暗殺され、兄義勝が第7代将軍となります。しかし、1443年(嘉吉3)にの兄の急死により、わずか8歳の幼少で細川持賢、畠山持国、山名持豊ら宿老に擁立されて家督を継ぎ、将軍継嗣と定められました。
 1446年(文安3)に後花園天皇から義成(よししげ)と命名され、従五位上に叙任、1448年(文安5)に左馬頭となります。翌年には、15歳で元服して第8代将軍となり、参議・左中将を兼ねました。
 1453年(享徳2)に義政と改名、1460年(寛正元)に左大臣、1464年(寛正5)に准后宣下を受けます。当初子供がなく、同年に弟義視(よしみ)を後嗣に定めましたが、翌年に妻日野富子が義尚を生み、これを将軍にしようとして応仁の乱(1467~77年)の一因となり、執政が乱れました。
 1473年(文明5)には嫡子の義尚に将軍を譲りますが、実権は理財の才に優れた妻富子が握ります。その後、京都東山に山荘を造り、ここに慈照寺(銀閣寺)を建て、1483年(文明15)に移り住んで、東山殿と称されました。
 1485年(文明17)に出家、戦乱をよそに芸能風流を好み、文化人を庇護、茶の湯、絵画、能などを育て、いわゆる東山文化が栄える契機となります。1489年(延徳元)、義尚が近江陣中に没すると政務に復帰しましたが、幕政を立て直せぬまま、1490年(延徳2)1月7日、京都において、55歳で亡くなりました。

☆「古都京都の文化財」(こときょうとのぶんかざい)とは?

 京都府(京都市・宇治市)、滋賀県大津市の2府県3市に点在する17件[賀茂別雷神社(上賀茂神社)、賀茂御祖神社(下鴨神社)、教王護国寺(東寺)、清水寺、延暦寺、醍醐寺、仁和寺(別称・御室御所)、平等院、宇治上神社、高山寺、西芳寺(別称・苔寺)、天龍寺、鹿苑寺(相国寺塔頭、別称・金閣寺)、慈照寺(相国寺塔頭、別称・銀閣寺)、龍安寺(妙心寺塔頭)、西本願寺(本願寺)、二条城]から構成されるユネスコの世界遺産(文化遺産)で、日本では5件目として登録されました。古都京都は、桓武天皇が、794年(延暦13)の平安京遷都によって都市の基盤ができ、1,000年以上に渡って、文化・経済・政治の中心として繁栄します。
 そのために、平安時代~江戸時代に至る各時代の文化的背景を伝える貴重な建物や庭園が数多く残されてきました。首都として栄え、文化、宗教、産業などの面で先進性を保っていたことを今日まで伝える、貴重な建造物群や庭園などがその歴史的価値を認められ、世界遺産に登録されたのです。

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1167年(仁安2)平清盛が厳島神社に『平家納経』の一部の自ら書写した『般若心経』1巻を奉納する(新暦3月16日)詳細
1576年(天正4)織田信長が岐阜から近江の安土城へ移る(新暦3月23日)詳細
1784年(天明4)筑前志賀島の百姓甚兵衛により、「漢倭奴國王」の金印発見される(新暦4月12日)詳細
1868年(慶応4)官軍への徹底抗戦を叫ぶ旧幕臣約千人が上野寛永寺で彰義隊を結成する(新暦3月12日)詳細
1904年(明治37)日韓議定書」に調印する詳細
1942年(昭和17)第21回衆議院議員総選挙(通称:翼賛選挙)目指し、翼賛政治体制協議会が結成される詳細
1943年(昭和18)陸軍省が「撃ちてし止まむ」の戦時標語ポスター5万枚を全国に配布する詳細
1944年(昭和19)太平洋戦争下の言論弾圧(竹槍事件)の原因となる、「毎日新聞」朝刊の戦局解説記事が掲載される詳細
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 今日は、南北朝時代の応安元年/正平23年に、足利義満が室町幕府第3代将軍に就任した日ですが、新暦では1369年2月7日となります。
 足利義満(あしかが よしみつ)は、室町時代の室町幕府第3代将軍です。1358年(延文3/正平13年8月22日)に、室町幕府第2代将軍の父・足利義詮、母・紀良子の長男として、京都で生まれましたが、幼名は春王と言いました。
 1366年(正平21/貞治5)には、後光厳天皇から名字を義満と賜り、従五位下に叙せられます。1367年(貞治6/正平22)に父の死後10歳で家督を継ぎ、翌年に室町幕府第3代将軍に就任しました。
 管領細川頼之の補佐をうけ、1371年以降今川了俊に九州を統一させ、1378年(天授4/永和4)には、室町に新邸(花の御所)を造営して移住し、幕府の基礎を固めます。しかし、1379年(天授5/康暦元)には、細川頼之に帰国を命じ(康暦の政変)、斯波義将を管領としました。
 1390年(明徳元/元中7)の美濃の乱で土岐康行、翌年の明徳の乱で山名氏清を鎮圧して、強力な守護の勢力を弱める一方で、1392年(元中9/明徳3)に南北朝の合一を実現し、幕府権力を確立します。1394年(応永元)には、子の義持に将軍職をゆずって太政大臣となり、翌年出家しますが、実権は保持し続けました。
 一方で、五山制度を整備し、能楽も保護して、1397年(応永4)に北山に金閣を建て、北山殿と呼ばれるようになり、いわゆる北山文化を現出します。さらに、1399年(応永6)には、応永の乱で中国地方の雄大内義弘を滅ぼし、1401年(応永8)に明に入貢、勘合貿易を開いて、「日本国王」として冊封を受け、室町幕府の最盛期を作りました。
 しかし、1408年(応永15年5月6日)には、咳病を患って、49歳で京都の北山第に急逝します。

〇室町幕府(むろまちばくふ)とは?

