ガウスの歴史を巡るブログ(その日にあった過去の出来事)

 学生時代からの大の旅行好きで、日本中を旅して回りました。その中でいろいろと歴史に関わる所を巡ってきましたが、日々に関わる歴史上の出来事や感想を紹介します。Yahooブログ閉鎖に伴い、こちらに移動しました。

カテゴリ: 明治時代

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 今日は、明治時代後期の1908年(明治41)に、「鉄道院官制」(勅令第296号)により、逓信省鉄道局と帝国鉄道庁を統合して、内閣直属の鉄道院が設置された日です。
 鉄道院(てつどういん)は、明治時代後期の1908年(明治41)12月4日公布・施行の「鉄道院官制」(勅令第296号)により、内閣総理大臣の管理下に設置された鉄道行政の中央官庁です。「鉄道国有法」が、1906年(明治39)3月31日に公布された翌年4月1日に、国有鉄道の業務運営官庁として逓信省に帝国鉄道庁が設けられましたが、国有鉄道の運営と私設鉄道などの監督とを一元的に管轄するため、逓信省鉄道局と帝国鉄道庁を廃して新たに設置されました。
 監督行政と現業の運営を一体化するとともに、権限強化をはかり内閣直属とし、地方機関として東部・中部・西部・九州・北海道の管理局を置いています。鉄道院の職員構成は、総裁・副総裁・技監・理事・参事・秘書・主事・主事補・技師・書記・技手となっており、総裁は親任であり、内閣総理大臣の監督を承けることとされ、副総裁および技監は勅任とされました。
 鉄道院には鉄道院総裁官房のほか、総務部・建設部・運輸部・計理部・鉄道調査所が設置されています。国有鉄道の運営と、国内の鉄道・軌道、南満州鉄道などの監督にあたり、事業規模は年々拡大していき、1920年(大正9)5月15日には、鉄道省に昇格しました。
 以下に、「鉄道院官制」(勅令第296号)を掲載しておきますので、ご参照下さい。

