ガウスの歴史を巡るブログ(その日にあった過去の出来事)

 学生時代からの大の旅行好きで、日本中を旅して回りました。その中でいろいろと歴史に関わる所を巡ってきましたが、日々に関わる歴史上の出来事や感想を紹介します。Yahooブログ閉鎖に伴い、こちらに移動しました。

カテゴリ:人物 > 文学者

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 今日は、大正時代の1922年(大正11)に、小説家・演劇評論家・江戸文学史研究家饗庭篁村の亡くなった日です。
 饗庭 篁村(あえば こうそん)は、江戸時代後期の1855年(安政2年8月15日)に、江戸・下谷竜泉寺町において、質屋を営む饗場(戸籍面)與之吉の五男として生まれましたが、本名は与三郎と言いました。この年の10月2日に起きた安政の大地震で母を失い、1865年(慶応元)には、日本橋新材木町の箱根屋という質屋に奉公に預けられます。
 1869年(明治2)に、生家にもどり兄與之吉の下で家業を手伝い、1874年(明治7)には、日就社(読売新聞発行元)に入社し校正を担当しました。1876年(明治9)に入社した高畠藍泉(三世柳亭種彦)に引き立てられ、読売新聞の編集記者となり、1877年(明治10)には、京都に、1878年(明治11)には、明治天皇の東海・北陸巡行に派遣されています。
 1880年(明治13)に読売新聞の雑譚に執筆をはじめ、1882年(明治15)には、読売新聞の臨時印刷長となりました。1886年(明治19)に坪内逍遥と知り合い、根岸御隠殿に転居、長編『当世商人気質』と長編『人の噂』を読売新聞に連載、1887年(明治20)には、小説「藪の椿」、エドガー・アラン・ポーの翻案「西洋怪談 黒猫」・「ルーモルグの人殺し」を 読売新聞に連載します。
 1888年(明治21)にチャールズ・ディケンズの翻案「影法師(原作:クリスマス・キャロル)」を 読売新聞に連載、1889年(明治22)には、短編「良夜」ほか、著述多数を発表、著述全集ともいえる『小説 むら竹』20巻を春陽堂から出版しましたが、読売新聞を退社し、東京朝日新聞に移りました。1890年(明治23)に『木曾道中記』を東京朝日新聞に20回連載、1892年(明治25)に東京専門学校(現在の早稲田大学)で近松門左衛門を講じ、1895年(明治28)には、『水戸の観梅』を東京朝日新聞に6回連載しています。
 1900年(明治26)に『新西遊記』を東京朝日新聞に連載、1901年(明治34)に『旅硯』、1902年(明治35)には、近松門左衛門の研究書『巣林子撰註』を刊行しました。1909年(明治42)に評論随筆『雀躍』、1912年(明治45)に『篁村叢書』を刊行し、1919年(大正8)には、東京朝日新聞社客員となります。
 根岸、谷中に住む文学グループ(根岸派)の中心的存在であったものの、1922年(大正11)6月20日に、東京において、脳の障害のため、67歳で亡くなりました。

<饗庭篁村の代表作>

(小説)
・『当世商人気質』(1886年~1889年:読売新聞連載)
・『人の噂』(1886年 読売新聞連載)
・『走馬燈(まはりどうらう)』(1887年:読売新聞発表)
・『魂膽』(1888年 読売新聞発表)
・『面目玉(めんぼくだま)』(1889年:読売新聞連載)
・『掘り出し物』(「新著百種」第2号 1889年:吉岡書籍店)
・『良夜』(1889年 國民之友に掲載)
・『驅落の驅落』
・『俳諧気違ひ』
(論考)
・『大石眞虎の傳(おおいしまとらのでん)』(1888年:読売新聞発表)
(紀行)
・『鹽原入浴の記』(1888年6月14日~20日:読売新聞:6回)
・『木曾道中記』(1890年5月3日~7月3日:東京朝日新聞:20回)
・『水戸の観梅』(1895年3月3日~17日:東京朝日新聞:6回)
・『小金井の櫻』(1899年)
・『新西遊記』(1900年5月28日~8月9日:東京朝日新聞に連載)
・『伊勢参宮』(1907年:右田寅彦との交互執筆)
(翻案)
・エドガー・アラン・ポー「ルーモルグの人殺し」(1886年:読売新聞連載)
・エドガー・アラン・ポー「西洋怪談 黒猫」(1887年:読売新聞連載)
・チャールズ・ディケンズ「影法師(原作:クリスマス・キャロル)」(1888年:読売新聞連載)

