ガウスの歴史を巡るブログ(その日にあった過去の出来事)

 学生時代からの大の旅行好きで、日本中を旅して回りました。その中でいろいろと歴史に関わる所を巡ってきましたが、日々に関わる歴史上の出来事や感想を紹介します。Yahooブログ閉鎖に伴い、こちらに移動しました。

カテゴリ: 明治時代

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 今日は、明治時代前期の1870年(明治3)に、山縣有朋がヨーロッパへの軍事制度の視察から帰国した日ですが、新暦では8月28日となります。
 山県有朋(やまがた ありとも)は、幕末から明治・大正期に活躍した軍人・政治家で元老の筆頭格です。江戸時代後期の1838年(天保9年6月14日)に長門国萩城下で、長州藩下級士族山県有稔の長男(母は同藩士岡治助の娘松子)として生まれましたが、幼名辰之助(のち小輔、さらに狂介)と言いました。
 吉田松陰の松下村塾に学び、尊王攘夷運動に参加、1863年(文久3)に奇兵隊軍監に抜擢されましたが、翌年の英米仏蘭4国連合艦隊との交戦(4国艦隊下関砲撃事件)で負傷します。1866年(慶応2)の第二次長州征伐に従軍、1868年(慶応4)の戊辰戦争では北陸道鎮撫総督兼会津征討総督の参謀として越後、奥羽に転戦しました。
 1869年(明治2年)に渡欧して各国軍制を視察、翌年帰国後、兵部少輔となって兵制改革を担当、1871年(明治4)の廃藩置県の実施後、兵部大輔となります。翌年に陸軍大輔、陸軍中将となり、1873年(明治6年)に徴兵制を主張してこれを実現、陸軍卿となりました。
 1874年(明治7)の佐賀の乱、1877年(明治10)の西南戦争に出征して鎮圧、翌年には参謀本部を設置して軍政・軍令機関の二元化を行い、初代参謀本部長となり、1882年(明治15)には「軍人勅諭」を起案、頒布します。1882年(明治15)に参事院議長となり、翌年に内務卿に就任して自由民権運動を弾圧、1884年(明治17)に伯爵となり、1887年(明治20)には内相として「保安条例」を公布し、三大事件建白運動を抑え込みました。
 1889年(明治22)に第一次山県内閣を組織し、翌年の第一回帝国議会に臨み軍備拡張を主張し、「民力休養」を掲げた民党と対立します。同年の「教育勅語」の発布を進めましたが、翌年には内閣総辞職しました。
 1894年(明治27年)の日清戦争には第1軍を率いて出征したものの、病気で帰国、1895年(明治28)に元勲優遇となり、侯爵ともなります。1896年(明治29)に全権大使としてモスクワで山県=ロバノフ協定を締結、1898年(明治31)に元帥となり、第一次大隈内閣瓦解の後を受けて、第二次山県内閣を組織し、1900年(明治33)には「治安警察法」を公布しました。
 1901年(明治34)に日英同盟を締結させ、対露戦準備を強行、1904年(明治37)の日露開戦に際しては参謀総長として作戦指導に当たります。1907年(明治40)に公爵となり、同年の「帝国国防方針」の策定を進め、軍備拡張、軍部の政治的地位の強化に努め、1909年(明治42)に伊藤博文が暗殺されると元老としての地位を強め、山県閥、軍部勢力を背景に内政、外交に絶大な力を発揮しました。
 しかし、1921年(大正10)の皇太子妃選定問題(宮中某重大事件)に失敗し、政治生命を失ない、神奈川県小田原の別邸・古稀庵に閉じこもったまま、翌年2月1日に数え年85歳で亡くなり、2日後に国葬が執り行われています。

〇山県有朋関係略年表(明治5年以前の日付は旧暦です)