〇「鉄道院官制」(勅令第296号)1908年(明治41)12月4日公布・施行

鉄道院官制

第一条 鉄道院ハ内閣総理大臣ニ隸シ鉄道及軌道ニ関スル事項並南満州鉄道株式会社ニ関スル事項ヲ統理ス

第二条 鉄道院ニ左ノ職員ヲ置ク
 総裁
 副総裁
 技監
 理事
 参事
 秘書
 主事
 主事補
 技師
 書記
 技手

第三条 総裁ハ親任トス内閣総理大臣ノ監督ヲ承ケ一切ノ院務ヲ総理ス

第四条 総裁ハ所部ノ官吏ヲ指揮監督シ奏任官ノ進退ハ内閣総理大臣ニ具状シ判任官以下ノ進退ハ之ヲ行フ

第五条 鉄道院ニ総裁官房及左ノ四部一所ヲ置ク
 総務部
 建設部
 運輸部
 計理部
 鉄道調査所

第六条 鉄道院ノ事務ヲ分掌セシムル為地方ニ五箇所ノ管理局ヲ置ク其ノ名称、位置及管理区域ハ総裁ノ禀申ニ依リ内閣総理大臣之ヲ定ム

第七条 総裁ハ前二状ニ掲クルモノノ外鉄道院ノ事務ヲ取扱フ為必要ナリト認ムルトキハ地方ニ事務所ヲ設クルコトヲ得

第八条 総裁ハ必要ニ応シ鉄道院ニ顧問ヲ置クコトヲ得
 顧問ハ鉄道院ノ事務ニ関シ総裁ノ諮詢ニ応シテ意見ヲ開陳ス

第九条 副総裁ハ勅任トス総裁ヲ補佐シ総裁事故アルトキ其ノ職務ヲ代理ス

第十条 技監ハ勅任トス技術ニ関スル事務ヲ掌理ス

第十一条 総裁ハ副総裁又ハ技監ヲシテ部ノ事務ヲ掌理セシムルコトヲ得

第十二条 理事ハ勅任又ハ奏任トス上官ノ命ヲ承ケ部局ノ事務ヲ掌理ス

第十三条 参事、主事、主事補ハ奏任トス官房又ハ部局所ニ分属シ上官ノ指揮ヲ承ケ各部局所ノ事務ヲ掌ル

第十四条 秘書ハ奏任トス総裁ノ命ヲ承ケ機密ニ関スル事務ヲ掌ル

第十五条 技師ハ上官ノ指揮ヲ承ケ技術ヲ掌ル

第十六条 書記ハ判任トス上官ノ指揮ヲ承ケ庶務ニ従事ス

第十七条 技手ハ上官ノ指揮ヲ承ケ技術ニ従事ス

第十八条 部長、鉄道調査所長及鉄道管理局長ハ第十一条ノ場合ヲ除クノ外理事又ハ技師ヲ以テ之ニ充ツ

附 則

本令ハ公布ノ日ヨリ之ヲ施行ス
 帝国鉄道庁官制ハ之ヲ廃止ス
 帝国鉄道庁職員ニシテ本令施行ノ際現ニ其ノ職ニ在ル者別ニ辞令書ヲ交付セラレサルトキハ帝国鉄道庁理事ハ鉄道院理事ニ、帝国鉄道庁参事ハ鉄道院参事ニ、帝国鉄道庁主事ハ鉄道院主事ニ、帝国鉄道庁主事補ハ鉄道院主事補ニ、帝国鉄道庁技師ハ鉄道院技師ニ、帝国鉄道庁書記ハ鉄道院書記ニ、帝国鉄道庁技手ハ鉄道院技手ニ同官等俸給ヲ以テ任セラレタルモノトス

    「官報」より

  ※旧字を新字に直してあります。

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

603年(推古天皇11)日本最初の位階制度である冠位十二階が制定される(新暦604年1月11日)詳細
1866年(慶応2)徳川慶喜が、江戸幕府第15代将軍に就任する(新暦1867年1月10日)詳細
1884年(明治17)物理学者西川正治の誕生日詳細
1899年(明治32)電気通信工学者・工学博士古賀逸策の誕生日詳細
1900年(明治33)吉岡弥生が夫の吉岡荒太と共に、東京女医学校(後の東京女子医科大学)を創立する詳細
1903年(明治36)物理学者長岡半太郎が原子模型の理論を発表する詳細
1912年(大正元)映画監督・脚本家木下惠介の誕生日詳細
1996年(平成8)広島県の「原爆ドーム」が「厳島神社」と共に世界遺産(文化遺産)に登録される詳細
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 今日は、明治時代前期の1882年(明治15)に、福島事件により、自由党幹部河野広中ら同志連25人が府転覆容疑で逮捕された日です。
 福島事件(ふくしまじけん)は、自由民権運動の中で、福島県令三島通庸による福島自由党員・農民などが弾圧された事件です。1882年(明治15)2月に、福島県令に着任した三島通庸は、会津地方から新潟県、山形県、栃木県へ通じる県道(会津三方道路)の工事をさせるために、会津地方六郡下の15~60歳までの男女を、2年にわたり月一日人夫として働かせるか、一日につき男15銭、女10銭の人夫賃を出させると布告しました。
 同年4月に、三島県令は福島県会を召集したが出席せず、県会からの再三の出席要請を拒否しつつ、自由党の演説会等に対する弾圧を強化し、5月11日には、福島県会は23対22で全議案を総否決することを決議するに至ります。8月に、河野ら幹部は福島自由党の本拠地「無名館」(福島市)に集まり、そこで密かに「無名館血誓書」をつくり、9月末には、同盟者(訴訟委任状提出者)4,083人の代表70余人が会合「権利恢復規約書」と正副総理、訴訟委員を決定しました。
 10月に、同盟費提出者は7,000余人に達するに及んで、県当局は攻撃を本格化して、不服者を郡役所へ呼び出し、命令に従わない場合は土地を公売処分に付すると威嚇します。11月に、公売処分に抗議した原平蔵、三浦文治、訴訟委員宇田成一が逮捕されると、同月28日には、山刀・棍棒・熊手を手に千数百人の農民が弾正ヶ原に集まり、隊列を整え喜多方警察署におしかけ、警察官は抜刀し農民たちに切りかかり無理やり解散させられる喜多方事件が勃発しました。
 翌日から、東京都、福島県で自由党員と農民の一斉検挙が開始(2,000余人)され、12月1日には、無名館が巡査隊と福島監獄看守らにより包囲突入され、自由党幹部河野広中ら同志連25人が府転覆容疑で逮捕されます。翌年1月中旬に、「血誓書」が当局に発見され、「国家転覆」という目的が当局の機嫌を損ね、河野らは「国事犯」として裁かれることとなり、2月に指導者と目された57名が内乱陰謀の国事犯とされ、9月には、東京の高等法院の裁判に付され、河野に軽禁獄7年、他の5人に同6年の判決が出されました。

