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 今日は、昭和時代前期の1928年(昭和3)に、東京松竹楽劇部(後の松竹歌劇団)が設立された日です。
 松竹歌劇団(しょうちくかげきだん)は、松竹によって創設された少女歌劇団(通称:SKD)です。大正時代の1922年(大正11)に、宝塚歌劇団に対抗して、大阪の松竹分室に「松竹楽劇部生徒養成所」が開設されたのを前身とし、1928年(昭和3)10月12日には、東京の浅草松竹座にも楽劇部が生まれました。
 その後、「東京おどり」の成功と男役の水の江滝子(愛称:ターキー)の断髪姿で急速に人気を高めます。1931年(昭和6)に松竹少女歌劇部(SSK)と改称し、1933年(昭和8)には、楽団員による待遇改善要求に端を発し、水の江瀧子を組織委員長とする労働争議・通称「桃色争議」が起き、その解決を機に松竹少女歌劇団(SSKD)となりました。
 1937年(昭和12)に、浅草芝崎町に東洋一の規模を誇る国際劇場が竣工、ここを本拠に隆盛を誇こったものの、太平洋戦争下の1944年(昭和19)3月31日に、解散され、松竹芸能本部女子挺身隊がを結成されます。戦後、1946年(昭和21)の復活公演を機に、「少女」の2字をやめて松竹歌劇団(SKD)と改められて再出発しました。
 1982年(昭和57)の国際劇場が廃館からは、各地を巡演しましたが、1990年(平成2)2月25日に、東京厚生年金会館において最後の「東京踊り」が上演され、これをもってレビュー劇団としての歴史に終止符を打ちます。1992年3月10日、ミュージカル転向後の初公演「賢い女の愚かな選択」を池袋サンシャイン劇場で上演後、定期的に公演を行ったものの、1996年(平成8)6月30日をもって、解散することになりました。

〇松竹歌劇団(松竹少女歌劇団)関係略年表

・1922年(大正11) 大阪の松竹分室に「松竹楽劇部生徒養成所」が開設され、中之島公会堂で第1回試演会を行なう
・1923年(大正12) 「松竹楽劇部生徒養成所」が大阪松竹座の専属となる
・1926年(大正15) 上演した「春のおどり」の好評が発展の動機になる
・1928年(昭和3)10月12日 東京の浅草松竹座にも楽劇部が生まれる
・1930年(昭和5) 「東京おどり」の成功と男役の水の江滝子(愛称ターキー)の断髪姿で急速に人気を高める
・1931年(昭和6) 松竹少女歌劇部(SSK)と改称する
・1933年(昭和8) 楽団員による待遇改善要求に端を発し、水の江瀧子を組織委員長とする労働争議・通称「桃色争議」が起き、その解決を機に松竹少女歌劇団(SSKD)とする
・1937年(昭和12) 浅草芝崎町に東洋一の規模を誇る国際劇場が竣工、ここを本拠に隆盛を誇こる
・1944年(昭和19)3月31日 解散する
・1946年(昭和21) 「松竹歌劇団」として再出発する
・1982年(昭和57) 国際劇場が廃館となり、各地を巡演するようになる
・1990年(平成2)2月25日 東京厚生年金会館において最後の『東京踊り』が上演され、これをもってレビュー劇団としての歴史に終止符を打つ
・1992年(平成4) ミュージカル転向後の初公演「賢い女の愚かな選択」を池袋サンシャイン劇場で上演後、定期的に公演を行なうようになる
・1996年(平成8)6月30日 解散することになる

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1694年(元禄7)俳聖松尾芭蕉の命日で、「芭蕉忌」とされる(新暦11月28日)詳細
1881年(明治14)「国会開設の勅諭」が出される詳細
1924年(大正13)岩淵水門完成により、荒川放水路が上流から下流までが繋がり、注水が開始されて通水式が行われる詳細
1937年(昭和12)国民精神総動員中央連盟が発足し、国民精神総動員運動が始まる詳細
1940年(昭和15)新体制運動推進のために大政翼賛会が発足する詳細
1943年(昭和18)東條内閣が「教育ニ関スル戦時非常措置方策」を閣議決定する詳細
1946年(昭和21)GHQが「日本史授業再開に関する覚書」(SCAPIN-1266)を出す詳細
1956年(昭和31)砂川闘争において、東京都砂川町(現在の立川市)での第二次強制測量で警官と反対派の衝突が始まる詳細