・1838年(天保9年6月14日) 長州藩下級士族山県有稔の長男として長門国萩城下に生まれる
・1842年(天保13年) 5歳の時に母が病死する
・1858年(安政5年) 21歳の時に藩命で伊藤博文ら5名と京都に派遣されて以来尊王攘夷運動に参加する
・1863年(文久3年) 奇兵隊軍監に抜擢され壇ノ浦支営司令となる
・1864年(元治元年8月) 英米仏蘭4国連合艦隊と交戦(4国艦隊下関砲撃事件)して負傷する
・1866年(慶応2年) 第二次長州征伐に従軍する
・1868年(慶応4年) 戊辰戦争では北陸道鎮撫総督兼会津征討総督の参謀として越後、奥羽に転戦する
・1869年(明治2年) 渡欧して各国軍制を視察する
・1870年(明治3年) 帰国し、兵部少輔となる
・1871年(明治4年7月14日) 廃藩置県の実施、兵部大輔となる
・1870年(明治3年8月28日) 従五位となる
・1872年(明治5年) 陸軍大輔、陸軍中将となる
・1872年(明治5年12月12日) 従四位となる
・1873年(明治6年)1月 徴兵制を主張し、これを実現する
・1873年(明治6年) 陸軍卿となる
・1873年(明治6年)11月15日 正四位となる
・1874年(明治7年)2月 佐賀の乱を鎮圧し、参議となる
・1877年(明治10年) 西南戦争に征討参軍として出征する
・1877年(明治10年)11月2日 勲一等旭日大綬章を受章する
・1878年(明治11年) ドイツに倣って参謀本部を設置して軍政・軍令機関の二元化を行い、初代参謀本部長となる
・1878年(明治11年)8月 「軍人訓誡」を頒布する
・1880年(明治13年)6月15日 フランス共和国レジオンドヌール勲章グラントフィシエを受章する
・1881年(明治14年) 明治14年の政変では、伊藤博文、岩倉具視らと謀って大隈重信一派の政府外追放を行い、プロシア流憲法制定の方向を確定する
・1882年(明治15年)1月 「軍人勅諭」を起案、頒布する
・1882年(明治15年) 参事院議長となる
・1883年(明治16年) 内務卿に就任して自由民権運動を弾圧する
・1884年(明治17年)7月7日 「華族令」の制定により伯爵となる
・1884年(明治17年)12月27日 従三位となる
・1886年(明治19年)10月19日 従二位となる
・1886年(明治19年)12月22日 一等王冠勲章を受章する
・1887年(明治20年)7月 官僚制度の出発点となる文官試験制度を施行する
・1887年(明治20年)8月25日 キリスト勲章グランクロアを受章する
・1887年(明治20年)12月 内相として保安条例を公布し三大事件建白運動を抑える
・1888年(明治21年)4月 市制・町村制の制定に尽力する
・1889年(明治22年)10月30日 聖マウリッツィオ・ラザロ勲章グラン・コルドーネを受章する
・1889年(明治22年)10月30日 白鷲勲章を受章する
・1889年(明治22年)10月30日 ドイツ帝国赤鷲第一等勲章を受章する
・1889年(明治22年)12月 第一次山県内閣を組織する
・1890年(明治23年)5月 府県制・郡制の制定に尽力する
・1890年(明治23年) 陸軍大将に昇進する
・1890年(明治23年)11月 第一議会に臨み軍備拡張を主張し、「民力休養」を掲げた民党と対立する
・1890年(明治23年)11月22日 一等鉄冠勲章を受章する
・1891年(明治24年)4月8日 銀製黄綬褒章を受章する
・1891年(明治24年)5月 内閣総辞職する
・1894年(明治27年) 日清戦争には第1軍を率いて出征しましたが、病気で帰国する
・1895年(明治28年)5月26日 元勲優遇となる
・1895年(明治28年)8月5日 旭日桐花大綬章・功二級金鵄勲章を受章する
・1895年(明治28年)8月5日 侯爵となる
・1895年(明治28年)11月18日 明治二十七八年従軍記章を受章する
・1895年(明治28年)12月20日 正二位となる
・1896年(明治29年)6月 全権大使としてモスクワで山県=ロバノフ協定を締結する
・1896年(明治29年)10月28日 ロシア帝国神聖アレクサンドルネフスキー大綬章を受章する
・1897年(明治30年)5月7日 レジオンドヌール勲章グランクロワを受章する
・1898年(明治31年)1月20日 元帥となり、元帥徽章を受章する
・1898年(明治31年)11月 第一次大隈内閣瓦解の後を受けて、第二次山県内閣を組織する
・1899年(明治32年)6月14日 ドイツ帝国赤鷲大綬章を受章する
・1900年(明治33年)3月 「治安警察法」を公布する
・1900年(明治33年)6月 義和団事件に際し、最大の軍隊を中国に派遣し、列強に協力して、帝国主義国としての地歩を固める
・1900年(明治33年)9月 伊藤博文が立憲政友会を組織すると、伊藤を後継首班に推薦して総辞職する
・1901年(明治34年)6月 第一次桂太郎内閣が成立すると黒幕として背後から援助し、日英同盟を締結させ、対露戦準備を強行させる
・1902年(明治35年)6月3日 大勲位菊花大綬章を受章する
・1902年(明治35年)5月10日 明治三十三年従軍記章を受章する
・1904年(明治37年) 日露戦争に際しては参謀総長として作戦指導に当たる
・1906年(明治39年)4月1日 菊花章頸飾・功一級金鵄勲章・明治三十七八年従軍記章を受章する
・1906年(明治39年)4月5日 メリット勲章を受章する
・1907年(明治40年)2月2日 御紋付御杯を受ける
・1907年(明治40年)9月21日 公爵となる
・1907年(明治40年)4月 「帝国国防方針」の策定を進め、軍備拡張、軍部の政治的地位の強化に努める
・1908年(明治41年)3月12日 金尺大勲章を受章する
・1909年(明治42年)10月 伊藤博文が暗殺されると元老としての地位を強め、山県閥、軍部勢力を背景に内政、外交に絶大な力を発揮する
・1912年(大正元年)8月1日 韓国併合記念章を受章する
・1915年(大正4年)11月10日 大礼記念章(大正)を受章する
・1916年(大正5年)1月14日 金剛石装飾神聖アレクサンドル・ネフスキー勲章を受章する
・1916年(大正5年)4月1日 金杯一組・大正三四年従軍記章を受章する
・1917年(大正6年)1月20日 御紋付銀杯を受ける
・1918年(大正7年)7月3日 聖マイケル・聖ジョージ勲章ナイト・グランド・クロスを受章する
・1918年(大正7年)7月 米騒動では大きな衝撃を受ける
・1918年(大正7年)9月 政友会総裁原敬を首相候補に推薦し、政党内閣を認めるに至る
・1920年(大正9年)9月7日 金盃一組を受ける
・1921年(大正10年) 皇太子妃選定問題(宮中某重大事件)に失敗し、政治生命を失なう
・1922年(大正11年)2月1日 神奈川県小田原の別邸・古稀庵において、数え年85歳で亡くなり、従一位となる
・1922年(大正11年)2月3日 国葬が執り行われる

