ガウスの歴史を巡るブログ(その日にあった過去の出来事)

 学生時代からの大の旅行好きで、日本中を旅して回りました。その中でいろいろと歴史に関わる所を巡ってきましたが、日々に関わる歴史上の出来事や感想を紹介します。Yahooブログ閉鎖に伴い、こちらに移動しました。

カテゴリ: 令和時代

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 今日は、令和時代の2024年(令和6)に、ユネスコ世界無形文化遺産が発表され、日本の伝統的酒造りが選出された日です。
 無形文化遺産(むけいぶんかいさん)は、2006年(平成18)発効の「無形文化遺産保護条約」に基づき、国連教育科学文化機関(ユネスコ)が登録、保護する、世界各地の芸能、口承文学、社会的な習慣や儀式・祭事、自然に関する知識や慣習、伝統工芸技術などの様々な無形の伝統文化遺産のことです。歴史的建造物や自然環境を対象とする「世界遺産」、文書や絵画が対象の「世界の記憶」(世界記憶遺産)と並ぶユネスコ三大遺産の一つとされてきました。
 締約国から選ばれた24カ国の政府間委員会が、評価機関の事前審査による勧告を踏まえ、登録の可否を決めていて、文化の多様性を示していることや、国内の保護措置が取られていることなどが条件とされます。2024年(令和6)12月現在で、150カ国の788件が登録されていいて、このうち日本は能楽や歌舞伎、和食など23件となりました。

〇代表一覧表に登録された日本の無形文化遺産(2024年12月現在)

・能楽(2008年)
・人形浄瑠璃文楽(2008年)
・歌舞伎(2008年)
・雅楽(2009年)
・小千谷縮・越後上布(2009年)
・奥能登のあえのこと(2009年)
・早池峰神楽(2009年)
・秋保の田植踊(2009年)
・大日堂舞楽(2009年)
・題目立(2009年)
・アイヌ古式舞踊(2009年)
・組踊(2010年)
・結城紬(2010年)
・壬生の花田植(2011年)
・佐陀神能(2011年)
・那智の田楽(2012年)
・和食;日本人の伝統的な食文化(2013年)
・和紙:日本の手漉和紙技術[構成/石州半紙、本美濃紙、細川紙](2014年)
・山・鉾・屋台行事(2016年)
・来訪神:仮面・仮装の神々(2018年)
・伝統建築工匠の技:木造建造物を受け継ぐための伝統技術(2020年)
・風流踊(2022年)
・伝統的酒造り(2024年)

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

782年(延暦元)桓武天皇が、国司交替に際しての不正を正し、勘解状の徹底を命じる(新暦783年1月11日)詳細
1027年(万寿4)公卿藤原道長の命日(新暦1028年1月3日)詳細
1934年(昭和9)日本の国立公園の第2陣として、5ヶ所(大雪山・阿寒・中部山岳・阿蘇)が指定される詳細
1942年(昭和17)小説家中島敦の命日詳細
1945年(昭和20)幣原喜重郎内閣において、「女子教育刷新要綱」を閣議了解する詳細
1965年(昭和40)日本科学者会議が結成される詳細
1961年(昭和36)歴史学者・思想史家津田左右吉の命日詳細
2010年(平成22)八戸駅~新青森駅間が延伸開業し、東北新幹線が全線開業する詳細
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 今日は、令和時代の2024年(令和6)に、新潟県佐渡市の「佐渡島の金山」が世界遺産(文化遺産)に登録された日です。
 「佐渡島の金山」(さどのきんざん)は、新潟県佐渡市にある、西三川砂金山と相川鶴子金銀山とからなる、金山を主体とした鉱山にまつわる産業遺産です。これは、17世紀における世界最大の金生産地であり、西欧の進出によって世界中の鉱山で機械化が進む16~19世紀にかけて、伝統的手工業による生産技術とそれに適した生産体制を各鉱山の特性に応じて進化させた金生産システムを示すものでした。
 2007年(平成19)に行われた世界遺産(文化遺産)候補地公募を経て、2010年(平成22)にユネスコ世界遺産センターの暫定リストに掲載され、正式推薦へ向け複数回にわたり文化庁へ推薦書原案が提出されます。しかし、文化審議会による国内選考で選ばれることがなく、2021年(令和3)末になって、ようやく2023年(令和5)開催予定の世界遺産委員会での審査候補に選定され、2022年2月1日に政府が推薦を実行しました。
 ところが、推薦書記載内容に不備があるとユネスコから指摘され、改めて2024年の審査を目指すこととなり、ユネスコの諮問機関国際記念物遺跡会議(ICOMOS)による現地調査を経て、保留扱いとなります。ようやく、2024年(令和6)7月27日の第46回世界遺産委員会において登録が決まりました。
 登録基準は④「人類の歴史上重要な時代を例証する建築様式、建築物群、技術の集積または景観の優れた例。」であり、構成遺産は、西三川砂金山、相川鶴子金銀山-相川金銀山、相川鶴子金銀山-鶴子銀山となっています。

〇世界遺産とは?