〇福島事件関係略年表

<1881年(明治14)>
・10月 自由党が結成されると、まもなく福島、会津にそれぞれ支部がつくられる

<1882年(明治15)>
・2月 福島県令に着任した三島通庸は、会津地方から新潟県、山形県、栃木県へ通じる県道(会津三方道路)の工事をさせるために、会津地方六郡下の15歳から60歳までの男女を、2年にわたり月一日人夫として働かせるか、一日につき男15銭、女10銭の人夫賃を出させると布告する
・4月 三島は福島県会を召集したが出席せず、県会からの再三の出席要請を拒否。他方,自由党の演説会等に対する弾圧を強化する
・5月11日 福島県会は23対22で全議案を総否決することを決議するに至る
・6月末 三島健令は、三方道路の路線査定を指示し、同時に代夫賃の徴収を郡長に命じる
・7月 会津6郡の臨時連合会開催を要求する
・8月1日 夜に河野ら幹部は福島自由党の本拠地「無名館」(福島市)に集まり、そこで密かに「無名館血誓書」をつくる
・8月末 宇田成一、中島友八らは秘密裡に会合をかさねて訴訟運動を方針とすることを決める
・9月末 同盟者(訴訟委任状提出者)4,083人の代表70余人が会合「権利恢復規約書」と正副総理、訴訟委員を決定する
・10月 同盟費提出者は7,000余人に達する
・10月末 県当局は攻撃を本格化して、不服者を郡役所へ呼び出し、命令に従わない場合は土地を公売処分に付すると威嚇する
・11月19日 公売処分に抗議した原平蔵、三浦文治が逮捕される
・11月24日 訴訟委員宇田成一が逮捕される
・11月28日 山刀・棍棒・熊手を手に千数百人の農民が弾正ヶ原に集まり、隊列を整え喜多方警察署におしかけ、警察官は抜刀し農民たちに切りかかり無理やり解散させる(喜多方事件)
・11月29日 東京都、福島県で自由党員と農民の一斉検挙が開始される(2,000余人)
・12月1日 無名館が巡査隊と福島監獄看守らにより包囲突入され、自由党幹部河野広中ら同志連25人が府転覆容疑で逮捕される

<1883年(明治16)>
・1月中旬 「血誓書」が当局に発見され、「国家転覆」という目的が当局の機嫌を損ね、河野らは「国事犯」として裁かれることとなる
・2月 指導者と目された57名が内乱陰謀の国事犯として高等法院へ送られる
・9月 東京の高等法院の裁判に付され、河野に軽禁獄7年、他の5人に同6年の判決が出される

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1267年(文永4)第91代の天皇とされる後宇多天皇の誕生日(新暦12月17日)詳細
1903年(明治36)小説家小林多喜二の誕生日詳細
1910年(明治43)石川啄木著の第一歌集『一握の砂』が東雲堂書店より刊行される詳細
1934年(昭和9)東海道本線の丹那トンネル(熱海~函南)が開通する詳細
1941年(昭和16)昭和天皇臨席の第8回御前会議で「対英米蘭開戦の件」を決定する詳細
1952年(昭和27)石橋正二郎より寄贈を受けて、国立近代美術館(現在の東京国立近代美術館)が中央区京橋に開館する詳細
1959年(昭和34)南極の非軍事利用を取り決めた「南極条約」に、日・英・米など12ヶ国が調印する詳細
1977年(昭和52)小説家海音寺潮五郎の命日詳細
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 今日は、明治時代後期の1906年(明治39)に、詩人・文芸評論家・近代文学研究者伊藤信吉の生まれた日です。
 伊藤信吉(いとう しんきち)は、明治時代後期の1906年(明治39)11月30日に、群馬県群馬郡元総社村大字元総社(現在の前橋市元総社町)において、農家だった父・伊藤実太郎、母・みねの長男として生まれました。高等小学校を卒業後、1923年(大正12)に、群馬県庁商工課に勤務するようになり、翌年には、萩原朔太郎を訪ね知遇を得ます。
 1928年(昭和3)に県庁を退職し上京し、草野心平の詩誌「学校」に参加しましたが、いったん帰郷し、翌年に再び上京し、プロレタリア詩人会に参加しました。1931年(昭和6)に、全日本無産者芸術団体協議会(ナップ)に加盟し、雑誌「ナップ」「プロレタリア詩」等に作品を発表したものの、翌年には、「治安維持法」違反容疑で検挙され、プロレタリア文学運動から退きます。
 1933年(昭和8)に第一詩集『故郷』を刊行、1936年(昭和11)に、最初の文芸評論『島崎藤村の文学』を刊行、都新聞宇都宮支局員となり移住し、1939年(昭和14)には、吉田健一らと「批評」を創刊しました。1941年(昭和16)に、都新聞を退社し、報知新聞社に勤務、1942年(昭和17)に、萩原朔太郎が死去すると、小学館版『萩原朔太郎全集』の編集を担当、報知新聞社を退社、財団法人交通協力会へ入社し、『陸輸新報』の編集に携わります。
 大平洋戦争後、1946年(昭和21)に、交通労働研究所を設立し『交通労働』の発行に携わり、1949年(昭和24)には、新日本文学会系の『新日本詩人』の第1号の編集にも関与しました。1964年(昭和39)に、萩原朔太郎研究会が発足すると会長となり、1967年(昭和42)には、日本現代詩人会の会長(~1969年)、中央大学文学部兼任講師(~1975年)となります。
 1974年(昭和49)に『ユートピア紀行』で、第2回平林たい子文学賞を受賞、1976年(昭和51)には、第二詩集『上州』を刊行しました。1977年(昭和52)に『萩原朔太郎』で、第28回読売文学賞(評論・伝記部門)、1978年(昭和53)に、『天下末年 伊藤信吉詩集』で、第9回多喜二・百合子賞、1980年(昭和55)には、『望郷蠻歌・風や天』で、第30回芸術選奨文部大臣賞を受賞しています。
 その後も、1992年(平成4)に高橋元吉文化賞、1993年(平成5)に『上州おたくら 私の方言詩集』で、第2回丸山豊記念現代詩賞を受賞、1996年(平成8) 群馬県立土屋文明記念文学館の初代館長に就任しました。1997年(平成9)に『監獄裏の詩人たち』で、第48回読売文学賞(随筆・紀行部門)、1999年(平成11)に平成10年度日本芸術院賞、恩賜賞、2002年(平成14)には、『老世紀界隈で』で、第17回詩歌文学館賞(現代詩部門)を受賞しましたが、同年8月3日に、東京において、肺炎のため、95歳で亡くなっています。

