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 今日は、昭和時代後期の1984年(昭和59)に、野鳥研究家・歌人・詩人・天台宗僧侶中西悟堂が亡くなった日です。
 中西悟堂(なかにし ごどう)は、1895年(明治28)11月16日に、石川県金沢市長町において、生まれましたが、本名は富嗣(とみつぐ)と言いました。幼くして父母と別れ、天台宗の僧侶であった伯父中西悟玄に育てられます。
 1907年(明治40)に、東京府麻布区飯倉町の小暮小学校高等科卒業後、京橋区数寄屋橋の紙問屋に奉公し、1910年(明治43)には、火災保険会社の給仕となり、その給料で築地工手学校夜間部に入学しました。1911年(明治44)に、東京都下深大寺で得度し天台宗僧徒となり、悟堂と改名、翌年には、天台宗学林(後の大正大学)2年に入り、この前後から歌作を始めます。
 1913年(大正2)に、法王教を唱えた高田道見の認可僧堂瑞応寺で禅生活に入り、赤松月船と知り合い、翌年には、曹洞宗学林(後の駒澤大学)に通うようになりました。1915年(大正4)に、内藤鋠作の抒情詩社に入社、詩や小説を手がけ、1917年(大正6)に、曹洞宗学林を修了、1920年(大正9)には、島根県能義郡(現在の安来市)の長楽寺の住職となります。
 1921年(大正10)に、詩作も発表しはじめ、翌年には、島根県松江市の普門院の住職となり、第一詩集『東京市』を出版しました。1926年(大正15)に、千歳烏山(現在の東京都世田谷区烏山)に移り住み、詩壇と決別し本格的作家をめざし田園生活に入り、1929年(昭和4)には、杉並区井荻町の善福寺風致地区に移り、野鳥の他に昆虫や淡水魚などの生態観察に取り組みます。
 1934年(昭和9)に、柳田国男、北原白秋らをさそって、日本野鳥の会を設立し初代会長となり、1936年(昭和11)には、竹野家立、籾山徳太郎らと共に、鷹狩の保存・振興のため、日本放鷹倶楽部の設立に発起人として参加しました。1947年(昭和22)に、戦後も休止状態にあった日本野鳥の会を再開し、1957年(昭和32)に、『野鳥と生きて』で、第5回日本エッセイストクラブ賞を受賞、1961年(昭和36)には、紫綬褒章を受章します。
 1965年(昭和40)に、『定本野鳥記』で、第17回読売文学賞(研究翻訳賞)、1968年(昭和43)に『悟堂詩集』で、第14回日本歌人クラブ推薦歌集を受賞しました。1972年(昭和47)に、勲三等旭日中綬章を受章、1973年(昭和48)正月の宮中歌会始の召人となり、1977年(昭和52)には、文化功労者に選ばれています。
 1980年(昭和55)に法人化した日本野鳥の会の運営に強い不満を表明して会長を辞任しましたが、翌年には、名誉会長として復籍しました。自然保護運動に尽力してきたものの、1984年(昭和59)12月11日に、神奈川県横浜市港南区の病院において、転移性肝臓癌のため、88歳で亡くなっています。

<中西悟堂の主要な著作>

・第一詩集『東京市』(1922年)
・『虫・鳥と生活する』(1932年) 
・『山岳詩集』(1934年)
・『野鳥と生きて』(1957年)第5回日本エッセイストクラブ賞受賞
・『定本野鳥記』(1962~66年)第17回読売文学賞(研究翻訳賞)受賞
・『悟堂詩集』(1968年)第14回日本歌人クラブ推薦歌集受賞
・歌集『唱名』(1916年)
・歌集『安達太良』(1959年)
・詩集『花巡礼』(1924年)