 昭和時代後期の1972年(昭和47)のユネスコ総会で採択された「世界の文化遺産及び自然遺産の保護に関する条約」(世界遺産条約)に基づいて世界遺産リストに登録された、遺跡、景観、自然など、人類が共有すべき「顕著な普遍的価値」を持つ物件のことです。移動が不可能な不動産やそれに準ずるものが対象となっていて、文化遺産、自然遺産、複合遺産の3つの種類がありました。
 文化遺産は、顕著な普遍的価値を有する記念物、建造物群、遺跡、文科的景観などで、自然遺産は、顕著な普遍的価値を有する地形や地質、生態系、絶滅のおそれのある動植物の生態・生育地などで、複合遺産は、文化遺産と自然遺産の両方の価値を兼ね備えているものとなっています。世界遺産リストに登録されるためには、「世界遺産条約履行のための作業指針」で示されている下記の登録基準のいずれか1つ以上に合致するとともに、真実性(オーセンティシティ)や完全性(インテグリティ)の条件を満たし、締約国の国内法によって、適切な保護管理体制がとられていることが必要とされてきました。
 日本では、1993年(平成5)12月9日に、自然遺産として、屋久島(鹿児島県)と白神山地(青森県、秋田県)、文化遺産として、「法隆寺地域の仏教建造物」(奈良県生駒郡斑鳩町)と「姫路城」(兵庫県姫路市)の4件が登録されたのを最初として、順次増やされていき、2024年末現在で26件(文化遺産:21件、自然遺産:5件)が登録されています。

☆日本の世界遺産一覧(26件)