〇饗庭篁村関係略年表

・1855年(安政2年8月15日) 江戸・下谷竜泉寺町において、質屋を営む饗場(戸籍面)與之吉の五男として生まれる
・1865年(慶応元) 日本橋新材木町の箱根屋という質屋に奉公に預けられる
・1869年(明治2) 生家にもどり兄與之吉の下で家業を手伝う
・1874年(明治7) 日就社(読売新聞発行元)に入社し校正を担当する
・1876年(明治9) 入社した高畠藍泉(三世柳亭種彦)に引き立てられ、読売新聞の編集記者となる
・1877年(明治10) 読売新聞より、京都に派遣される
・1878年(明治11) 読売新聞より、明治天皇の東海・北陸巡行に派遣される
・1880年(明治13) 読売新聞の雑譚に執筆をはじめる
・1882年(明治15) 読売新聞の臨時印刷長となる
・1886年(明治19) 坪内逍遥と知り合い、根岸御隠殿に転居、長編『当世商人気質』と長編『人の噂』を読売新聞に連載する
・1887年(明治20) 小説「藪の椿」、エドガー・アラン・ポーの翻案「西洋怪談 黒猫」・「ルーモルグの人殺し」を 読売新聞に連載する
・1888年(明治21) チャールズ・ディケンズの翻案「影法師(原作:クリスマス・キャロル)」を 読売新聞に連載する
・1889年(明治22) 短編「良夜」ほか、著述多数を発表、著述全集ともいえる『小説 むら竹』20巻を春陽堂から出版、読売新聞を退社し、東京朝日新聞に移る
・1890年(明治23) 『木曾道中記』を東京朝日新聞に20回連載(5月3日~7月3日)する
・1892年(明治25) 東京専門学校(現在の早稲田大学)で近松門左衛門を講じる
・1895年(明治28) 『水戸の観梅』を東京朝日新聞に6回連載(3月3日~17日)する
・1900年(明治26) 『新西遊記』を東京朝日新聞に連載(5月28日~8月9日)する
・1901年(明治34) 『旅硯』を刊行する
・1902年(明治35) 近松門左衛門の研究書『巣林子撰註』を刊行する
・1909年(明治42) 評論随筆『雀躍』を刊行する
・1912年(明治45) 『篁村叢書』を刊行する
・1919年(大正8) 東京朝日新聞社客員となる
・1922年(大正11)6月20日 東京において、脳の障害のため、67歳で亡くなる
・1927年(昭和2) 「明治文学名著全集」第12編として、『竹の屋劇評集』が刊行される

