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 今日は、大正時代の1915年(大正4)に、インダストリアルデザイナー柳宗理の生まれた日です。
 柳宗理(やなぎ そうり)は、1915年(大正4)6月29日 東京市赤坂区原宿において、父・柳宗悦、母・兼子の第一子として生まれましたが、本名は宗理(むねみち)と呼びました。1923年(大正12)の関東大震災により家屋の一部が破損、翌年に京都市上京区へ転居、錦林小学校へ入学します。
 京都府立第一中学校卒業後、1933年(昭和8)に東京市小石川区へ転居し、川端画学校で一年間の浪人生活を送りました。東京美術学校西洋画科へ入学し、1940年(昭和15)に卒業後、社団法人日本輸出連合会(商工省外郭団体)嘱託となり、『輸出工芸』第5号の編集を担当、シャルロット・ペリアンの日本各地の視察に同行します。
 1941年(昭和16)にシャルロット・ペリアン 企画展『選択・伝統・創造』に協力し、1942年(昭和17)には、坂倉準三建築研究所研究員となり、レオナルド・ダ・ヴィンチ展(上野)の会場構成に携わりました。1943年(昭和18)に陸軍報道部宣伝部員としてフィリピンへ行き、1945年(昭和20)にフィリピンにて敗戦を迎え、収容所に入れられます。
 1946年(昭和21)に帰国、工業振興会に嘱託として勤務して、工業デザインの研究に着手、1947年(昭和22)には、文化学院文学部および美術部講師に就任しました。1950年(昭和25)に、柳インダストリアルデザイン研究所を開設、駒場の自宅傍にアトリエを構え、1952年(昭和27)に、第1回新日本工業デザインコンクールに出品し第1席「レコードプレイヤー」(日本コロムビア製作)、2席を併せて入選します。
 この賞金を元に、1953年(昭和28)に財団法人柳工業デザイン研究会を設立、『プラスチック振興展』で工業奨励館賞を受賞しました。1955年(昭和30)に、金沢美術工芸大学産業美術学科工業デザイン専攻教授に就任、1957年(昭和32)に、第11回ミラノ・トリエンナーレに招待出品してインダストリアル・デザイン金賞を受賞し、世界的に名が知られるようになります。
 1967年(昭和42)に、金沢美術工芸大学教授を退任し、翌年から非常勤となり、1977年(昭和52)に日本民藝館館長に就任、翌年には、日本民藝協会会長に就任しました。1981年(昭和56)に紫綬褒章、1987年(昭和62)に旭日小綬章を受章し、2002年(平成14)には文化功労者となります。
 2008年(平成20)には、英国王立芸術協会より ロイヤルデザイナー・フォー・インダストリー(Hon RDI)の称号を授与されたものの、2011年(平成23)12月25日に、東京都内の病院において、肺炎のため96歳で亡くなり、正四位と旭日重光章を追贈されました。

<柳宗理の主要なデザイン作品>

・1952年(昭和27) - レコードプレイヤー(日本コロムビア)
・1953年(昭和28) - 「早く沸くヤカン」(東京ガス)
・1954年(昭和29) - 「スタッキングスツール(エレファントスツール)」(コトブキ製作)
・1956年(昭和31) - 「バタフライスツール」(天童木工製作)、オート三輪(三井精機製作)、白磁土瓶・醤油入れ(多治見陶磁器試験所製作)
・1960年(昭和35) - 二回転式下皿秤「パール」(寺岡精工製作)
・1964年(昭和39) - 東京オリンピック聖火コンテナ、トーチ・ホルダー、水泳競技場座席等
・1965年(昭和40) - 「スタッキング・チェア」(コトブキ製作)
・1970年(昭和45) - 札幌冬季オリンピック聖火台、トーチ・ホルダー
・1970年(昭和45) - 野毛のつり橋、野毛山動物園看板
・1973年(昭和48) - 横浜市営地下鉄駅設備
・1980年(昭和55) - 東名高速道路・東京料金所防音壁
・1985年(昭和60) - 関越自動車道・関越トンネル坑口
・1991年(平成3) - 東名高速道路・足柄橋
・1997年(平成9) - 東京湾横断道路・木更津料金所
・1999年(平成11) - 「シェルチェア」「スタッキングチェア」(天童木工製作)