<文化遺産> 
・法隆寺地域の仏教建造物(奈良県生駒郡斑鳩町) 登録基準①②④⑥―1993年(平成5)12月登録 
【構成遺産】法隆寺、法起寺 
・姫路城(兵庫県姫路市) 登録基準①④―1993年(平成5)12月登録 
【構成遺産】姫路城 
・古都京都の文化財(京都府、滋賀県)登録基準②④―1994年(平成6)12月登録 
【構成遺産】賀茂別雷神社(上賀茂神社)、賀茂御祖神社(下鴨神社)、教王護国寺(東寺)、清水寺、延暦寺、醍醐寺、仁和寺(別称・御室御所)、平等院、宇治上神社、高山寺、西芳寺(別称・苔寺)、天龍寺、鹿苑寺(相国寺塔頭、別称・金閣寺)、慈照寺(相国寺塔頭、別称・銀閣寺)、龍安寺(妙心寺塔頭)、西本願寺(本願寺)、二条城 
・白川郷・五箇山の合掌造り集落(富山県、岐阜県)登録基準④⑤―1995年(平成7)12月登録 
【構成遺産】白川郷荻町集落、五箇山相倉集落、五箇山菅沼集落 
・原爆ドーム(広島県広島市) 登録基準⑥―1996年(平成8)12月 
【構成遺産】原爆ドーム 
・厳島神社(広島県廿日市市) 登録基準①②④⑥―1996年(平成8)12月登録 
【構成遺産】厳島神社 
・古都奈良の文化財(奈良県奈良市) 登録基準②③④⑥―1998年(平成10)12月登録 
【構成遺産】東大寺、興福寺、春日大社、元興寺、薬師寺、唐招提寺、平城宮跡、春日山原始林 
・日光の社寺(栃木県日光市) 登録基準①④⑥―1999年(平成11)12月登録 
【構成遺産】日光東照宮、日光二荒山神社(別宮本宮神社、別宮滝尾神社を含む)、日光山輪王寺 
・琉球王国のグスク及び関連遺産群(沖縄県) 登録基準②③⑥―2000年(平成12)12月登録 
【構成遺産】今帰仁城跡、座喜味城跡、勝連城跡、中城城跡、首里城跡、園比屋武御嶽石門、玉陵、識名園、斎場御嶽 
・紀伊山地の霊場と参詣道(和歌山県、奈良県、三重県) 登録基準②③④⑥―2004年(平成16)7月登録 
【構成遺産】吉野・大峯(吉野山、吉野水分神社、金峯神社、金峯山寺、吉水神社、大峰山寺)、熊野三山(熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社、青岸渡寺、那智大滝、那智原始林、補陀洛山寺)、高野山(丹生都比売神社、金剛峯寺、慈尊院、丹生官省符神社)、参詣道(大峯奥駈道、熊野参詣道、高野山町石道) 
・石見銀山遺跡とその文化的景観(島根県大田市) 登録基準②③⑤―2007年(平成19)6月登録 
【構成遺産】銀鉱山跡と鉱山町(銀山柵内、代官所跡、矢滝城跡、矢筈城跡、 石見城跡、大森銀山伝統的重要建造物群保存地区、宮ノ前地区、重要文化財 熊谷家住宅、羅漢寺五百羅漢、佐毘売山神社)、石見銀山街道(鞆ヶ浦道、温泉津沖泊道)、港と港町(鞆ヶ浦、沖泊、温泉津重要伝統的建造物群保存地区)、その他周辺(石見銀山処刑場、千人壷、胴地蔵、人切岩) 
・平泉―仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群―(岩手県西磐井郡平泉町) 登録基準②⑥―2011年(平成23)6月登録 
【構成遺産】中尊寺、毛越寺、観自在王院跡、無量光院跡、金鶏山 
・富士山―信仰の対象と芸術の源泉(静岡県、山梨県) 登録基準③⑥―2013年(平成25)6月登録 
【構成遺産】富士山域(山頂の信仰遺跡群、大宮・村山口登山道、須山口登山道、須走口登山道、吉田口登山道、北口本宮冨士浅間神社、西湖、精進湖、本栖湖、青木ヶ原樹海)、富士山本宮浅間大社、山宮浅間神社、村山浅間神社、須山浅間神社、冨士浅間神社(須走浅間神社)、河口浅間神社 、冨士御室浅間神社、御師住宅(旧外川家住宅)、御師住宅(小佐野家住宅)、山中湖、河口湖、忍野八海(出口池)、忍野八海(お釜池)、忍野八海(底抜池)、忍野八海(銚子池)、忍野八海(湧池)、忍野八海(濁池)、忍野八海(鏡池)、忍野八海(菖蒲池)、船津胎内樹型、吉田胎内樹型、人穴富士講遺跡、白糸ノ滝、三保松原 
・富岡製糸場と絹産業遺産群(群馬県) 登録基準②④―2014年(平成26)6月登録 
【構成遺産】富岡製糸場、田島弥平旧宅、高山社跡、荒船風穴 
・明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業(山口県、鹿児島県、静岡県、岩手県他) 登録基準②④―2015年(平成27)7月登録 
【構成遺産】萩反射炉・恵美須ヶ鼻造船所跡・大板山たたら製鉄遺跡・萩城下町・松下村塾(山口県萩市)、旧集成館・寺山炭窯跡・関吉の疎水溝(鹿児島県鹿児島市)、韮山反射炉(静岡県伊豆の国市)、橋野鉄鉱山(岩手県釜石市)、三重津海軍所跡(佐賀県佐賀市)、小菅修船場、三菱長崎造船所 第三船渠・長崎造船所 ジャイアントカンチレバークレーン・長崎造船所旧木型場・長崎造船所 占勝閣・高島炭鉱・端島炭鉱・旧グラバー住宅(長崎県長崎市)、三角西(旧)港(熊本県宇城市)、三池炭鉱 三池港(福岡県・熊本県)、官営八幡製鐵所(福岡県北九州市)、遠賀川水源地ポンプ室(福岡県中間市) 
・ル・コルビュジエの建築作品-近代建築運動への顕著な貢献-(東京都台東区) 登録基準①②⑥―2016年(平成28)7月登録 
【構成遺産】国立西洋美術館本館 
・「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群(福岡県宗像市、福津市) 登録基準②③―2017年(平成29)7月登録 
【構成遺産】沖ノ島、小屋島、御門柱、天狗岩、宗像大社沖津宮遙拝所、宗像大社中津宮、宗像大社辺津宮(福岡県宗像市)、新原・奴山古墳群(福岡県福津市)
・長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産(長崎県、熊本県) 登録基準③―2018年(平成30)6月登録 
【構成遺産】大浦天主堂・外海の出津集落・外海の大野集落(長崎県長崎市)、原城跡(長崎県南島原市)、黒島の集落(長崎県佐世保市)、平戸島の聖地と集落=安満岳と春日集落・中江ノ島(長崎県平戸市)、野崎島の集落跡(長崎県北松浦郡小値賀町)、頭ヶ島の集落(長崎県南松浦郡新上五島町)、久賀島の集落・奈留島の江上集落(長崎県五島市)、天草の﨑津集落(熊本県天草市) 
・百舌鳥・古市古墳群 -古代日本の墳墓群(大阪府) 登録基準③④―2019年(平成31)7月登録
【構成遺産】大仙陵古墳、田出井山古墳、長塚古墳、永山古墳、丸保山古墳、銭塚古墳、大安寺山古墳、竜佐山古墳、収塚古墳、茶山古墳、孫太夫山古墳、菰山塚古墳、七観音古墳、塚廻古墳、銅亀山古墳、源右衛門山古墳(大阪府堺市堺区)、上石津ミサンザイ古墳、寺山南山古墳(大阪府堺市西区)、ニサンザイ古墳、御廟山古墳、いたすけ古墳、旗塚古墳、善右ヱ門山古墳(大阪府堺市北区)、誉田御廟山古墳、墓山古墳、白鳥陵古墳、二ツ塚古墳、峯ヶ塚古墳、向墓山古墳、誉田丸山古墳、西馬塚古墳、栗塚古墳、東馬塚古墳(大阪府羽曳野市)、仲ツ山古墳、岡ミサンザイ古墳、市ノ山古墳、津堂城山古墳、古室山古墳、大鳥塚古墳、はざみ山古墳、鍋塚古墳、浄元寺山古墳、青山古墳、鉢塚古墳、東山古墳、八島塚古墳、中山塚古墳、野中古墳、助太山古墳(大阪府藤井寺市)
・北海道・北東北の縄文遺跡群(北海道、青森県、岩手県、秋田県) 登録基準③⑤―2021年(令和3)7月登録
【構成遺産】キウス周堤墓群(北海道千歳市)、北黄金貝塚(北海道伊達市)、入江・高砂貝塚(北海道洞爺湖町)、大船遺跡(北海道函館市)、垣ノ島遺跡(北海道函館市)、三内丸山遺跡(青森県青森市)、小牧野遺跡(青森県青森市)、是川遺跡(青森県八戸市)、亀ヶ岡石器時代遺跡(青森県つがる市)、田小屋野貝塚(青森県つがる市)、大森勝山遺跡(青森県弘前市)、二ツ森貝塚(青森県七戸町)、大平山元I遺跡(青森県外ヶ浜町)、御所野遺跡(岩手県一戸町)、大湯環状列石(秋田県鹿角市)、伊勢堂岱遺跡(秋田県北秋田市)
・佐渡島の金山(新潟県佐渡市) 登録基準④―2024年(令和6)7月登録
【構成遺産】西三川砂金山、相川鶴子金銀山-相川金銀山、相川鶴子金銀山-鶴子銀山

