
フランシスコ・ザビエル(ふらんしすこ・ざびえる)は、戦国時代に日本へ初めてキリスト教を伝えたスペインの宣教師です。1506年に、ナバラ王国(1515年スペインに併合)ザビエルの名門貴族の家に生まれました。
19歳のとき、パリ大学の聖バルバラ学院に学び、1534年に、イグナチウス・デ・ロヨラらとともにイエズス会をおこすのです。1537年には司祭となり、1540年にポルトガル王ジョアン3世の依頼でインドのゴアに派遣されました。
1545年から47年にかけて、マラッカからモルッカ諸島まで布教に従事し、マラッカで会った日本人アンジローの案内で、1549年(天文18)鹿児島へ来航することになります。これが、日本へのキリスト教伝来の最初となり、以後2年間、九州・中国・近畿の各地で伝道しました。
その後、インドに戻り、さらに中国への伝道の途次、広東付近の上川島で、1552年に46歳で亡くなりなります。1622年には、カトリック教会の聖人の位に列せられました。
19歳のとき、パリ大学の聖バルバラ学院に学び、1534年に、イグナチウス・デ・ロヨラらとともにイエズス会をおこすのです。1537年には司祭となり、1540年にポルトガル王ジョアン3世の依頼でインドのゴアに派遣されました。
1545年から47年にかけて、マラッカからモルッカ諸島まで布教に従事し、マラッカで会った日本人アンジローの案内で、1549年(天文18)鹿児島へ来航することになります。これが、日本へのキリスト教伝来の最初となり、以後2年間、九州・中国・近畿の各地で伝道しました。
その後、インドに戻り、さらに中国への伝道の途次、広東付近の上川島で、1552年に46歳で亡くなりなります。1622年には、カトリック教会の聖人の位に列せられました。
〇フランシスコ・ザビエルの日本での普及関係略年表(日付は新暦です)
<1548年(天文17)>
・11月 インドのゴアで宣教監督となる
<1549年(天文18)>
・4月15日 イエズス会士コスメ・デ・トーレス神父、フアン・フェルナンデス修道士、マヌエルという中国人、アマドールというインド人、ゴアで洗礼を受けたばかりのヤジロウら3人の日本人とともにジャンク船でゴアを出発、日本を目指す
・7月27日 船が到着する
・7月27日 船が到着する
・8月15日 現在の鹿児島市祇園之洲町に上陸する
・9月 伊集院城(一宇治城/現・鹿児島県日置市伊集院町大田)で薩摩国の守護大名・島津貴久に謁見、宣教の許可を得る
<1550年(天文19)>
・8月 ザビエル一行は肥前国平戸に入り、宣教活動を行なう
・10月下旬 信徒の世話をトーレス神父に託し、ベルナルド、フェルナンデスと共に京を目指し平戸を出立する
・11月上旬 周防国山口に入り、無許可で宣教活動を行う
・12月17日 周防を発つ
<1551年(天文20)>
・1月 日比屋了珪の支援により、一行は念願の京に到着、了珪の紹介で小西隆佐の歓待を受ける
・3月 京での滞在を諦め、山口を経て、平戸に戻る
・4月下旬 大内義隆に再謁見する
・9月 豊後国に到着、守護大名・大友義鎮(後の宗麟)に迎えられ、その保護を受けて宣教を行なう
・11月15日 日本人青年4人(鹿児島のベルナルド、マテオ、ジュアン、アントニオ)を選んで同行させ、トーレス神父とフェルナンデス修道士らを残し、インドへ向けて出帆する
<1552年(天文21)>
・2月15日 インドのゴアに到着すると、ベルナルドとマテオを司祭の養成学校である聖パウロ学院に入学させる
・9月 中国を目指し、上川島に到着する
・12月3日 上川島において、46歳で亡くなる
〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)
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