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 今日は、江戸時代中期の1714年(正徳4)に、江戸城大奥年寄役・江島(絵島)が俳優生島新五郎らとの宴会により大奥の門限に遅れ、江島生島事件の発端となった日ですが、新暦では2月26日となります。
 江島生島事件(えじま いくしま じけん)は、江戸時代中期の1714年(正徳4)に、江戸城大奥で起こった風紀紊乱事件です。この年の1月14日に、江戸城大奥御年寄の江島(絵島)が、芝の増上寺へ参詣した帰途、山村座に立寄って芝居見物をし、桟敷および座元の居宅で遊興して帰城し際、大奥の門限に遅れました。
 このことから、役者生島新五郎と密通を疑われ、「風紀の乱れを正す」として江島・生島新五郎の2人をはじめ大奥の女中や出入りの医者・商人など、1,500人近くが処罰されます。江島は、信州高遠藩主内藤清枚に預けられ、山村長太夫・歌舞伎俳優生島新五郎も遠島となり、山村座は解散を命じられました。
 江島は、高遠藩の江島囲屋敷に幽閉されましたが、1722年(享保7年)に、高遠藩主内藤頼卿が江戸家老の野木多宮に絵島の赦免嘆願書を届けさせ、翌年には、月番老中安藤信友から内藤家の江戸藩邸に「非公式ながらこれを許可する」という達しがあり、高遠城内での起居が比較的自由になり、囲い屋敷の周囲の散歩が認められます。しかし、1741年(寛保元年4月10日)に、囲屋敷において、数え年61歳で亡くなりました。
 一方、生島新五郎は、三宅島に流刑となりましたが、1742年(寛保2年2月)に、徳川吉宗により赦免され江戸に戻り、翌年1月5日に、江戸・小網町において、数え年73歳で亡くなったとされるものの、1733年(享保18年)に三宅島で亡くなったたという説もあります。

〇江島生島事件関係略年表(日付は旧暦です)

・1671年(寛文11年) 生島新五郎が、大坂で生まれる
・1681年(天和元年) 江島(本名疋田みき)が、三河国において、甲府藩士・疋田彦四郎の娘として、生まれる
・1684年(貞享元年) 生島新五郎が、野田蔵之丞の名で木挽町の芝居小屋・山村座の舞台に立つ
・1691年(元禄4年)、野田蔵之丞が生島新五郎と改名し、当時を代表する人気役者となる
・1714年(正徳4年1月12日) 江戸城大奥年寄役・絵島が俳優生島新五郎らとの宴会により大奥の門限に遅れ、絵島生島事件の発端となる
・1714年(正徳4年) 江島が、信濃国高遠藩の江島囲屋敷に幽閉され、生島新五郎が、三宅島に流刑となる
・1722年(享保7年) 高遠藩主内藤頼卿が江戸家老の野木多宮に絵島の赦免嘆願書を届けさせる
・1723年(享保8年) 月番老中安藤信友から内藤家の江戸藩邸に「非公式ながらこれを許可する」という達しがあり、高遠城内での起居が比較的自由になり、囲い屋敷の周囲の散歩が認められる
・1741年(寛保元年4月10日) 江島が、信濃国高遠藩の江島囲屋敷で、数え年61歳で亡くなる
・1742年(寛保2年2月) 生島新五郎が、徳川吉宗により赦免され江戸に戻る
・1743年(寛保3年1月5日) 生島新五郎が、江戸・小網町において、数え年73歳で亡くなる

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

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