<自然遺産>  
・屋久島(鹿児島県熊毛郡屋久島町) 登録基準⑦⑨―1993年(平成5)12月登録 
・白神山地(青森県、秋田県) 登録基準⑨―1993年(平成5)12月登録 
・知床(北海道) 登録基準⑨⑩―2005年(平成17)7月登録 
・小笠原諸島(東京都小笠原村) 登録基準⑨―2011年(平成23)6月登録
・奄美大島、徳之島、沖縄島北部及び西表島(鹿児島県、沖縄県) 登録基準⑩―2021年(令和3)7月登録 

(登録基準の内容)
① 人類の創造的才能を表現する傑作。
② ある期間を通じてまたはある文化圏において、建築、技術、記念碑的芸術、都市計画、景観デザインの発展に関し、人類の価値の重要な交流を示すもの。
③ 現存するまたは消滅した文化的伝統または文明の、唯一のまたは少なくとも稀な証拠。
④ 人類の歴史上重要な時代を例証する建築様式、建築物群、技術の集積または景観の優れた例。
⑤ ある文化(または複数の文化)を代表する伝統的集落、あるいは陸上ないし海上利用の際立った例。もしくは特に不可逆的な変化の中で存続が危ぶまれている人と環境の関わりあいの際立った例。
⑥ 顕著で普遍的な意義を有する出来事、現存する伝統、思想、信仰または芸術的、文学的作品と直接にまたは明白に関連するもの(この基準は他の基準と組み合わせて用いるのが望ましいと世界遺産委員会は考えている)。
⑦ ひときわすぐれた自然美及び美的な重要性をもつ最高の自然現象または地域を含むもの。
⑧ 地球の歴史上の主要な段階を示す顕著な見本であるもの。これには生物の記録、地形の発達における重要な地学的進行過程、重要な地形的特性、自然地理的特性などが含まれる。
⑨ 陸上、淡水、沿岸および海洋生態系と動植物群集の進化と発達において進行しつつある重要な生態学的、生物学的プロセスを示す顕著な見本であるもの。
⑩ 生物多様性の本来的保全にとって、もっとも重要かつ意義深い自然生息地を含んでいるもの。これには科学上または保全上の観点から、すぐれて普遍的価値を持つ絶滅の恐れのある種の生息地などが含まれる。

