
鹿児島大空襲(かごしまだいくうしゅう)は、昭和時代前期の太平洋戦争末期、1945年(昭和20)6月17日にアメリカ軍によって行われた、鹿児島市周辺に対する最大規模の空襲でした。この日、マリアナ諸島から発進したB-29爆撃機117機は、深夜午後11時から1時間半以上にわたり、焼夷弾810トン、推定13万発を投下します。
これによって、市街の44.1%が破壊され、約11,600戸が被災し、被災人口66,134人に及び、死者2,316人、負傷者3,500人が出ました。これ以外にも、7回(3月18日、4月8日、4月21日、5月12日、7月27日、7月31日、8月6日)の空襲があり、合計で死者3,329人、負傷者4,633人の大きな被害を出しています。
これを慰霊するため、1971年(昭和46)に、みなと大通り公園に民間人犠牲者の慰霊碑「人間之碑」が立てられ、毎年6月17日に献花式が行われてきました。
これによって、市街の44.1%が破壊され、約11,600戸が被災し、被災人口66,134人に及び、死者2,316人、負傷者3,500人が出ました。これ以外にも、7回(3月18日、4月8日、4月21日、5月12日、7月27日、7月31日、8月6日)の空襲があり、合計で死者3,329人、負傷者4,633人の大きな被害を出しています。
これを慰霊するため、1971年(昭和46)に、みなと大通り公園に民間人犠牲者の慰霊碑「人間之碑」が立てられ、毎年6月17日に献花式が行われてきました。
〇太平洋戦争下の主要な空襲一覧
<1942年(昭和17)>
・4月18日 東京、名古屋、神戸などが初空襲される(ドウリットル指揮の16機の米陸軍機B-25による)
<1944年(昭和19)>
・11月24日 B-29による初めての東京空襲が行われる
<1945年(昭和20)>
・1月19日 阪神地方へ初の本格的空襲が行われる
・3月10日 東京大空襲か行われ、死傷10万人以上、焼失27万余戸、罹災100余万人が出る
・3月12日 名古屋大空襲で中心街が焼失する(家屋25,734棟棟被災、105,093人罹災、死者519人、負傷者負傷者734人)
・3月13~14日 大阪へ初の大空襲が行われる
・3月17日 神戸大空襲が行われ神戸市西部が消失する(約65,000棟が全半焼、死者2,598人)
・3月19日 名古屋大空襲で名古屋駅が炎上する(家屋39,893棟被災、151,332人罹災、死者826人、負傷者2,728人)
・3月29日 北九州が空襲される
・4月4日 川崎の他鶴見・港北・神奈川・西各区が空襲を受ける(罹災戸数5,873戸、死者398人)
・4月13日 東京空襲(西部地域)が行われる
・4月15日 東京・横浜・川崎の空襲が行われる(罹災住宅5万2655戸、死者972人)
・5月14日 名古屋空襲で名古屋城が焼失する(家屋21,905棟被災、66,585人罹災、死者338人、負傷者783人)
・5月24日 東京へ250機来襲し、皇居が炎上する
・5月25~26日 東京空襲(山手地域)が行われる
・5月29日 京浜へ600機来襲し、川崎、横浜が被災(横浜大空襲)する(死者3,650人、重軽傷者10,198人、行方不明309人)
・6月1日 大阪、尼崎等へ400機来襲する
・6月5日 兵庫県神戸市へ350機来襲する(西部の神戸市垂水区から東部の西宮市まで広範囲が爆撃される)
・6月7日 大阪周辺へ250機来襲する
・6月17日 鹿児島大空襲が行われ、被災人口66,134人 被災戸数11,649戸に及び、死者2,316人、負傷者3,500人が出る
・6月19~20日 静岡大空襲で旧静岡市の中心部が焼失する(焼失家屋26,891戸、被災者114,000人、死者1,952人)
・6月29日 岡山空襲で岡山城が焼失する(家屋12,693棟被災、死者が1,737人)
・7月9日 和歌山大空襲で和歌山城が消失する(焼失家屋31,137戸、被災者113,548人、死者・行方不明者1,424人)
・7月14日 青函連絡船の翔鳳丸など9隻が米艦載機の攻撃を受けて沈没する
・8月5日 B-29爆撃機92機が前橋市・高崎市を空襲し、死傷者1,323人が出る
・8月6日 B-29が広島に原子爆弾を投下し、市街地は廃墟と化し、20万人以上の人命が喪われる
・8月7日 愛知県の豊川海軍工廠が爆撃され女子挺身隊員・国民学校児童ら2,477人の死者を出す
・8月8日 福山大空襲で福山城が消失する(焼失家屋数10,179戸、被災者数47,326人、死者354人)
・8月9日 B-29が長崎にも原子爆弾を投下し、市街地は廃墟と化し、8万人弱の人命が喪われる
〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)
〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)
1854年(嘉永7) | 琉球王国とアメリカ合衆国との間で、「琉米修好条約」が締結される(新暦7月11日) | 詳細 |
1857年(安政4) | 江戸幕末の老中・備後福山藩主阿部正弘の命日(新暦8月6日) | 詳細 |
1869年(明治2) | 薩長土肥4藩が願い出た版籍奉還を許可し、藩主を知藩事に任命(新暦7月25日) | 詳細 |
「公卿諸侯ノ稱ヲ廢シ改テ華族ト稱ス」(明治2年6月17日太政官達)が出される(新暦7月25日) | 詳細 | |
1959年(昭和34) | 首都高速道路公団が設立される | 詳細 |
1960年(昭和35) | 東京の新聞社7社が安保問題で「暴力を排し議会主議を守れ」とアピールする七社共同声明を出す | 詳細 |
1980年(昭和55) | 釧路湿原が日本で初めて「ラムサール条約」の登録湿地になる | 詳細 |
1994年(平成6) | 「国連砂漠化対処条約」がフランスのパリで、採択される(砂漠化および干ばつと闘う国際デー) | 詳細 |