
大日本労務報国会(だいにほんろうむほうこくかい)は、産業報国運動の一環として、1943年(昭和18)6月2日に結成された、日雇労働者を対象として設立された道府県労務報国会の中央組織です。土木建築業・運輸交通業・鉱業における日雇労働者と、これと不可分の関係にある「労務供給業者」、「作業請負業者」をふくむ組織で、個々に結成されていた旧労務報国会(仮称)および労務供給業聯合会は、新労務報国会に統合されました。
中央に大日本労務報国会、道府県ごとに道府県労務報国会が設けられ、主な事業は、産業報国精神の高揚、国民動員への協力、会員の教育訓練などとされます。労務供給業者、日雇労働者及びこれを使用する請負業者の、勤労能力の発揮と労務の適正配置がねらいでした。
これによって、主として常用労働者の働く事業所に組織された産業報国会と日雇労働者を対象として設立された労務報国会とが両立するようになり、「常傭労務者」と「日傭労務者」の双方に戦時勤労組織が作りあげられることになります。
中央に大日本労務報国会、道府県ごとに道府県労務報国会が設けられ、主な事業は、産業報国精神の高揚、国民動員への協力、会員の教育訓練などとされます。労務供給業者、日雇労働者及びこれを使用する請負業者の、勤労能力の発揮と労務の適正配置がねらいでした。
これによって、主として常用労働者の働く事業所に組織された産業報国会と日雇労働者を対象として設立された労務報国会とが両立するようになり、「常傭労務者」と「日傭労務者」の双方に戦時勤労組織が作りあげられることになります。
〇「社会運動の状況」内務省警保局編 1942年(昭和17)より
昭和十三年〔一九三八年〕産業報国運動が展開され、昭和十五年十一月八日勤労新体制確立要綱が閣議に於て決定されて以来、産業報国精神を基本とする勤労新体制の組織は着々として樹立され昭和十六年末に於ては従業員百人以上を有する民営事業場に在りては
土木事業を除き九九%の組織を確立し、組織に於ては略所期の目的を達成せり。併し乍ら従業員百人以下の事業場に於ける産業報国会の組織運動は今尚進行中であり、又土木建築、港湾荷役其の他日傭労務者を使用する事業に於ては組織上種々困難なる事情があり、
斯る方面に於ては既に産業報国会の結成を見たるものありと雖も概して永続的性質を有する事業場に限られ、一般的には未組織の状況なりき。蓋しこれは日傭労務の特殊性に因り産業報国会の組織竝に運営が必ずしも適当ならずと思惟せられたる結果に外ならず、元来日傭労務者は産業界の盛衰と極めて密接なる関係を有し、昭和四、五年頃より財界不況の影響を受け其の数漸次増加し昭和十年には最高記録を示したり。自由主義的産業組織に在りては、不況時には失業者が日傭労務に移行し、之に反し一般産業界の活況を示す場合は斯の方面より他に転出する傾向があり、日傭労務者は昭和十一年以来毎年漸減の状況を示せり。併し乍ら日傭労務者と一言に謂ふも之を産業上より見れば其の従事する産業は農林業、土木建築業、交通業が最大多数を占むるのであるが、広く各種産業に亘り其の就労状態も日々転々として職場を異にするもの極めて多く更に職能上より之を見れば特殊の高級技能を有するものより何等技能を有しないもの迄包含するのであって、極めて複雑な様相を示しつつあり、又之等日傭労務者の就業様式も大体職業指導所の登録制度により或は供給業者により配置さるるもの、作業請負業者に属し就業するもの、事業主との直接契約により就業するもの等に大別し得、又日傭労務者に対する報酬も定額制あり、請負制あり、而も継続的事業に規則的に従事せざるものに在りては報酬の高低著しく賃金規則亦極めて困難なる実情にあり。而して此の不規則なる勤労状況や賃金状態は日傭労務者の私生活に影響する所大にして斯る観点からするも適切なる対策を講ずる必要があったのであるが、従来斯の方面に対する各種の施策乃至指導は遺憾ながら徹底せざる傾向ありたり。然るに戦時体制確立の急務、特に近時の顕著なる労力不足に直面するや、国民挙っての確固たる報国精神を基調とする勤労能力の充実発揚を必要とせらるるに至れり。
翻って日傭労務者の実情を観るに之等労務者は一般的には労働予備軍として考へられつつありたるも我が国産業界の現状に於ては極めて重要なる役割を担当し来り、而も近年此の方面に於ても労働力の不足が現実の問題として顕はれ殊に戦時体制の確立に当っては軍需産業の拡張、産業転換が行はれ、これが基礎的な事業として土木建築事業の活況を見、従来の日傭労務者のみを以てしては不足を来し、半島人の集団移入を為す等、土木建築業労働者の増加は著しきものあり、又大東亜戦争の勃発を機として交通業就中海運状況が従来と一変し、港湾荷役等に於ても其の業務が繁閑極めて複雑なる状況を呈する日傭労務者の不足せる現状に於ては其の補充十分ならず、従って他面に於ては労務者獲得の為の闇賃金の横行を見るに至り、工場労務者の日傭稼等を続出して労働市場を混乱せしむるが如き傾向を惹起すると共に政府竝に関係方面の戦時諸施策の遂行に尠からず支障を生ぜしめつつありたり。
以上の如き実情下に於て日傭労務者の組織化要望は予てより陸海軍・鉄道・逓信各省の現業官庁を関係方面より熾烈に要望されつつあり、厚生省に於ても従来これが組織化の準備を進めつつありたるが、漸く成案を得て、報国精神の昂揚竝に労務の適正配置を目途とせる労務報国会の結成を計画し、〔一九四二年〕九月三十日別記(略)の通「労務報国会設立に関する件依命通牒」竝に「道府県労務報国会の組織竝に事業に関する件」が通牒せられ、茲に於て産業報国運動の一環として、組織上最も困難視されたる日傭労務者の勤労新体制確立を企図したるが、本年中は専ら組織整備等に終始したる為具体的運動なく注意すべき動向等も認められざる状況なり。
〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)
1180年(治承4) | 平清盛が遷都を目指して福原(現在の神戸市)への行幸(福原遷都)を決行する(新暦6月26日) | 詳細 |
1450年(宝徳2) | 細川勝元が京都に龍安寺を創建する(新暦7月10日) | 詳細 |
1582年(天正10) | 京都の本能寺の変で、織田信長が明智光秀に攻められ、自刃する | 詳細 |
1615年(慶長20) | 画家・海北派の祖海北友松の命日(新暦6月27日) | 詳細 |
1716年(享保元) | 画家・工芸家尾形光琳の命日(新暦7月20日) | 詳細 |
1743年(寛保3) | 陶工・絵師尾形乾山の命日(新暦7月22日) | 詳細 |
1859年(安政6) | 前年締結の「日米修好通商条約」により、横浜・長崎が開港される(新暦7月1日) | 詳細 |
1907年(明治40) | 愛媛県の別子銅山で運搬夫の指導者山田豊次郎が解雇され、別子銅山争議(別子暴動)が始まる | 詳細 |
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