
国民栄誉賞(こくみんえいよしょう)は、内閣総理大臣表彰の一つで、広く各界各層の国民に敬愛される人柄を持ち、かつ広く国民に親しみのある分野で前人未到の業績をあげ、社会に明るい希望と話題を与えた人物〉に対して授与されます。当時の首相・福田赳夫により創設され、1977年(昭和52)8月に定められた「国民栄誉賞表彰規程」に基づいて授与されてきました。
表彰にあたっては、表彰状および盾が授与され、記念品または金一封を添えることができることとなっています。第1回の受賞者は、プロ野球選手の王貞治で、1977年(昭和52)9月に、756本の本塁打新記録樹立に対し授与されました。
それ以後、2023年(令和5)までに、計27名と1団体に授与されています。
表彰にあたっては、表彰状および盾が授与され、記念品または金一封を添えることができることとなっています。第1回の受賞者は、プロ野球選手の王貞治で、1977年(昭和52)9月に、756本の本塁打新記録樹立に対し授与されました。
それ以後、2023年(令和5)までに、計27名と1団体に授与されています。
〇国民栄誉賞受賞者一覧(27名と1団体)
[1]王貞治(昭和52年9月5日)ホームラン新記録達成の功
[2]古賀政男(昭和53年8月4日)「古賀メロディー」作曲による実績
[3]長谷川一夫(昭和59年4月19日)真摯な精進 卓越した演技と映画演劇界への貢献の功
[4]植村直己(昭和59年4月19日)世界五大陸最高峰登頂などの功
[5]山下泰裕(昭和59年10月9日)柔道における真摯な精進 前人未到の記録達成の功
[6]衣笠祥雄(昭和62年6月22日)野球における真摯な精進 前人未到の記録達成の功
[7]加藤和枝(美空ひばり)(平成元年7月6日)真摯な精進 歌謡曲を通じて国民に夢と希望を与えた功
[8]秋元貢(横綱千代の富士)(平成元年9月29日)真摯な精進 相撲界への著しい貢献の功
[9]増永丈夫(藤山一郎)(平成4年5月28日)歌謡曲を通じて国民に希望と励ましを与えた功 美しい日本語の普及に貢献
[10]長谷川町子(平成4年7月28日)家庭漫画を通じて戦後の我が国社会に潤いと安らぎを与えた功遺族宅にて伝達
[11]服部良一(平成5年2月26日)数多くの歌謡曲を作り国民に希望と潤いを与えた功
[12]田所康雄(渥美清)(平成8年9月3日)映画「男はつらいよ」シリーズを通じ人情味豊かな演技で広く国民に喜びと潤いを与えた功
[13]吉田正(平成10年7月7日)「吉田メロディー」の作曲により国民に夢と希望と潤いを与えた功
[14]黒澤明(平成10年10月1日)数々の不朽の名作によって国民に深い感動を与えるとともに世界の映画史に輝かしい足跡を残された功
[15]髙橋尚子(平成12年10月30日)2000年シドニーオリンピック女子マラソンで優勝陸上競技で日本女子選手初の金メダルを獲得し国民に深い感動と勇気を与えた功
[16]遠藤実(平成21年1月23日)世代を超えて長く愛唱される名曲を数多く作曲し国民に夢と希望と潤いを与えた功
[17]村上美津(森光子)(平成21年7月1日)舞台「放浪記」において二千回を超える主演を勤めるなど永年にわたり多彩な活躍をし国民に夢と希望と潤いを与えた功
[18]森繁久彌(平成21年12月22日)映画、演劇、放送の各分野において永年にわたり第一線で活躍し数多くの優れた演技と歌唱により国民に夢と希望と潤いを与えた功
[19]FIFA女子ワールドカップドイツ2011日本女子代表チーム(平成23.8.18「なでしこジャパン」の愛称そのままに日本女性の素晴らしさを存分に世界に示し東日本大震災の災禍から立ち上がらんとする被災者とすべての国民に勇気と感動を与えた功
[20]吉田沙保里(平成24年11月7日)世界選手権大会 オリンピック競技大会を通じて世界大会13連覇というレスリング競技史上前人未到の偉業を成し遂げ多くの国民に深い感動と社会に明るい希望 勇気を与えた功
[21]納谷幸喜(平成25年2月25日)大相撲史上最多となる32回の幕内優勝などの輝かしい功績を残し国民的な英雄として社会に明るい夢と希望と勇気を与えた功
