
「日蘭修好通商条約」(にちらんしゅうこうつうしょうじょうやく)は、江戸時代後期の1858年(安政5年7月10日)に、江戸において、江戸幕府(永井尚志・岡部長常・岩瀬忠震)とオランダ理事官ヤン・ドンケル・クルティウスとの間で結ばれた条約で、安政五カ国条約の一つとされています。黒船来航後、日本とオランダとの間で「日蘭和親条約」及び「日蘭追加条約」が結ばれていましたが、「日米修好通商条約」締結に合わせる形で締結されました。
全11条及び税則7則によって構成され、「日米修好通商条約」に準拠し、領事裁判権、蘭国側の関税決定権、最恵国待遇などを規定した不平等条約です。開市開港場での自由貿易を主眼とする主な内容はほぼ同じであるものの、開港場として新潟をあげずに西海岸の一港とするほか、オランダ人の日本語学習など特殊な規定がありました。
尚、この条約によって、シーボルト事件におけるシーボルトの処分は免責され、翌年には、シーボルトが再来日を果たしています。
全11条及び税則7則によって構成され、「日米修好通商条約」に準拠し、領事裁判権、蘭国側の関税決定権、最恵国待遇などを規定した不平等条約です。開市開港場での自由貿易を主眼とする主な内容はほぼ同じであるものの、開港場として新潟をあげずに西海岸の一港とするほか、オランダ人の日本語学習など特殊な規定がありました。
尚、この条約によって、シーボルト事件におけるシーボルトの処分は免責され、翌年には、シーボルトが再来日を果たしています。
〇安政五カ国条約(あんせいのごかこくじょうやく)とは?
幕末の1858年(安政5)に、江戸幕府がアメリカ・オランダ・ロシア・イギリス・フランスの5ヵ国それぞれと結んだ通商条約の総称で、勅許なく調印されたため「安政の仮条約」とも呼ばれています。安政5年6月19日に、神奈川でアメリカ総領事ハリスと幕府の全権井上清直・岩瀬忠震(ただなり)とが調印した「日米修好通商条約」を嚆矢とし、「日蘭修好通商条約」は7月10日、「日露修好通商条約」は7月11日、「日英修好通商条約」は7月18日、「日仏修好通商条約」は9月3日に調印がおこなわれました。
この一連の条約の締結により、鎖国体制を堅持していた日本は、世界資本主義の市場の一環に組みこまれることになります。これらの条約は、自由貿易を骨子として開港を規定、関税率協定制度、領事裁判権、片務的最恵国待遇の3条項は不平等なもので、のちの条約改正まで撤廃されませんでした。
翌年から貿易が開始されると物価騰貴が起き、尊攘派による攘夷運動や幕政批判が激しくなる要因となり、安政の大獄や井伊大老の暗殺(桜田門外の変)を招くに至ります。
☆安政五カ国条約の一覧
・「日米修好通商条約」 対アメリカ合衆国 1858年(安政5年6月19日)調印
・「日蘭修好通商条約」 対オランダ 1858年(安政5年7月10日)調印
・「日露修好通商条約」 対ロシア帝国 1858年(安政5年7月11日)調印
・「日英修好通商条約」 対イギリス 1858年(安政5年7月18日)調印
・「日仏修好通商条約」 対フランス帝国 1858年(安政5年9月3日)調印
〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)
〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)
| 1821年(文政4) | 伊能忠敬死後門弟らが編纂していた『大日本沿海輿地全図』が完成し幕府に献上される(新暦8月7日) | 詳細 |
| 1927年(昭和2) | 岩波文庫が創刊される | 詳細 |
| 1944年(昭和19) | 横浜事件を契機として、改造社と中央公論社に解散が命じられる | 詳細 |
| 1945年(昭和20) | 仙台空襲おいて、死者・行方不明者1,000人以上、焼失家屋11,933戸、被災者57,321人を出す | 詳細 |
| 1947年(昭和22) | 静岡県静岡市の登呂遺跡で総合的な発掘調査が始まる | 詳細 |
| 1948年(昭和23) | 「日本学術会議法」が公布され、日本学術会議の設置が決められる | 詳細 |
| 1948年(昭和23) | 「温泉法」が制定・公布される | 詳細 |
| 1969年(昭和44) | 「同和対策事業特別措置法」(昭和44年法律第60号)が公布・施行される | 詳細 |
| 1993年(平成5) | 小説家井伏鱒二の命日 | 詳細 |
コメント