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1495年(明応4)飯尾宗祇ら編集による『新撰菟玖波集』が完成する(新暦7月12日)詳細
1587年(天正18)天正遣欧使節がローマから長崎に帰港する(新暦7月21日)詳細
1654年(承応3)江戸市中に水を供給する玉川上水が完成する(新暦7月21日)詳細
1730年(享保15)京都で「西陣焼け」が起こり、134町、3,810軒を焼失する(新暦8月3日)詳細
1887年(明治20)二葉亭四迷著の小説『浮雲』の第一篇が刊行される詳細
1947年(昭和22)片山哲内閣によって、「新日本建設国民運動要領」が閣議決定される詳細
1949年(昭和24)デラ台風(昭和24年台風第2号)が来襲、鹿児島県鹿児島市に上陸し、甚大な被害をもたらし始める詳細
1963年(昭和38)「観光基本法」が公布・施行される詳細
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 今日は、昭和時代中期の1963年(昭和38)に、俳人橋本多佳子の亡くなった日です。
 橋本多佳子(はしもと たかこ)は、明治時代後期の1899年(明治32)1月15日に、東京市本郷区龍岡町(現在の文京区本郷)において、官僚だった父・山谷雄司、母・津留の子として、生まれましたが、本名は多満(たま)と言いました。菊坂女子美術学校(後の女子美術大学)日本画科を病弱のため中退、1917年(大正6) 橋本豊次郎と結婚し、大阪へ転居します。
 1920年(大正9)に、夫の赴任地である北九州小倉市中原の高台に櫓山荘を新築し移り住み、1922年(大正11)には、小倉での高浜虚子を迎えての句会を契機に杉田久女を知り、俳句を志しました。1924年(大正13)に、樺太、北海道を北原白秋と共に夫妻で旅行、1925年(大正14)に「ホトトギス」に投句するようになり、1927年(昭和2)には、雜詠に「たんぽぽの花大いさよ蝦夷の夏」が初入選します。
 1929年(昭和4)に大阪・帝塚山に転居、1935年(昭和10)には、山口誓子に師事、水原秋桜子が主宰する「馬酔木」の同人となりました。1937年(昭和12)に、一家で、福岡県小倉市(現在の北九州市小倉北区中井浜)の櫓山荘へ移るものの、夫・豊次郎が亡くなり、1939年(昭和14)には、櫓山荘を手放します。
 1941年(昭和16)に、第1句集『海燕(うみつばめ)』が刊行されましたが、1944年(昭和19)には、太平洋戦争の空襲を避けるため、奈良市あやめ池に疎開しました。戦後の1946年(昭和21)に、西東三鬼、平畑静塔を紹介され、3人で奈良俳句会を始め、第2句集『信濃』が刊行されます。
 1948年(昭和23)に、山口誓子主宰の「天狼(てんろう)」が創刊され、同人として参加、1950年(昭和25)には、榎本冬一郎と「七曜」を創刊し、主宰しました。1951年(昭和26)に第3句集『紅絲(こうし)』、1957年(昭和32)に第4句集『海彦』が刊行され、1958年(昭和33)から読売新聞俳壇選者を務め、1959年(昭和34)には、奈良県文化賞を受賞しています。
 戦後の代表的女流俳人と評価されたものの、1963年(昭和38)5月29日に、大阪において、肝臓、胆嚢癌により、64歳で亡くなり、1965年(昭和40)には、第5句集『命終』が刊行されました。

<橋本多佳子の代表的な句>

・「わが行けば露とびかかる葛の花」(海燕)
・「たんぽぽの花大いさよ蝦夷の夏」
・「白桃に入れし刃先の種を割る」
・「ひとところくらきをくゞるおどりの輪」
・「乳母車夏の怒濤によこむきに」
・「雄鹿の前吾もあらあらしき息す」
・「蛍籠昏(くら)ければ揺り炎えたゝす」
・「さびしさを日々のいのちぞ雁わたる」

〇橋本多佳子の主要な著作

・第1句集『海燕(うみつばめ)』(1941年)
・第2句集『信濃』(1946年)
・第3句集『紅絲(こうし)』(1951年)
・第4句集『海彦』(1957年)
・第5句集『命終』(1965年)

☆橋本多佳子関係略年表

・1899年(明治32)1月15日 東京市本郷区龍岡町(現在の文京区本郷)において、生まれる
・1917年(大正6) 橋本豊次郎と結婚し、大阪へ転居する
・1920年(大正9) 夫の赴任地である北九州小倉市中原の高台に櫓山荘を新築し移り住む
・1922年(大正11) 小倉での高浜虚子を迎えての句会を契機に杉田久女を知り、俳句を志す
・1924年(大正13) 樺太、北海道を北原白秋と共に夫妻で旅行する
・1925年(大正14) 「ホトトギス」に投句する
・1927年(昭和2) 「ホトトギス」雜詠に「たんぽぽの花大いさよ蝦夷の夏」が初入選する
・1929年(昭和4) 大阪・帝塚山に転居する
・1935年(昭和10) 山口誓子に師事、水原秋桜子が主宰する「馬酔木」の同人となる
・1937年(昭和12) 一家で、福岡県小倉市(現在の北九州市小倉北区中井浜)の櫓山荘へ移るが、夫・豊次郎が亡くなる
・1939年(昭和14) 櫓山荘を手放す
・1941年(昭和16) 第1句集『海燕』が刊行される
・1944年(昭和19) 奈良市あやめ池に疎開する
・1946年(昭和21) 西東三鬼、平畑静塔を紹介され、3人で奈良俳句会を始め、第2句集『信濃』が刊行される
・1948年(昭和23) 山口誓子主宰の「天狼(てんろう)」が創刊され、同人として参加する
・1950年(昭和25) 榎本冬一郎と「七曜」を創刊し、主宰する
・1951年(昭和26) 第3句集『紅絲(こうし)』が刊行される
・1957年(昭和32) 第4句集『海彦』が刊行される
・1958年(昭和33) 読売新聞俳壇選者を務める
・1959年(昭和34) 奈良県文化賞を受賞する
・1963年(昭和38)5月29日 大阪において、肝臓、胆嚢癌により、64歳で亡くなる
・1965年(昭和40) 第5句集『命終』が刊行される

