今日は、平安時代後期の1180年(治承4)に、平清盛が福原(現在の神戸市兵庫区)への行幸(福原遷都)から、都を平安京に戻した日ですが、新暦では12月11日となります。
福原遷都(ふくはらせんと)は、平清盛が京都から摂津の福原(現在の兵庫県神戸市兵庫区・中央区付近)に一時的に都を移したことでした。1179年(治承3)に、清盛はクーデターを実行し、後白河院を幽閉して実権を握り、自ら軍事的独裁政治を開始しましたが、比叡山延暦寺の衆徒を強く刺激します。
翌年には、源頼政が以仁王 の令旨を諸国の源氏に伝えて決起を促したものの、宇治川の戦いに敗れ、鎮圧されました。しかし、この影響が広がる中で、突然に安徳天皇、高倉上皇を伴ってみずからの根拠地福原への遷都を強行したものです。
遷都後は、延暦寺の衆徒の蜂起が起き、平宗盛など一門の主張もあって、都城造営も進まぬうちに、同年11月23日には、再び京都(平安京)に都を戻さざるをえませんでした。この遷都は、平氏政権の威信を下げるものになったとされています。
翌年には、源頼政が以仁王 の令旨を諸国の源氏に伝えて決起を促したものの、宇治川の戦いに敗れ、鎮圧されました。しかし、この影響が広がる中で、突然に安徳天皇、高倉上皇を伴ってみずからの根拠地福原への遷都を強行したものです。
遷都後は、延暦寺の衆徒の蜂起が起き、平宗盛など一門の主張もあって、都城造営も進まぬうちに、同年11月23日には、再び京都(平安京)に都を戻さざるをえませんでした。この遷都は、平氏政権の威信を下げるものになったとされています。
〇福原遷都関係略年表(日付は旧暦です)
<治承4年(1180年)>
・6月2日 京都から摂津国の福原へ安徳天皇・高倉上皇・後白河法皇の行幸が行なわれ、ここに行宮が置かれる
・6月中旬 新都建設の具体的検討が行われる
・7月中旬 福原をしばらく皇居とし、道路を開通させて親平氏派の一部の人々に限り宅地が与えられることになる
・8月12日 大嘗会は来年に延期と決まる
・8月17日 源頼朝が、伊豆で挙兵し山木館を襲撃する
・8月23日 源頼朝が石橋山の戦いで敗れる
・8月29日 源頼朝は、房総半島へ船で逃れる
・9月7日 源(木曽)義仲が木曽で挙兵する
・10月20日 富士川の戦いが起こり、平氏軍は水鳥の飛び立つ音を源氏の襲撃と間違えて敗走する
・11月11日 安徳天皇が新造内裏に行幸する
・11月17日~20日 新嘗祭の五節のみが行なわれる
・11月23日 安徳天皇・高倉上皇らは京都に帰還を開始する
・11月29日 平清盛も福原より引き上げる
〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)
| 1703年(元禄16) | 房総半島沖を震源とする元禄地震がおきる(新暦12月31日) | 詳細 |
| 1707年(宝永4) | 富士山宝永噴火が始まる(新暦12月16日) | 詳細 |
| 1885年(明治18) | 自由民権運動激化事件の一つである大阪事件が起きる | 詳細 |
| 1896年(明治29) | 小説家樋口一葉の命日(一葉忌) | 詳細 |
| 1909年(明治42) | 大阪・長堀川に石造りの心斎橋が完成し、渡り初め式が行われる | 詳細 |
| 1940年(昭和15) | 産業報国会の全国連合組織として大日本産業報国会が結成される | 詳細 |
| 2001年(平成13) | ハンガリーのブダペストで、「サイバー犯罪に関する条約」に、日本を含む30ヶ国が署名・採択する | 詳細 |
| 2004年(平成16) | 洋画家吉井淳二の命日 | 詳細 |

コメント