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

901年(延喜元)六国史一番最後の『日本三代実録』が完成する詳細
1721年(享保6)徳川吉宗の命で江戸・評定所の門前に目安箱が設置される(新暦9月23日)詳細
1738年(元文3)俳人上島鬼貫の命日(新暦9月15日)詳細
1864年(元治元)14代将軍徳川家茂が中国・四国など35藩に長州征討(第一次長州征討)の為の出兵を命令(新暦9月2日)詳細
1918年(大正7)寺内正毅内閣によって、日本軍が英・米・仏軍と共に、シベリア出兵することが閣議決定される詳細
1945年(昭和20)アメリカ軍のB-29爆撃機174機による富山大空襲で、市街地の99.5%を焼失、死者2,737人を出す詳細
ドイツのベルリン郊外でのポツダム会談(アメリカ・イギリス・ソ連3国の首脳会談)が終了する詳細
1947年(昭和22)中学校用『あたらしい憲法のはなし』・高校用『民主主義の手引』の副読本発行詳細
2007年(平成19)関西国際空港の第二滑走路(B滑走路)がオープンし、国内初の完全24時間空港になる詳細
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 今日は、明治時代前期の1874年(明治7)に、明治新政府により、下関事件による英米仏蘭4か国への賠償金の支払いが完了した日です。
 下関事件(しものせきじけん)は、幕末の1863年(文久3)に攘夷親征の朝旨を実現するため、江戸幕府の攘夷実行開始期日の5月10日に、長州藩が下関海峡を通過するアメリカ商船に砲撃を加え、さらに同月23日にフランス軍艦、25日にオランダ軍艦にも砲撃した事件です。この結果、同年6月5日に報復として、アメリカとフランスの軍艦が関門海峡で長州軍艦2隻を撃沈し、長州の砲台を攻撃しました。
 しかし、長州藩は攘夷の態度を続け、翌元治元年7月19日に兵を京都へ派遣し、幕府側と交戦して御所にまで侵入するが撃退される「禁門の変(蛤御問の変)」を起こします。ところが、長州勢は完敗し、来島又兵衛は戦死、久坂玄瑞、真木和泉らは自刃するなど急進的指導者の大半を失うこととなり、京都市中も戦火により約3万戸が焼失しました。
 これを機に、長州藩は朝敵となり、江戸幕府の第一次長州征伐が行われることになります。尚、イギリス・フランス・オランダ・アメリカは再び報復のため、同年7月27日・28日に、キューパー中将(イギリス)を総司令官とする4ヶ国連合艦隊を横浜から出港させ、関門海峡に至って、8月5日から砲撃を始めました。
 長州藩側も応戦したものの、戦力に大きな開きがあり、8日までに長州藩の砲台は破壊されたり、上陸した4ヶ国側の兵員に占拠される「四国連合艦隊砲撃事件」が起こります。そこで、長州藩は8月8日に講和使節の使者に高杉晋作を任じ、4ヶ国連合艦隊との交渉を進め、同月18日に下関海峡の外国船通航の自由、石炭・食物・水など外国船の必要品の売り渡し、悪天候時の船員の下関上陸許可、下関砲台撤去、賠償金300万ドルの支払いの5条件を受け入れて講和が成立しました。
 これらの戦争を通じて列国の軍事力を目の当たりにした長州藩は、列国に接近しつつ、強力な統一国家建設を目指して、倒幕運動に向かうことになります。尚、1874年(明治7)に、明治新政府により、下関事件による英米仏蘭4か国への賠償金の支払いが完了しました。

〇「下関事件」関係略年表(日付は旧暦です)

<1853年(嘉永6)>
・7月8日 ペリー提督のアメリカ艦隊が浦賀沖に来航し、江戸幕府に開国を迫る

<1854年(安政元)>
・3月31日 江戸幕府は「日米和親条約」を締結する

<1858年(安政5)>
・7月29日 アメリカの強い要求により、江戸幕府は「日米通商修好条約」を締結する
 以後、オランダ、ロシア、イギリス、フランスとも同様の条約を結ぶ(安政五ヶ国条約)

<1860年(万延元)>
・3月3日 水戸・薩摩脱藩浪士によって、江戸幕府大老井伊直弼が暗殺される(桜田門外の変)

