toujihykugoumonjyo02

 今日は、鎌倉時代の1297年(永仁5)に、鎌倉幕府により「永仁の徳政令」が出された日ですが、新暦では3月30日となります。
 「永仁の徳政令(えいにんのとくせいれい)」は、鎌倉幕府の第9代執権北条貞時が発令した、日本で最初の徳政令とされるもので、元寇での戦役などにより、困窮していた御家人の救済のために出されました。その内容は、①訴訟の再審請求を停止し、徳政令によって訴訟がふえるのを防止すること、②以後、所領の質入れ、売買を認めないこととし、以前に売却した所領は売主が無償で取戻すことができること、買い主が御家人の場合は、幕府公認のものと20年以上経過したものを除くものの、非御家人や一般庶民の場合は 20年以上経過していても売主が取戻すことができること。③金銭貸借についての訴訟は今後受付けないこと、の3ヶ条が知られています。
 しかし、正確な条文は不明で、東寺に伝わる古文書『東寺百合文書』によって伝えられてきました。その後、御家人はかえって金融の道を閉ざされることとなり、経済界の混乱を招いてしまったので、翌年に訴訟の再審請求と所領の質入れ、売買は再び合法性を認められましたが、1297年以前の質券売買地の無償取戻しは引続き有効とされています。
 以下に、『東寺百合文書』の中で、「永仁の徳政令」について記した部分を掲載(注釈・現代語訳付)しておきますのでご参照ください。

〇永仁の徳政令

 関東御事書[1]の法

一、質券[2]売買地の事     永仁五年三月六日
 右、地頭・御家人の売得地に於ては、本条[3]を守り、廿箇年を過ぐる者は、本主[4]取返すに及ばず。非御家人[5]并びに凡下の輩[6]の売得地に至りては、年紀の遠近を謂わず[7]、本主[4]之を取返すべし。

 関東より六波羅[8]へ送られし御事書[1]の法

一、越訴[9]を停止すべき事
 右、越訴[9]の道、年を遂うて加増し、棄て置くの輩[10]、多く濫訴に疲れ[11]、得理の仁[12]、猶ほ安堵し難し[13]。諸人の佗傺[14]、職として此に由る。自今以後[15]之を停止すべし。但し評議に逢いて未断の事[16]は、本奉行人これを執り申すべし。次に本所領家の訴訟[17]は、御家人に准じ難し[18]。仍て以前棄置[19]の越訴[9]と云い、向後[20]成敗の条々の事[21]と云い、一箇度に於ては、その沙汰あるべし[22]。

一、質券[2]売買地の事
 右、所領を以て或は質券に入れ流し売買の条、御家人佗傺[14]の基なり、向後[20]に於ては停止に従うべし[23]。以前の怙却[24]の分に至りては、本主[4]領掌[25]せしむべし。但し或は御下文・下知状[26]を成し給い、知行廿箇年[27]を過ぐるは、公私の領[28]を論ぜず、今更相違有るべからず[29]。若し制符[30]に背き、濫妨[31]を致すの輩は、罪科に処せらるべし。
 次に非御家人[5]・凡下の輩[6]の質券[2]売得地[32]の事、年紀を過ぐると雖も[34]、売主知行すべし。

一、利銭出挙[35]の事
 右、甲乙の輩[36]要用[37]の時、頻費[38]を顧みず、負累[39]せしむるに依って、富有の仁は其の利潤を専らにし、窮困の族は弥佗傺[14]に及ぶ歟。自今以後[15]は成敗に及ばず[40]。縦い下知状を帯し、弁償せざるの由訴え申す事有りと雖も、沙汰の限りに非ず[41]。次に質物を庫倉[42]に入るる事は禁制[43]する能はず。