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1889年(明治22)小説家・随筆家・俳人内田百閒の誕生日詳細
1908年(明治41)言語学者服部四郎の誕生日詳細
1942年(昭和17)歌人・詩人与謝野晶子の命日(白櫻忌)詳細
1945年(昭和20)横浜大空襲により、死者・行方不明3,959人、重軽傷者10,198人、罹災者311,218人を出す詳細
1952年(昭和27)国際通貨基金(IMF)が日本の加盟を承認する詳細
国際復興開発銀行(世界銀行)が日本の加盟を承認する詳細
1961年(昭和36)青森県八戸市で白銀大火が起きる詳細
1981年(昭和56)日本で7番目の地下鉄として、京都市営地下鉄が開業(烏丸線北大路駅~京都駅間)する詳細
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 今日は、昭和時代後期の 1980年(昭和55)に、文芸評論家・哲学者・思想家唐木順三の亡くなった日です。
 唐木順三(からき じゅんぞう)は、1904年(明治37)2月13日に、長野県上伊那郡宮田村において生まれ、旧制松本中学(現在の長野県松本深志高等学校)、旧制松本高等学校(現在の信州大学)文科甲類を卒業後、京都帝国大学文学部哲学科へ入学しました。西田幾多郎の講義を聴き心酔し、1927年(昭和2)に卒業後は、長野県諏訪青年学校、満州教育専門学校、法政大学予科、成田山新勝寺の成田高等女学校で教鞭を執ります。
 一方で、近代文学研究から中世へと視野を広げ、1932年(昭和7)に『現代日本文学序説』を刊行し、一躍注目されました。1939年(昭和14)に、『近代日本文学の展開』を刊行、翌年には、同郷の古田晁、臼井吉見と共に筑摩書房を設立し、中村光夫らと共に顧問となり、同社発行の「展望」を中心に旺盛な評論活動を行ないます。
 1943年(昭和18)に、『鴎外(おうがい)の精神』を刊行、近代日本の思想史上の鴎外を歴史小説、史伝の分析によって追究した労作となりました。戦後は、臼井と共に同社の雑誌『展望』の編集を行い、1946年(昭和21)には、明治大学文芸科講師となります。
 1949年(昭和24)に明治大学教授となり、1955年(昭和30)には、『中世の文学』で、第7回読売文学賞を受賞しました。1967年(昭和42)には、中世に材を得た小説集『応仁四話』で、第17回芸術選奨文部大臣賞を受賞します。
 1971年(昭和46)には、第27回日本芸術院賞を受賞したものの、1980年(昭和55)5月27日に、東京・築地の国立がんセンターにおいて、肺癌により76歳で亡くなりました。

〇唐木順三の主要な著作

・『現代日本文学序説』(1932年)
・『近代日本文学の展開』(1939年)
・『鴎外の精神』(1943年)
・『三木清』(1947年)
・『作家論』(1947-49年)
・『森鷗外』(1949年)
・『現代史への試み』(1949年) 
・『自殺について - 日本の断層と重層』(1950年)
・『近代日本文学』(1951年)
・『近代日本文学史論』(1952年)
・『詩とデカダンス』(1952年)
・『中世の文学』(1954年)
・『夏目漱石』(1956年)
・『詩と哲学の間』(1957年)
・『千利休』(1958年5月)
・『無用者の系譜』(960年2月)
・『朴の木』(1960年5月)
・『中世から近世へ』(1961年)
・『無常』(1964年)
・随想集『日本の心』(1965年)、
・小説集『應仁四話』(1966年)、
・『仏道修行の用心 懐弉 正法眼蔵随聞記』(1966年)
・随想集『飛花落葉』(1967年)
・『古代史試論』(1969年)
・『詩と死』(1969年)
・『日本人の心の歴史-季節美感の変遷を中心に』上・下(1970年)
・『良寛』(1971年)
・『日本人の心の歴史 補遺』(1972年)
・『古きをたづねて』(1972年)
・随想集『光陰』(1974年)、
・『あづまみちのく』(1974年)
・『続 あづまみちのく』(1976年)
・『歴史の言ひ残したこと』(1978年)
・随想集『古いこと 新しいこと』(1979年)
・『「科学者の社会的責任」についての覚え書』(1980年)