<1861年(文久元)>
・3月 直目付長井雅楽が藩主毛利慶親に対し、藩の政治活動方針として「航海遠略策」を建白する
 以後、公武合体策を藩論としようとする

<1862年(文久2)>
・1月15日 坂下門外の変が起こり、公武合体を進めていた老中安藤信正と久世広周が失脚する
・2月11日 和宮と江戸幕府第14代将軍家茂の婚礼が行われる(和宮降嫁)
・6月 長州藩の公武合体派長井雅楽が藩主から罷免される
・8月21日 生麦事件が起きる

<1863年(文久3)>
・2月6日 長井雅楽が死罪を得る
・3月4日 江戸幕府第14代将軍徳川家茂が上洛する
・5月10日 江戸幕府は攘夷実行日(諸藩にも通達)とし、長州藩がアメリカ商船に対し砲撃を行う(下関事件)
・5月23日 長州藩がフランス軍艦に対し砲撃を行う(下関事件)
・5月25日 長州藩がオランダ軍艦に対し砲撃を行う(下関事件)
・6月5日 報復として米仏軍艦が関門海峡で長州軍艦2隻を撃沈し、長州の砲台を攻撃する(下関事件)
・7月2~4日 薩英戦争が起きる

<1864年(元治元)>
・6月5日 池田屋事件で攘夷派志士多数が殺害・捕縛される
・7月19日 長州藩は兵を京都へ派遣し、幕府側と交戦して御所にまで侵入するが撃退される(禁門の変)
・7月23日 朝廷は江戸幕府へ対して長州追討の勅命を発する(第一次長州征討)
・7月27日・28日 キューパー中将(イギリス)を総司令官とする四国連合艦隊が横浜を出港する
・8月5~8日 英・仏・米・蘭連合艦隊が、下関と彦島の砲台を砲撃・占領する(四国艦隊下関砲撃事件)
・8月8日 長州藩は講和使節の使者に高杉晋作を任じる
・8月18日 下関海峡の外国船通航の自由、石炭・食物・水など外国船の必要品の売り渡し、悪天候時の船員の下関上陸許可、下関砲台撤去、賠償金300万ドルの支払いの5条件を受け入れて講和が成立する

<1874年(明治7)>
・7月31日 明治新政府により、下関事件による英米仏蘭4か国への賠償金の支払いが完了する

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1875年(明治8)民俗学者柳田國男の誕生日詳細
1924年(大正13)村上駅~鼠ケ関駅間の延伸開業で羽越本線が全通し、敦賀駅~青森駅間の日本海縦貫線が完成する詳細
1948年(昭和23)「政令201号」により公務員の団体交渉権が厳しく制限され、争議権が否認される詳細
1951年(昭和26)戦後初の国内民間航空会社である日本航空(会長:藤山愛一郎)の創立総会が開催される詳細
1952年(昭和27)警察予備隊を保安隊に改組するための「保安庁法」が制定公布される詳細
1985年(昭和60)東京に於て、「日中原子力協定」が締結される詳細
1986年(昭和61)外交官・在リトアニア日本領事代理杉原千畝の命日詳細
1987年(昭和62)北海道の釧路湿原が28番目の国立公園に指定される詳細
2006年(平成18)小説家吉村昭の命日詳細
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 今日は、明治時代前期の1880年(明治13)に、官設鉄道・京都駅~大津駅の開業に伴い、当時日本一の長さだった逢坂山トンネル(延長665m)が開通した日です。
 逢坂山トンネル(おうさかやまとんねる)は、滋賀県大津市にある、京都府との府県境に近い逢坂山に掘削された鉄道トンネル(隧道)です。1880年(明治13)7月15日の開業に伴い、開通しました。
 明治時代前期に、官設鉄道・京都駅~大津駅の鉄道を敷設するため、1878年(明治11)年10月5日に東口から、又同年12月5日西口からそれぞれ掘削を始め、約1年8ヶ月の歳月を要して、1880年(明治13)6月27日竣工し、同年7月15日の開業に伴い、開通しています。我が国最初の山岳トンネルで、延長は665mあり、日本人技術者のみで施工した初めてのトンネルでした。開通当初は、日本で一番長い鉄道トンネルで、1884年(明治17)に、旧北陸本線の柳ヶ瀬トンネル(延長1,352m)が開通するまでその座にありました。
 しかし、この路線の勾配は25‰を越えていたため、明治末には勾配改良工事が計画され、1914年(大正3)に路盤工事に着工、1921年(大正10)には、新逢坂山トンネルと東山トンネルが開通し、旧逢坂山トンネルは廃止され、勾配は最大10‰に緩和されて、距離も短縮されています。尚、1960年(昭和35)に、旧国鉄により、「旧逢坂山隧道東口」が鉄道記念物に指定され、2024年(令和6)9月には、「大谷~大津間の開業時の鉄道遺構」として土木学会選奨土木遺産に認定されました。

〇鉄道トンネル(てつどうとんねる)

