
今日は、平成時代の2005年(平成17)に、小説家・児童文学作家早船ちよの亡くなった日です。
早船ちよ(はやふね ちよ)は、大正時代の1914年(大正3)7月25日に、岐阜県飛騨郡古川町(現在の飛騨市古川町)に生まれましたが、高山市で育ちました。1929年(昭和4)に、高山女学校高等科を卒業し、産婦人科の病院に看護婦見習として就職、この年に最初の童話『松葉牡丹の種子』を「鑑賞文芸」に掲載します。
翌年には、東洋レーヨン石山工場に転職、1931年(昭和6)に片倉製糸諏訪工場へ再度転職した後、1933年(昭和8)に上京し、翌年に文学者・教育運動家の井野川潔と結婚、埼玉県浦和市に移りました。1941年(昭和16)に夫とともに文学同人誌「山脈」を創刊、初めての童話集『七ヒキノコガニ』を出版したものの、戦争が激しくなると埼玉県北足立郡戸塚村(現在の川口市)に疎開します。
1959年(昭和34)より翌年にかけて、『キューポラのある街』を雑誌「母と子」に連載、1961年(昭和36)に出版され、翌年には、第2回日本児童文学者協会賞を受賞すると共に日活で浦山桐郎監督・吉永小百合主演により映画化され、話題となりました。同年に『ポンのヒッチハイク』が第9回産経児童出版文化賞を受賞、埼玉県浦和市(現さいたま市)に夫と共に児童文化の会を設立します。
その後、『キューポラのある街』は、第2部『未成年』(1964年)、第3部『赤いらせん階段』(1967年)、第4部『さくらさくら』(1970年)、第5部『青い嵐』(1972年)と書き継がれました。続いて、児童文学としては『トーキョー夢の島』(1973年)、『春のシュトルム』(1974年)など、エッセイ集としては『わたしの飛騨』(1975年)が刊行されます。
一方、自伝的な『ちさ・女の歴史』シリーズは、1966年(昭和41)に『峠』、『湖』、『街』の三部作が発表され、1979年(昭和54)に『冷たい夏』、『炎群の秋』、『熱い冬』が書きあげられて六部作として完結しました。それからも、75歳まで小説、随筆、童話と幅広い執筆を続け、1997年(平成9)には故郷の岐阜県飛騨市古川町三之町に記念館「早船ちよ館」が開館します。
社会批判の眼と人間信頼の心に裏打ちされた作品を多く出してきましたが、2005年〈平成17〉10月8日に、神奈川県湯河原町の病院において、91歳で亡くなりました。
〇早船ちよの主要な作品
<小説>
・『キューポラのある街』(1961年)第2回日本児童文学者協会賞受賞
・『未成年 キューポラのある街 第2部』(1965年)
・『赤いらせん階段 キューポラのある街 第3部』(1967年)
・『さくらさくら キューポラのある街 第4部』(1970年)、
・『青い嵐 キューポラのある街 第5部』(1972年)
・『ちさ・女の歴史 第1部 峠』(1979年)
・『ちさ・女の歴史 第2部 湖』(1979年)
・『ちさ・女の歴史 第3部 街』(1979年)
・『ちさ・女の歴史 第4部 冷たい夏』(1979年)
・『ちさ・女の歴史 第5部 炎群の秋』(1979年)
・『ちさ・女の歴史 第6部 熱い冬』(1979年)
<児童文学>
・『七ヒキノコガニ』(1941年)
・『ポンのヒッチハイク』(1962年)第9回産経児童出版文化賞受賞
・『トーキョー夢の島』(1973年)
・『春のシュトルム』(1974年)
<エッセイ集>
・『わたしの飛騨』(1975年)
☆早船ちよ関係略年表
・1914年〈大正3〉7月25日 岐阜県古川町(現在の飛騨市古川町)に生まれる
・1929年(昭和4) 高山女学校高等科卒業し、産婦人科の病院に看護婦見習として就職する
・1930年(昭和5) 東洋レーヨン石山工場に転職する
・1931年(昭和6) 片倉製糸諏訪工場へ再度転職する
・1933年(昭和8) 上京する
・1934年(昭和9) 文学者の井野川潔と結婚し、埼玉県浦和市に移る
・1941年(昭和16) 夫とともに文学同人誌「山脈」を創刊、初めての童話集『七ヒキノコガニ』を出版する
・1959年(昭和34) 『キューポラのある街』を雑誌「母と子」に連載開始する
・1961年(昭和36) 『キューポラのある街』が出版される
・1962年(昭和37) 第2回日本児童文学者協会賞を受賞すると共に日活で吉永小百合主演により映画化され、『ポンのヒッチハイク』が第9回産経児童出版文化賞を受賞する
・1962年(昭和37) 埼玉県浦和市(現さいたま市)に夫と共に児童文化の会を設立する
・1966年(昭和41) 自伝的な「ちさ・女の歴史」シリーズの『峠』、『湖』、『街』の三部作が発表される
・1973年(昭和48) 児童文学『トーキョー夢の島』が刊行される
・1974年(昭和49) 児童文学『春のシュトルム』が刊行される
・1975年(昭和50) エッセイ集『わたしの飛騨』が刊行される
・1979年(昭和54) 自伝的な「ちさ・女の歴史」シリーズの『冷たい夏』、『炎群の秋』、『熱い冬』が書きあげられて六部作として完結する
・1997年(平成9)7月 故郷の岐阜県飛騨市古川町三之町に記念館「早船ちよ館」が開館する
・2005年〈平成17〉10月8日 神奈川県湯河原町の病院において、91歳で亡くなる
〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)
| 1857年(安政4) | 昆虫学者・名和昆虫研究所の創設者名和靖の誕生日(新暦11月24日) | 詳細 |
| 1884年(明治19) | 歌人・小説家吉井勇の誕生日 | 詳細 |
| 1946年(昭和21) | 洋画家・版画家・美術教育家山本鼎の命日 | 詳細 |
コメント