<伊藤信吉の主要な著作>

・第一詩集『故郷(こきょう)』(1933年)
・評論集『島崎藤村(とうそん)の文学』(1936年)
・『現代詩の鑑賞』上下(1952年、1954年)
・『高村光太郎』(1958年)
・『ユートピア紀行』(1974年)第2回平林たい子文学賞受賞
・第二詩集『上州』(1976年)
・『天下末年 伊藤信吉詩集』(1977年)第9回多喜二・百合子賞受賞
・『萩原朔太郎』(1977年)第28回読売文学賞(評論・伝記部門)受賞
・『望郷蠻歌・風や天』(1979年)第30回芸術選奨文部大臣賞受賞
・『上州おたくら 私の方言詩集』(1993年)第2回丸山豊記念現代詩賞受賞
・『監獄裏の詩人たち』(1996年)第48回読売文学賞(随筆・紀行部門)受賞
・『老世紀界隈で』(2001年)第17回詩歌文学館賞(現代詩部門)受賞

〇伊藤信吉関係略年表

・1906年(明治39)11月30日 群馬県群馬郡元総社村大字元総社(現在の前橋市元総社町)において、農家だった父・伊藤実太郎、母・みねの長男として生まれる
・1923年(大正12) 群馬県庁商工課に勤務する
・1924年(大正13) 萩原朔太郎を訪ね知遇を得る
・1928年(昭和3) 県庁を退職し上京し、草野心平の詩誌「学校」に参加する
・1929年(昭和4) 再び上京し、プロレタリア詩人会に参加する
・1931年(昭和6) 全日本無産者芸術団体協議会(ナップ)に加盟し、雑誌「ナップ」「プロレタリア詩」等に作品を発表する
・1932年(昭和7) 「治安維持法」違反容疑で検挙され、プロレタリア文学運動から退く
・1933年(昭和8) 第一詩集『故郷』を刊行する
・1936年(昭和11) 最初の文芸評論『島崎藤村の文学』を刊行、都新聞宇都宮支局員となり移住する
・1939年(昭和14) 吉田健一らと「批評」を創刊する
・1941年(昭和16) 都新聞を退社し、報知新聞社に勤務する
・1942年(昭和17) 萩原朔太郎が死去すると、小学館版『萩原朔太郎全集』の編集を担当、報知新聞社を退社する
・1946年(昭和21) 交通労働研究所を設立し『交通労働』の発行に携わる
・1949年(昭和24) 新日本文学会系の『新日本詩人』の第1号の編集にも関与する
・1964年(昭和39) 萩原朔太郎研究会が発足すると会長となる
・1967年(昭和42) 日本現代詩人会の会長となり、中央大学文学部兼任講師となる
・1969年(昭和44) 日本現代詩人会の会長を辞める
・1973年(昭和48) 「小選挙区制に反対する詩人の会」を結成して代表となり、横浜市へ移住する
・1974年(昭和49) 『ユートピア紀行』で、第2回平林たい子文学賞を受賞する
・1975年(昭和50) 中央大学文学部兼任講師を辞める
・1976年(昭和51) 第二詩集『上州』を刊行する
・1977年(昭和52) 『萩原朔太郎』で、第28回読売文学賞(評論・伝記部門)を受賞する
・1978年(昭和53) 『天下末年 伊藤信吉詩集』で、第9回多喜二・百合子賞を受賞する
・1980年(昭和55) 『望郷蠻歌・風や天』で、第30回芸術選奨文部大臣賞を受賞する
・1992年(平成4) 高橋元吉文化賞を受賞する
・1993年(平成5) 『上州おたくら 私の方言詩集』で、第2回丸山豊記念現代詩賞を受賞する
・1996年(平成8) 群馬県立土屋文明記念文学館の初代館長となる
・1997年(平成9) 『監獄裏の詩人たち』で、第48回読売文学賞(随筆・紀行部門)を受賞する
・1999年(平成11) 平成10年度日本芸術院賞、恩賜賞を受賞する
・2002年(平成14) 『老世紀界隈で』で、第17回詩歌文学館賞(現代詩部門)を受賞する
・2002年(平成14)8月3日 東京において、肺炎のため、95歳で亡くなる