 越訴[9]并びに質券[2]売買地、利銭出挙[35]の事。事書一通これを遣わす。此の旨を守り、沙汰を致さざるべきの状、仰せに依て執達[44]件の如し。

    永仁五年七月二十二日      陸奥守
     上野前司殿          相模守
     相模右近大夫将監殿

            『東寺百合文書』より

【注釈】

[1]御事書:おんことがき=箇条書きのこと。
[2]質券:しちけん=質契約書のこと。ここでは、質流れになって他人の手に渡っている田地を指す。
[3]本条:ほんじょう=「御成敗式目」第八条のこと。
[4]本主:ほんしゅう=本来の持主。元の所有者。売主。
[5]非御家人:ひごけにん=御家人以外の武士。
[6]凡下の輩:ぼんげのともがら=侍身分に属さない一般庶民のこと。
[7]年紀の遠近を謂わず:ねんきのえんきんをいわず=年数に関係なく。
[8]六波羅:ろくはら=六波羅探題のこと。
[9]越訴:おっそ=訴訟の再審請求。
[10]棄て置くの輩:すておくのともがら=敗訴した人。
[11]濫訴に疲る:らんそにつかる=みだりな越訴で苦労する。
[12]得理の仁:とくりのじん=勝訴した人。
[13]安堵し難し:あんどしがたし=安心することができない。
[14]佗傺:たてい=失意困窮すること。
[15]自今以後:じこんいご=今後。
[16]未断の事:みだんのこと=判決の出ていない訴訟。
[17]本所領家の訴訟:ほんじょりょうけのそしょう=荘園領主の訴訟。
[18]准じ難し:じゅんじがたし=同じ扱いはできない。
[19]以前棄置:いぜんすておく=以前に敗訴した。
[20]向後:きょうこう=今後。
[21]成敗の条々の事:せいばいのじょうじょうのこと=判決事項。
[22]その沙汰あるべし:そのさたあるべし=その訴訟を認める。
[23]停止に従うべし:ちょうじにしたがうべし=1267年(文永4)の売買禁止令に従うこと。
[24]怙却:こきゃく=物品を売り払うこと。売却。
[25]領掌:りょうじょう=領有して支配すること。
[26]御下文・下知状:おんくだしぶみ・げちじょう=幕府から出され公文書。この場合は、土地の譲渡・売却を認めた公文書のこと。
[27]知行廿箇年:ちぎょうにじゅっかねん=「御成敗式目」第八条に記された20年間実際に支配している所領はその占有者のものとなるという時効規定。
[28]公私の領:こうしのりょう=幕府から恩給された土地と先祖伝来の本領のこと。
[29]相違有るべからず:そういあるべからず=取り返すことはできない。
[30]制符:せいふ=いろいろな禁止事項などを記した文書。
[31]濫妨:らんぼう=暴力を用いて無法に掠め取ること。掠奪すること。
[32]買得地:ばいとくち=買い取った土地。
[33]濫妨:らんぼう=暴力を用いて無法に掠め取ること。掠奪すること。
[34]年紀を過ぐると雖も:ねんきをすぐるといえども=20年の年限を過ぎていても。
[35]利銭出挙:りせんすいこ=利息を付けて銭を貸すこと。
[36]甲乙の輩:こうおつのともがら=いずれの人。誰でも。
[37]要用:ようよう=どうしても必要なこと。さしせまって必要なこと。
[38]頻費:はんぴ=あれこれ煩わしい出費。
[39]負累:ふるい=借金。他から金銭などを借りること。
[40]成敗に及ばず:せいばいにおよばず=判決を行わない。訴訟を取り上げない。
[41]沙汰の限りに非ず:さたのかぎりにあらず=理非を論ずるべきことではない。是非を論ずる範囲ではない。
[42]庫倉:こそう=蔵、倉庫のことだが、この場合は質屋を指す。
[43]禁制:きんせい=禁止すること。
[44]執達:しったつ=命令などを下位の者に伝えること。通達。

<現代語訳>

 鎌倉幕府が出した箇条書の法令

一、質流れや売買地についてのこと   永仁5年(1297年)3月6日
 これについて、地頭・御家人が買いとった土地は、「貞永式目」第8条の規定通りに、売却後20年以上経ったものは、元の所有者が取り戻すことはできない。しかし、非御家人や一般庶民などが買い取った土地については、年数に関係なく、売主が取り戻すことができる。

 鎌倉幕府から六波羅探題に送られた箇条書の法令

一、訴訟の再審請求を禁止すること
 これについて、訴訟の再審請求は年々増加してきていて、敗訴した人は多くのみだりな越訴で苦労し、勝訴した人もなお安心することができない。諸人の失意困窮する要因はここにある。今後は訴訟の再審請求を禁止する。ただし、評議において判決の出ていない訴訟は、本奉行人はこれを裁定することとする。次に、荘園領主の訴訟は、御家人にと同じ扱いはできない。よって、以前に敗訴した訴訟の再審請求といい、今後の判決事項といい、1回に限っては、その訴訟を認める。

一、質流れや売買した所領のこと
 これについて、所領を質流れにしたり、売ったりすることは、御家人が失意困窮することの原因である。今後については「売買禁止令」に従うこと。以前の売却分については、売主が領有して支配することとする。ただし、幕府から出された土地の譲渡・売却を認めた公文書を所持していたり、20年を経過して実際に支配している所領は、幕府から恩給された土地、先祖伝来の本領に関わりなく、今さら取り返すことはできない。もし禁止事項に背いて、掠奪する者は、処罰する。
 次に非御家人や一般庶民などの質流れや売買した所領のことは、20年の年限を過ぎていても売主の領有とする。

一、利息つきの金銭の貸借のこと
 これについては,誰でもさしせまって必要な時、あれこれ煩わしい出費を考慮せず、借金を重ねるので、金持ちはその利潤を専有し、困窮者はますます失意困窮に及ぶこととなる。今後は訴訟を取り上げない。たとえ幕府から出され幕府から出され土地の譲渡・売却を認めた公文書を所持し、弁償しないと訴え出ても、理非を論ずるべきことはない。次に、物品についてはを質屋に入れることを禁止することはない。

 訴訟の再審請求ならびに質質流れや売買地のこと、利息つきの金銭の貸借についてのこと。箇条書きの法令一通を下付する。此の趣旨を守って、処置するようにとの上からの仰せがあったので、通達するものである。

    永仁5年(1297年)7月22日      陸奥守
     上野前司殿            相模守
     相模右近大夫将監殿

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

803年(延暦22)征夷大将軍・坂上田村麻呂に志波城の築城が命令される(新暦4月1日)詳細
1945年(昭和20)「国民徴用令」等5勅令を廃止・統合し、新たに「国民勤労動員令」が公布される詳細