今日は、飛鳥時代の604年(推古天皇12)に、日本最初の成文法とされる「十七条憲法」が出された日ですが、新暦では5月6日となります。
十七条憲法(じゅうしちじょうけんぽう)は、聖徳太子(厩戸皇子)が作ったとされる、17ヶ条からなる条文で、『日本書紀』第22巻の推古12年(604)4月戊辰(4月3日)条に「皇太子親(みずか)ら肇(はじ)めて憲法十七条を作る」と書かれていました。その内容は、法典というより道徳律で、当時の朝廷に仕える諸氏族などの人々に対し、守るべき態度・行為の規範を示した官人服務規定ともいうべきものとされています。
仏教思想を基調とし、儒家・法家の思想の影響が強く、天皇を中心とする中央集権的国家建設を目指すもので、大化改新の政治的理念となりました。後世の法典編纂の上に大きな影響を与え、『御成敗式目』、『建武式目』、『朝倉孝景条々』などには形式上及び内容上に多くの影響を与えているとされます。
以下に、『日本書紀』第22巻の推古天皇12年条の「十七条憲法」の記述を掲載しておきますので、ご参照下さい。
〇『日本書紀』第22巻 推古天皇12年条の「十七条憲法」の記述
<原文>
夏四月丙寅朔戊辰、皇太子親肇作憲法十七條。
一曰、以和爲貴、無忤爲宗。人皆有黨。亦少達者。以是、或不順君父。乍違于隣里。然上和下睦、諧於論事、則事理自通。何事不成。
二曰、篤敬三寶。々々者佛法僧也。則四生之終歸、萬國之禁宗。何世何人、非貴是法。人鮮尤惡。能敎従之。其不歸三寶、何以直枉。
三曰、承詔必謹。君則天之。臣則地之。天覆臣載。四時順行、萬気得通。地欲天覆、則至懐耳。是以、君言臣承。上行下靡。故承詔必愼。不謹自敗。
四曰、群卿百寮、以禮爲本。其治民之本、要在禮乎、上不禮、而下非齊。下無禮、以必有罪。是以、群臣禮有、位次不亂。百姓有禮、國家自治。
五曰、絶饗棄欲、明辨訴訟。其百姓之訟、一百千事。一日尚爾、況乎累歳。頃治訟者、得利爲常、見賄廳讞。便有財之訟、如右投水。乏者之訴、似水投石。是以貧民、則不知所由。臣道亦於焉闕。
六曰、懲惡勸善、古之良典。是以无匿人善、見-悪必匡。其諂詐者、則爲覆二國家之利器、爲絶人民之鋒劔。亦佞媚者、對上則好説下過、逢下則誹謗上失。其如此人、皆无忠於君、无仁於民。是大亂之本也。
七曰、人各有任。掌宜-不濫。其賢哲任官、頌音則起。姧者有官、禍亂則繁。世少生知。剋念作聖。事無大少、得人必治。時無急緩。遇賢自寛。因此國家永久、社禝勿危。故古聖王、爲官以求人、爲人不求官。
八曰、群卿百寮、早朝晏退。公事靡盬。終日難盡。是以、遲朝不逮于急。早退必事不盡。
九曰、信是義本。毎事有信。其善悪成敗、要在于信。群臣共信、何事不成。群臣无信、萬事悉敗。
十曰、絶忿棄瞋、不怒人違。人皆有心。々各有執。彼是則我非。我是則彼非。我必非聖。彼必非愚。共是凡夫耳。是非之理、詎能可定。相共賢愚、如鐶无端。是以、彼人雖瞋、還恐我失。、我獨雖得、從衆同擧。
十一曰、明察功過、賞罰必當。日者賞不在功。罰不在罪。執事群卿、宜明賞罰。
十二曰、國司國造、勿収斂百姓。國非二君。民無兩主。率土兆民、以王爲主。所任官司、皆是王臣。何敢與公、賦斂百姓。
十三曰、諸任官者、同知職掌。或病或使、有闕於事。然得知之日、和如曾識。其以非與聞。勿防公務。
十四曰、群臣百寮、無有嫉妬。我既嫉人、々亦嫉我。嫉妬之患、不知其極。所以、智勝於己則不悦。才優於己則嫉妬。是以、五百之乃今遇賢。千載以難待一聖。其不得賢聖。何以治國。
十五曰、背私向公、是臣之道矣。凡人有私必有恨。有憾必非同、非同則以私妨公。憾起則違制害法。故初章云、上下和諧、其亦是情歟。
十六曰、使民以時、古之良典。故冬月有間、以可使民。從春至秋、農桑之節。不可使民。其不農何食。不桑何服。
十七曰、夫事不可獨斷。必與衆宜論。少事是輕。不可必衆。唯逮論大事、若疑有失。故與衆相辮、辭則得理。
『日本書紀』第二十二巻 豊御食炊屋姫天皇 推古天皇十二年