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1204年(元久元)公家・歌人藤原俊成の命日(新暦12月22日)詳細
1888年(明治21)日本とメキシコがアジア以外では初の対等条約となる「日墨修好通商条約」に調印する詳細
1908年(明治41)駐米大使高平小五郎と米国国務長官エルフ・ルートが交換覚書「高平・ルート協定」に調印する詳細
1938年(昭和13)御前会議において、「日支新関係調整方針」が決定される詳細
1945年(昭和20)「ララ物資」第一便としてミルク・衣類など450トンが横浜港に到着する詳細
1947年(昭和22)「職業安定法」が公布(施行は同年12月1日)される詳細
1955年(昭和30)社会運動家・政治学者大山郁夫の命日詳細
1992年(平成4)安芸灘諸島連絡架橋(安芸灘とびしま海道)を構成する豊浜大橋<543m・3径間連続トラス橋>が開通する詳細

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 今日は、幕末明治維新期の1869年(明治2)に、明治新政府の廟議で、東京~京都の幹線、東京~横浜・京都~神戸・琵琶湖畔~敦賀の3支線の鉄道建設計画「東京横浜ノ間鉄道製作ノ儀申立」が決定された日ですが、新暦では12月12日となります。
 「東京横浜ノ間鉄道製作ノ儀申立」(とうきょうよこはまのあいだてつどうせいさくのぎもうしたて)は、幕末明治維新期の11869年(明治2年11月10日)の明治新政府の廟議で、東京~京都の幹線、東京~横浜・京都~神戸・琵琶湖畔~敦賀の3支線の鉄道建設計画を示したもので、同年10月11日付の「上申」と、「布告案」で構成されています。この決定は、近世以来全国的な輸送の主役であった海運の存在を前提として、東西両京を結ぶ幹線鉄道から海港へ枝線を敷設することによって主要な海港と海港を鉄道で繋ぎ、全国的な輸送網の形成を図ろうとしたものでした。
 ルートとして、本州の中央を通る中山道案,海側を通る東海道案がありましたがこの時点ではどちらを採択するか未定となっています。文書の終わりには、明治政府が同年11月9日付で、伊達宗城(民部卿兼大蔵卿)・大隈重信(大蔵大輔)・伊藤博文(大蔵大丞・大蔵少輔)に対し、イギリスと鉄道敷設の借款契約を締結する全権を委任したことが見えます。

〇日本の鉄道創設関係略年表(日付は旧暦です)

<明治2年(1869年)>

・3月 横浜在留英国人「アレキサンドル・カンフル」は鉄道敷設の請願書(西暦1869年4月21日付け)を寺島神奈川県知事に提出する
・10月11日 この日付けで、外務省は鉄道建設を政府に上申する
・11月5日 日本政府の岩倉、澤、三条が相談し、大隈と伊藤も列席、鉄道と電信の起業の意あることを告げる
・11月10日 東京~京都の幹線、東京~横浜・京都~神戸・琵琶湖畔~敦賀の3支線の鉄道建設計画「東京横浜ノ間鉄道製作ノ儀申立」が決定される
・11月12日 英国人ホレシオ・ネルソン・レーに1割2分利付100万ポンド借款の起債契約書を公布する

<明治3年(1870年)>
・3月 英尺「フィート」を日本の1尺4厘と定める
・3月8日 エドモンド・モレルが鉄道技師長としてイギリスから招かれ、横浜港へ着く
・3月17日 東京府及び神奈川、品川の二県へ線路測量として雇外国人を率いて官員出張の旨を達する
・3月19日 鉄道掛を東京築地元尾張藩邸に創置する
・3月22日 横浜野毛町に於ける寒川県所轄の官舎(元修文館)に横浜出張所を置き。六鄕川を以て境界とし東西両端より起工することを定める
・3月25日 東京芝口汐留の近傍を量地すする
・3月27日 監督正上野景範に鉄道掛を命じる
・4月3日 横浜野毛浦海岸より亦測量を始める
・4月12日 元龍野、仙台、会津の三邸を敷地として、蒸気車会所建築の為に地均工事を開始する
・4月14日 土木権正平井義十郎を副とする
・5月26日 兵部省は蒸気車解除を他に建築するか、または線路を西方に移すことを上申する
・5月26日 横浜野毛町海岸地は前年2月以来埋め立てられ、当地を横浜停車場敷地とする
・6月 橋梁工事を起こし、神奈川第19橋から始める
・6月8日 大蔵省は高縄町兵部省用地の内を鉄道用地として引き渡し方を上申するが、兵部省が抵抗する
・7月10日 太政官は高輪富士鑑宿陣所を民部省に引き渡すべき事を命じるものの、兵部省引き渡しに応ぜず
・8月15日 鉄道掛は東京府庁を経て之を受領する
・10月 六鄕川本憍を起工、神奈川台の掘割に着手、八ッ山及び御殿山の掘割工事を起工する
・10月20日 工部省を設置し、鉄道は該省の所管に属せる
・10月22日 兵部省は元尾張、安藝その他の邸地を海軍所用地として受け取り、浜殿は宮内庁に返す
・11月 この月以降諸所の盛り土を始める
・12月 工部省は掲旗を定め、その章白布紅書工字とする
・12月14日 鉄道掛の事務局を省内に移す
・12月14日、28日 公書をもって、ホレシオ・ネルソン・レーの不正が発覚し、解雇される

