今日は、昭和時代後期の1971年(昭和46)に、全日空機雫石衝突事故が起き、乗員乗客162人全員が死亡した日です。
全日空機雫石衝突事故(ぜんにっくうきしずくいししょうとつじこ)は、岩手県岩手郡雫石町上空を飛行中の全日本空輸(ANA)58便の旅客機(ボーイング727-281)と航空自衛隊の戦闘機(ノースアメリカンF-86Fセイバー)が衝突し、双方とも墜落した事故でした。これによって、機体に損傷を受けた旅客機は空中分解し、乗客155名と乗員7名の計162名全員が死亡したものの、航空自衛隊の戦闘機のパイロット(訓練生)はパラシュートで脱出しています。
事故原因は、自衛隊戦闘機の新人パイロットが飛行訓練中、訓練エリアから外れ、航空機の飛行エリアに侵入したことによるとされました。それまでの1966年(昭和41)2月4日に全日本空輸60便が羽田空港着陸直前に東京湾に墜落(原因不明)し、乗員乗客133人全員が死亡した事故を上回り、1985年(昭和60)8月12日に日本航空123便墜落事故が発生し、乗員乗客524人中520人が死亡するまで、日本国内最悪の航空機事故となります。
この空域は、民間の飛行ルートと自衛隊の訓練空域が重なりあい、自衛隊機の異常接近の危険は、かねてから指摘されていたところで、当時の増原防衛庁長官は、事故の責任を取って辞任しました。尚、事故後の裁判では、最高裁(1983年9月22日判決)により、当時の指導教官のみ「見張り義務違反」があったとして、禁錮3年(執行猶予3年)の判決が確定しています。
〇戦後の日本における重大航空機事故(死者30名以上)一覧
・1952年(昭和27)4月9日 日本航空301便(もく星号) 機種:マーチン2-0-2
状況: 伊豆大島の三原山山頂付近に墜落。乗員乗客37人全員が死亡。
・1958年(昭和33)8月12日 全日本空輸25便 機種:ダグラスDC-3
状況: エンジントラブルのため羽田空港に引き返そうとしたが、利島近海に墜落。乗員乗客33人全員が死亡。
・1966年(昭和41)2月4日 全日本空輸60便 機種:ボーイング727-81
状況: 羽田空港着陸直前に東京湾に墜落(原因不明)。乗員乗客133人全員が死亡。
・1966年(昭和41)3月4日 カナダ太平洋航空402便 機種:ダグラスDC-8-43
状況: 濃霧の中、羽田空港への着陸に失敗し爆発炎上。乗員乗客72人中64人が死亡。
・1966年(昭和41)3月5日 英国海外航空 (BOAC) 911便 機種:ボーイング707-436
状況: 富士山上空で乱気流に巻き込まれて機体が空中分解し墜落。乗員乗客124人全員が死亡。
・1966年(昭和41)11月13日 全日本空輸533便 機種:日本航空機製造YS-11-111
状況: 松山空港への着陸に失敗したため、着陸復行したが瀬戸内海沖合に墜落。乗員乗客50人全員が死亡。
・1971年(昭和46)7月3日 東亜国内航空63便(ばんだい号) 機種:日本航空機製造YS-11A-217
状況: 函館空港への着陸アプローチ中に山間部に墜落。乗員乗客68人全員が死亡。
・1971年(昭和46)7月30日 全日本空輸58便と航空自衛隊訓練機 機種:ボーイング727-281とノースアメリカンF-86Fセイバー
状況: 岩手県雫石町上空で空中衝突。全日空機の乗員乗客162人全員が死亡。
・1985年(昭和60)8月12日 日本航空123便 機種:ボーイング747SR-46
状況: 1978年6月の尻もち事故の際にボーイング社が修理ミスを起こしたために、飛行中に圧力隔壁が破壊され、操縦系統が破損し操縦不能に陥り迷走した後に墜落。乗員乗客524人中520人が死亡。
・1994年(平成6)4月26日 中華航空140便 機種:エアバスA300B4-622R
状況:名古屋空港への着陸復行の際に操縦士と機体制御システムが相反したあげく、失速し墜落。乗員乗客271人中264人が死亡。
〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)
1502年(文亀2) | 連歌師・古典学者宗祇の命日(新暦9月1日) | 詳細 |
1913年(大正2) | 歌人・小説家伊藤左千夫の命日(左千夫忌) | 詳細 |
1965年(昭和40) | 小説家谷崎潤一郎の命日(潤一郎忌) | 詳細 |
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