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 今日は、室町時代の1392年(元中9/明徳3)に、 前日の南北朝動乱の終結(明徳の和約)が成ったことにより、南朝の後亀山天皇が吉野から京都へ出発した日ですが、新暦では11月13日となります
 南北朝動乱(なくぼくちょうどうらん)は、一般には、南北朝時代とも呼ばれてきました。1333年(元弘3/正慶2)の鎌倉幕府の滅亡後、建武の新政を経て、1336年(延元元/建武3)に足利尊氏による光明天皇の践祚、後醍醐天皇の吉野転居により朝廷が分裂してから、南北朝動乱が始まります。
 この時代には、南朝(吉野)と北朝(京都)に2つの朝廷が存在し、近畿地方を中心に全国で南朝方と北朝方による騒乱が続きました。しかし、次第に南朝勢力が衰微し、1392年(元中9/明徳3)に室町幕府第3代将軍足利義満によって、南北朝合一(明徳の和約)に至り、動乱は収まります。
 この過程で、地方の守護は指揮権、所得給与、課税権などの権限を拡大していき、守護大名へと発展していく過程をたどりました。また、農村では、百姓の自治的・地縁的結合による共同組織である惣村が形成されるようになり、土一揆などの民衆の抵抗がおこる基盤となっていきます。
 尚、現在の皇室は南朝を正統としていて、元号も南朝のものが使われてきました。
 
〇南北朝動乱関係略年表 

<正慶2/元弘3年(1333年)> 
・5月22日 鎌倉を落とし、得宗北条高時以下を自殺させて、鎌倉幕府が滅亡する 

<正慶2/元弘3年(1334年)> 
・1月 後醍醐天皇により建武の新政が行われる 

<建武2年(1335年)> 
・7月 関東で北条時行の反乱(中先代の乱)を平定する 
・10月 足利尊氏が後醍醐天皇に叛いて挙兵する 
・12月11日 箱根・竹ノ下の戦い(○足利軍×●新田軍)が起き、南北朝動乱が始まる 

<延元元/建武3年(1336年)> 
・5月25日 湊川の戦い(○足利軍×●新田・楠木軍)で、楠木正成が戦死する 
・5月29日 尊氏方に京都が占領される 
・8月15日 光明天皇が擁立される 
・10月13日 恒良・尊良両親王を奉じて越前金ケ崎城に立て籠る 
・11月7日 足利尊氏により「建武式目」が制定される 
・12月 後醍醐天皇が吉野へ逃れる 

<延元2/建武4年(1337年)> 
・3月 足利尊氏が高師泰に越前金ヶ崎城を攻略させる 

<延元3/暦応元年(1338年) 
・3月6日 越前金ヶ崎城が陥落する 
・5月 足利尊氏が北畠顕家を堺の石津浜に敗死さる 
・閏7月2日 足利尊氏が新田義貞を越前藤島の戦いにおいて戦死させる 
・8月11日 足利尊氏が征夷大将軍に任ぜられ、京都に室町幕府を開く 

<延元4/暦応2年(1339年)> 
・8月16日 後醍醐天皇が吉野で亡くなり、後村上天皇が即位する 

<延元6/興国2年(1341年)> 
・12月 足利尊氏が天竜寺船を元に送ることを免許する 

<正平2/貞和3年(1347年)>
・11月 楠木正成の子正行、後村山天皇方の武将として、尊氏方をせめる 

<正平3/貞和4年(1348年)> 
・1月5日 四条畷の戦い(○高軍×●楠木軍) 
・6月 直義、尊氏の執事高師直と不和になる 

<正平4/貞和5年(1349年)> 
・9月 足利尊氏が関東管領をおき、足利基氏をこれに任じる 

<正平5/観応元年(1350年)> 
・10月 足利直義・直冬が足利尊氏に叛旗を翻す(観応の擾乱(~1352年)) 