 鉄道を通すために、山腹や地下などを掘り貫いた通路のことで、隧道(ずいどう)とも呼ばれています。日本の鉄道トンネルの第1号は、東海道本線の大阪~神戸間に、明治時代前期の1871年(明治4)に完成した石屋川トンネル(延長61m)で、イギリスからのお雇い外国人の設計によるものでした。
 1880年(明治13)には、東海道本線の大津市内にあった逢坂山トンネル(延長665m)を日本人の独力により建設したのです。その後、1884年(明治17)には、北陸本線の滋賀県と福井県の県境に柳ヶ瀬トンネル(延長1,320m)を完成させました。
 地形が急峻で、火山の多い国土で、軟弱地盤のある中で、トンネル技術の改良研究が発達していき、1903年(明治36)には、笹子トンネル(延長4,656m)、1931年(昭和6)には、清水トンネル(延長9,702m)、1934年(昭和9)には、丹那トンネル(延長7,804m)、1944年(昭和19)には、関門トンネル(延長3,614m)などが続々と掘削されます。また、太平洋戦争後になると、1962年(昭和37)に、北陸本線の北陸トンネル(延長13,870m)、1972年(昭和47)に、山陽新幹線の六甲トンネル(延長16,250m)、1980年(昭和55)に、上越新幹線の大清水トンネル(延長22,221m)などの長大トンネルが次々と建設されました。
 その頂点に立つのが1988年(昭和63)に開通した青函トンネル(延長53,850m)で、このトンネルは、鉄道トンネルとして世界第2位の長さ、海底トンネルとしては、世界一の長さと深さを保っています。

☆日本で一番長い鉄道トンネルの推移

・1871年(明治4) 東海道本線の旧石屋川トンネル(延長61m) 日本最初の鉄道トンネル
・1880年(明治13) 東海道本線の旧逢坂山トンネル(延長665m) 日本人技師による初の鉄道トンネル
・1884年(明治17) 旧北陸本線の柳ヶ瀬トンネル(延長1,352m) 
・1898年(明治31) 常磐線の旧金山トンネル(延長1,655m)
・1903年(明治36) 中央本線の笹子トンネル(延長4,656m)
・1931年(昭和6) 上越線の清水トンネル(延長9,702m)
・1962年(昭和37) 北陸本線の北陸トンネル(延長13,870m)
・1972年(昭和47) 山陽新幹線の六甲トンネル(延長16,250m)
・1980年(昭和55) 上越新幹線の大清水トンネル(延長22,221m)
・1988年(昭和63) 北海道新幹線の青函トンネル(延長53,850m) 世界一の海底トンネル

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

842年(承和9)第52代の天皇とされる嵯峨天皇の命日(新暦8月24日)詳細
1721年(享保6)大坂・竹本座で近松門左衛門作の人形浄瑠璃『女殺油地獄』が初演される(新暦8月7日)詳細
1878年(明治11)箱根の富士屋ホテルが外国人専用ホテルとして開業する詳細
1888年(明治21)会津の磐梯山が大噴火(磐梯山1888年噴火)し、死者444人の被害が出る詳細
1948年(昭和23) 「教育委員会法」(昭和23年法律170号)が公布・施行される詳細
連合国最高司令官総司令部(GHQ)が日本政府に対して、「経済安定十原則」を提示する詳細
1955年(昭和30)西ドイツのマイナウにおいて、核兵器の使用に反対する「マイナウ宣言」が発表される詳細
1959年(昭和34)三木里駅~新鹿駅間 (12.3km) が開業し、国鉄の紀勢本線が全通する詳細
1987年(昭和62)日本で9番目の地下鉄として、仙台市地下鉄が開業(南北線八乙女駅~富沢駅間)する詳細
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 今日は、明治時代後期の1902年(明治35)に、当時日本一の長さの鉄道トンネルだった、中央本線の笹子トンネルが貫通(開通は翌年2月1日)した日です。
 笹子トンネル(ささごとんねる)は、山梨県中央部の笹子峠の東側、中央本線笹子駅~甲斐大和駅間にある、開通当時は日本一の長さを誇った鉄道トンネルでした。中央線の敷設計画において、笹子峠は大きな難関で、1896年(明治29)に、現地測量が開始されます。
 同年12月9日にトンネル工事が着工されたものの、地質堅硬のため削岩に苦労し、自家発電設備を設け、カンテラ照明にかえて電灯照明が行われ、ダンプカー、電気機関車が使用されました。1902年(明治35)7月6日についに導坑が貫通し、付帯工事を行って、1903年(明治36)2月1日に開通(当初は単線)しましたが、当時日本一の長さ(延長4,656m)の山岳鉄道トンネルとなります。
 これは、1931年(昭和6)に上越線清水トンネル(延長9,702m)が開通するまで、29年間その座を保ちました。また、中央本線複線工事にあたり、笹子トンネルの北側に25m離れて、もう1本の新笹子トンネルが1963年(昭和38)に着工、1965年(昭和40)に開通(延長4,670m)し、上り線専用として使用されるようになり、それまでのトンネルは下り線専用となります。
 尚、笹子峠には、甲州街道(国道20号線)の山梨県大月市と大和村の間に、1958年(昭和33)に開通した道路トンネル(延長2,953m)と中央自動車道の大月インターチェンジと勝沼インターチェンジとの間に、1977年(昭和52)に開通した道路トンネル(延長4,784m)も出来ました。

〇鉄道トンネルとは?

