
延暦寺(えんりゃくじ)は、滋賀県大津市にある天台宗の総本山で、山号は比叡山といい、山門とも呼びます。奈良時代の788年(延暦7)に最澄が創建した一乗止観院に始まり、823年(弘仁14)には、嵯峨天皇による大乗戒壇の勅許とともに延暦寺の寺号を賜りました。
993年(正暦4)に円珍(智証大師)の門徒が園城寺(寺門)に移ってからは寺門と対立し、このころから僧兵をたくわえ、意に満たないことがあれば強訴し、朝廷に恐れられるようになります。次第に堂や伽藍が整備されていき、平安時代後期には一山三千余坊といわれるほど栄えました。
鎌倉時代以降も寺勢を保持しましたが、たびだひ武家勢力と対峙したため、何度か火災にあって建物を焼失したものの、その都度復興されています。しかし、1571年(元亀2)に、浅井・朝倉両軍をかくまったこと等が発端となって、織田信長によって「比叡山の焼き討ち」が起こり、堂塔伽藍はことごとく灰燼に帰したと言われてきました。
その後、豊臣秀吉から山門再興の許可を得、秀吉、徳川家康より領地を与えられて復興します。昭和時代になっても、1934年(昭和9年)に、室戸台風の暴風雨により本坊、文殊楼、無動寺、大剰寺、山麓の宿院などが倒壊する被害を受け、1956年(昭和31)には、賽銭泥棒が放火し、大講堂、本尊の大日如来像などが焼失しました。
現在も、根本中堂 (国宝) をはじめ、大講堂、戒壇院、釈迦堂、山麓の滋賀院などの百有余の堂や塔があり、寺宝として、金銅経箱(国宝)、宝相華蒔絵経箱(国宝)、七条刺納袈裟・刺納衣(国宝)、伝教大師将来目録(国宝)、羯磨金剛目録(国宝)、六祖恵能伝(国宝)などを多数所蔵しています。尚、1994年(平成6)には、「古都京都の文化財」の一つとして世界遺産(文化遺産)にも登録されました。
993年(正暦4)に円珍(智証大師)の門徒が園城寺(寺門)に移ってからは寺門と対立し、このころから僧兵をたくわえ、意に満たないことがあれば強訴し、朝廷に恐れられるようになります。次第に堂や伽藍が整備されていき、平安時代後期には一山三千余坊といわれるほど栄えました。
鎌倉時代以降も寺勢を保持しましたが、たびだひ武家勢力と対峙したため、何度か火災にあって建物を焼失したものの、その都度復興されています。しかし、1571年(元亀2)に、浅井・朝倉両軍をかくまったこと等が発端となって、織田信長によって「比叡山の焼き討ち」が起こり、堂塔伽藍はことごとく灰燼に帰したと言われてきました。
その後、豊臣秀吉から山門再興の許可を得、秀吉、徳川家康より領地を与えられて復興します。昭和時代になっても、1934年(昭和9年)に、室戸台風の暴風雨により本坊、文殊楼、無動寺、大剰寺、山麓の宿院などが倒壊する被害を受け、1956年(昭和31)には、賽銭泥棒が放火し、大講堂、本尊の大日如来像などが焼失しました。
現在も、根本中堂 (国宝) をはじめ、大講堂、戒壇院、釈迦堂、山麓の滋賀院などの百有余の堂や塔があり、寺宝として、金銅経箱(国宝)、宝相華蒔絵経箱(国宝)、七条刺納袈裟・刺納衣(国宝)、伝教大師将来目録(国宝)、羯磨金剛目録(国宝)、六祖恵能伝(国宝)などを多数所蔵しています。尚、1994年(平成6)には、「古都京都の文化財」の一つとして世界遺産(文化遺産)にも登録されました。
〇延暦寺関係略年表
・785年(延暦4) 最澄が「願文(がんもん)」をつくり、堅い修行の決意をもって比叡山へ入り、草庵をつくる
・788年(延暦7) 最澄が一乗止観院(後の根本中堂)を創建、本尊として薬師如来を安置する
・806年(大同元) 年分度者(ねんぶんどしゃ)(毎年天台宗の僧として得度・受戒すべき僧)の割当て2名を得て、天台宗が独立した宗派として公認される
・818年(弘仁9) 南都の小戒を捨てて比叡山に大乗戒壇を建立することを申請して南都の旧宗と対決する
・822年(弘仁13) 嵯峨天皇による大乗戒壇の勅許を賜る
・823年(弘仁14) 延暦寺の寺号を賜る
・824年(天長1) 義真が初代天台座主に任ぜられ、三綱が置かれ、講堂建立される
・825年(天長2) 戒壇院が建立され、堂舎が整う
・829年(天長6) 円仁が首楞厳(しゆりようごん)院を開く
・834年(承和1) 円澄が西塔院を開創する
・866年(貞観8) 清和天皇より、最澄に「伝教大師」、円仁に「慈覚大師」という諡号を賜る
・905年(延喜5) 宇多法皇が登山受戒する
・966年(康保3) 山上の諸堂が焼失する
・993年(正暦4) 慶祚以下の智証派1000余人は下山して園城寺(三井寺)に拠り、山門と寺門(三井寺)の対立が始まる
・1095年(嘉保2) 強訴のとき日吉の神輿をかつぎ出すことが例となる
・1571年(元亀2) 浅井・朝倉両軍をかくまったこと等が発端となって、織田信長による「比叡山の焼き討ち」が起こり、堂塔伽藍はことごとく灰燼に帰す
・1584年(天正12) 豊臣秀吉が、復興の許可を出す
・1595年(文禄4) 豊臣秀吉は、坂本と葛川の1,573石を施入する
・1640年(寛永17) 江戸幕府の援助により、根本中堂が旧規にならい再興される
・1868年(明治元) 神仏分離令が出されると、延暦寺の鎮守社であった日吉社は独立して日吉大社と名称を改める
・1934年(昭和9年) 室戸台風の暴風雨により本坊、文殊楼、無動寺、大剰寺、山麓の宿院などが倒壊する被害を受ける
・1956年(昭和31) 比叡山延暦寺に賽銭泥棒が放火し、大講堂、本尊の大日如来像などが焼失する
・1994年(平成6) 「古都京都の文化財」の一つとして世界遺産(文化遺産)に登録される
・2015年(平成27) 「琵琶湖とその水辺景観- 祈りと暮らしの水遺産」の構成文化財として日本遺産に認定される
〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)
〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)
| 1231年(寛喜3) | 第83代の天皇とされる土御門天皇が、配流先の阿波国で亡くなる(新暦11月6日) | 詳細 |
| 1881年(明治14) | 明治十四年の政変が起き、立憲政体方針、開拓使官有物払い下げ中止、大隈重信らの罷免が決定される | 詳細 |
| 1940年(昭和15) | 俳人種田山頭火の命日(一草忌) | 詳細 |
| 1945年(昭和20) | 幣原首相・マッカーサー会談で、GHQから「五大改革指令」が通達される | 詳細 |
| 1950年(昭和25) | 「新日本観光地百選」が毎日新聞紙上で発表される | 詳細 |
| 医学者三浦謹之助の命日 | 詳細 | |
| 2000年(平成12) | 電子工学者猪瀬博の命日 | 詳細 |
| 2001年(平成13) | 日本画家秋野不矩の命日 | 詳細 |
コメント