
後一条天皇(ごいちじょうてんのう)は、京都において、一条天皇の第二皇子(母は藤原道長女中宮彰子)として生まれましたが、名は敦成(あつひら)と言いました。1011年(寛弘8)に父・一条天皇が亡くなり、居貞親王(三条天皇)が第67代とされる天皇として即位すると、藤原道長の意により、その皇太子となります。
1016年(長和5)に三条天皇の譲位により、9歳で第68代とされる天皇として即位したものの、藤原道長が摂政となり権勢を振るいました。翌年には、藤原頼通が摂政を受け継ぎ、敦明親王の辞意により、天皇の同母弟敦良親王(後の後朱雀天皇)を皇太子とします。
1018年(寛仁2)に11歳で一条殿において元服すると、藤原道長の娘威子が中宮となり、太皇太后(一条天皇中宮彰子)、皇太后(三条天皇中宮妍子)の三后がともに道長の娘で、その栄華を極めることとなりました。1019年(寛仁3)に刀伊(女真族)が対馬、壱岐、筑前に襲来、1028年(長元元)には、下総で平忠常が乱をおこしたりしています。
威子との間に二人の内親王が誕生したものの、皇子は出来ず、1036年(長元9年4月17日)に京都の清涼殿において、数え年29歳で亡くなった後は、同母弟敦良親王(後朱雀天皇)が皇位を継承しました。浄土寺西原において火葬された後は、菩提樹院陵(現在の京都府京都市左京区吉田神楽岡町)が墓所とされています。
1016年(長和5)に三条天皇の譲位により、9歳で第68代とされる天皇として即位したものの、藤原道長が摂政となり権勢を振るいました。翌年には、藤原頼通が摂政を受け継ぎ、敦明親王の辞意により、天皇の同母弟敦良親王(後の後朱雀天皇)を皇太子とします。
1018年(寛仁2)に11歳で一条殿において元服すると、藤原道長の娘威子が中宮となり、太皇太后(一条天皇中宮彰子)、皇太后(三条天皇中宮妍子)の三后がともに道長の娘で、その栄華を極めることとなりました。1019年(寛仁3)に刀伊(女真族)が対馬、壱岐、筑前に襲来、1028年(長元元)には、下総で平忠常が乱をおこしたりしています。
威子との間に二人の内親王が誕生したものの、皇子は出来ず、1036年(長元9年4月17日)に京都の清涼殿において、数え年29歳で亡くなった後は、同母弟敦良親王(後朱雀天皇)が皇位を継承しました。浄土寺西原において火葬された後は、菩提樹院陵(現在の京都府京都市左京区吉田神楽岡町)が墓所とされています。
〇後一条天皇関係略年表(日付は旧暦です)
・1008年(寛弘5年9月11日) 京都において、一条天皇の第二皇子(母は藤原道長女中宮彰子)として生まれる
・1008年(寛弘5年10月16日) 親王宣下される
・1011年(寛弘8年6月13日) 三条天皇の皇太子となる
・1011年(寛弘8年6月22日) 父・一条天皇が亡くなる
・1011年(寛弘8年10月16日) 居貞親王(三条天皇)が、第67代とされる天皇として即位する
・1015年(長和4年) 疫病が流行する
・1016年(長和5年1月29日) 三条天皇の譲位により、9歳で受禅し、藤原道長が摂政となる
・1016年(長和5年2月7日) 第68代とされる天皇として即位する
・1017年(寛仁元年3月16日) 藤原頼通が摂政となる
・1017年(寛仁元年8月9日) 敦明親王の辞意により、天皇の同母弟敦良親王(後の後朱雀天皇)を皇太子とする
・1018年(寛仁2年1月3日) 11歳で一条殿において元服する
・1018年(寛仁2年10月16日) 藤原道長の娘威子を中宮とする
・1019年(寛仁3年4月) 刀伊(女真族)が対馬、壱岐、筑前に襲来する
・1019年(寛仁3年12月22日) 藤原頼通が関白となる
・1021年(治安元年10月) 春日社に行幸し、大和国添上郡を寄進する
・1027年(万寿4年12月) 藤原道長が亡くなる
・1028年(長元元年6月) 下総で平忠常が乱をおこす
・1036年(長元9年4月17日) 京都の清涼殿において、数え年29歳で亡くなる
・1036年(長元9年5月19日) 浄土寺西原において火葬される
〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)
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