☆唐木順三関係略年表

・1904年(明治37)2月13日 長野県上伊那郡宮田村において生まれる
・1927年(昭和2) 京都帝国大学文学部哲学科を卒業する
・1932年(昭和7) 『現代日本文学序説』を刊行し、一躍注目される
・1939年(昭和14) 『近代日本文学の展開』を刊行する
・1940年(昭和15) 同郷の古田晁、臼井吉見と共に筑摩書房を設立し、中村光夫らと共に顧問となり、法政大学に勤務する
・1943年(昭和18) 『鴎外(おうがい)の精神』を刊行する
・1946年(昭和21) 明治大学文芸科講師となる
・1949年(昭和24) 明治大学教授となる
・1955年(昭和30) 『中世の文学』で、第7回読売文学賞を受賞する
・1967年(昭和42) 『応仁四話』で、第17回芸術選奨文部大臣賞を受賞する
・1971年(昭和46) 第27回日本芸術院賞を受賞する
・1980年(昭和55)5月27日 東京・築地の国立がんセンターにおいて、肺癌により76歳で亡くなる

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

743年(天平15)「墾田永年私財法」が出される(新暦6月23日)詳細
1235年(文暦2)藤原定家によって「小倉百人一首」が完成された(百人一首の日)詳細
1273年(文永10)鎌倉幕府第7代執権北条政村の命日(新暦6月13日)詳細
1901年(明治34)山陽鉄道(後の山陽本線)の神戸駅~馬関駅(現在の下関駅)間が全通する詳細
1914年(大正3)栄養学者満田久輝の誕生日詳細
1938年(昭和13)「日独防共協定」締結による同盟強化に伴い、大日本青少年独逸派遣団が出発する詳細
1989年(平成元)東京湾横断道路(愛称:東京湾アクアライン)の工事が着工される詳細
1992年(平成4)漫画家長谷川町子の命日詳細
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 今日は、平成時代の1999年(平成11)に、文芸評論家・国文学者中島河太郎の亡くなった日です。
 中島河太郎(なかじま かわたろう)は、大正時代の1917年(大正6)6月5日 鹿児島県鹿児島市平之町において生まれましたが、本名は中嶋馨(なかじま かおる)と言いました。鹿児島県立第一鹿児島中学校を経て、1939年(昭和14)に旧制第七高等学校を卒業後、東京帝国大学文学部国文学科へ進み、中世説話文学を専攻します。
 1941年(昭和16)に卒業後、中学校教諭となり、旧制東京都立第七中学校から東京都立墨田川高等学校の教諭を勤めました。一方で、1945年(昭和20)に柳田國男の説話会に参加、1947年(昭和22)には、「探偵新聞」に連載した『日本推理小説略史』で江戸川乱歩に注目され、ミステリー小説評論家としての本格的な活動を開始します。
 1949年(昭和24)に個人誌「黄色の部屋」の発行を開始(~1954年)、1952年(昭和27)11月から、『探偵小説辞典』を「宝石」に掲載開始しました。1955年(昭和30)にこれにより、第1回江戸川乱歩賞を受賞、1960年(昭和35)に『推理小説ノート』を刊行、1965年(昭和40)には、『日本推理小説史 第一巻』が第18回日本推理作家協会賞の候補となります。
 1966年(昭和41)に『推理小説展望』で、第19回日本推理作家協会賞を受賞、和洋女子大学および同短期大学部の国文学科講師に着任しました。1968年(昭和43)に助教授、1970年(昭和45)に教授に昇任し、1980年(昭和55)には、同大学文家政学部の学部長となります。
 1985年(昭和60)に日本推理作家協会理事長となり、1988年(昭和63)に勲四等旭日小綬章を受章、1991年(平成3)には、和洋女子大学学長、和洋女子短期大学学長となりました。1996年(平成8)に同大学学長を退任し、名誉教授となり、1997年(平成9)には、ミステリー文学館の初代館長に就任しています。
 1998年(平成10)に第2回日本ミステリー文学大賞を受賞したものの、翌年5月5日に、腎不全により、81歳で亡くなりました。尚、推理小説研究の第一人者として知られましたが、柳田國男、正宗白鳥の研究でも高く評価されています。