[22]長島茂雄(平成25年5月5日)我が国野球史上に残る輝かしい功績と顕著な貢献 国民的スターとして国民に深い感動と社会に明るい夢と希望を与えた功
[23]松井秀喜(平成25年5月5日)野球界に世界的な功績と新たな足跡を残し社会に大きな感動と喜び青少年に明るい夢と希望を与えた功
[24]伊調馨(平成28年10月20日)オリンピック競技大会史上初めて 女子個人種目4連覇という世界的偉業を成し遂げ 多くの国民に深い感動と勇気 社会に明るい希望を与えた功
[25]羽生善治(平成30年2月13日)比類なき功績を重ね続け将棋界初の永世七冠という歴史に刻まれる偉業を達成し多くの国民に夢と感動を社会に明るい希望と勇気を与えた功
[26]井山裕太(平成30年2月13日)年間グランドスラムを含む囲碁界初の二度の七冠同時制覇という歴史に刻まれる偉業を達成し多くの国民に夢と感動を社会に明るい希望と勇気を与えた功
[27]羽生結弦(平成30年7月2日)冬季オリンピック個人種目 日本人初の連覇 フィギュアスケート男子シングル競技66年ぶりの連覇など世界の歴史に残る快挙を達成し多くの国民に深い感動と勇気を 社会に明るい夢と希望を与えた功
[28]国枝慎吾(令和5年3月17日)車いすテニスの四大大会で史上最多の通算50勝 生涯ゴールデンスラムの達成など前人未到の快挙を成し遂げ 広く国民に夢と感動 社会に明るい希望や勇気を与えた功
☆古賀政男(こが まさお)とは?
昭和時代に活躍した作曲家です。明治時代後期の1904年(明治37)11月18日に、福岡県三瀦郡田口村三丸(現在の大川市)において、父・喜太郎、母・セツの五男として生まれました。
1911年(明治44)に田口尋常小学校に入学しましたが、翌年には、母、姉、弟と供に仁川に住む長兄を頼りに朝鮮へ渡り、仁川公立尋常高等小学校へ転校します。1923年(大正12)に上京し、明治大学予科へ入学、直ちにマンドリン倶楽部を創設したものの、翌年夏に旅先の青根温泉付近の山中で剃刀自殺を図りましたが未遂に終わりました。
1929年(昭和4)に明治大学商学部を卒業し、明治大学マンドリン倶楽部の第14回定期演奏会で「影を慕いて」(ギター合奏曲)を発表、佐藤千夜子が特別出演しています。1931年(昭和6)に日本コロムビアレコードと契約、「酒は涙か溜息か」、「丘を越えて」を発表、1933年(昭和8)には、松平晃が歌唱した「サーカスの唄」がヒットしたものの、体調を崩し伊東で静養しました。
1934年(唱和9)にコロムビアレコードからテイチクレコードに移籍しましたが、1938年(昭和13)には、コロムビアレコードに復帰、外務省音楽親善使節として渡米し、一年間にわたりハワイ、南北アメリカを視察旅行します。翌年にアメリカNBC放送で古賀の作品が取り上げられ、全世界に向けて15分間にわたって放送され、視察旅行から帰国しました。
その後は、「誰か故郷を想わざる」、「目ン無い千鳥」、「新妻鏡」、「なつかしの歌声」などがヒット曲となります。太平洋戦争後は、1948年(昭和23)に、「三百六十五夜」、「湯の町エレジー」を発表し、空前の大ヒットとなりました。
1959年(唱和34)に日本作曲家協会を設立して会長となり、日本レコード大賞を制定し、1960年(昭和35)には、島倉千代子唄の「白い小指の歌」で、第2回日本レコード大賞作曲賞を受賞します。1964年(唱和39)に日本音楽著作権協会会長となり、1965年(昭和40)に美空ひばり唄の「柔」がミリオンセラーとなり、第7回日本レコード大賞を受賞、翌年の美空ひばり唄の「悲しい酒」もミリオンセラーとなりました。
1968年(昭和43)に第10回日本レコード大賞(10周年記念賞)を受賞、1974年(昭和49)には、平和への祈りを込め、広島平和音楽祭の実行委員長を引き受けています。1975年(昭和50)に勲三等瑞宝章を受賞、1977年(昭和52)には、第19回日本レコード大賞(審査委員会顕彰)を受賞しました。