〇中西悟堂関係略年表

・1895年(明治28)11月16日 石川県金沢市長町において、生まれる
・1900年(明治33) 5歳の時、東京府麻布区飯倉町の小暮小学校に入学する
・1907年(明治40) 高等科卒業後、京橋区数寄屋橋の紙問屋に奉公する
・1910年(明治43) 火災保険会社の給仕となり、その給料で築地工手学校夜間部に入学する
・1911年(明治44) 16歳の時、東京都下深大寺で得度し天台宗僧徒となり、悟堂と改名する
・1912年(明治45) 天台宗学林(後の大正大学)2年に入り、この前後から歌作を始める
・1913年(大正2) 法王教を唱えた高田道見の認可僧堂瑞応寺で禅生活に入り、赤松月船と知り合う
・1914年(大正3) 曹洞宗学林(後の駒澤大学)に通う
・1915年(大正4) 内藤鋠作の抒情詩社に入社、詩や小説を手がける
・1917年(大正6) 曹洞宗学林を修了する
・1920年(大正9) 島根県能義郡(現在の安来市)の長楽寺の住職となる
・1921年(大正10) 詩作も発表しはじめる
・1922年(大正11) 島根県松江市の普門院の住職となり、第一詩集『東京市』を出版する
・1926年(大正15) 千歳烏山(現在の東京都世田谷区烏山)に移り住み、詩壇と決別し本格的作家をめざし田園生活に入る
・1929年(昭和4) 杉並区井荻町の善福寺風致地区に移り、野鳥の他に昆虫や淡水魚などの生態観察に取り組む
・1934年(昭和9) 柳田国男、北原白秋らをさそって、日本野鳥の会を設立し初代会長となる
・1936年(昭和11) 竹野家立、籾山徳太郎らとともに、鷹狩の保存・振興のため、日本放鷹倶楽部の設立に発起人として参加する
・1944年(昭和19) 日本野鳥の会の会員数はおよそ1,800名となる
・1947年(昭和22) 戦後も休止状態にあった日本野鳥の会を再開する
・1957年(昭和32) 『野鳥と生きて』で、第5回日本エッセイストクラブ賞を受賞する
・1961年(昭和36) 紫綬褒章を受章する
・1965年(昭和40) 『定本野鳥記』で、第17回読売文学賞(研究翻訳賞)を受賞する
・1968年(昭和43) 『悟堂詩集』で、第14回日本歌人クラブ推薦歌集を受賞する
・1970年(昭和45) 「自然を返せ」という自然保護運動が起こったとき、若い人々とともにデモ行進の先頭を歩く
・1972年(昭和47) 勲三等旭日中綬章を受章する
・1973年(昭和48) 正月の宮中歌会始の召人となる
・1977年(昭和52) 文化功労者となる
・1980年(昭和55) 法人化した日本野鳥の会の運営に強い不満を表明して会長を辞任する
・1981年(昭和56) 日本野鳥の会に名誉会長として復籍する
・1984年(昭和59)12月11日 神奈川県横浜市港南区の病院において、転移性肝臓癌のため、88歳で亡くなる

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1335年(建武2)箱根・竹ノ下の戦いが起き、南北朝動乱が始まる(新暦1336年1月24日)詳細
1645年(正保元)臨済宗の僧沢庵宗彭の命日で「沢庵忌」とされる(新暦1646年1月27日)詳細
1877年(明治10)薬学者(薬化学)近藤平三郎の誕生日詳細
1959年(昭和34)三井三池炭鉱で指名解雇を通告し、「三井三池争議」が始る詳細
1967年(昭和42)佐藤栄作首相が第57回国会の衆議院予算委員会において、「非核三原則」を表明する詳細
1986年(昭和61)歌人宮柊二の命日 詳細
1993年(平成5)日本で初めて、屋久島・白神山地・法隆寺・姫路城の4ヶ所が世界遺産に登録される詳細
1997年(平成9)地球温暖化防止京都会議(COP3)が閉幕、温室効果ガスの削減目標を定めた「京都議定書」を採択する詳細