<明治4年(1871年)>
・1月 品川七番砲台場の一部を取り壊しその石材を鉄道工事に使用船とを海軍所と協定する
・8月14日 鉄道寮は品川県と神奈川県に対して、線路立入禁止の通達を依頼する
・9月 横浜停車場本屋が落成する
・11月 汐留停車場本屋が落成する

<明治5年(1872年)>
・1月 品川停車場本屋が落成する
・2月26日 鉄道寮を汐留停車場本屋に移す
・2月28日 鉄道略則を決める
・5月3日 太政官布告「7日をもって品川横浜間を仮に開業する」が出される
・5月4日 鉄道犯罪罰例・改正鉄道略則を制定する
・5月7日 品川駅~横浜駅間で鉄道が仮開業し、一日2往復の列車が運行される
・5月8日 一日6往復に増便される
・5月27日 汐留停車場を新橋と改称する
・6月5日 川崎駅と神奈川駅(現在は廃駅)が営業を開始する
・8月 葵坂に新築したる工部省庁舎内に、鉄道寮を移す
・8月14日 工部省下に鉄道寮を設置する
・9月12日 新橋駅で、鉄道開業式典が催され、明治天皇と建設関係者を乗せたお召し列車が横浜まで往復運転する
・9月13日 新橋駅~横浜駅全区間で、営業運行が開始され、鶴見駅が開業する
・9月23日 技師長エドモンド・モレルが亡くなる
・9月29日 新橋~横浜間の工事全てが落成する

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1696年(元禄9)第109代とされる明正天皇(女帝)の命日(新暦12月4日)詳細
1883年(明治16)日本画家橋本関雪の誕生日詳細
1920年(大正9)日本画家福王寺法林の誕生日詳細
1940年(昭和15)神武天皇即位2600年とされる「紀元二千六百年記念行事」が始まる詳細
1945年(昭和20)角川源義が角川書店を設立する詳細
1951年(昭和26)日教組が第1回全国教育研究大会を開催する詳細
1982年(昭和57)中央自動車道の勝沼IC~ 甲府昭和IC間が開通し、東京都杉並区と愛知県小牧市が繋がる詳細
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 今日は、明治時代前期の1884年(明治17)に、自由党[明治時代前期]が大阪での党大会において、解党を決議した日です。
 自由党[明治時代前期](じゆうとう)は、明治時代前期の1881年(明治14)、自由民権運動隆盛の頃に、国会期成同盟の中から板垣退助、中島信行、後藤象二郎、末広重恭、馬場辰猪らが結成した日本で最初の全国的政党です。国会開設運動が全国的に高揚する中、全国に拡大した運動の組織強化のため、国会期成同盟を改組して自由主義を標榜する政党を組織する機運が高まりました。
 一方で、国会論、財政論の対立の中、1881年(明治14)7月に「北海道開拓使官有物払下げ事件」が起こり、10月11日に明治十四年の政変で、大隈重信らが罷免され、翌日に「国会開設の勅諭」が出されます。これによって、国会開設の目的が達成されたと考え、自由党結成へと向かい、10月18日に、浅草井生村楼で地方出身者と反沼間派の都市出身者によって創立大会を開催しました。
 同月29日には、自由党盟約、自由党規約、人事などを定め、初代総理(党首)は板垣退助、副総理に中島信行、常議員に馬場辰猪・末広重恭・後藤象二郎・竹内綱、幹事に林包明・山際七司・内藤魯一・大石正巳・林正明が就任します。盟約には、自由拡充、権利保全、幸福増進、社会改良、立憲政体の確立などを掲げ、自由民権運動の中核として活動しました。
 中央機関紙『自由新聞』を発行、薩長両藩出身者が支配する藩閥政府と対決、自由民権の伸長、地租軽減、条約改正などを要求して、各地で急速に勢力を伸ばします。しかし、1882年(明治15)6月に、突然の「集会条例」改正による地方部の解体や12月の福島事件、翌年3月の高田事件などの政府の激しい弾圧、不況による資金不足、板垣の外遊をめぐる党内抗争などが起こりました。
 そして、1884年(明治17)9月の加波山事件によって解党論が高まり、10月29日ついに大阪での解党大会に追込まれています。