<正平6/観応2年(1351年)> 
・8月 足利尊氏が直義派に対抗するために、子の義詮と共に南朝に降伏する(正平一統) 

<正平7/観応3年(1352年)> 
・2月 南朝軍は約束を破って京都に侵入する 
・2月26日 足利尊氏が鎌倉へ入り、直義を殺害する 
・7月 「観応半済令」が出される 

<正平8/観応4年(1353年)> 
・6月 足利直冬や山名時氏らの攻勢により、足利尊氏らが一時的に京都を奪われる 

<正平10/観応6年(1355年)> 
・1月 再び、足利尊氏らが一時的に京都を奪われる 

<正平11/延文元年(1356年)> 
・8月23日 足利義詮が従三位に昇叙する 

<正平13/延文3年(1358年)> 
・4月30日 足利尊氏が亡くなる 
・12月18日 足利義詮が征夷大将軍に宣下され、室町幕府第2代将軍となる 

<正平16/延文6年(1361年)> 
・細川清氏・畠山国清と対立した仁木義長が南朝へ降り、さらに執事(管領)の清氏までもが佐々木道誉の讒言のために離反して南朝へ降る 
・南朝軍が入京する 

<正平17/康安2年(1362年)> 
・幕府・北朝側が京都を奪還する 
・7月 清氏の失脚以来空席となっていた管領職に斯波義将が任命される 

<正平18/貞治2年(1363年)> 
・1月28日 足利義詮が権大納言に転任する 
・大内弘世、山名時氏を帰服させて中国地方を統一、政権が安定化しはじめる 
・7月29日 足利義詮が従二位に昇叙、権大納言如元 

<正平20/貞治4年(1365年)> 
・2月 足利義詮が三条坊門万里小路の新邸に移る 

<正平21/貞治5年(1366年)> 
・8月 斯波氏が一時失脚すると細川頼之を管領に任命する(貞治の変) 

<正平22/貞治6年(1367年)> 
・1月5日 足利義詮が正二位に昇叙する 
・11月 足利義詮は死に臨み、側室紀良子との間に生まれた10歳の嫡男・義満に家督を譲り、細川頼之を管領に任じて後を託す 
・12月7日 足利義詮が京都において、数え年38歳で亡くなる 

<正平23/応安元年(1368年)> 
・3月11日 南朝の後村上天皇が亡くなる 
・6月17日 「応安半済令」が出される 
・12月30日 足利義満が室町幕府第3代将軍に就任する 

<建徳2/応安4年(1371年)> 
・足利義満が今川了俊に九州統一を命じる 

<建徳3/応安5年(1372年)> 
・11月22日 足利義満が判始の式を行なう 

<天授4/永和4年(1378年)> 
・3月 足利義満が室町に新邸(花の御所)を造営して移住する 

<天授5/康暦元年(1379年)> 
・閏4月14日 細川頼之に帰国が命じられ(康暦の政変)、斯波義将が管領となる 

<弘和2/永徳2年(1382年)> 
・1月26日 足利義満が左大臣となる 
  足利義満が開基として相国寺の建立を開始する 

<弘和3/永徳3年(1383年)> 
・1月14日 足利義満が准三后宣下を受ける 

<元中3/至徳3年(1386年)> 
・7月10日 足利義満が五山制度の大改革を断行、南禅寺を「五山の上」とする 

<元中5/嘉慶2年(1388年)> 
・足利義満が東国の景勝遊覧に出かける 

<元中7/明徳元年(1390年)> 
・閏3月 美濃の乱で土岐康行が鎮圧される 

<元中8/明徳2年(1391年)> 
・12月 明徳の乱で山名氏清が鎮圧される 

<元中9/明徳3年(1392年)> 
・10月27日 足利義満が南北朝の合一(明徳の和約)を実現する 
・閏10月5日 南朝の後亀山天皇が北朝の後小松天皇に三種の神器を譲り、北朝の元号「明徳」に統一される

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