 鉄道を通すために、山腹や地下などを掘り貫いた通路のことで、隧道(ずいどう)とも呼ばれています。日本の鉄道トンネルの第1号は、東海道本線の大阪~神戸間に、明治時代前期の1871年(明治4)に完成した石屋川トンネル(延長61m)で、イギリスからのお雇い外国人の設計によるものでした。
 1880年(明治13)には、東海道本線の大津市内にあった逢坂山トンネル(延長665m)を日本人の独力により建設します。その後、1884年(明治17)には、北陸本線の滋賀県と福井県の県境に柳ヶ瀬トンネル(延長1,320m)を完成させました。
 地形が急峻で、火山の多い国土で、軟弱地盤のある中で、トンネル技術の改良研究が発達していき、1903年(明治36)には、笹子トンネル(延長4,656m)、1931年(昭和6)には、清水トンネル(延長9,702m)、1934年(昭和9)には、丹那トンネル(延長7,804m)、1944年(昭和19)には、関門トンネル(延長3,614m)などが続々と掘削されました。
 また、太平洋戦争後になると、1962年(昭和37)に、北陸本線の北陸トンネル(延長13,870m)、1972年(昭和47)に、山陽新幹線の六甲トンネル(延長16,250m)、1980年(昭和55)に、上越新幹線の大清水トンネル(延長22,221m)などの長大トンネルが次々と建設されていきます。その頂点に立つのが1988年(昭和63)に開通した青函トンネル(延長53,850m)で、このトンネルは、鉄道トンネルとして世界第2位の長さ、海底トンネルとしては、世界一の長さと深さを保ってきました。

☆日本の鉄道トンネルの長さの推移

・1871年(明治4) 東海道本線石屋川トンネル(延長61m) 日本初の鉄道トンネル イギリスからのお雇い外国人の設計
・1880年(明治13) 東海道本線逢坂山トンネル(延長665m) 日本人の独力により建設
・1884年(明治17) 北陸本線柳ヶ瀬トンネル(延長1,320m) 滋賀県と福井県の県境
・1903年(明治36) 中央本線笹子トンネル(延長4,656m)
・1931年(昭和6) 上越線清水トンネル(延長9,702m)
・1934年(昭和9) 東海道本線丹那トンネル(延長7,804m)
・1944年(昭和19) 山陽本線関門トンネル(延長3,614m) 海底トンネル
・1962年(昭和37) 北陸本線北陸トンネル(延長13,870m)
・1967年(昭和38) 上越線新清水トンネル(延長13,490m)
・1972年(昭和47) 山陽新幹線六甲トンネル(延長16,250m)
・1975年(昭和50) 山陽新幹線新関門トンネル(延長18,713m) 海底トンネル
・1980年(昭和55) 上越新幹線の大清水トンネル(延長22,221m)
・1988年(昭和63) 北海道新幹線青函トンネル(延長53,850m) 鉄道トンネル世界第2位、海底トンネル世界一
・2010年(平成22) 東北新幹線八甲田トンネル(延長26,455m) 山岳鉄道トンネル日本一

☆日本の鉄道トンネルの長さベスト35(地下鉄線・未成線・実験線は除く)