<読み下し文>
夏四月丙寅の朔戊辰、皇太子[1]親ら肇めて憲法十七条を作りたまふ。
一に曰はく、和を以て貴しと為し[2]、忤ふること[3]無きを宗と為す[4]。人皆党有りて[5]、亦達者少し[6]。是を以て或は君父に順はずして、乍た隣里に違ふ。然れども上和ぎ下睦びて、事を論ふに諧へば[7]、則ち事理自ら通ふ[8]、何事か成らざらむ。
二に曰はく、篤く三宝[9]を敬へ。三宝[9]は仏法僧なり。則ち四生[10]の終帰[11]、万国の極宗なり[12]。何の世、何の人か是の法を貴ばざる。人尤だ悪しきもの鮮なし。能く教ふるをもて従ふ。其れ三宝[9]に帰せずんば、何を以てか枉れるを直さむ。
三に曰はく、詔を承けては必ず謹め[13]。君をば天とす。臣をば地とす。天覆ひ地載す。四時[14]順り行き、方気通ふを得。地天を覆と欲するときは、則ち壊れを致さむのみ。是を以て君言ふときは臣承る。上行へば下靡く。故に詔を承けては必ず慎め。謹まざれば自らに敗れむ。
四に曰はく、群卿百寮[15]、礼を以て本と為よ。其れ民を治むる本は、要は礼に在り。上礼無きときは下斉らず。下礼無きときは以て必ず罪有り。是を以て群臣礼有るときは、位の次て乱れず。百姓[16]礼有るときは、国家自ら治まる。
五に曰はく、饗を絶ち、欲を棄て、明に訴訟を弁へよ。其れ百姓[16]の訟は一日に千事あり。一日すら尚爾り。況んや歳を累ぬるをや。須らく訟を治むべき者、利を得て常と為し、賄なひを見て讞を聴さば、便ち財有るものの訟は、石をもて水に投ぐるが如し。乏しき者の訟は、水をもて石に投ぐるに似たり。是を以て貧しき民、則ち所由を知らず。臣道亦焉に於て闕けむ。
六に曰はく、悪を懲し善を勧むるは、古の良き典なり。是を以て人の善を慝すこと無く、悪を見ては必ず匡せ。若し諂ひ詐いつはる者は、則ち国家を覆すの利器たり。人民を絶つ鋒剣たり。亦侫媚者[17]は、上に対ひては則ち好みて下の過を説き、下に逢ては則ち上の失を誹謗る。其れ如此の人は、皆君に忠无く民に仁無し。是れ大きなる乱の本なり。
七に曰はく、人各任掌ること有り。宜しく濫れざるべし。其れ賢哲[18]官に任すときは、頌音[19]則ち起り、奸者[20]官を有つときは、禍乱[21]則ち繁し。世に生れながら知ること少けれども、尅く念ひて聖を作せ。事大小と無く、人を得て必ず治む。時急緩と無く、賢に遇ひて自ら寛なり。此に因て国家永久、社稷[22]危きこと無し。故れ古の聖王、官の為に以て人を求む、人の為に官を求めたまはず。
八に曰はく、群卿百寮[15]、早く朝り晏く退でよ。公事監靡く、終日にも尽し難し。是を以て遅く朝れば急に逮ばず。早く退れば必ず事尽さず。
九に曰はく、信は是れ義の本[23]なり。事毎に信有れ。若し善悪成敗[24]、要は信に在り。君臣共に信あるときは何事か成らざらむ。群臣信无くは、萬事悉に敗れむ[25]。
十に曰はく、忿を絶ち[26]瞋を棄て[27]、人の違ふことを怒らざれ。人皆心有り。心各執ること有り。彼是なれば吾は非なり、我是なれば則ち彼非なり。我必ずしも聖に非ず。彼必ずしも愚に非ず。共に是れ凡夫のみ。是非の理、誰か能く定む可き。相共に賢愚、鐶の端无きが如し。是を以て彼の人は瞋ると雖も、還て我が失を恐る。我独り得たりと雖も、衆に従ひて同く挙へ。
十一に曰はく、功過[28]を明察[29]にして、賞罰必ず当てよ。日者、賞功に在らず、罰罰に在らず。事を執れる群卿、宜しく賞罰を明にすべし。
十二に曰はく、国司[30]国造、百姓[16]に歛ること勿れ[31]、国に二君非く、民に両主無し、率土[32]の兆民[33]、王[34]を以て主と為す。所任官司は皆是れ王臣なり。何ぞ敢て公と与に百姓[16]に賦斂らむ。
十三に曰はく、諸の任官者、同じく職掌[35]を知れ。或は病し或は使して、事に闕ることあり。然れども知るを得ての日には、和ふこと曾より識るが如くせよ。其れ与り聞くに非ざるを以て、公務を防ぐること勿れ。
