
西成線列車脱線火災事故(にしなりせんれっしゃだっせんかさいじこ)は、昭和時代前期の1940年(昭和15)1月29日午前6時56分に、大阪府大阪市此花区の鉄道省西成線(現在のJR西日本桜島線)安治川口駅構内において発生した列車脱線転覆火災事故です。駅員の誤操作により列車通過中にポイントが転換したため、通勤客で満員のガソリン動車(ガソリンカー)3両編成のうち最後尾の1両(キハ42000形42056号車)が2対のレールにまたがったまま走行し、踏切付近の構築物に衝突して脱線・転覆しました。
これにより、燃料のガソリンへの引火で、火災が発生して満員のまま横転し、車両から乗客らの脱出が困難になり、死者189人、重軽傷者69人を出す大惨事となります。通常は、ポイントを列車が通過中は切り替えが出来ないように鎖錠装置が付いていますが、当時の西成線(現桜島線)には取り付けられていませんでした。
この事故が契機となって、気動車の動力がガソリンエンジンからディーゼルエンジンへと切り替えが進められることとなります。尚、1963年(昭和38)4月15日に、安治川口駅前の道路際に、「南無阿弥陀仏慰霊碑」が建立されました。
これにより、燃料のガソリンへの引火で、火災が発生して満員のまま横転し、車両から乗客らの脱出が困難になり、死者189人、重軽傷者69人を出す大惨事となります。通常は、ポイントを列車が通過中は切り替えが出来ないように鎖錠装置が付いていますが、当時の西成線(現桜島線)には取り付けられていませんでした。
この事故が契機となって、気動車の動力がガソリンエンジンからディーゼルエンジンへと切り替えが進められることとなります。尚、1963年(昭和38)4月15日に、安治川口駅前の道路際に、「南無阿弥陀仏慰霊碑」が建立されました。
〇昭和・平成時代の列車大事故(死者100人以上)
・1940年(昭和15)1月29日 西成線列車脱線火災事故(死者189人・負傷者89人)
・1943年(昭和18)10月26日 常磐線土浦駅列車衝突事故(死者110人・負傷者107人)
・1944年(昭和19)12月11日 沖縄県営鉄道輸送弾薬爆発事故(死者約220人)
・1945年(昭和20)8月24日 八高線列車正面衝突事故(死者105人・負傷者約150人)
・1947年(昭和22)2月25日 八高線列車脱線転覆事故(死者184人・負傷者495人)
・1951年(昭和26)4月24日 桜木町電車火災事故(死者106人・負傷者92人)
・1962年(昭和37)5月3日 三河島三重衝突事故(死者160人・負傷者296人)
・1963年(昭和38)11月9日 鶴見三重衝突事故(死者161人・負傷者120人)
・2005年(平成17)4月25日 宝塚線(福知山線)脱線転覆事故(死者107人・負傷者562人)
〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)
〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)
| 1293年(正応6) | 南北朝時代の公卿・武将・学者北畠親房の誕生日(新暦3月8日) | 詳細 | |||||
| 1634年(寛永11) | 江戸幕府が、各藩邸から出動して江戸市内の消火にあたる大名火消設置する(新暦2月26日) | 詳細 | |||||
| 1879年(明治12) | 日本が国際電信連合(現在の国際電気通信連合)に加盟する | 詳細 | |||||
| 1905年(明治38) | 週刊「平民新聞」第64号が赤字で発行され、「終刊の辞」が掲載されて廃刊となる | 詳細 | |||||
| 1944年(昭和19) | 「中央公論」、「改造」の編集者が検挙され、横浜事件の一つ「中央公論・改造事件」の発端となる | 詳細 | |||||
| 1946年(昭和21) | GHQが「日本の行政権の行使に関する範囲の指令」(SCAPIN-677)を出す | 詳細 | |||||
| 1991年(平成3) | 小説家井上靖の命日 | 詳細 | |||||
| 2019年(平成31) | 小説家・評論家・随筆家橋本治の命日 | 詳細 | |||||