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1471年(文明3)浄土真宗中興の祖・蓮如が越前に吉崎御坊を建てる(新暦8月13日)詳細
1719年(享保4)幕臣・大名・老中田沼意次の誕生日(新暦9月11日)詳細
1835年(天保6)日本画家橋本雅邦の誕生日(新暦8月21日)詳細
1940年(昭和15)大本営政府連絡会議において、「世界情勢ノ推移ニ伴フ時局処理要綱」が決定される詳細
1970年(昭和45)東京都で光化学スモッグ注意報・警報の発令体制が開始される詳細
1976年(昭和51)田中角榮前首相がロッキード事件で東京地検に逮捕される詳細
1986年(昭和61)遺伝学者木原均の命日詳細
1995年(平成7)人吉仮出入口~えびのIC間の開通(暫定2車線)により、九州自動車道が全線開通する詳細
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 今日は、令和時代の2023年(令和5)に、教育者・禅宗の僧侶無着成恭が亡くなった日です。
 無着成恭(むちゃく せいきょう)は、昭和時代前期の1927年(昭和2)3月31日に、山形県南村山郡本沢村(現在の山形市本沢)の沢泉寺の長男として生まれました。山形県立山形中学校(現在の山形県立山形東高等学校)を経て、1948年(昭和23)には、 山形師範学校(現在の山形大学地域教育文化学部)を卒業し、山形県南村山郡山元村立山元中学校(僻地1級校)に国語教師として赴任します。
 須藤克三からの助言を得て、「生活綴方運動」に取り組み、1950年(昭和25)には、クラス文集『きかんしゃ』所収の「母の死とその後」(江口江一作)が日教組文集コンクールで文部大臣賞を受賞しました。1951年(昭和26)にクラス文集を『山びこ学校:山形県山元村中学校生徒の生活記録』として刊行し、ベストセラーとなり、翌年には、今井正監督によって映画化されたものの、地元の恥を世間にさらしたとして、村から追放されます。
 1953年(昭和28)に上京して、駒澤大学仏教学部に編入し、1955年(昭和30)には、第1回斎藤茂吉文化賞を受賞しました。卒業後、1956年(昭和31)に東京にある私立明星学園教諭に就任し、その後、教頭に昇格、教育科学研究会・国語部会のメンバーとして、科学的・体系的な言語教育に没頭します。
 一方で、1964年(昭和39)からTBSラジオ「全国こども電話相談室」のレギュラー回答者として出演を開始し、28年間務めました。1970年(昭和45)に『続・山びこ学校』を刊行、1979年(昭和54)には、第3回正力松太郎賞を受賞しています。
 1983年(昭和58)に私立明星学園を退職し、1987年(昭和62)には、千葉県の一鍬山福泉寺の住職に就任、人間道場と名づけて独自の民間教育を行いました。2001年(平成13)には、カンボジア・シハヌーク国王から「国家再建勲一等功労賞」を授与されています。
 2003年(平成15)に大分県国東市の泉福寺に転任し、2004年(平成16)には、山形県上山市立山元小中学校に「山びこ学校」石碑が建立されました。2011年(平成23)に妻が寝たきりとなり介護が必要となったため、大分県別府市鉄輪温泉の高齢者向けマンションに移ります。
 2023年(令和5)7月21日に、千葉県香取郡多古町の病院において、敗血症性ショックのため、96歳で亡くなりました。

<主要な著作>

・編著『山びこ学校』(1951年)
・『教育ノート』(1959年)
・『ぼくの青年時代』(1960年)
・『第2教育ノート』(1963年)
・編著『続・山びこ学校』(1970年)
・『無着成恭の詩の授業』(1982年)
・『無着成恭の昭和教育論』(1989年)

〇『山びこ学校』(やまびこがっこう)とは?