〇中島河太郎の主要な著作

・『推理小説ノート』(1960年)
・『推理小説展望』(1965年)第19回日本推理作家協会賞受賞
・『日本推理小説史』全3巻(1993~96年)
・『探偵小説辞典』(1998年)第1回江戸川乱歩賞受賞
・『柳田國男研究文献目録』

☆中島河太郎関係略年表

・1917年(大正6)6月5日 鹿児島県鹿児島市平之町において生まれる
・1939年(昭和14) 旧制第七高等学校を卒業する
・1941年(昭和16) 東京帝国大学文学部国文科を卒業、中学校教諭となる
・1945年(昭和20) 柳田國男の説話会に参加する
・1947年(昭和22) 「探偵新聞」に連載した『日本推理小説略史』で江戸川乱歩に注目される
・1949年(昭和24)10月 個人誌「黄色の部屋」の発行を開始する
・1952年(昭和27)11月 『探偵小説辞典』を「宝石」に掲載開始する
・1954年(昭和29)10月 個人誌「黄色の部屋」発行が終了する
・1955年(昭和30) 『探偵小説辞典』で、第1回江戸川乱歩賞を受賞する
・1959年(昭和34)2月 『探偵小説辞典』の宝石掲載が終了する
・1960年(昭和35) 『推理小説ノート』を刊行する
・1965年(昭和40) 『日本推理小説史 第一巻』が第18回日本推理作家協会賞の候補となる
・1966年(昭和41) 『推理小説展望』で、第19回日本推理作家協会賞を受賞、和洋女子大学および同短期大学部の国文学科講師に着任する
・1968年(昭和43) 和洋女子大学助教授に昇任する
・1970年(昭和45) 和洋女子大学教授に昇任する
・1980年(昭和55) 和洋女子大学文家政学部の学部長となる
・1985年(昭和60) 日本推理作家協会理事長となる
・1988年(昭和63) 勲四等旭日小綬章を受章する
・1991年(平成3) 和洋女子大学学長、和洋女子短期大学学長となる
・1996年(平成8) 和洋女子大学学長を退任し、和洋女子大学名誉教授となる
・1997年(平成9) ミステリー文学館の初代館長に就任する
・1998年(平成10) 第2回日本ミステリー文学大賞を受賞する
・1999年(平成11)5月5日 腎不全により、81歳で亡くなる

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1763年(宝暦13)俳人小林一茶の誕生日(新暦6月12日)詳細
1829年(文政12)囲碁棋士・14世本因坊秀和跡目の本因坊秀策の誕生日(新暦6月6日)詳細
1911年(明治44)文学者市古貞次の誕生日詳細
1925年(大正14)改正「衆議院普通選挙法」(普通選挙法)公布で満25歳以上の全成年男子に選挙権が与えられる詳細
1951年(昭和26)子供の権利に関する宣言「児童憲章」が制定される(児童憲章制定記念日)詳細
1958年(昭和33)東京都に「多摩動物公園」が開園する詳細
1965年(昭和40)神奈川県横浜市の多摩丘陵の一画に「こどもの国」が開園する詳細
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 今日は、昭和時代中期の1948年(昭和23)に、小説家・直木賞作家藤原伊織が生まれた日です。
 藤原伊織(ふじわら いおり)は、昭和時代中期の1948年(昭和23)2月17日に、大阪府大阪市において生まれましたが、本名は利一(としかず)と言いました。大阪府立高津高等学校を卒業後、1967年(昭和42)に東京大学文科Ⅲ類に進学し、在学中の1968年(昭和43)に「第2次東大文学Ⅱ」誌(文学集団)に、「ゲーム」を書き、同誌の「表紙・目次イラスト」も描き、1971年(昭和46)には、発売された LPレコードに収録された「めくら花」の詞を書いています。
 1973年(昭和48)に東京大学文学部フランス文学科卒業後、(株)電通に入社、その後も勤務のかたわら小説を書き続けました。1977年(昭和52)に『踊りつかれて』で、野性時代新人文学賞佳作に入選、1978年(昭和53)に『風の魚』で、第5回野性時代新人文学賞候補、1982年(昭和57)に『気分はいつも、四月の光』で、第9回野性時代新人文学賞候補、1984年(昭和59)には、『ベルゲンの蕩児』で、第64回オール讀物新人賞候補となります。
 1985年(昭和60)に『ダックスフントのワープ』で、第9回すばる文学賞、1995年(平成7)に『テロリストのパラソル』で、第41回江戸川乱歩賞を受賞、翌年には、同作で第114回直木賞も受賞し、フジテレビ金曜エンタテイメント枠にて萩原健一主演でテレビドラマ化されました。2000年(平成12)に『てのひらの闇』で、第53回日本推理作家協会賞[長編及び連作短編集部門]候補となり、翌年には、同作がテレビ東京女と愛とミステリー枠にて舘ひろし主演でテレビドラマ化されています。
 2002年(平成14)に(株)電通を退社しましたが、2005年(平成17)には、癌に侵されていることを公表しました。個性あふれる登場人物が活躍するハードボイルド小説で人気を集めたものの、2007年(平成19)5月17日に、東京都品川区の病院において、食道癌のため59歳で亡くなっています。
 尚、翌年に『シリウスの道』がWOWOWドラマW枠で内野聖陽主演でテレビドラマ化されました。

