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 今日は、大正時代の1921年(大正10)に、日本最初の社会主義的婦人団体「赤瀾会」が結成された日です。
 「赤瀾会(せきらんかい)」は、1920年(大正9)12月に、社会主義者の統一組織である日本社会主義同盟に参加した婦人の内の堺真柄、橋浦春子に九津見房子、秋月静枝が加わって、4人が発起人となり、顧問格で伊藤野枝、山川菊栄が参加し、42名の会員で発足しました。設立当初は社会主義同盟員の家族(妻や娘)が中心で、「私達は私達の窮乏と無知と隷属に沈淪せしめたる一切の圧制に対して、断乎として宣戦を布告するものであります」と宣言、婦人の啓蒙・隷属からの解放を趣旨に活動することになりますが、「新婦人協会」とは反目します。
 1921年(大正10)5月1日の第二回メーデーでビラまきを行い、10名ほどが検束され、また同年秋には陸軍の大演習にあたって、戦争反対のビラをまき、大量の検挙者を出すなど活発に活動しました。また、雑誌に論文を発表したり、「婦人問題講演会」(6月11日)、「夏期講習会」(7月18日~22日)などを開いて、社会主義の宣伝普及、婦人の地位向上のために努めています。
 しかし、官憲の弾圧は強く、主要な会員が検挙されるなど困難な状態が続き、1922年(大正11)には、「国際婦人デー」を記念する山川菊栄らの「八日会」へ改組されました。

〇赤瀾会関係略年表

・1919年(大正8)11月24日 平塚らいてう、「婦人の団結を望む」と題した講演で、新婦人協会設立の趣旨並に目的を発表。「新婦人協会」が発足する
・1920年(大正9)2月21日 東京神田で「新婦人協会第一回演説会」。市川房枝、山田わか、大山郁夫らが演壇に立つ。 3月28日 新婦人協会発会式。宣言と綱領、規約、役員を決定する
・1920年(大正9)4月 『婦人之友』婦人解放号特集
・1920年(大正9)5月1日 日本で初のメーデーに堺為子が参加する
・1920年(大正9)5月 与謝野晶子が雑誌『女人創造』に『新婦人協会の請願運動』を発表する
・1920年(大正9)10月30日 新婦人協会婦人参政演説会
・1920年(大正9)11月18日 新婦人協会広島支部に圧力がかかる
・1921年(大正10)2月 伊藤野枝、雑誌『改造』2月号に「中産階級婦人の利己的運動:婦人の政治運動と新婦人協会の運動について」を発表 3月26日 治安警察法5条改正案、44議会貴族院本会議で否決。
・1921年(大正10)4月24日 「赤瀾会」が結成される
・1921年(大正10)5月1日 第二回メーデーで赤瀾会の参加者、全員検束される
・1921年(大正10)5月9日 社会主義同盟第二回大会が警察の妨害によって中止
・1921年(大正10)5月14日 建設者同盟の講演会に九津見房子と仲宗根貞代が参加する
・1921年(大正10)5月28日 社会主義同盟が結社禁止命令を受ける
・1921年(大正10)6月 伊藤野枝、赤瀾会に関し雑誌『労働運動』に「婦人の反抗」、『改造』に「赤瀾会について」を発表する
・1921年(大正10)6月11日 赤瀾会、「婦人問題講演会」を開催する
・1921年(大正10)7月 山川菊栄が雑誌『太陽』7月号に『新婦人協会と赤瀾会』を発表する
・1921年(大正10)7月18日~22日 赤瀾会事務所で「夏期講習会」を開催する
・1921年(大正10)8月 新婦人協会の奥むめお、雑誌『太陽』8月号に『私どもの主張と立場』を発表する
・1921年(大正10)9月9日 「お目出度誌事件」で赤瀾会会員高津多代子が収監される
・1921年(大正10)10月12日 暁民共産党事件(軍隊赤化事件)
・1921年(大正10)12月6日 暁民共産党事件の容疑で赤瀾会の堺真柄、仲宗根貞代が収監される
・1921年(大正10)12月13日 無産社で赤瀾会の相談会
・1922年(大正11)1月9日 赤瀾会の堺真柄、仲宗根貞代が保釈出獄
・1922年(大正11)2月17日 新婦人協会の坂本真琴と奥むめお、第45帝国議会審議中の治安警察法改正案成立のため、反対派の貴族院議員藤村男爵を訪ね談判、法改正への賛同を得る
・1922年(大正11)3月25日 治安警察法5条2項改正案成立する
・1922年(大正11)5月10日 公布施行(女性集会の自由獲得)
・1922年(大正11)5月15日 新婦人協会、治安警察法改正の記念演説会開催する
・1922年(大正11)10月17日 新婦人協会婦人参政権演説会
・1922年(大正11)12月8日 新婦人協会の総会、協会の解散をきめる
・1923年(大正12)2月2日 婦人参政同盟結成
・1923年(大正12)3月8日 第一回国際女性デー演説会、「赤瀾会」は「八日会」に改組される
・1923年(大正12)3月13日 婦人参政権建議案を初めて衆議院に上程
・1923年(大正12)9月16日 伊藤野枝、夫大杉栄及び甥橘宗一らと共に、甘粕正彦大尉率いる憲兵隊に拉致虐殺される(甘粕事件)

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

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1951年(昭和26)国鉄で桜木町事故が起こり、電車火災により死者106人・重軽傷92人を出す詳細