十四に曰はく、群卿百寮[15]、嫉み妬むこと有る無れ。我既に人を嫉めば、人亦我を嫉む。嫉妬の患、其の極りを知らず。所以に智己れに勝れば、則ち悦ばず。才己れに優れば、則ち嫉妬む。是を以て五百にして乃ち賢に遇はしむれども、千載[36]にして以て一聖を待つこと難し。其れ聖賢を得ざれば、何を以てか国を治めむ。
十五に曰はく、私を背いて公に向く[37]は、是れ臣の道なり。凡そ夫人私有れば必ず恨有り、憾有れば必ず同らず。同らざれば則ち私を以て公を妨ぐ。憾起れば則ち制に違ひ法を害る。故に初の章に云へり、上下和諧れと。其れ亦是の情なる歟。
十六に曰はく、民を使ふに時を以てする[38]は古の良典なり。故れ冬の月[39]には間有り、以て民を使ふ可し。春従り秋に至つては、農桑[40]の節なり、民を使ふ可らず。其れ農らずば何を以てか食はむ。桑ひせずば何をか服む。
十七に曰はく、夫れ事は独り断む可らず。必ず衆と与に宜しく論ふべし。少事は是れ軽し、必ずしも衆とす可らず。唯大事を論はんに逮びては、若し失有らんことを疑ふ。故に衆と与に相弁ふるときは、辞則ち理を得。
【注釈】
[1]皇太子:こうたいし=聖徳太子(厩戸皇子)を指すとされる。
[2]和を以て貴しと為し:わをもってとうとしとなす=『礼記』や『論語』からの引用。
[3]忤ふること:さかふること=逆らったり、背いたり、争ったりすること。
[4]無きを宗と為す:なきをむねとなす=『礼記』儒行や『論語』学而に基づいている。
[5]人皆党有りて:ひとみなたむらありて=世間では徒党を組みたがるものだが。
[6]達者少し:さとるひとすくなし=『春秋左氏伝』僖公による。
[7]事を論ふに諧へば:ことをあげつらふにかなへば=意見を述べあうこと。
[8]事理自ら通ふ:ことわりおのづからかよふ=道理が自然に通ずる。
[9]三宝:さんぼう=仏・法・僧のことで、仏教を表す。
[10]四生:ししょう=『法華経』にみえる胎生・卵生・湿生・化生の称で、すべての生物のこと。
[11]終帰:しゅうき=最終的なよりどころ。帰結点。
[12]万国の極宗なり:よろずのくにのきわめのむねなり=すべての国々に共通する最も優れた教え。
[13]必ず謹め:かならずつつしめ=必ず心服しなさい。
[14]四時:よつのとき=春夏秋冬の四季。
[15]群卿百寮:まえつきみたちつかさつかさ=朝廷の身分の高い役人。
[16]百姓:おおみたから=班田農民・地方豪族・官人貴族などの人々。庶民。
[17]侫媚者:かだみこぶるひと=こびへつらう者。おべっか者。〔
[18]賢哲:けんてつ/さかしひと=賢人と哲人。かしこくて、物事の道理に通じていること。また、そういう人や、そのさま。
[19]頌音:しょうおん/ほむるこえ=ほめたたえる声。頌栄。
[20]奸者:かんじゃ/かだましきひと=心の正しくない人。悪い人。
[21]禍乱:からん/わざわいみだれ=世の乱れや騒動。
[22]社稷:しゃしょく/くに=天下の土地を祭る国家的祭祀のことで、国家の代名詞。
[23]義の本:ことわりのもと=人として行うべき道。
[24]成敗:せいはい/なりならぬこと=成功と失敗。
[25]萬事悉に敗れむ:よろずのことことごとくにやぶれむ=すべてが失敗する。
[26]忿を絶ち:こころのいかりをたち=心の怒りをなくし。
[27]瞋を棄て:おもえりのいかりをすてて=憤りの表情を棄て。
[28]功過:いさみあやまり=てがらとあやまち。功罪。
[29]明察:あきらかにみて=はっきりと真相や事態を見抜くこと。
[30]国司:くにのみこともち=大化の改新以前に国司はなかったので、編纂時の改竄ともされる。
[31]歛ること勿れ:おさむろことなかれ=恣意に徴税してはならない。
[32]率土:くにのうち=陸地の続くかぎり。国の果て。国土。