1.青函トンネル(青森県・北海道)JR北海道新幹線[奥津軽いまべつ駅~湯の里知内(信)] 延長53,850m 1988年開通
2.八甲田トンネル(青森県)JR東北新幹線[七戸十和田駅~新青森駅] 延長26,455m 2010年開通
3.岩手一戸トンネル(岩手県)JR東北新幹線[いわて沼宮内駅~ 二戸駅] 延長25,808m 2002年開通
4.飯山トンネル(長野県・新潟県)JR北陸新幹線[飯山駅~上越妙高駅] 延長22,225m 2014年開通
5.大清水トンネル(群馬県・新潟県)JR上越新幹線[上毛高原駅~越後湯沢駅] 延長22,221m 1982年開通
6.新関門トンネル(山口県・福岡県)JR山陽新幹線[新下関駅~小倉駅] 延長18,713m 1975年開通
7.六甲トンネル(兵庫県)JR山陽新幹線[新大阪駅~新神戸駅] 延長16,250m 1972年開通
8.榛名トンネル(群馬県)JR上越新幹線[高崎駅~上毛高原駅] 延長15,350m 1982年開通
9.五里ヶ峯トンネル(長野県)JR北陸新幹線[上田駅~長野駅] 延長15,175m 1997年開通
10.中山トンネル(群馬県)JR上越新幹線[高崎駅~上毛高原駅] 延長14,857m 1982年開通
11.北陸トンネル(福井県)JR北陸本線[敦賀駅~南今庄駅] 延長13,870m 1962年開通
12.新清水トンネル(新潟県)JR上越線(下り線)[水上駅~土樽駅] 延長13,490m 1967年開通
13.安芸トンネル(広島県)JR山陽新幹線[東広島駅~広島駅] 延長13,030m 1975年開通
14.筑紫トンネル(福岡県・佐賀県)JR九州新幹線[博多駅~新鳥栖駅] 延長11,935m 2011年開通
15.北九州トンネル(福岡県)JR山陽新幹線[小倉駅~博多駅] 延長11,717m 1975年開通
16.福島トンネル(福島県)JR東北新幹線[郡山駅~福島駅] 延長11,705m 1982年開通
17.頸城トンネル(新潟県)えちごトキめき鉄道日本海ひすいライン[能生駅~名立駅] 延長11,353m 1969年開通
18.塩沢トンネル(新潟県)JR上越新幹線[越後湯沢駅~浦佐駅] 延長11,2175m 1982年開通
19.蔵王トンネル(福島県・宮城県)JR東北新幹線[福島駅~白石蔵王駅] 延長11,215m 1982年開通
20.赤倉トンネル(新潟県)北越急行ほくほく線[しんざ駅~魚沼丘陵駅] 延長10,472m 1997年開通
21.生田トンネル(神奈川県・東京都)JR武蔵野線[梶ヶ谷貨物ターミナル~府中本町] 延長10,359m 1973年開通
22.第3紫尾山トンネル(鹿児島県)JR九州新幹線 (鹿児島ルート)[出水~川内] 延長9,987m 2004年開通
23.一ノ関トンネル(岩手県)JR東北新幹線[一ノ関~北上] 延長9,730m 1982年開通
24.清水トンネル(群馬県・新潟県)上越線[土合~土樽] 延長9,702m 1963年開通
25.鍋立山トンネル(新潟県)北越急行ほくほく線[まつだい~ほくほく大島] 延長9,117m 1997年開通
26.備後トンネル(広島県)JR山陽新幹線[新尾道~三原] 延長8,900m 1975年
27.金田一トンネル(岩手県・青森県)JR東北新幹線[二戸~八戸] 延長8,725m 2002年開通
28.魚沼トンネル(新潟県)JR上越新幹線[浦佐~長岡] 延長8,625m 1982年開通
29.福岡トンネル(福岡県)JR山陽新幹線[小倉~博多] 延長8,488m 1975年開通
30.秋間トンネル(群馬県)JR北陸新幹線[安中榛名~軽井沢] 延長8,295m 1997年開通
31.三戸トンネル(青森県)JR東北新幹線[二戸~八戸] 延長8,250m 2002年開通
32.渡島当別トンネル(北海道)JR北海道新幹線[木古内~新函館北斗] 延長8,060m 2016年開通
33.神戸トンネル(兵庫県)JR山陽新幹線[新神戸~西明石] 延長7,970m 1972年開通
34.新丹那トンネル(静岡県)JR東海道新幹線[熱海~三島] 延長7,959m 1964年開通
35.丹那トンネル(静岡県)JR東海道本線[熱海~函南] 延長7,804m 1934年開通

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

723年(養老7)『古事記』の編者太安万侶の命日(新暦8月11日)詳細
1858年(安政5)江戸幕府第13代将軍徳川家定の命日(新暦8月13日)詳細
1894年(明治27)洋画家高橋由一の命日詳細
1900年(明治33)山形有朋内閣で、義和団事件(北清事変)に際し、「北清事変出兵に関する閣議決定」がなされる詳細
1932年(昭和7)作曲家遠藤実の誕生日詳細
1940年(昭和15)「奢侈品等製造販売制限規則」(七・七禁令)が交布され、翌日施行される詳細
1943年(昭和18)大政翼賛会が唱歌「みたみわれ」を発表し、この歌を中心に国民皆唱運動を展開する詳細
2018年(平成30)免疫学者石坂公成の命日詳細
2019年(平成31)大阪府の「百舌鳥・古市古墳群 -古代日本の墳墓群-」が世界遺産(文化遺産)に登録される詳細
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 今日は、明治時代後期の1900年(明治33)に、スウェーデンにおいて、ノーベル賞を主催するノーベル財団が設立された日です。
 ノーベル財団(のーべるざいだん)は、アルフレッド・ノーベル(ダイナマイトの発明者)によって創設された、彼の遺産管理とノーベル賞を主催する財団で、所在地はスウェーデン・ストックホルムです。アルフレッド・ノーベルは、1896年(明治29)12月10日に63歳でなくなりましたが、遺言において、「私のすべての換金可能な財は、次の方法で処理されなくてはならない。私の遺言執行者が安全な有価証券に投資し継続される基金を設立し、その毎年の利子について、前年に人類のために最大たる貢献をした人々に分配されるものとする」と残しました。
 彼の遺志を継ぐためにラグナル・ソールマンとルドルフ・リリェクイストがノーベル財団設立委員会を結成し、賞設立の準備を行ないます。1897年(明治30)4月には平和賞を授与するためのノルウェー・ノーベル委員会が設立され、6月7日にはカロリンスカ研究所(スウェーデン)が、6月9日にはスウェーデン・アカデミーが、6月11日にはスウェーデン王立科学アカデミーが授与機関に選定されて選考体制は整います。
 その後、1900年(明治33)に、「ノーベル財団の設立法令」がスウェーデン国王オスカル2世によって公布され、6月29日に設立されました。

〇ノーベル賞(のーべるしょう)とは?

