
室町幕府(むろまちばくふ)は、足利氏が京都に開いた幕府による武家政権です。1336年 (建武3年/延元元年11月7日) に、足利尊氏が建武政府を打倒し、「建武式目」を定めたところから実質的に始まり、主要政務機関である引付方、侍所、政所、問注所などが翌年にかけて稼働しはじめ、1338年(建武5年/延元3年8月11日)に尊氏が北朝から征夷大将軍に任ぜられ、名実共に整ったとされています。
最初の頃は、尊氏は北朝の光明天皇を擁し、吉野の南朝と対立しましたが、3代将軍義満に至って、南北朝の統一を果たし、全国政権となりました。義満は、1378年(永和4年/天授4年)に京都室町に花の御所と呼ばれる邸宅を造ったので、一般にこの名で呼ばれるようになりました。職制はだいたい鎌倉幕府を継承し、三管四職を中心とする有力守護大名の連合政権的性格が強いもので、統制力に欠け、大名の勢力争いが絶えず起こります。
また、土一揆などが相つぎ、応仁の乱(1467年~77年)以降著しく弱体化し、群雄割拠の戦国時代にはまったく有名無実の状態に陥りました。そして、1573年(元亀4年7月18日)に、15代将軍義昭が織田信長によって追放されて滅亡しています。
尚、文化的には3代将軍義満の頃の北山文化、8代将軍義政の頃の東山文化と呼ばれる武家文化が展開し、対明貿易は中国の文物をもたらしました。
最初の頃は、尊氏は北朝の光明天皇を擁し、吉野の南朝と対立しましたが、3代将軍義満に至って、南北朝の統一を果たし、全国政権となりました。義満は、1378年(永和4年/天授4年)に京都室町に花の御所と呼ばれる邸宅を造ったので、一般にこの名で呼ばれるようになりました。職制はだいたい鎌倉幕府を継承し、三管四職を中心とする有力守護大名の連合政権的性格が強いもので、統制力に欠け、大名の勢力争いが絶えず起こります。
また、土一揆などが相つぎ、応仁の乱(1467年~77年)以降著しく弱体化し、群雄割拠の戦国時代にはまったく有名無実の状態に陥りました。そして、1573年(元亀4年7月18日)に、15代将軍義昭が織田信長によって追放されて滅亡しています。
尚、文化的には3代将軍義満の頃の北山文化、8代将軍義政の頃の東山文化と呼ばれる武家文化が展開し、対明貿易は中国の文物をもたらしました。
<室町幕府の歴代将軍(足利家)一覧>
・初代 尊氏(たかうじ)在職年:1338年(建武5)~1358年(延文3)
・2代 義詮(よしあきら)在職年:1358年(延文3)~1367年(貞治6)
・3代 義満(よしみつ)在職年:1368年(応安元)~1394年(応永元)
・4代 義持(よしもち)在職年:1394年(応永元)~1423年(応永30)
・5代 義量(よしかず)在職年:1423年(応永30)~1425年(応永32)
・空白 4代義持が代理 在職年:1425年(応永32)~1428年(応永35)
・6代 義教(よしのり)在職年:1429年(正長2)~1441年(嘉吉元)
・7代 義勝(よしかつ)在職年:1442年(嘉吉2)~1443年(嘉吉3)
・8代 義政(よしまさ)在職年:1449年(文安6)~1473年(文明5)
・9代 義尚(よしひさ)在職年:1473年(文明5)~1489年(長享3)
・空白 8代義政が代理 在職年:1489年(長享3)~1490年(延徳2)
・10代 義稙(よしたね)在職年:1490年(延徳2)~1493年(明応2)
・11代 義澄(よしずみ)在職年:1494年(明応3)~1508年(永正5)
・(再) 義稙(よしたね)在職年:1508年(永正5)~1521年(大永元)
・12代 義晴(よしはる)在職年:1521年(大永元)~1546年(天文15)
・13代 義輝(よしてる)在職年:1546年(天文15)~1565年(永禄8)
・14代 義栄(よしひで)在職年:1568年(永禄11)~1568年(永禄11)
・15代 義昭(よしあき)在職年:1568年(永禄11)~1573年(天正16)
〇足利 義教】(あしかが よしのり)とは?
室町時代の室町幕府第6代将軍です。1394年(明徳5)に、第3代将軍足利義満の五男として生まれましたが、1403年(応永10)に青蓮院に入室し、得度して義円の法名を称し、天台座主となりました。
しかし、兄の第4代将軍義持の死後、還俗して1429年(正長2)に、第6代将軍となったのです。最初の頃は、宿老との合議制をとっていましたが、徐々に将軍専制を強めるようになりました。
そして、鎌倉公方足利持氏や土岐持頼らを討って、将軍の権力を強化したものの、政治不安をもった播磨守護赤松満祐に謀られ、1441年(嘉吉元)に、48歳で殺害されました。
しかし、兄の第4代将軍義持の死後、還俗して1429年(正長2)に、第6代将軍となったのです。最初の頃は、宿老との合議制をとっていましたが、徐々に将軍専制を強めるようになりました。
そして、鎌倉公方足利持氏や土岐持頼らを討って、将軍の権力を強化したものの、政治不安をもった播磨守護赤松満祐に謀られ、1441年(嘉吉元)に、48歳で殺害されました。
〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)
| 1868年(慶応4) | 明治政府が、民政方針を示す「五榜の掲示」の高札を設置する(新暦4月7日) | 詳細 |
| 1875年(明治8) | 詩人蒲原有明の誕生日 | 詳細 |
| 1884年(明治17) | 「地租条例」が公布される | 詳細 |
| 1890年(明治23) | 琵琶湖疎水の第一期工事が完成し、全線通水が完了する | 詳細 |
| 1914年(大正3) | 秋田県内陸南部を震源とする秋田仙北地震(マグニチュード7.1)が起き、大きな被害を出す | 詳細 |
| 1930年(昭和5) | 神奈川県横浜市に山下公園が開園する | 詳細 |
| 1945年(昭和20) | 小磯国昭内閣により、「大都市ニ於ケル疎開強化要綱」が閣議決定される | 詳細 |
| 1958年(昭和33) | 劇作家・演出家・小説家・批評家久保栄の命日 | 詳細 |
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