[33]兆民:おおみたから=たくさんの人民。万民。
[34]王:きみ=天皇の事。
[35]職掌:つかさこと=担当の職務、また役目。また、その担当者。
[36]千載:ちとせ=千年。長い年月。
[37]私を背いて公に向く:わたくしをそむきておおやけにおもむく=私欲を捨てて、国家の利益をはかる。
[38]時を以てする:ときをもってする=時期をよく考える、ここでは農閑期を指す。
[39]冬の月:ふゆのつき=10月から12月。
[40]農桑:なりわいこかい=農耕と養蚕。
<現代語訳>
夏4月3日に、皇太子は自らはじめて憲法十七条を作った。
一にいう、和を大切にし、人と争うことがないように心がけよ。世間では徒党を組みたがるものだが、世の道理がわかっている者は決して多くはない。従って、あるいは君主や親に従わなかったり、また近隣の人々と仲たがいしたりする。しかし、上が和ぎ下が睦みあえば、意見を述べあうこと、すなわち道理が自然に通じて、何事もうまくいくものであろう。
二にいう、篤く仏教を敬へ。三宝は仏・法・僧のことである。すなわちすべての生物の最終的なよりどころであり、すべての国々に共通する最も優れた教えである。どの時代、どの人がこの教えを貴ばないでおられるだろうか、いやおられない。心底からの悪人は稀であり、よく教えれば従うものである。それ仏教に帰依しないならば、どうしてゆがんだ心を正せるだろうか。
三にいう、天皇の命を受けたらしっかりと従いなさい。天皇は天、臣下は地のようなものだ。天が万物を覆い、地が万物を載せている。四季が順調に移ろい、万物の霊気が通うことが出来る。地が天を覆おうとするなら、すなわち秩序が破壊されるばかりである。ここをもって、君主の言に臣下は必ず承服する。上の者が行えば下の者が従うものである。従って、詔を承けたならば必ず従え。従わなければ、自ら滅んでしまうであろう。
四にいう、朝廷の身分の高い役人は、礼を根本とせよ。それ民を治むる根本は礼にある。上の者に礼が無きときは下の者の秩序も整わず。下の者に礼無きときは必ず犯罪が起きる。こだからこそ、群臣に礼が有るときは、序列が乱れず。庶民に礼が有るときは、国家は自然と治まるものであろう。
五にいう、饗応を絶ち、物欲を棄て、公明に訴訟を裁きなさい。それ庶民の訴えは一日に千件もある。一日でもそうならば、月日を重ねればなおさらのことだ。近頃訴訟に携わる者は、私利を得るのを常として、賄賂を見て申し立てを聴いているようだ、すなわち財力の有る者の訴えは、石を水に投げ込むように必ず聞き届けられるが、貧しい者の訴えは、水を石げかけるがごとく手ごたえがないものとなっている。これでは貧しき者は、どうしてよいかわからず。臣としての道に背くこととなるだろう。
六にいう、悪を懲らしめ、善を勧めるのは、昔からの良き教えである。従って、人の善行は隠すことなく周知させ、悪行を見たならば必ず正さなければならない。もし、こびへつらい欺く者があれば、すなわち国家を覆す利器ともなり、人民を滅ぼす鋭い剣ともなる。また、こびへつらう者は、上の者に対しては、すなわち好みて下の者の過失を唱え、下の者に向かってはすなわち上の者の過失を誹謗するものである。このような人は、みな天皇に忠義がなく、人民には仁がないものである。これは大きな乱れの元となろう。
七にいう、人にはそれぞれの任務があり、その職掌を守り、濫用しないようにせよ。物事の道理に通じている者が官に任是られているときは、ほめたたえる声が起り、心の正しくない者が官に有るときは、世の乱れや騒動が繁しくなる。世間には生れながらにして物事をわきまえている人は少ないけれども、よく思慮を働かせ、聖人となるのだ。事の大小に関係無く、適材を得て必ず治められる。時の流れに関係なく、賢人が出出現すれば自ら寛容な世となる。これによって国家は永久で、国家が危いことはない。よって、昔の聖王は、官のために適材の人を求めたのであり、人のために官を求めたりはしなかった。