 ダイナマイトを発明したアルフレッド・ノーベル(1833~96)の遺言と遺産によって、1901年(明治34)から始まった世界で最も権威のある賞です。
 毎年、物理学・化学・生理学および医学・文学・平和の5部門において、顕著な功績のあった人に授与されるようになりましたが、1969年(昭和44)からは、スウェーデン銀行創立300年を記念し、その寄付により経済学賞も同様に授与されるようになり、メダル・賞状・賞金がノーベルの命日に当たる12月10日に贈られてきました。賞の授与機関については、ノーベルの遺志により、物理学部門と化学部門はスウェーデン王立科学アカデミー、生理学・医学部門は王立カロリンスカ医学研究所、文学部門はスウェーデン・アカデミー、平和賞はノルウェー国会ノーベル委員会と定められ、経済学部門については、スウェーデン王立科学アカデミーが賞の授与にあたっています。
 日本人の最初の受賞者は、1949年(昭和24)物理学賞の湯川秀樹「中間子の存在の予想」で、その後、2025年(令和7)までに27名と1団体が、物理学賞(9名)、化学賞(9名)、生理学・医学賞(6名)、文学賞(2名)、平和賞(1名と1団体)にわたって受賞してきました。

☆日本人のノーベル賞受賞者一覧(受賞時に外国籍の人は除く)

<物理学賞>9名

・1949年 湯川秀樹「中間子の存在の予想」
・1965年 朝永振一郎「量子電気力学分野での基礎的研究」
・1973年 江崎玲於奈「半導体におけるトンネル効果の実験的発見」
・2002年 小柴昌俊「天体物理学、特に宇宙ニュートリノの検出に対するパイオニア的貢献」
・2008年 小林誠「小林・益川理論とCP対称性の破れの起源の発見による素粒子物理学への貢献」
・2008年 益川敏英「小林・益川理論とCP対称性の破れの起源の発見による素粒子物理学への貢献」
・2014年 赤﨑勇「高輝度で省電力の白色光源を可能にした青色発光ダイオードの発明」
・2014年 天野浩「高輝度で省電力の白色光源を可能にした青色発光ダイオードの発明」
・2015年 梶田隆章「ニュートリノが質量を持つことを示すニュートリノ振動の発見」

<化学賞>9名

・1981年 福井謙一「化学反応過程の理論的研究」
・2000年 白川英樹「導電性高分子の発見と発展」
・2001年 野依良治「キラル触媒による不斉反応の研究」
・2002年 田中耕一「生体高分子の同定および構造解析のための手法の開発」
・2008年 下村脩「緑色蛍光タンパク質 (GFP) の発見と生命科学への貢献」
・2010年 根岸英一「クロスカップリングの開発」
・2010年 鈴木章「クロスカップリングの開発」
・2019年 吉野彰「リチウムイオン二次電池の開発」
・2025年 北川進「金属有機構造体の開発」

<生理学・医学賞>6名

・1987年 利根川進「多様な抗体を生成する遺伝的原理の解明」
・2012年 山中伸弥「様々な細胞に成長できる能力を持つiPS細胞の作製」
・2015年 大村智「線虫の寄生によって引き起こされる感染症に対する新たな治療法に関する発見」
・2016年 大隅良典「オートファジーの仕組みの解明」
・2018年 本庶佑「免疫チェックポイント阻害因子の発見とがん治療への応用」
・2025年 坂口志文「末梢性免疫寛容に関する発見」

<文学賞>2名

・1968年 川端康成「『伊豆の踊子』『雪国』など、日本人の心情の本質を描いた、非常に繊細な表現による叙述の卓越さに対して」
・1994年 大江健三郎「『個人的な体験』『万延元年のフットボール』など、詩趣に富む表現力を持ち、現実と虚構が一体となった世界を創作して、読者の心に揺さぶりをかけるように現代人の苦境を浮き彫りにした功績に対して」

<平和賞>1名と1団体

・1974年 佐藤栄作「非核三原則の提唱」
・2024年 日本原水爆被害者団体協議会「核兵器のない世界を実現するための努力と、目撃証言を通じて核兵器が二度と使用されてはならないことを実証したことに対して」

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1801年(享和元)折衷学派の儒者細井平洲の命日(新暦8月8日)詳細
1866年(慶応2)洋画家・政治家黒田清輝の誕生日(新暦8月9日)詳細
1868年(慶応4)明治新政府が江戸幕府の昌平坂学問所を昌平学校として復興する(新暦8月17日)詳細
1903年(明治36)作曲家瀧廉太郎の命日(廉太郎忌)詳細
1915年(大正4)インダストリアルデザイナー柳宗理の誕生日詳細
1928年(昭和3)「治安維持法」改正で、緊急勅令「治安維持法中改正ノ件」が公布・施行され、最高刑を死刑とする詳細
1929年(昭和4)評論家・翻訳家・小説家内田魯庵の命日詳細
1945年(昭和20)岡山空襲で岡山城が焼失する(家屋12,693棟被災、死者が1,737人)詳細
1946年(昭和21)GHQから「地理授業再開に関する覚書」(SCAPIN-1046)が指令される詳細
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