 山形県南村山郡山元村(現在の上山市)の中学校教師だった、無着成恭(むちゃくせいきょう)が、教え子の中学生たちの詩・作文・日記などをまとめた生活記録文集で、1951年(昭和26)3月5日に青銅社から刊行されています。正式名称は、『山びこ学校―山形県山元村中学校生徒の生活記録』で、山元中学校の学級文集『きかんしゃ』の作品を中心に編まれたもので、学級全員43名の散文、詩、日記、版画などが収められていました。
 日教組文集コンクールで文部大臣賞を受賞した江口江一の作文「母の死とその後」などが収録されていて、農山村の生活に密着した学習を展開するなかで生まれたもので、戦後の「生活綴り方運動」復活の契機となったとされてきました。この本は刊行直後の2年間で、18刷を重ね12万部を売り上げ、教育界のみならず、文学、芸術、思想にわたる社会的関心を呼び起こします。
 1952年(昭和27)には、監督:今井正、脚本:八木保太郎で映画化され、舞台でも取り上げられ、翻訳もされています。

☆無着成恭関係略年表

・1927年(昭和2)3月31日 山形県南村山郡本沢村(現在の山形市本沢)沢泉寺の長男として生まれる
・1948年(昭和23)  山形師範学校(現在の山形大学地域教育文化学部)卒業し、山形県南村山郡山元村立山元中学校(僻地1級校)に赴任する
・1950年(昭和25) クラス文集『きかんしゃ』所収の「母の死とその後」(江口江一作)が日教組文集コンクールで文部大臣賞を受賞する
・1951年(昭和26) クラス文集を『山びこ学校:山形県山元村中学校生徒の生活記録』として刊行し、ベストセラーとなる
・1952年(昭和27) 『山びこ学校』が今井正監督によって映画化されるが、地元の恥を世間にさらしたとして、村から追放される
・1953年(昭和28) 上京して、駒澤大学仏教学部に編入する
・1955年(昭和30) 第1回斎藤茂吉文化賞を受賞する
・1956年(昭和31) 私立明星学園教諭に就任する
・1964年(昭和39) TBSラジオ「全国こども電話相談室」のレギュラー回答者として出演を開始(28年間務める)する
・1970年(昭和45) 『続・山びこ学校』を刊行する
・1979年(昭和54) 第3回正力松太郎賞を受賞する
・1983年(昭和58) 私立明星学園を退職する
・1987年(昭和62) 千葉県の一鍬山福泉寺の住職に就任する
・2001年(平成13) カンボジア・シハヌーク国王から「国家再建勲一等功労賞」を授与される
・2003年(平成15) 大分県国東市の泉福寺に転任する
・2004年(平成16) 山形県上山市立山元小中学校に「山びこ学校」石碑が建立される
・2006年(平成18) 山元小学校閉校式が行われる
・2009年(平成21) 山元中学校閉校式が行われる
・2011年(平成23) 妻が寝たきりとなり介護が必要となったため、大分県別府市鉄輪温泉の高齢者向けマンションに移る
・2023年(令和5)7月21日 千葉県香取郡多古町の病院において、敗血症性ショックのため、96歳で亡くなる

