
利根運河(とねうんが)は、千葉県北西部(柏市、流山市、野田市)にある、利根川と江戸川とを結ぶ運河です。野田市関宿(せきやど)を経由する利根川水運の近道として、1888年(明治21)7月14日に、オランダ人技師ムルデルの計画に基づき、民間の利根運河株式会社によって起工され、1890年(明治23)に完成し、6月18日に竣工式が挙行されました。
日本初の西洋式運河で、全長は約8.5km、底幅20mあり、関東平野から東京に送る物資の大動脈となります。しかし、鉄道の発達で河川交通は激減し、1931年の大水害以後水運は消滅しました。
1965年(昭和40)に一級河川となり、現在は、緊急水道用導水路(野田導水路)となります。その後、1987年(昭和62)に、流山市立運河水辺公園が開園し、利根運河交流館、工事の中心となったオランダ人技師ムルデルの顕彰碑などもあって、行楽地ともなってきました。
尚、2006年(平成18)度に土木学会が選奨土木遺産に、2007年(平成19)に経済産業省が近代化産業遺産に、2018年(平成30)度には、千葉県の「次世代に残したいと思う『ちば文化資産』」に認定されています。
日本初の西洋式運河で、全長は約8.5km、底幅20mあり、関東平野から東京に送る物資の大動脈となります。しかし、鉄道の発達で河川交通は激減し、1931年の大水害以後水運は消滅しました。
1965年(昭和40)に一級河川となり、現在は、緊急水道用導水路(野田導水路)となります。その後、1987年(昭和62)に、流山市立運河水辺公園が開園し、利根運河交流館、工事の中心となったオランダ人技師ムルデルの顕彰碑などもあって、行楽地ともなってきました。
尚、2006年(平成18)度に土木学会が選奨土木遺産に、2007年(平成19)に経済産業省が近代化産業遺産に、2018年(平成30)度には、千葉県の「次世代に残したいと思う『ちば文化資産』」に認定されています。
〇利根運河関係略年表
・1887年(明治20)11月 太政官布告に基き、原資償却を目的に、使用料の徴收を内務省が免許し、免許を利根運河株式会社は保有することとなる
・1888年(明治21)7月14日 利根運河が起工する
・1890年(明治23)2月25日 約57万円の費用と延べ220万人により、通水する
・1890年(明治23)3月25日 通船する
・1890年(明治23)6月18日 竣工式を開催する
・1891年(明治24) 舟運は年間約37,600隻となる
・1892年(明治25)4月14日 内国通運会社(現在の日本通運)が、利根運河に初めて汽船の運河往復試運転を実施する
・1893年(明治26)4月1日 銚子汽船(後の銚子通運会社、銚子合同汽船会社)が初就航し、銚子-東京間は6時間短縮される
・1895年(明治28)2月15日 東京~銚子間の直行の汽船が就航し、東京-小名木川-江戸川-利根運河-利根川-銚子の144kmを18時間で結ぶようになる
・1896年(明治29)7月22日 台風による洪水(新潟県では横田切れが発生)で利根川と鬼怒川の合流点の河底が上がり、運河の水流が逆(利根川から江戸川へ)になった
・1896年(明治29)12月25日 日本鉄道土浦線(後の常磐線)が開通すると、それまで蒸気船で1泊2日を要した都心まで、わずか2時間で結ばれるようになる
・1897年(明治30)6月1日 銚子~東京間に総武鉄道(後の総武本線)が開通し、所要時間が従来の5分の1(4時間)となり、長距離航路は急激に衰退する
・1900年(明治33) 国の河川政策が大きく変わり、水運を優先して、水深を深して川幅を狭くしていたものの、水害対策を優先する方針に変わり、川幅を広げて堤防を高くした結果、水深が浅くなって汽船の運行が困難になる
・1914年(大正3) この時点での運河敷地面積は52町2反歩となる
・1935年(昭和10年)9月26日 台風前面の温暖前線による豪雨が襲い大洪水となる(烏川災害)
・1937年(昭和12) 舟運は年間約6,500隻程度に減少する
・1939年(昭和14)4月 利根川増補計画が内務省より告示され、運河両岸の堤防を大幅に強化するとともに、利根川と江戸川の高水位の差を利用し、高水時は本運河を利用して利根川の洪水のうち500m3/sを江戸川へ放水することとなる
・1941年(昭和16)7月22日 台風第8号により利根川からの洪水流が押し寄せ、水堰(現在の水堰橋付近)や三ヶ尾の堤防を破壊し、運河の通航はほぼ不可能となり会社は破綻する
・1941年(昭和16)12月31日 洪水対策として利根川の洪水を江戸川に分水する名目で、215,556円で国に買収され国有化される
・1942年(昭和17) 内務省第一区土木監督署江戸川増補維持事務所(現在の国土交通省関東地方整備局江戸川河川事務所)運河出張所が置かれる
・1943年(昭和18)1月22日 派川利根川へ改称される
・1949年(昭和24)3月 利根運河株式会社の使用料の徴收権がなくなる
・1965年(昭和40)4月1日 一級河川となる
・1972年(昭和47) 野田緊急暫定導水路工事が着工する
・1973年(昭和48) 北千葉導水路整備のため、暫定的な水路として通水が再開される
・1975年(昭和50) 利根川口の堤防撤去と、500m程下流にあった利根川との接続点の移動および野田導水機場(運河水門)の設置が行われ、派川利根川に流れが戻る
・1987年(昭和62)5月31日 流山市立運河水辺公園が開園する
・1990年(平成2)6月8日 利根運河に改称する
・2000年(平成12)4月 北千葉導水路が完成し導水路としての役目を終える
・2006年(平成18)2月 利根川水系河川整備基本方針が策定され、利根川からの500m3/sの洪水分派計画が削除される
・2006年(平成18) 土木学会が選奨土木遺産に認定する
・2007年(平成19)11月30日 経済産業省が近代化産業遺産に認定する
・2018年(平成30) 千葉県の「次世代に残したいと思う『ちば文化資産』」に認定される
〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)
〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)
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