gokoumyoutennou01

 今日は、江戸時代前期の1633年(寛永10)に、第110代の天皇とされる後光明天皇が生まれた日ですが、新暦では4月20日となります。
 後光明天皇(ごこうみょうてんのう)は、京都において、後水尾天皇の第4皇子(母は藤原光子)として生まれましたが、名は紹仁(つぐひと)と言いました。幼少から聡明で、1642年(寛永19)に儲君となって親王宣下され、翌年には、11歳で元服します。
 1643年(寛永20)に明正天皇の譲位を受けて践祚し、第110代とされる天皇として即位したものの、父の後水尾上皇が引き続き院政をおこないました。その中で、朝儀再興に心を配り、1646年(正保3)に神宮例幣の儀を再興し、釈奠や大学寮の復興、服制の改革をも意図していたとされます。
 和学よりも儒学や詩文を好み、朝山意林庵などの民間の朱子学者を招いて聴講したり、藤原惺窩を追慕し文集に序文を与えたりしました。また、漢詩集『鳳啼集(ほうていしゅう)』を作り、詩92首、歌5首が収められています。
 20歳になると、自ら政務を取るようになりましたが、1654年(承応3年9月20日)に京都において、疱瘡にかかり数え年22歳の若さで亡くなりました。尚、陵所は京都泉涌寺内の月輪陵(現在の京都市東山区今熊野泉山町)とされています。

〇後光明天皇関係略年表(日付は旧暦です)

・1633年(寛永10年3月12日) 京都において、後水尾天皇の第4皇子(母は藤原光子)として生まれる
・1642年(寛永19年9月2日) 儲君となる 
・1642年(寛永19年12月15日) 親王宣下される
・1643年(寛永20年9月27日) 11歳で元服する
・1643年(寛永20年10月3日) 明正天皇の譲位を受けて践祚する
・1643年(寛永20年10月21日) 即位礼が挙行される
・1646年(正保3年) 神宮例幣の儀を再興する
・1650年(慶安3年10月11日) 第1皇女として孝子内親王が生まれる
・1651年(慶安4年9月) 儒者藤原惺窩の功績を称えてその文集に勅序を与える
・1654年(承応3年9月20日) 京都において、疱瘡にかかり数え年22歳の若さで亡くなる

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1705年(宝永2)思想家・儒学者・古義学派の創始者伊藤仁斎の命日(新暦4月5日)詳細
2011年(平成23)九州新幹線の新八代~博多が延伸開業し、鹿児島ルートの全線開通となる詳細