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 今日は、昭和時代前期の1935年(昭和10)に、財団法人大日本映画協会が発足した日です。
 大日本映画協会(だいにほんえいがきょうかい)は、昭和時代前期の1935年(昭和10)11月8日に設立された、官民合同の国策映画機関(財団法人)です。1933年(昭和8)2月に、衆議院議員・岩瀬売によって「映画国策樹立ニ関スル建議案」が提出されると、翌年4月には、内務大臣を会長とする映画統制委員会が設置されました。
 その中で、官民合同の国家協力機関として、この協会が設立されます。文部省社会教育局と内務省警保局が一体となった映画統制が、社会教育に重点を置いて、国策遂行という観点から、興行映画(映画館)への指導統制を中心にそえることとなり、その体制下に組み込まれることとなりました。
 そして、1939年(昭和14)4月5日公布の「映画法」(施行は10月1日)によって、映画の全面的な国家統制が実施されることとなります。

〇映画法(えいがほう)とは?

 昭和時代前期に日中戦争が泥沼化する中で、1939年(昭和14)4月5日に公布(施行は10月1日)された、映画の全面的な国家統制を目的に制定された法律(昭和14年法律第66号)です。内容は、映画製作・配給の許可制、映画製作に従事する者(監督、俳優、カメラマン)の登録制、劇映画脚本の事前検閲、文化映画・ニュース映画の強制上映、外国映画の上映制限などとなっていました。
 映画の取締りはそれまで、1925年(大正14)に内務省令「活動写真〈フィルム〉検閲規則」に基づく内務省の映画フィルム検閲と「各府県興行取締規則」に基づく映画興行取締りが行われています。しかし、軍国主義ファシズム体制化の進行により、1933年(昭和8)2月に衆議院で採択された「映画国策樹立に関する建議案」を契機に、プロパガンダ(大衆的教化)の宣伝媒体としての映画をめぐる統制論議が高まり、翌年4月の映画統制委員会設置を経て、この法律が制定されることになりました。
 これによって、日本映画界の各パートで働く者は政府に登録しなければいかなる部門にも従事することはできなくなり、登録するためには春と秋の年二回行われる「技能審査」という試験を受けなければならなくなり、人材面でも統制されます。また、検閲の強化により、内容の大幅な変更や上映禁止処分などを受けるようになり、恋愛映画や娯楽映画等は検閲段階で排除されることが多くなりました。
 この法律は、1931年(昭和16)に昭和16年法律第35号による改正がなされ、太平洋戦争後の1945年(昭和20)に昭和20年法律第61号により、12月26日をもって廃止されています。

☆戦前の日本映画の統制関係略年表

・1925年(大正14) 内務省令「活動写真〈フィルム〉検閲規則」に基づく内務省の映画フィルム検閲が始まる
・1933年(昭和8)2月 衆議院議員・岩瀬売によって「映画国策樹立ニ関スル建議案」が提出される
・1934年(昭和9)4月 内務大臣を会長とする映画統制委員会が設置される
・1935年(昭和10)11月8日 財団法人大日本映画協会が発足する
・1939年(昭和14)4月5日 「映画法」が公布される
・1939年(昭和14)10月1日 「映画法」が施行される
・1931年(昭和16) 昭和16年法律第35号により、「映画法」が改正される
・1945年(昭和20)12月26日 昭和20年法律第61号により、この日をもって「映画法」が廃止される

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

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1629年(寛永6)幕府の「勅許の紫衣」の無視・反対(紫衣事件)等で、後水尾天皇が退位する(新暦12月22日)詳細
1892年(明治25)文芸評論家・推理小説家・翻訳家平林初之輔の誕生日詳細
1894年(明治27)戯作者・新聞記者仮名垣魯文の命日詳細
1895年(明治28)ロシア・フランス・ドイツの勧告(三国干渉)により、清国との間で「奉天半島還付条約」に調印する詳細
1896年(明治29)神宮司庁蔵版『古事類苑』の刊行が開始される詳細
1933年(昭和8)東京の府中町に東京競馬場(東京競馬倶楽部運営)が開場する詳細
1968年(昭和43)化学者で日本で2番めの女性理学博士だった黒田チカの命日詳細