yoneharaunkai01

 今日は、明治時代前期の1869年(明治2)に、 彫刻家米原雲海の生まれた日ですが、新暦では9月27日となります。
 米原雲海(よねはら うんかい)は、出雲国安来(現在の島根県安来市)で漁業を営む木山家に生まれましたが、本名は幸太郎と言いました。小学校卒業後、宮大工に弟子入りし建築彫刻を学び、16歳の時に米原家の養子となります。
 京都や奈良の古仏に感銘を受けて彫刻家を志し、1890年(明治23)に上京して高村光雲に師事、また橋本雅邦からは画技を学びました。1892年(明治25)に光雲の代作をして日本美術協会展で『鸚鵡置物』が受賞、山崎朝雲と共に光雲門の双璧と称されるようになり、1894年(明治27)には、師光雲に因み雲海と号します。
 1895年(明治28)に『軍鶏』を第4回内国勧業博覧会に出品して妙技3等賞を受賞、同年には東京美術学校雇(1897年まで)となり、1897年(明治30)には、比例コンパスを利用した技術を用い『ジェンナー像』を制作しましたが、この技術は木彫界の革命と評されました。1903年(明治36)の第5回内国勧業博覧会に出品した『幼児と林檎』が入賞、1907年(明治40)には、岡倉天心の指導により平櫛田中、山崎朝雲らと日本彫刻会を結成します。
 同年の第1回東京勧業博覧会に出展した作品『清宵』は一等賞を受賞、この作品は1910年(明治43)にロンドンで行われた日英博覧会でも金賞となりました。1910年(明治43)以降、文展、帝展で審査員を務め、1913~19年(大正2~8)に、師光雲と共に長野県善光寺の仁王像の制作に従事、1920年(大正9)には、明治神宮造営にあたり、内殿に安置される狛犬を制作します。
 日本の伝統的木彫の正風を伝える理想主義的な作風として知られましたが、1925年(大正14)3月25日に、東京において、55歳で亡くなりました。

〇米原雲海の主要な作品

・『鸚鵡置物』高村光雲の代作(1892年)日本美術協会展入賞
・『軍鶏』(1895年)第4回内国勧業博覧会妙技3等賞受賞
・『ジェンナー像』(1897年)
・『幼児と林檎』(1903年)第5回内国勧業博覧会入賞
・『清宵』(1907年)第1回東京勧業博覧会一等賞、日英博覧会金賞
・『神来』(1907年)第1回文展3等賞受賞
・『寒山子』(1908年)第2回文展3等賞受賞
・『仙丹』(1910年)東京国立近代美術館蔵
・『旅人』(1914年)東京国立博物館蔵
・『竹取翁』(1921年)東京国立博物館蔵
・『仁王像』(1925年)高村光雲との合作 長野善光寺蔵 

☆米原雲海関係略年表(明治5年以前の日付は旧暦です)

・1869年(明治2年8月22日) 出雲国安来(現在の島根県安来市)の漁業を営む木山家に生まれる
・1885年(明治18年) 16歳の時、米原家の養子となる
・1890年(明治23年) 上京して高村光雲に師事する
・1892年(明治25年) 光雲の代作をして日本美術協会展で『鸚鵡置物』が受賞する
・1894年(明治27年) 師光雲に因み雲海と号する
・1895年(明治28年) 『軍鶏』を第4回内国勧業博覧会に出品して妙技3等賞を受賞する
・1895年(明治28年) 東京美術学校雇(1897年まで)となる
・1897年(明治30年) 比例コンパスを利用した技術を用い『ジェンナー像』を制作する
・1903年(明治36年) 第5回内国勧業博覧会に出品した『幼児と林檎』が入賞する
・1907年(明治40年) 平櫛田中、山崎朝雲らと日本彫刻会を結成する
・1907年(明治40年) 『神来』が第1回文展3等賞を受賞する
・1907年(明治40年) 『清宵』が第1回東京勧業博覧会一等賞を受賞する
・1910年(明治43年) 『清宵』を日英博覧会に出品し金賞を受賞する
・1910年(明治43年) 文展審査員となる
・1919年(大正8年) 長野善光寺の仁王像を光雲との合作により完成させる
・1920年(大正9年) 明治神宮造営にあたり、内殿に安置される狛犬を制作する
・1925年(大正14年)3月25日 東京において、55歳で亡くなる

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1941年(昭和16)劇作家・小説家長谷川時雨の命日詳細
1943年(昭和18) 詩人・小説家島崎藤村の命日(藤村忌)詳細
1944年(昭和19)沖縄からの学童疎開船「対馬丸」が米軍潜水艦により撃沈される(対馬丸事件詳細