今日は、昭和時代中期の1950年(昭和25)に、日本戦歿学生記念会(通称:わだつみ会)が結成された日です。
日本戦歿学生記念会(にほんせんぼつがくせいきねんかい)は、『きけ わだつみのこえ』の刊行をきっかけとして、文化人、遺族、学生によって結成された平和運動団体で、通称「わだつみ会」とも呼ばれてきました。太平洋戦争の下で、戦局の悪化に伴って、徴兵猶予措置の停止に伴う学生・生徒の出陣を学徒出陣と呼んでいますが、東条英機内閣は、1943年(昭和18)10月に大学や専門学校などに通う学生・生徒の徴兵猶予を取り消し、同月21日に明治神宮外苑競技場(現在の国立競技場跡地)で出陣学徒壮行会が開かれます。敗戦までに、兵役についた学徒の総数は、13万人とも言われるほど多数に及び、多くの戦死者を出しました。
敗戦後の1947年(昭和22)に東京大学戦没学生の手記『はるかなる山河に』が出され、1949年(昭和24)には、全国の大学の戦没学生の手記『きけわだつみのこえ』が出版されて、大きな反響を呼び、約200万部を売り上げる大ベストセラーとなります。1950年(昭和25)には映画化(関川秀雄監督)も実現し、その年の4月22日には、次の世代に戦争体験を伝える日本戦没学生記念会(通称「わだつみ会」)が結成されました。
各地の大学に支部が設けられ、学生による反戦・平和運動団体としても活動し、戦没学生を記念する「わだつみ像」を制作すると共に、不戦と平和の活動を展開します。しかし、運動方針を巡る内部対立により、1958年(昭和33)の第9回大会をもっていったん解散したものの、翌年には、「戦争体験を持つ世代と持たない世代との交流と連帯」を趣旨として再建されました。
その後紆余曲折を経て、2006年(平成18)には、東京都文京区本郷のマンション内に「わだつみのこえ記念館」を設立し、戦没学徒兵の遺品などを展示しています。
〇日本戦没学生記念会(わだつみ会) 趣意書
一九四九年十月、敗戦の廃墟のなかに生まれた一冊の書物が、以来四十余年発行を続け——およそ二百万部に達し、読み継がれています。それが『きけ わだつみのこえ—日本戦没学生の手記—』です。日本戦没学生記念会(通称・わだつみ会)は、この本を基として翌年四月に、「戦争によって流された血は、ふ たたび、それが決して流されぬようにすること以外によってはつぐなわれない」との信念に立って設立されました。わだつみ会は、死者の遺念を継いで思索し、 発言し、行動する、不戦・反戦・平和の団体です。
会の歴史には紆余曲析がありましたが、その活動は、死者を記念するとはかれらの悲劇を繰り返さないことだ、という信念に貫かれています。『きけ わだつ みのこえ』に収められたすべての文章から、私たちは、「軍隊と戦争のない世界」への痛切な願いを聴き取ります。わだつみ会の会員は、ジョン・レノンも『イマジン』で歌った、人類普遍の、この高い理想に導かれて、自分の態度と見解を決め、行動にとりくみます。
わだつみ会は、明治以来日本が行なった戦争がすべて他国・他民族への侵略・掠奪・凌辱であったという冷厳な事実を直視します。したがって、過去の戦争の 合理化や肯定に反対し、また戦没者のことさらな美化、まして神格化に断固反対します。戦没者の追憶・記念と、日本近代史への反省・他の民族への戦争責任の 自覚・不戦反戦の努力とを結び合わせなければなりません。
戦争は国家の所業であり、戦死は国家の命令による死であります。日本では侵略戦争の遂行に、天皇・天皇制・皇国史観が決定的な役割を果たしました。わだつみ会は、このことを重視して、一九七○年代初めからこの間題の解明に努め、『天皇制を間いつづける』(一九七八年)、『今こそ間う天皇制』(一九八九年)を 世に問いました。また、昭和天皇の死と国葬に際して「幾千万戦争犠牲者の声に聴きつつ」の声明を発しました。報道や警備における皇族の特別扱い、天皇批判 にたいする右翼からの暴力の行使、自衛隊の「皇軍」化の策動、「君が代」、「日の丸」の強制などを批判し、内外にたいする天皇・天皇制の戦争責任を追及 し、「象徴天皇制」の役割と本質を解明することは、ひきつづきわだつみ会の大切な課題であります。
わだつみ会の規約第二条は「戦没学生を記念することを契機とし、戦争を体験した世代とその体験をもたない世代の交流、協力をとおして戦争責任を間い続 け、平和に寄与することを目的とする」と規定していますが、体験の異なる世代の交流・協力の成功には、いっそうの工夫・努力が必要だと考えています。誤っ た歴史教育によって日本の若者たちが文字どおり「戦争を知らない子どもたち」にされていることを重視するとともに、若い世代の感性と関心に十分考慮を払っ て、連帯の輪を広げたいと思います。わだつみ会は、経済大国が生み出す「私生活保守主義」や新しいナショナリズム、軍国主義を批判し、「国家」・「国益」と区別された公的・社会的・人類的な視点をもって生きる新しい世代の誕生をねがい、そのために努力します。
「わだつみ記念館」の設立は、わだつみ会の創立以来の宿願でありました。今年、「学徒出陣」五〇周年にあたって、この実現の第一歩を踏みだします。もし、 いま着手しなければ、遺品も記録も、また記憶も証言も、永遠に失われるでしょう。現在の会の力に余る大事業ですが、二百万に近い『きけ わだつみのこえ』の読者、これを上回る映画『きけ、わだつみの声』の鑑賞者、また、五〇年代の機関紙『わだつみのこえ』の数万の読者と数百の支部——これ らの潜在する力を信頼して着手します。これらの人びとに「わだつみ記念館」の設立への支持と協力をよびかけることは、わだつみ会の歴史的な責任でもありま す。無残な死を強いられた若者たちを記念し、日本と世界にいつも不戦と反戦のメッセージを発信しつづける恒久的な施設をつくる——この運動によって、わだ つみ会は、日本の社会のなかに、広く深い協力間係を作り上げたいと思います。
日本は、経済大国であり、また、核兵器こそ持ちませんが最新の兵器を装備した軍事大国です。「国際貢献」の美名のもとに「自衛隊」の海外への派兵を開始 し、この既成の事実を挺子とし、憲法の平和主義と第九条を改悪しようとの動きがふたたび、そして本格的に高まっています。これからの数年間は、不戦・平和 を信念とする私たちにとって、まさに正念場であります。
戦争体験から現状を憂慮する老年の方々、朝鮮戦争・ベトナム戦争の時期を経験し、いま経済大国を支えながらこの国の行方に深い危惧を抱く壮年の方々、そして、 冷戦終結ののちに生じた新しい危機に不安を抱き、自らの人生を模索する青年学生のみなさん、——各世代の協同の努力によって、平和な二一世紀を獲得するた めに、わだつみ会の諸事業にご協力ください。すすんで本会にご入会ください。
一九九三年四月
日本戦没学生記念会
〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)
1910年(明治43) | 彫刻家荻原守衛(碌山)の命日 | 詳細 |
1912年(明治45) | 映画監督・脚本家新藤兼人の誕生日 | 詳細 |
1993年(平成5) | 全国103ヶ所の施設が「道の駅」として初めて正式登録される | 詳細 |
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