
張作霖爆殺事件(ちょうさくりんばくさつじけん)は、昭和時代前期の1928年(昭和3)6月4日に、張作霖が国民党軍の北伐に敗れて満州(中国東北部)にもどる途中、関東軍参謀河本大作らの工作によって奉天(現在の瀋陽)駅近くで列車を爆破され、死亡した事件で、奉天事件とも呼ばれてきました。関東軍は、北伐を機に張を下野させ、満州(東三省)を中国から独立させようと謀り、錦州(きんしゅう)方面に出動する態勢をとったが、田中義一首相は武力行使を承認しなかったため、河本は出動の口実を得ようと、6月4日早朝、奉天近郊で張の列車を爆破します。
張は爆死しましたが、関東軍は事前の打合せが不十分で出動せず、真相は日本国民に秘匿されたものの、満州某重大事件として疑惑をよびました。翌年に、立憲民政党が満州某重大事件として責任を追及し、天皇・元老も政府の処置に不満を表明したので、田中義一内閣は総辞職することとなります。
張は爆死しましたが、関東軍は事前の打合せが不十分で出動せず、真相は日本国民に秘匿されたものの、満州某重大事件として疑惑をよびました。翌年に、立憲民政党が満州某重大事件として責任を追及し、天皇・元老も政府の処置に不満を表明したので、田中義一内閣は総辞職することとなります。
〇張作霖爆殺事件関係略年表
<1928年(昭和3)>
・5月 国民革命軍の北伐が北京に迫り、奉天軍の敗色が濃厚となる。
・6月3日 張は国民革命軍との抗戦を断念し、京奉線の特別列車で北京を退去,奉天に向かう
・6月4日 中国の奉天(現在の瀋陽)駅近くで、列車爆破によって、張作霖が死亡する
<1929年(昭和4)>
・1月 第56帝国議会で野党の民政党が政府を追及し,「満州某重大事件」として問題とされる
・7月 田中義一内閣が総辞職する
〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)
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