今日は、安土桃山時代の1587年(天正15)に、豊臣秀吉によって、「バテレン追放令」が出されたとされる日ですが、新暦では7月24日となります。
「バテレン追放令(ばてれんついほえれい)」は、豊臣秀吉が九州平定後、筑前箱崎(現在の福岡県福岡市東区)で発令した、キリスト教宣教師(バテレン)の国外追放令でした。『松浦家文書』によると、全5ヶ条からなり、日本は神国・仏教国なのでキリスト教が説かれることは不適当であり、宣教師は改宗を強制して仏法を破壊するものであるとして、キリスト教宣教師(バテレン)の20日以内の国外への退去を命じています。
しかし、貿易は認めたため、当初はあまり励行されなかったとされますが、1596年(慶長元)の宣教師・信者26人の処刑後は厳しくなりました。また、これに関連して、伊勢神宮の神宮文庫所蔵の『御朱印師職古格』の中に6月18日付の11ヶ条の覚書が残されています。
この追放令によって各地の教会などは没収または破壊されましたが、宣教師は九州各地に潜伏し、布教が続いたとされてきました。1603年(慶長8)の江戸幕府成立後も、徳川政権の禁教令に受け継がれていくこととなります。
以下に、『松浦家文書』と『御朱印師職古格』の「バテレン追放令」を全文掲載しておきますので、ご参照ください。
〇『伴天連追放令』(松浦家文書)
<原文>
定
一、日本ハ神國たる處、きりしたん國より邪法を授候儀、太以不可然候事。
一、其國郡之者を近附、門徒になし、神社佛閣を打破らせ、前代未聞候。國郡在所知行等給人に被下候儀者、當座之事候。天下よりの御法度を相守諸事可得其意處、下々として猥義曲事事。
一、伴天連其智恵之法を以、心さし次第二檀那を持候と被思召候ヘバ、如右日域之佛法を相破事前事候條、伴天連儀日本之地ニハおかせられ間敷候間、今日より廿日之間二用意仕可歸國候。其中に下々伴天連儀に不謂族申懸もの在之ハ、曲事たるへき事。
一、黑船之儀ハ商買之事候間、各別に候之條、年月を經諸事賣買いたすへき事。
一、自今以後佛法のさまたけを不成輩ハ、商人之儀ハ不及申、いつれにてもきりしたん國より往還くるしからす候條、可成其意事。
已上
天正十五年六月十九日 朱印
『松浦家文書』より
<読み下し文>
定
一、日本ハ神国たる処、きりしたん国[1]より邪法[2]を授け候儀、太だ以て然るべからず候事、
一、其の国郡の者を近付け門徒[3]になし、神社仏閣を打破るの由、前代未聞に候。国郡在所[4]知行等給人に下され候儀者、当座の事[6]に候。天下[7]よりの御法度[8]を相守り、諸事其の意を得べき処[9]、下下として猥の義[10]曲事[11]の事。
一、伴天連[12]、其知恵の法[13]を以て心ざし次第に檀那[14]を持ち候と思し召され候ヘば、右の如く日域の仏法を相破る事曲事[11]に候条、伴天連[12]の儀、日本の地にはおかせられ間敷く候間、今日より廿日の間に用意仕り帰国すべく候。その中に下々伴天連[12]にいわれざる族申し懸くるものこれあらば、曲事[11]たるべき事。
一、黒船[16]の儀は商売の事に候間、各別に候の条、年月を経、諸事売買いたすべき事。
一、自今[17]以後、仏法のさまたげを成さざる輩ハ、商人の儀ハ申すに及ばず、いづれにてもきりしたん国[1]より往還くるしからず候条、其意を成すべき事。
已上
天正十五年六月十九日 朱印
※漢字を新字に直してあります。
【注釈】
[1]きりしたん国:きりしたんこく=キリスト教国。ここでは、ポルトガルとスペインを指す。
[2]邪法:じゃほう=邪悪な教え。ここでは、キリスト教の教えを指す。
[3]門徒:もんと=信者。
[4]在所:ざいしょ=村。
[5]給人:きゅうにん=主君から知行地を与えられた者。ここでは、大名を指す。
[6]当座の事:とうざのこと=しばらくの間。一時的なこと。
[7]天下:てんか=一国を支配する者。ここでは、豊臣秀吉を指す。
[8]御法度:ごはっと=「法度」を敬っていう語。法令により禁止されている事柄。御禁制。
[9]得べき処:うべきところ=承知しておくこと。
[10]猥の義:みだりのぎ=勝手気ままなさま。ほしいまま。ここでは、大名が勝手に教会へ寄進することなどを指す。
[11]曲事:くせごと=けしからぬこと。
[12]伴天連:ばてれん=キリスト教宣教師の内で、司祭職にあるもの。
[13]其知恵の法:そのちえのほう=教義や科学・医学等の知識。
[14]檀那:だんな=信者。
[15]日域:にちいき=日本国内のこと。
