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 今日は、明治時代後期の1900年(明治33)に、義和団事件に関係し、義和団に呼応した清国軍の董福祥配下の兵士が北京の日本大使館員・杉山彬を殺害した日です。
 義和団事件(ぎわだんじけん)は、1899年~1901年にかけて、中国清朝末期におきた反キリスト教的排外運動で、北清事変、拳匪(けんぴ)事件とも言います。「扶清滅洋」、「除教安民」を叫び、生活に苦しむ農民を集めた、白蓮教 (びやくれんきよう) 系の秘密結社である義和拳教の徒が、清朝の守旧派とも結びついて勢力を拡大しました。
 各地でキリスト教会や外国人を襲うようになり、ついに、1900年に清国の西太后がこの叛乱を支持して、6月21日に欧米列国に宣戦布告したため国家間戦争となります。そして、北京の列国大公使館区域を包囲攻撃するようになり、ドイツ公使を殺害しました。
 これに対し、日本・イギリス・アメリカ・ロシア・フランス・イタリア・ドイツ・オーストリアの8ヶ国は共同出兵して鎮圧にあたり、大沽(タークー)砲台、天津で官軍と義和団を破り、8月に北京に入城、華北の要所を占領します。西太后と光緒帝(こうしょてい)は西安に逃れ、失脚した守旧派にかわって実権を握った洋務派は、連合軍に協力しました。
 李鴻章 (りこうしよう) が講和にあたり、1901年には、「北京議定書」(辛丑和約)に調印し、列国の華北駐兵権、賠償金4億5000万両 (テール) の支払いなどを承認します。この動乱で清政府の中枢部は潰滅状態となり、ロシアは事件の波及防止の口実で満州を占領するなど、中国は半植民地といわれる状況となりました。
 この結果、清朝はいっそう激しい外国の圧迫を受け、半植民地化が促進され、これによるロシアの満州駐兵は日露戦争の原因ともなります。

〇義和団事件関係略年表

<1894年(明治27)>
・大刀会が活動を開始する

<1897年(明治30)>
・11月1日 山東省において大刀会がドイツ人宣教師殺害、数日後、ドイツが膠州湾占拠する

<1898年(明治31)>
・5月 義和拳、「順清滅洋」を旗印に教会・信者を積極的に襲撃する

<1900年(明治33)>
・1月27日 列強の公使団、清国に義和団鎮圧を強硬に求める
・3月14日 毓賢を更迭し、袁世凱を山東巡撫とする
・4月 袁世凱に弾圧された義和団、直隷省になだれ込む
・5月 義和団、北京へ到達する
・6月9日 各国公使、自国軍の北京への援軍を要請する
・6月11日 義和団に呼応した清国軍の董福祥配下の兵士が北京の日本大使館員・杉山彬を殺害する
・6月19日 西太后、義和団を支持し西欧列強に宣戦布告することを決定する
・6月20日 義和団、紫禁城の一郭にあった北京各国公使館を包囲( ~8月14日)する
・6月21日 清国、欧米及び日本の八か国に宣戦布告する
・7月14日 天津、八カ国連合軍に占領される
・8月14日 八カ国連合軍、北京に到達し総攻撃を開始する
・8月15日 西太后と光緒帝、北京から逃亡、珍妃、紫禁城内の井戸にて死亡する
・9月25日 義和団事件における事件の首謀者(清朝内)を発表する
・10月8日 義和団事件に関する北京列国公使会議開催する

<1901年(明治34)>
・5月29日 清国、北京列国公使団の賠償金(4億5000万両)要求を受諾する
・7月31日 八カ国連合軍、北京からの撤退を開始する
・9月7日 「北清事変に関する最終議定書(北京議定書)」が調印される

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

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1873年(明治6)「国立銀行条例」に基づき、第一国立銀行(現在のみずほ銀行)が設立される(国立銀行設立の日)詳細
1942年(昭和17)関門トンネルが開通し、最初の試運転列車が通過する詳細
1951年(昭和26)「産業教育振興法」が公布される詳細
1969年(昭和44)「東京国立近代美術館」(現在の本館)が開館する詳細
1975年(昭和50)考古学者宮坂英弌の命日詳細
1979年(昭和54)フランス文学者・文芸評論家中島健蔵の命日詳細
1981年(昭和56)「放送大学学園法」が公布・施行される詳細
「食糧管理法」改正により、「米穀配給通帳」の廃止が決定する詳細