 足利氏が京都に開いた幕府による武家政権です。1336年(建武3)に、足利尊氏が建武式目を制定して武家政権開設の方向を示し、1338年(建武5)に征夷大将軍の宣下を受けて、名実ともに幕府の発足となりました。
 しかし、南北朝の対立が起こって、不安定だったものの、3代将軍義満に至って、南北朝の統一を果たし、全国政権となったのです。しかし、守護の台頭により動揺が絶えず、1441年(嘉吉元)赤松満祐が6代将軍足利義教を殺害する事件(嘉吉の乱)も起こりました。
 その後も、1467年(応仁元)に起こった応仁の乱以降戦乱が続いて、著しく幕府は弱体化したのです。そして、1573年(天正16)に織田信長によって、15代将軍足利義昭が追放されて、室町幕府は滅ぶことになりました。

☆室町幕府の歴代将軍(足利家)一覧

【初代】尊氏(たかうじ)1338年(建武5)~1358年(延文3)
・1338年 足利尊氏が征夷大将軍となり室町幕府を開く
・1341年 天龍寺船を元へ送る
・1348年 四条畷の戦いが起こる
・1350年 観応の擾乱が起こる
・1352年 観応半済令が出される

【2代】義詮(よしあきら)1358年(貞治6)~1367年(延文3) 
・1366年 貞治の変が起こる

【3代】義満(よしみつ)1368年(応安元)~1394年(応永元)
・1368年 応安半済令が出される
・1391年 明徳の乱が起こる
・1392年 南北朝が合一する

【4代】義持(よしもち)1394年(応永元)~1423年(応永30)
・1397年 義満が京都の北山に金閣寺を建てる
・1399年 応永の乱がおこる
・1404年 勘合貿易が始まる

【5代義量(よしかず)1423年(応永30)~1425年(応永32)
 空白 4代義持が代理 1425年(応永32)~1428年(応永35)

【6代】義教(よしのり)1429年(正長2)~1441年(嘉吉元)
・1428年 正長の土一揆が起こる
・1429年 播磨の土一揆が起こる
・1438年 永享の乱が起こる
・1440年 結城合戦が起こる
・1441年 赤松満祐が6代将軍足利義教を殺害する

【7代】義勝(よしかつ)1442年(嘉吉2)~1443年 (嘉吉3)
【8代】義政(よしまさ)1449年(文安6)~1473年(文明5)
・1467年 応仁の乱がおこる

【9代】義尚(よしひさ)1473年(文明5)~1489年(長享3)
・1485年 山城国一揆が起こる
・1488年 加賀の一向一揆が起こる
・1489年 義政が京都東山に銀閣寺を建てる
 空白 8代義政が代理 1489年(長享3)~1490年(延徳2)

【10代】義稙(よしたね)1490年(延徳2)~1493年(明応2)

【11代】義澄(よしずみ)1494年(明応3)~1508年(永正5)
・1495年 北条早雲が小田原城を奪取する
 (再) 義稙(よしたね)1508年(永正5)~1521年(大永元)
・1510年 朝鮮三浦の日本人が富山浦を攻略(三浦の乱)

【12代】義晴(よしはる)1521年(大永元)~1546年(天文15)
・1523年 寧波の乱が起こる
・1543年 ポルトガル人が九州の種子島に鉄砲を伝える(鉄砲伝来)

【13代】義輝(よしてる)1546年(天文15)~1565年(永禄8)
・1549年 フランシスコ・ザビエルが鹿児島に来る
・1550年 ポルトガル船、肥前平戸に入港する
・1553年 第4次川中島の戦いが起こる
・1555年 厳島の戦いが起こる
・1560年 桶狭間の戦いが起こる
・1567年 織田信長が美濃加納に楽市令を出す

【14代】義栄(よしひで)1568年(永禄11)~1568年(永禄11)

【15代】義昭(よしあき)1568年(永禄11)~1573年(天正16)
・1568年 織田信長の後押しで義昭が将軍に就く
・1570年 姉川の戦いが起こる
・1571年 比叡山の焼き討ちが起こる
・1572年 三方ヶ原の戦いが起こる
・1573年 織田信長に義昭が追放され、室町幕府が滅ぶ

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1391年(明徳2/元中8)武将・守護大名(丹波・和泉・山城・但馬)山名氏清が明徳の乱に敗れ戦死する(新暦1392年1月24日)詳細
1867年(慶応3)小説家・評論家斎藤緑雨の誕生日(新暦1868年1月24日)詳細
1881年(明治14)画家・歌人・随筆家小杉放庵の誕生日詳細
1927年(昭和2)上野~浅草に日本初の地下鉄(現在の東京メトロ銀座線)が開通(地下鉄記念日)詳細
1930年(昭和5)小説家開高健の誕生日詳細
1937年(昭和12)東京市バスが木炭バス4台を初運行する詳細
1952年(昭和27)作曲家中山晋平の命日詳細
1977年(昭和52)生理学者久野寧の命日詳細
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