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1881年(明治14)「開拓使官有物払下げ事件」のきっかけとなった官有施設・設備払い下げを決定詳細
1896年(明治29)北京において「日清通商航海条約」が締結される詳細
1940年(昭和15)日本労働総同盟が自主解散を決議し、産業報国会への合流を決める詳細
1941年(昭和16)文部省教学局から『臣民の道』が刊行される詳細
1952年(昭和27)「破壊活動防止法」(昭和27年法律第240号)が、公布・施行される詳細
1999年(平成11)文芸評論家江藤淳の命日詳細
2000年(平成12)写真家渡辺義雄の命日詳細
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 今日は、令和時代の2019年(令和元)に、小説家・随筆家田辺聖子の亡くなった日です。
 田辺聖子(たなべ せいこ)は、昭和時代前期の1928年(昭和3)3月27日に、大坂府大阪市此花区(現在の福島区)において、祖父の代から写真館を経営していた家に生まれました。幼少時は古典文学に親しみ、多くの少女小説を愛読し、淀之水高等女学校(現・昇陽中学校・高等学校)を経て、1944年(昭和19)に、樟蔭女子専門学校(現在の大阪樟蔭女子大学)国語科に入学します。
 1947年(昭和22)に卒業後、大阪の金物問屋KK大同商店に入社し、働きながら文芸同人の「文芸首都」「大阪文学」に参加しました。1952年(昭和27)に筆名・相馬八郎で書いた『診察室にて』が「文章倶楽部」に読者文芸小説入選第一席として掲載され、1954年(昭和29)には、大同商店を退社します。
 1955年(昭和30)に大阪文学学校へ通いはじめ、足立巻一の指導で生活記録『私の生い立ち』などを書き、1956年(昭和31)には、『虹』で大阪市民文芸賞を受賞しました。1957年(昭和32)に『花狩』が「婦人生活」の懸賞小説に佳作入選、大阪文学学校研究科を卒業し、1958年(昭和33)には、『花狩』を「婦人生活」に連載、最初の単行本として刊行します。
 1960年(昭和35)に文学仲間と同人誌『航路』を創刊、1961年(昭和36)にラジオドラマ「めぐりあい」が放送され、1964年(昭和39)には、『感傷旅行(センチメンタル・ジャーニィ)』で第50回芥川賞を受賞しました。1966年(昭和41)に神戸市兵庫区の開業医師・川野純夫と結婚、1967年(昭和42)に義父死去を機に神戸市兵庫区荒田町に移り、夫の家族と同居、1968年(昭和43)には、ヨーロッパ旅行へ行っています。
 1974年(昭和49)に『女の長風呂(続)』で第2回日本腰巻文学大賞を受賞、1976年(昭和51)に大阪芸術賞、1981年(昭和56)に伊丹市民文化賞、1982年(昭和57)に兵庫県文化賞、1986年(昭和61)には、第40回神戸新聞平和賞を受賞しました。1987年(昭和62)に直木賞初の女性選考委員になり、『花衣ぬぐやまつわる…――わが愛の杉田久女』が第26回女流文学賞受賞、1990年(平成2)に第10回日本文芸大賞受賞、女流文学賞の選考委員になり、1993年(平成5)には、『ひねくれ一茶』が第27回吉川英治文学賞を受賞します。
 1995年(平成7)に紫綬褒章受章、1998年(平成10)にエイボン女性大賞、第3回井原西鶴賞特別賞受賞、『道頓堀の雨に別れて以来なり』で第26回泉鏡花文学賞と第50回読売文学賞「評論・伝記賞」を受賞しました。2000年(平成12)に文化功労者に選ばれ、2002年(平成14)に第5回キワニス大阪賞受賞、2003年(平成15)に『姥ざかり花の旅笠』が第8回蓮如賞受賞、2007年(平成19)には、母校の大阪樟蔭女子大学小阪キャンパス図書館内に「田辺聖子文学館」が開館、2006年度朝日賞を受賞します。
 2008年(平成20)に文化勲章受章、2009年(平成21)に伊丹市名誉市民となり、日本放送文化賞受賞、2018年(平成30)に『私の大阪八景』(改版2017年)が大阪ほんま本大賞特別賞受賞しましたが、2019年(平成31)6月6日に、兵庫県神戸市内の病院において、胆管炎のため、91歳で亡くなりました。

〇田辺聖子の主要な著作

・『花狩』(1958年)懸賞小説佳作入選
・『感傷旅行(センチメンタル・ジャーニイ)』(1964年)第50回芥川賞受賞
・『私の大阪八景』(1965年)
・エッセイ『女の長風呂』(1973年)第2回日本腰巻文学大賞受賞
・『千(ち)すじの黒髪――わが愛の与謝野晶子』(1972年)
・長編『求婚旅行』上・中・下(1973~1974年)
・『すべってころんで』(1973年)
・『文車日記――私の古典散歩』(1974年)
・『隼別王子の叛乱』(1977年)
・自伝『欲しがりません勝つまでは――私の終戦まで』(1977年)
・『舞え舞え蝸牛――新落窪物語』(1977年)
・『新源氏物語』全5巻(1978~1979年)
・『中年ちゃらんぽらん』(1978年)
・『姥ざかり』(1981年)
・自伝的長編『しんこ細工の猿や雉』(1984年)
・『花衣ぬぐやまつわる…――わが愛の杉田久女』(1987年)第26回女流文学賞受賞
・『ひねくれ一茶』(1992年)第27回吉川英治文学賞受賞
・『道頓堀の雨に別れて以来なり――川柳)作家・岸本水府とその時代』上・下(1998年)第26回泉鏡花文学賞、第50回読売文学賞「評論・伝記賞」受賞
・『姥ざかり花の旅笠』(2003年)第8回蓮如賞受賞