☆自由党盟約・規則 (全文) 

・結成時の自由党盟約・規則 1881年(明治14)10月決定

自由党盟約

第一章 吾党ハ自由ヲ拡充シ、権利ヲ保全シ、幸福ヲ増進シ、社会ノ改良ヲ 図ルベシ。
第二章 吾党ハ善良ナル立憲政体ヲ確立スルコトニ尽力スベシ。
第三章 吾党ハ日本国ニ於テ吾党ト主義ヲ共ニシ、目的ヲ同クスル者ト一致協力シテ、以テ吾党ノ目的ヲ達スベシ。

自由党規則

第一章 東京ニ中央本部ヲ設ケ地方ニ地方部ヲ置ク。其地方部ハ各自地方ノ名称ニヨリ自由党何部何某ト称スベシ。
第二章 党中ニ於テ総理(一名)副総理(一名)常議員(若干名)幹事(五名)ヲ公選シ、自由党全体ニ係ル事務ヲ管理セシム其任期ハ各一年トス。
第三章 正副総理ハ通常会并ニ臨時会ニ於テ決定セシ事件ヲ実行ス。
第四章 常議員ハ党中ノ利害ニ関スル重要ナル事件ヲ評議ス。
第五章 幹事ハ会計及ビ党員ノ出入、文書ノ往復、所有品ノ監護等ノ諸事ヲ分掌ス。
第六章 常備委員ハ本部ノ議事ニ参シ、及ビ本部ノ事業ヲ翼賛シ、各地方ヲ巡回ス。
第七章 総理并ニ常議員ハ、給料ナシ幹事以下ノ役員ニハ定ムル所ノ手当金ヲ与フ。
第八章 凡ソ役員ハ再三ノ選ニ当ルヲ得。
第九章 地方部ハ中央本部ニ対スル部理一名ヲ置ク。其他ノ役員ハ潭テ地方ノ便宜ニ任ス。
第十章 地方部ニ於テハ毎年六月十二月両度其地方党衆ノ名簿ヲ調査シ、其加除増減ヲ明ニシテ中央本部ニ送達スベシ。
第十一章 吾党ト主義ヲ同クシ、新ニ党衆タラントスル者ハ、其住所若クハ寄留地ナル地方部ニ於テ、其人ノ族籍・姓名・身分ヲ査察シ、然ル後之ヲ容ス可シ。
第十二章 党中ヲ脱セントスル者ハ其理由ヲ詳記シタル書面ヲ以テ本人ノ住所・寄留地ナル地方部ニ届出ツ可シ。
第十三章 毎年十月地方部ヨリ代議員ヲ出シテ、大会議ヲ東京ニ開ク、其議会ニ列ル議員ハ一小圑結ニ付五名以下トス。
第十四章 大会議ニ於テハ、党中一般ニ係リ創起スベキ事件、施行ス可キ事件ヲ議定ス。
     大会議ニ於テハ、本部役員ノ改選ヲ為ス。
     大会議ニ於テハ、総理并ニ幹事ヨリ前年度ニ在テ施行シタル事件及ビ会計ノ決算報告ヲ受ケ、翌年度ノ会計予算ヲ議決ス。
第十五章 緊要ナル事件ノ通常会議ノ期ヲ待チ難キ者アル時ハ、総理ハ臨時ニ各地方部ノ代議人ヲ招集シテ会議ヲ開ク事アル可シ。

 第一期役員
  総 理 板垣退助
  副総理 中島信行
  常議員 後藤象二郎 馬場辰猪 末広重恭 竹内綱
  幹 箏 林包明 山際七司 内藤魯一 大石正己 林正明

  ※縦書きの原文を横書きに、旧字を新字にし、句読点を付してあります。

 国立国会図書館デジタルコレコレクション「自由党盟約」より

・改正後の自由党盟約・規則 1882年(明治15)7月1日、2日の『自由新聞』掲載

自由党盟約

 党名 自由党
 位置 京橘区銀座三丁目拾九番地寧静館
一、吾党ハ自由ヲ拡充シ権利ヲ保全シ幸福ヲ増進シ杜会ノ改良ヲ図ルベシ
一、吾党ハ善良ナル立憲政体ヲ確立スル「ヲ希望スルモノトス

