
復員船〈ふくいんせん〉は、太平洋戦争終結後、海外に残置された日本人を本土に帰還させるために使用された艦船のことで、復員輸送艦または復員輸送船とも言われています。1945年〈昭和20〉の太平洋戦争敗戦後、アジア各地や太平洋の島々には、約600万人以上の軍人、軍属、民間人が残されていて、その日本への帰還は急務の問題となりました。
しかし、戦争で日本の商船は、壊滅状態だったので、日本海軍の残存艦艇で航行可能なものとアメリカ海軍から供与されたリバティ船やLST等、各100隻が復員船として使用されます。その中で、9月26日に最初の復員船・高砂丸が、中部太平洋メレヨン島からの復員兵1,628人を乗せて別府港に入港しました。
また、10月7日には、氷川丸が餓死寸前の傷病兵2,000余名を収容し、浦賀港に帰還して、本格化し、翌年の春~8月がピークとなります。その後は、艦船数を徐々に減らしていき、1947年(昭和22)1月には、氷川丸が復員船業務をやめ、夏頃まで続けられました。
しかし、戦争で日本の商船は、壊滅状態だったので、日本海軍の残存艦艇で航行可能なものとアメリカ海軍から供与されたリバティ船やLST等、各100隻が復員船として使用されます。その中で、9月26日に最初の復員船・高砂丸が、中部太平洋メレヨン島からの復員兵1,628人を乗せて別府港に入港しました。
また、10月7日には、氷川丸が餓死寸前の傷病兵2,000余名を収容し、浦賀港に帰還して、本格化し、翌年の春~8月がピークとなります。その後は、艦船数を徐々に減らしていき、1947年(昭和22)1月には、氷川丸が復員船業務をやめ、夏頃まで続けられました。
〇復員船関係略年表
<1945年〈昭和20〉>
・9月15日 京都府の舞鶴港で終戦を迎えた氷川丸が復員船として、マーシャル諸島ミレ島に向けて出港する
・9月26日 最初の復員船・高砂丸が、中部太平洋メレヨン島からの復員兵1,628人を乗せて別府港に入港する
・9月28日 氷川丸が珊瑚礁に囲まれたマーシャル諸島ミレ島に到着する
・10月 復員船帰国が本格化する
・10月7日 氷川丸が餓死寸前の傷病兵2000余名を収容し、浦賀港に帰還する
・11月29日 有馬山丸がマニラから出発する第2回の復員船として、陸軍軍人329名、海軍軍人102名、民間人71名の合計502名と、3名の遺骨を乗せて、浦賀に到着する
<1946年〈昭和21〉>
・春~8月 復員船帰国がピークとなる
<1947年(昭和22)>
・1月 氷川丸が復員船業務をやめる
・夏 復員船による帰還が終了する
〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)
〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)
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