[16]黒船:くろふね=ポルトガルやスペインなどの南蛮船のこと。
[17]自今:じこん=今からのち。以後。今後。
<現代語訳>
一、日本は神国であるから、キリスト教国(ポルトガル・スペイン)より邪法を布教するということは、まったくもってけしからぬこと。
一、その国郡の者を近付けて信者とし、神社仏閣を破却しているとのこと、前代未聞のことである。国郡や村を知行地等として大名に与えているのは、一時的なことである。秀吉公からの法令を守り、諸事その趣旨を承知しておくこと、臣下として勝手に教会へ寄進することなどけしからぬこと。
一、キリスト教宣教師は、その教義や科学・医学等の知識をもって、その心ざし次第で信者を増やしていると思われていたが、右のように国内の仏教を破壊している事はけしからぬこと、キリスト教宣教師については、日本の地には滞在させておくことはできないことであるから、今日より20日の間に用意をして帰国せよ。その中に臣下でキリスト教宣教師ではないと言い張る者がいれば、けしからぬこと。
一、南蛮船については商売の事であるから、特別扱いであり、年月がかかっても、諸々の物を売買するべきこと。
一、今より以後も、仏法の妨害をしない者は、商人については言うに及ばず、誰でもキリスト教国(ポルトガル・スペイン)より往来しても構わない、その趣旨を理解すること。
以上
天正15年(1587年)6月19日 朱印
〇『天正十五年六月十八日付覚』(御朱印師職古格)
<原文>
一、伴天連門徒之儀ハ、其者之可為心次第事。
一、国郡在所を御扶持に被遣候を、其知行中之寺庵百姓已下を心ざしも無之所、押而給人伴天連門徒可成由申、理不尽成候段曲事候事。
一、其国郡知行之義、給人被下候事ハ当座之義ニ候、給人ハかはり候といへ共、百姓ハ不替ものニ候條、理不尽之義何かに付て於有之ハ、給人を曲事可被仰出候間、可成其意候事。
一、弐百町ニ三千貫より上之者、伴天連ニ成候に於いてハ、奉得公儀御意次第ニ成可申候事。
一、右の知行より下を取候者ハ、八宗九宗之義候條、其主一人宛ハ心次第可成事。
一、伴天連門徒之儀ハ一向宗よりも外ニ申合候由、被聞召候、一向宗其国郡ニ寺内をして給人へ年貢を不成並加賀一国門徒ニ成候而国主之富樫を追出、一向衆之坊主もとへ令知行、其上越前迄取候而、天下之さはりニ成候儀、無其隠候事。
一、本願寺門徒其坊主、天満ニ寺を立させ、雖免置候、寺内ニ如前々ニは不被仰付事。
一、国郡又ハ在所を持候大名、其家中之者共を伴天連門徒押付成候事ハ、本願寺門徒之寺内を立て候よりも不可然義候間、天下之さわり可成候條、其分別無之者ハ可被加御成敗候事。
一、伴天連門徒心ざし次第ニ下々成候義ハ、八宗九宗之儀候間不苦事。
一、大唐、南蛮、高麗江日本仁を売遣侯事曲事、付、日本ニおゐて人の売買停止の事。
一、牛馬ヲ売買、ころし食事、是又可為曲事事。
右條々堅被停止畢、若違犯之族有之は忽可被処厳科者也、
天正十五年六月十八日 朱印
『御朱印師職古格』(神宮文庫所蔵文書)より
<読み下し文>
一、伴天連[1]門徒[2]の儀は、其者の心次第[3]たるべき事。
一、国郡在所[4]を御扶持に被遣候を、其知行中之寺庵百姓已下を心ざしも無之所、押而給人伴天連[1]門徒[2]可成由申、理不尽成候段曲事[5]候事。
一、其国郡知行之義、給人[6]ニ下され候事ハ当座之義[7]ニ候、給人[6]ハかはり候といへ共、百姓ハ不替ものニ候條、理不尽之義何かに付てこれ有るに於てハ、給人[6]を曲事[5]に仰出され候べく間、其の意を成さるべく候事。
一、弐百町二三千貫[8]より上の者、伴天連[1]ニ成候に於ゐてハ、公儀の御意[9]を得奉り次第ニ成申すべき事。
一、右の知行より下を取候ハバ、八宗九宗の儀[10]候間、其主一人宛ハ心次第[3]成るべき事。
一、伴天連[1]門徒[2]之儀ハ一向宗[11]よりも外ニ申合候由、聞召され候、一向宗[11]其国郡ニ寺内をして給人[5]へ年貢を成さず並加賀一国門徒[2]ニ成候而国主の富樫[12]を追出、一向衆之坊主もとへ知行を令す、其上越前迄取候而、天下之さはり[13]ニ成候儀、其隠し無され候事。
一、本願寺門徒其坊主、天満ニ寺を立させ[14]、雖免置候、寺内ニ如前々ニは仰付ざる事
一、国郡又は在所[4]を持候大名、其家中の者共、伴天連[1]門徒[2]ニ押付成候事ハ、本願寺門徒の寺内を立し[15]より太然るべからざる義に候間、天下のさわり[13]ニ成るべく候条、其分別[16]これ無き者ハ御成敗[17]を加へらるべく候事。