自由党規則

第一条 党中二於テ総理一名常議員七名幹來二名ヲ撰挙シ自由党全体二係ル箏務ヲ管理セシム其任期ハ各一ヶ年トス(但幹事ハ総理ノ特撰ヲ以テ任ズ)
条二条 最寄党員ヨリ常備員ヲ撰挙シ事務所二出サシム
第三条 総理ハ通常会井二臨時会二於テ決定セシ蔀件ヲ実行ス
第四条 常議員ハ党中ノ利害二関スル重要ナル瑛件ヲ評議ス 
第五条 常議員会ニハ総理之ガ会長トナル
第六条 幹事ハ会計及ピ党員ノ出入文書ノ往復所品ノ監護等ノ諾事ヲ分掌ス
第七条 幹事ハ常議員又ハ常備員ヲ兼スル事ヲ得ルモノトス  
第八条 常備委員ハ事務所議事二参シ及ピ事務所ノ事莱ヲ翼賛ス
第九条 几ソ役員ハ再三ノ撰二当ルヲ得
第十条 新二党衆タラソトスル者ハ之ヲ自由党事務所二届出ヅベシ
第十一条 党中ヲ脱セシトスル者其理由ヲ詳記シタル書面ヲ以テ事務所二届出ヅベシ
第十二条 会議ハ毎年四月二於テ之ヲ開ク  
第十三条 大会議二於テハ党中一般二係リ創起スベキ事件施行スベキ事件ヲ議定ス
第十四条 緊要ナル求件アルトキハ総理ハ臨時二党員ヲ招集シテ以テ会議ヲ開ク事アル可シ
第十五条 党員ハ一ヶ年金弐拾五銭ヲ醵シ以テ自由党ヲ維持スルノ費用二供ス
第十六条 党員分担金ハ一ヶ年両度(三月九月)トナシ之ラ纏メテ事務所二回送スベシ
第十七条 事務所二徴集スル金額二残余アルトキハ之ヲ銀行二預ケ置キ以テ明年ノ費用二供スベシ若シ不足ヲ生ズルトキハ一時操替タル上翌年ノ会議二附シ其償却法ヲ議定スベシ
第十八条 党員ノ我主義ノ為メニ災厄二罹ル事アルトキハ其最寄党員ハ遭難始末事務所二具伸シ事務所ハ多少ノ金額ヲ遭難者二送ルベシ
第十九条 党員ハ一ヶ年金五銭ヲ救助金ト為シ之ヲ事務所二逓送スベシ

  総 理 板垣退助
  常議員 馬場辰猪 犬石正巳 末広重恭 林和一 大井憲太郎 北田正董 竹内綱
  幹 箏 林包明 宮部襲

〇自由民権運動関係年表

<1874年(明治7)>
・1月12日 板垣退助らが愛国公党を結成する  
・1月17日 板垣退助らが「民撰議院設立の建白書」を提出する
・2月1日 江藤新平・島義勇らが佐賀の乱を起こす
・4月 板垣退助らが立志社を設立する

<1875年(明治8)>
・2月22日 板垣退助らが大阪で自由民権運動の政治団体愛国社を結成する
・5月7日 「樺太・千島交換条約」が結ばれる 
・6月28日 「讒謗律」・「新聞紙条例」が制定される

<1876年(明治9)>
・2月26日 「日朝修好条規」が締結される
・10月 神風連の乱、秋月の乱、萩の乱が起こる

<1877年(明治10)>
・2月15日 西南戦争が起きる
・6月9日 「立志社建白」を京都の行在所に提出する
・8月18日 立志社の片岡健吉らが逮捕される(高知の獄)

<1878年(明治11)>
・5月14日 大久保利通が暗殺される
・9月14日 大阪で愛国社再興大会が始まる
・9月20日 「愛国社再興合議書」を採択する

<1879年(明治12)>
・3月27日 琉球処分が行われ、琉球藩を沖縄県とする

<1880年(明治13)>
・3月17日 国会期成同盟が発足する   
・4月5日 「集会条例」を定めて、言論や集会を取りしまる
 このころから、自由民権運動が高揚しはじめる

<1881年(明治14)>
・7月 「北海道開拓使官有物払下げ事件」が起こる  
・9月 立志社が「日本憲法見込案」を出す
・10月11日 明治十四年の政変で、大隈重信らが罷免される
・10月12日 「国会開設の勅諭」が出される
・10月18日 板垣退助らが自由党を結成する
 このころ、憲法制定論議が活発化し、各種の私擬憲法がつくられる

<1882年(明治15)>
・3月 伊藤博文ら、憲法調査のためヨーロッパへ行く
・4月6日 板垣退助が遊説先の岐阜県冨茂登村で斬りつけられ負傷する事件(岐阜事件)が起きる
・4月16日 大隈重信らが立憲改進党を結成する
・11月28日 福島事件(福島県)が起こる

<1883年(明治16)>
・3月20日 高田事件(新潟県)が起こる
・3月20日 立志社が解散する

<1884年(明治17)>
・5月 群馬事件(群馬県)が起こる
・9月23日 加波山事件(栃木・茨城県)が起こる
・10月29日 自由党が解党する
・10月31日 秩父事件(埼玉県)が起こる
・12月 名古屋事件(愛知県)が起こる
・12月 飯田事件(長野県)が起こる

<1885年(明治18)>
・11月 大阪事件(大阪府)が起こる

<1886年(明治19)>
・6月 静岡事件(静岡県)が起こる

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

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