〇藤原伊織の主要な著作

・『ダックスフントのワープ』(1987年)第9回すばる文学賞受賞
・『テロリストのパラソル』(1995年)第41回江戸川乱歩賞、第114回直木賞受賞
・『ひまわりの祝祭』(1997年) 
・『雪が降る』(1998年)
・『てのひらの闇』(1999年)第53回日本推理作家協会賞[長編及び連作短編集部門]候補
・『蚊トンボ 白鬚の冒険』(2002年)
・『シリウスの道』(2005年) 
・『ダナエ』(2007年)
・『遊戯』(2007年)
・『名残り火 てのひらの闇II』(2007年) 

☆藤原伊織関係略年表

・1948年(昭和23)2月17日 大阪府大阪市において、生まれる
・1967年(昭和42) 東京大学文科Ⅲ類に進学する
・1968年(昭和43) 東大在学中、『第2次東大文学Ⅱ』誌(文学集団)に、「ゲーム」を書き、同誌の「表紙・目次イラスト」も描く
・1971年(昭和46) 東大在学中、発売された LPレコードに収録された「めくら花」の詞を書く
・1973年(昭和48) 東京大学文学部フランス文学科卒業後、(株)電通に入社する
・1977年(昭和52) 『踊りつかれて』で、野性時代新人文学賞佳作に入選する
・1978年(昭和53) 『風の魚』で、第5回野性時代新人文学賞候補となる
・1982年(昭和57) 『気分はいつも、四月の光』で、第9回野性時代新人文学賞候補となる
・1984年(昭和59) 『ベルゲンの蕩児』で、第64回オール讀物新人賞候補となる
・1985年(昭和60) 『ダックスフントのワープ』で、第9回すばる文学賞を受賞する
・1995年(平成7) 『テロリストのパラソル』で、第41回江戸川乱歩賞を受賞する
・1996年(平成8) 『テロリストのパラソル』で、第114回(1995年度下半期)直木賞を受賞、フジテレビ金曜エンタテイメント枠にて萩原健一主演でテレビドラマ化される
・2000年(平成12) 『てのひらの闇』で、第53回日本推理作家協会賞[長編及び連作短編集部門]候補となる 
・2001年(平成13) 『てのひらの闇』が、テレビ東京女と愛とミステリー枠にて舘ひろし主演でテレビドラマ化される
・2002年(平成14) (株)電通を退社する
・2005年(平成17) 癌に侵されていることを公表する
・2007年(平成19)5月17日、東京都品川区の病院において、食道癌のため59歳で亡くなる
・2008年(平成20) 『シリウスの道』がWOWOWドラマW枠で内野聖陽主演でテレビドラマ化される

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1272年(文永9)第88代の天皇とされる後嵯峨天皇の命日(新暦3月17日)詳細
1906年(明治39)大隈重信を会頭とし、島村抱月・坪内逍遙らが中心となり、文芸協会が結成される詳細
1928年(昭和3)国語学者・国語辞典『言海』の編纂者である大槻文彦の命日詳細
1946年(昭和21)「金融緊急措置令」(勅令第83号)が発布・施行される詳細
1955年(昭和30)小説家・評論家・随筆家坂口安吾の命日(安吾忌)詳細
1972年(昭和47)小説家平林たい子の命日詳細
2005年(平成17)愛知県常滑市に中部国際空港(愛称:セントレア)が開港する詳細
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