〇柳宗理関係略年表

・1915年(大正4)6月29日 東京市赤坂区原宿において、父・柳宗悦、母・兼子の第一子として生まれる
・1921年(大正10)3月 東京市赤坂区へ転居する
・1923年(大正12)9月 関東大震災により家屋の一部が破損する
・1924年(大正13) 京都市上京区へ転居、錦林小学校へ入学する
・1928年(昭和3) 京都府立第一中学校へ入学する
・1929年(昭和4) 京都市左京区へ転居する
・1933年(昭和8) 東京市小石川区へ転居する
・1934年(昭和9) 川端画学校で一年間の浪人生活を送る
・1935年(昭和10) 東京都目黒区駒場へ転居、東京美術学校西洋画科入学(1940年4月卒業)
・1939年(昭和14) 『東京美術』の編集委員として「現代美術における無意識性に就て」執筆、『美術』17号発行 特集「新日本美術文化の動向」を編集する
・1940年(昭和15) 東京美術学校西洋画科を卒業し、社団法人日本輸出連合会(商工省外郭団体)嘱託となり、『輸出工芸』第5号の編集を担当、シャルロット・ペリアンの日本各地の視察に同行する
・1941年(昭和16) シャルロット・ペリアン 企画展『選択・伝統・創造』高島屋(東京・大阪巡回展)に協力する
・1942年(昭和17) 坂倉準三建築研究所研究員となり、レオナルド・ダ・ヴィンチ展(上野)の会場構成に携わる
・1943年(昭和18) 陸軍報道部宣伝部員としてフィリピンへ(坂倉準三建築研究所の日本文化会館の設計建築に協力)
・1945年(昭和20) フィリピンにて敗戦を迎え、収容所に入られる
・1946年(昭和21) フィリピンから帰国、工業デザインの研究に着手(農村工業振興会に嘱託として勤務)する
・1947年(昭和22) 文化学院文学部および美術部講師に就任する
・1948年(昭和23) 前川設計研究所編『PLAN』発行に「ラスキン、モリスよりグロピウス、コルビュジェへ」を執筆する
・1949年(昭和24) 『第一回産業意匠展』で優秀賞、『中小企業庁主催第一回産業意匠展』で中小企業長官賞及び優秀賞を受賞する
・1950年(昭和25) 柳インダストリアルデザイン研究所を開設、駒場の自宅傍にアトリエを構える
・1952年(昭和27) 『新日本工業デザイン展』(日本橋三越)出展、『第一回新日本工業デザインコンクール(現・毎日ID賞)』で通商産業大臣賞及び佳作を受賞、日本インダストリアルデザイナー協会(JIDA)設立に参加(~1960年まで会員)
・1953年(昭和28) 日本インダストリアルデザイナー協会が文部省より財団法人認可 、財団法人柳工業デザイン研究会を設立、『プラスチック振興展』で工業奨励館賞を受賞、国際デザインコミッティー (現・日本デザインコミッティー)設立に参加(~1980年まで会員)する
・1954年(昭和29) 前川國男の事務所新設(東京・四谷)にあたり、その建物の半地下へアトリエ移転、女子美術大学非常勤講師(~1966年)
・1955年(昭和30) 『スェーデン国際建築意匠「H55」展』に展示、『三井精機56年型三輪車オリエント号完成発表会』、銀座松屋グッドデザインコーナー開設(現・デザインコレクション) 商品の推薦、展示に携わる
・1956年(昭和31) 金沢美術工芸大学嘱託教授となり(~1965年)、渡米する
・1957年(昭和32) 特許庁、意匠奨励審査会委員となり、優良意匠の奨励助成・意匠侵害防止・グッドデザインの選定などを行う、北欧(イタリア・アルベロベッロへ)を訪れる
・1958年(昭和33) 【バタフライスツール】ニューヨーク近代美術館パーマネントコレクションに選定される
・1959年(昭和34) 吉田璋也を訪ね鳥取へ、牛ノ戸焼脇窯を訪れ、渡英する
・1960年(昭和34) 世界デザイン会議企画分科会副委員長に任命され、カッセル国立デザイン専門学校講師(1960年10月~1961年2月の冬季授業を担当)となる
・1961年(昭和36) 父・宗悦が亡くなる
・1964年(昭和39) 第3回ドクメンタ(ドイツ・カッセル)招待出品【灰皿1953、スツール1956、黒釉ティーポット1956、東京オリンピックトーチ1964】