一、伴天連[1]門徒[2]心ざし次第ニ下々成候義ハ、八宗九宗の儀[10]ニ候間苦しからざる事。
一、大唐[18]、南蛮[19]、高麗[20]え日本仁を売遣候[21]事曲事[7]。付、日本ニおゐて人の売買停止の事。
一、牛馬を売買しころし食事、是又曲事[7]たるべき事。
右の条々、堅く停止せられ畢、若違犯の族これ有らば、忽厳科[22]に処せらるべき者也。
天正十五年六月十八日 朱印
【注釈】
[1]伴天連:ばてれん=キリスト教宣教師の内で、司祭職にあるもの。
[2]門徒:もんと=信者。
[3]心次第:こころしだい=心のまま。自由。
[4]在所:ざいしょ=村。
[5]曲事:くせごと=けしからぬこと。
[6]給人:きゅうにん=主君から知行地を与えられた者。ここでは、大名を指す。
[7]当座之義:とうざのぎ=しばらくの間。一時的なこと。
[8]弐百町二三千貫:にひゃくちょうにさんぜんがん=当時、行地二百町は貫高(銭納換算年貢額)二三千貫に相当した。
[9]公儀の御意:こうざのぎょい=豊臣秀吉の許可。
[10]八宗九宗の儀:はっしゅうきゅうしゅうのぎ=八宗とは南都六宗と天台宗・真言宗、九宗はこれに禅宗を加える。
[11]一向宗:いっこうしゅう=他宗よりつけられた浄土真宗の別称。
[12]国主の富樫:こくしゅのとがし=加賀国の守護大名だった富樫氏のこと。
[13]さわり=障害。
[14]天満ニ寺を立させ:てんまんにてらをたてさせ=現在の大阪府大阪市北区天満にあった浄土真宗の天満本願寺のこと。
[15]本願寺門徒の寺内を立し:ほんがんじもんとのじないをりっし=一向宗徒が寺内町を作ること。
[16]分別:ふんべつ=道理をよくわきまえていること。また、物事の善悪・損得などをよく考えること。
[17]成敗:せいばい=処罰すること。こらしめること。
[18]大唐:だいとう=中国のこと。この場合は、明国。
[19]南蛮:なんばん=ポルトガルとスペインのこと。
[20]高麗:こうらい=朝鮮のこと。
[21]日本仁を売遣候:にほんじんをうりつかわしそうろう=日本人を奴隷として海外に輸出する。
[22]厳科:げんか=きびしい処罰。厳罰。
<現代語訳>
一、キリスト教徒については、その者の心のままであるべきこと。
一、国郡や村を知行地として与えられているのを、その知行地の中の寺庵や百姓以下を心ざしもない中で、大名が無理やりキリスト教徒と成していると聞く、理不尽なことでけしからぬこと。
一、その国郡知行地について、大名に与えられたのは一時的なことであり、大名は交代になると言っても、百姓は代わらないものであるから、理不尽なことが何かに付て有るについては、大名がけしからぬことを仰せ出している間に、その趣旨をくみ取らせてしまうべきこと。
一、弐百町二三千貫より知行地が上の者は、キリスト教徒になるにあたっては、豊臣秀吉の許可を得次第とするべきこと。
一、右の知行地より下の者は、南都六宗と天台宗・真言宗・禅宗と同様に、その主一人ずつの心のままであるべきこと。
一、キリスト教徒については、一向宗以上に申し合わせている旨、聞いてはいるが、一向宗はその国郡に寺内町を形成し、大名へ年貢を出さず、並びに加賀国一向宗徒に至っては、国主の富樫氏を追い出し、一向宗の僧侶の下で知行し、その上越前国まで奪って、豊臣秀吉の支配の障害となっているにつき、それは隠しようがないこと。
一、本願寺門徒その僧侶には、天満本願寺を立てさせ、許しを設けていると言っても、寺内については以前のようには仰せ付けていないこと。
一、国郡や村を知行地とされている大名は、その家中の者達にキリスト教徒としてキリスト教への入信を強制することは、一向宗徒が寺内町を作ることより、はなはだふさわしくないことであり、豊臣秀吉の支配の障害になることであるから、その道理がわきまえられない者は、処罰を加へられるべきこと。
一、キリスト教徒はその者の心のままであるべきこと、臣下については、南都六宗と天台宗・真言宗・禅宗と同様で、かまわないこと。
一、明国、ポルトガル・スぺイン、朝鮮へ日本人を奴隷として海外に輸出することは、けしからぬこと。付属、日本において人の売買は差し止めること。
一、牛馬を売買し、殺して食すること、これまたけしからぬことであること。
右の条項、堅く差し止めさせること、もし違犯するものがあれば、たちまち厳罰に処せらるべきものである。
天正15年(1587年)6月18日 朱印
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