shyoukoutennou01

 今日は、室町時代の1401年(応永8)に、第101代の天皇とされる称光天皇の生まれた日ですが、新暦では5月12日となります。
 称光天皇(しょうこうてんのう)は、京都において、後小松天皇の第一皇子(母は日野資国の娘資子)として生まれましたが、名は躬仁・実仁(みひと)と言いました。1411年(応永18)に親王宣下を受け、3日後に11歳で元服し、加冠役は第4代将軍で内大臣の足利義持が務めます。
 翌年に父・後小松天皇の譲位を受けて、践祚しましたが、父が院政を行い、1414年(応永21)には、第101代とされる天皇として即位しました。1421年(応永28)に諸国に飢饉、疫病が流行し、翌年以降、体調を崩し、病気が進行し、病弱な体質となります。
 一族の日野光子を典侍として迎えたものの子を成さず、1422年(応永29)に義持と仙洞御所で相談し、天皇の弟である小川宮を東宮(皇太弟)としました。1422年(応永29)に病が奇跡的に回復しましたが、1425年(応永32)には小川宮(皇太弟)が亡くなっています。
 1425年(応永32)に重病に倒れ、翌年にいったん病気が全快しましたが、1426年(応永33)に近江坂本の馬借一揆が京都へ入るなど政情は不安定でした。1428年(正長元)に危篤に陥り、同年7月20日には、京都において、数え年28歳で亡くなっています。
 尚、陵墓は深草北陵(京都府京都市伏見区深草坊町)とされました。

〇称光天皇関係略年表(日付は旧暦です)

・1401年(応永8年3月29日) 京都において、後小松天皇の第一皇子(母は日野資国の娘資子)として生まれました
・1411年(応永18年11月25日) 親王宣下を受ける
・1411年(応永18年11月28日) 11歳で元服し、加冠役は第4代将軍で内大臣の足利義持が務める
・1412年(応永19年8月29日) 父・後小松天皇の譲位を受けて、践祚するが、父が院政を行う
・1414年(応永21年12月) 第101代とされる天皇として即位する
・1421年(応永28年) 諸国に飢饉、疫病が流行する
・1422年(応永29年3月下旬) 以降、天皇は体調を崩す
・1422年(応永29年6月) ますます病気が進行する
・1422年(応永29年8月) 義持と仙洞御所で相談し、天皇の弟である小川宮を東宮(皇太弟)とする
・1422年(応永29年9月11日) 第4代将軍・足利義持が代理として伊勢神宮に参拝し、その回復を願う
・1422年(応永29年12月) 病が奇跡的に回復する
・1425年(応永32年2月16日) 小川宮(皇太弟)が亡くなる
・1425年(応永32年7月25日) 重病に倒れる
・1425年(応永32年8月5日) 病気が全快する
・1426年(応永33年6月) 近江坂本の馬借一揆が京都へ入る
・1428年(正長元年7月6日) 危篤に陥る
・1428年(正長元年7月20日) 京都において、数え年28歳で亡くなる

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1897年(明治30)金本位制の「貨幣法」が公布される詳細
1933年(昭和8)米穀統制法」が公布される詳細