・1966年(昭和41) 『椅子の50年史』アムステルダム市立美術館【バタフライスツール、エレファントスツール】美術館のパーマネントコレクションに選ばれる
・1967年(昭和42) 金沢美術工芸大学教授を退任する
・1969年(昭和44) 横浜市営地下鉄デザイン委員会設置、ファニチャーその他設備のデザイン担当委員を務める
・1972年(昭和47) 柳デザイン(株)(現・柳ショップ)を設立する
・1973年(昭和48) 柳デザインショールーム(浜松町)開設、渡米し、『国際クラフト展』審査員となる
・1974年(昭和49) 『国際クラフト展』審査員(カナダ・トロント)となる
・1975年(昭和50) ヤナギ・ショップ(東京・千駄ヶ谷)が開店する
・1976年(昭和51) ドイツ(シュトゥットガルト)へ行き、フリッツ・レオンハルト博士を訪ねて、意見を聴く
・1977年(昭和52) 日本民藝館館長に就任する(~2006年)
・1978年(昭和53) 日本民藝協会会長に就任する(~2003年)、『民藝』309号に「民芸とモダンデザインの接点」掲載(〜2006年8月644号までの表紙デザイン、図版構成をする)、大阪日本民藝館館長に就任する(〜2011年3月)
・1979年(昭和54) ネパールからインドネシア(ジャワ島)を訪れる
・1980年(昭和55) イタリア(アルベロベッロ)を訪れる
・1981年(昭和56) ブータンを訪れ、紫綬褒章を受賞、フィンランド(ヘルシンキ)を訪れ、フィンランド・デザイナー協会名誉会員となり、メンフィスを結成する
・1982年(昭和57) インド(ラダック)を訪れる
・1983年(昭和58) インドのパキスタン近くのクラジャアート、ラジャスタン地方を訪ねる
・1984年(昭和59) 母・兼子が亡くなる
・1985年(昭和60) フランスへ(『シャルロット・ペリアン展』(パリ)視察)、マリ共和国へ行き、ドゴン族の生活文化を取材する
・1986年(昭和61) カナダ(バンクーバー)、北欧(デンマーク、ノルウェー、スウェーデン、フィンランド) を訪れる
・1987年(昭和62) 旭日小綬章を授賞する
・1988年(昭和63) 『インド民藝展』(日本民藝館)打ち合わせ調査のため、ニューデリー、ジャイプール、アメダバードなどを訪ねる
・1990年(平成2) 「JC(ジャパンクリエイティブ)」が西武百貨店プライベートブランドとして発足。多数作品の復刻、デザインを行う
・1992年(平成4) 沖縄県立芸術大学非常勤講師となり、国井喜太郎産業工芸賞を受賞する(柳宗理「創成期よりデザイン活動を実践、日本民藝館を通して文化交流に尽力」)
・1994年(平成6) 『Japanese design(日本のデザイン)展』フィラデルフィア博物館(アメリカ) 【バタフライスツール他9点】
・1995年(平成7) 『日本民藝館展』ピーボディ・エセックス博物館(アメリカ巡回展)準備のため渡米する
・1996年(平成8) 沖縄県立芸術大学客員教授となる(~1997年)
・2000年(平成12) 金沢美術工芸大学客員教授となる(~2011年)
・2002年(平成14) 文化功労者となる
・2003年(平成15) 『柳宗理デザイン展』mono gallery(東京)開催
・2006年(平成18) 『柳宗理デザイン生活道具』(熊本国際民芸館)開催
・2007年(平成19) 『柳宗理展ー生活の中のデザイン』(東京国立近代美術館)開催
・2008年(平成20) 英国王立芸術協会より ロイヤルデザイナー・フォー・インダストリー(Hon RDI)の称号を授与される
・2011年(平成23)12月25日 東京都内の病院において、肺炎のため96歳で亡くなり、正四位と旭日重光章を追贈される

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

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