古賀メロディーと呼ばれる約4,000曲の作品を作りましたが、1978年(昭和53)7月25日に、東京・代々木の自宅において、急性心不全により73歳で亡くなり、従四位に叙せられ銀杯を下賜され、国民栄誉賞を受賞、明治大学より名誉博士号を贈られ、故郷・大川市より名誉市民の称号を受け、日本歌謡大賞(放送音楽特別功労賞)を受賞しています。尚、1982年(昭和57)に郷里の福岡県大川市に「古賀政男記念館」、1997年(平成9)には、東京都渋谷区の私邸が「古賀政男音楽博物館」としてオープンしました。
〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)
1911年(明治44)に田口尋常小学校に入学しましたが、翌年には、母、姉、弟と供に仁川に住む長兄を頼りに朝鮮へ渡り、仁川公立尋常高等小学校へ転校します。1923年(大正12)に上京し、明治大学予科へ入学、直ちにマンドリン倶楽部を創設したものの、翌年夏に旅先の青根温泉付近の山中で剃刀自殺を図りましたが未遂に終わりました。
1929年(昭和4)に明治大学商学部を卒業し、明治大学マンドリン倶楽部の第14回定期演奏会で「影を慕いて」(ギター合奏曲)を発表、佐藤千夜子が特別出演しています。1931年(昭和6)に日本コロムビアレコードと契約、「酒は涙か溜息か」、「丘を越えて」を発表、1933年(昭和8)には、松平晃が歌唱した「サーカスの唄」がヒットしたものの、体調を崩し伊東で静養しました。
1934年(唱和9)にコロムビアレコードからテイチクレコードに移籍しましたが、1938年(昭和13)には、コロムビアレコードに復帰、外務省音楽親善使節として渡米し、一年間にわたりハワイ、南北アメリカを視察旅行します。翌年にアメリカNBC放送で古賀の作品が取り上げられ、全世界に向けて15分間にわたって放送され、視察旅行から帰国しました。
その後は、「誰か故郷を想わざる」、「目ン無い千鳥」、「新妻鏡」、「なつかしの歌声」などがヒット曲となります。太平洋戦争後は、1948年(昭和23)に、「三百六十五夜」、「湯の町エレジー」を発表し、空前の大ヒットとなりました。
1959年(唱和34)に日本作曲家協会を設立して会長となり、日本レコード大賞を制定し、1960年(昭和35)には、島倉千代子唄の「白い小指の歌」で、第2回日本レコード大賞作曲賞を受賞します。1964年(唱和39)に日本音楽著作権協会会長となり、1965年(昭和40)に美空ひばり唄の「柔」がミリオンセラーとなり、第7回日本レコード大賞を受賞、翌年の美空ひばり唄の「悲しい酒」もミリオンセラーとなりました。
1968年(昭和43)に第10回日本レコード大賞(10周年記念賞)を受賞、1974年(昭和49)には、平和への祈りを込め、広島平和音楽祭の実行委員長を引き受けています。1975年(昭和50)に勲三等瑞宝章を受賞、1977年(昭和52)には、第19回日本レコード大賞(審査委員会顕彰)を受賞しました。
古賀メロディーと呼ばれる約4,000曲の作品を作りましたが、1978年(昭和53)7月25日に、東京・代々木の自宅において、急性心不全により73歳で亡くなり、従四位に叙せられ銀杯を下賜され、国民栄誉賞を受賞、明治大学より名誉博士号を贈られ、故郷・大川市より名誉市民の称号を受け、日本歌謡大賞(放送音楽特別功労賞)を受賞しています。尚、1982年(昭和57)に郷里の福岡県大川市に「古賀政男記念館」、1997年(平成9)には、東京都渋谷区の私邸が「古賀政男音楽博物館」としてオープンしました。
〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)
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| 1944年(昭和19) | 小磯国昭内閣が本土決戦に備えて一億総武装を唱え、最高戦争指導会議の設置を決定(翌日発足)する | 詳細 |
| 初の集団学童疎開列車が東京の上野駅を出発する | 詳細 | |
| 1947年(昭和22) | 日本の最高裁判所が発足する | 詳細 |
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