☆田辺聖子関係略年表

・1928年(昭和3)3月27日 大坂府大阪市此花区(現在の福島区)に生まれる
・1940年(昭和15) 淀之水高等女学校(現・昇陽中学校・高等学校)に入学する
・1944年(昭和19) 樟蔭女子専門学校(現在の大阪樟蔭女子大学)国語科に入学する
・1947年(昭和22) 樟蔭女子専門学校(現在の大坂樟蔭女子大学)国文科(国語科から改称)を卒業し、大阪の金物問屋KK大同商店に入社する
・1951年(昭和26) 保高徳蔵が主宰する同人誌『文藝首都』の会員となり、原稿を送り始める
・1952年(昭和27) 筆名・相馬八郎で書いた「診察室にて」が『文章倶楽部』に読者文芸小説入選第一席として掲載される
・1954年(昭和29) 大同商店を退社し、『古事記』『日本書紀』に没頭する
・1955年(昭和30) 大阪文学学校へ通い、足立巻一の指導で生活記録「私の生い立ち」などを書く
・1956年(昭和31) 「虹」で大阪市民文芸賞を受賞する
・1957年(昭和32) 「花狩」が『婦人生活』の懸賞小説に佳作入選、大阪文学学校研究科を卒業する
・1958年(昭和33) 「花狩」を『婦人生活』に連載、最初の単行本として刊行する
・1960年(昭和35) 文学仲間と同人誌『航路』を創刊する
・1961年(昭和36) ラジオドラマ「めぐりあい」が放送される
・1964年(昭和39) 「感傷旅行(センチメンタル・ジャーニィ)」で第50回芥川賞を受賞する
・1965年(昭和40) 『私の大阪八景』を刊行する
・1966年(昭和41) 神戸市兵庫区の開業医師・川野純夫と結婚する
・1967年(昭和42) 義父死去を機に神戸市兵庫区荒田町に移り、夫の家族と同居する
・1968年(昭和43) ヨーロッパ旅行へ行く
・1974年(昭和49) 『女の長風呂(続)』が第2回日本腰巻文学大賞を受賞する
・1976年(昭和51) 伊丹市のマンションに転居、大阪芸術賞を受賞する
・1981年(昭和56) 伊丹市民文化賞を受賞する
・1982年(昭和57) 兵庫県文化賞を受賞する
・1986年(昭和61) 第40回神戸新聞平和賞を受賞する
・1987年(昭和62) 直木賞初の女性選考委員になり。『花衣ぬぐやまつわる…――わが愛の杉田久女』が第26回女流文学賞を受賞する
・1990年(平成2) 第10回日本文芸大賞を受賞、女流文学賞の選考委員になる
・1993年(平成5) 『ひねくれ一茶』が第27回吉川英治文学賞を受賞する
・1995年(平成7) 紫綬褒章を受章する
・1998年(平成10) エイボン女性大賞、第3回井原西鶴賞特別賞を受賞、『道頓堀の雨に別れて以来なり』で第26回泉鏡花文学賞を受賞する
・1999年(平成11) 『道頓堀の雨に別れて以来なり』が第50回読売文学賞「評論・伝記賞」を受賞する
・2000年(平成12) 文化功労者に選ばれる
・2002年(平成14) 第5回キワニス大阪賞を受賞する
・2003年(平成15) 『姥ざかり花の旅笠』が第8回蓮如賞を受賞する
・2007年(平成19) 母校の大阪樟蔭女子大学小阪キャンパス図書館内に「田辺聖子文学館」が開館、2006年度朝日賞を受賞する
・2008年(平成20) 文化勲章を受章する
・2009年(平成21) 伊丹市名誉市民となり、日本放送文化賞を受賞する
・2018年(平成30) 『私の大阪八景』(改版2017年)が大阪ほんま本大賞特別賞を受賞する
・2019年(令和元)6月6日 兵庫県神戸市内の病院において、胆管炎のため、91歳で亡くなる

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1885年(明治18)日本画家・俳人川端龍子の誕生日詳細
1912年(明治45)小説家新田次郎の誕生日詳細
1915年(大正4)焼岳(長野県・岐阜県)の噴火により、泥流が梓川をせき止め、堰止湖である大正池を形成する詳細
1949年(昭和24)「土地改良法」公布され、土地改良事業が一本化される詳細
1952年(昭和27)文部省に中央教育審議会(中教審)が設置される詳細
1979年(昭和54)日本が「国際人権規約」の批准を国会で承認する詳細
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