八にいう、朝廷の身分の高い役人は、朝早くから出仕し、遅くに退出するようにせよ。公務は揺るがせに出来ないものであり、一日中務めても、すべて終えることは難しい。従って、遅く出仕したのでは緊急の用事に間に合わないし、早く退出したのでは必ず仕事を残してしまうであろう。
九にいう、信はこれ人として行うべき道である。事毎に信有れ。事のよしあし、成功と失敗の要点は信にかかっている。群臣が共に信あるときはどのようなことでも成功するだろう。群臣に信がなければ、すべてが失敗するであろう。
十にいう、心の怒りをなくし、憤りの表情を棄て、他の人が違うことを怒らないようにせよ。人にはみな心がある。心にはそれぞれの思慮することが有る。相手が是としても自分が非のときがあり、自分が是としても、相手が非のときもある。自分は必ずしも聖人ではなく、相手も必ずしも愚というわけではない。ともにこれ凡人なのだ。これが良いとか悪いとか、だれが定め得るのだろう。お互いに賢くもあり愚かでもあり、それは耳輪には端がないようなものである。従って、相手が怒ったら、むしろ自分が過失を犯しているのではないかと恐れなさい。自分はこれが正しいと思っても、衆人の意見を尊重し、一緒に行動した方が良いであろう。
十一にいう、功罪をはっきりと見抜いて、賞罰を必ず行わなければならない。近頃、賞と功が一致せず、罰と罰も一致しないことが良くある。政務にたずさわる群卿は、賞罰を適正、明確に行うべきであろう。
十二にいう、国司や国造は、庶民に対し恣意に徴税してはならない。国に二人の君主はなく、民に二人の主はいない。国土のたくさんの人民は、天皇を以て主人としている。国政を任せられている官司の人々は、みな天皇の臣なのである。どうして国家と並んで庶民から徴税することが許されるものであろうか。
十三にいう、諸々の任官している者は、その担当の職務を熟知せよ。あるいは病気になり、あるいは使いに出て、執務できないこともある。しかし、政務を執れる時にはなじんで、前々より熟知していたかのようにしなさい。そのようなことに自分は関知しないといって、公務を妨げるようなことがあってはならない。
十四にいう、朝廷の身分の高い役人は、恨んだり妬んだりしてはならない。自分が人に嫉妬すれば、人もまた自分を嫉妬するものである。嫉妬の憂いは際限がない。従って、英知が自分より勝れば、すなわち悦ばず。才能が自分に優れば、すなわち嫉妬する。それでは、500年を経て賢人に出会うことも、千年を経て一人の聖人が現れることも難しいだろう。賢人や聖人を得なくては、どうして国を治めることができようか。
十五にいう、私欲を捨てて、国家の利益をはかることは、これ臣たる者の道である。およそ人というものは私心が有れば必ず恨みを買うものであり、恨みが有れば必ず不和が生じる。不和が生じればすなわち私心をもって公務を妨げることになる。恨みの気持ちが起これば制に反し、法を犯すことになる。従って、一の章で、「上下の人々が相和し協調するようと。」述べたのもこの思いからである。
十六にいう、民を使役するのは農閑期とするは、昔からの良い教えである。従って、冬の月(10~12月)に余暇が有れば、民を使役するべきである。春から秋にかけては、農耕と養蚕の季節であり、民を使役してはならない。農耕をしなかったならば何を食べたらよいのか。養蚕をしなかったならば何を着ればよいのか。
十七にいう、物事は独断で決めてはならない。必ずみなと共に論じ合うようにすべきである。些細なことは必ずしも皆にはからなくてもよい。ただ大事の場合は、独断では誤った判断をするかも知れない。従って、人々と共に議論するときは、道理にかなった方法を見出すことができるであろう。
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