和同開珎(わどうかいちん、わどうかいほう)は、日本で鋳造・発行されたと考えられる銭貨で、皇朝十二銭のうちで最も古いものです。飛鳥時代の708年(和同元)に発行され、銀銭と銅銭がありましたが、銀銭は翌年廃止されたものの、銅銭は、天平宝字年間(757~765年)頃までの長期間鋳造されました。
708年(和銅元)1月11日に、武蔵国秩父郡から和銅が献上され、元号を和銅と改元したのを受けて、同年2月11日に、催鋳銭司(銭貨の鋳造を監督する役人)が置かれ、5月11日に、はじめて銀銭を使用させ、7月28日に、近江国に銅銭を鋳造させ、8月10日に、はじめて銅銭を使用させたと『続日本紀』に記述されています。直径24mm前後の円形で、中央には、一辺が約7mmの正方形の穴が開いている円形方孔の形式で、全国数ヶ所(近江国、山城国、長門国、播磨国など)で鋳造され、主に畿内およびその周辺で流通したとされます。
708年(和銅元)1月11日に、武蔵国秩父郡から和銅が献上され、元号を和銅と改元したのを受けて、同年2月11日に、催鋳銭司(銭貨の鋳造を監督する役人)が置かれ、5月11日に、はじめて銀銭を使用させ、7月28日に、近江国に銅銭を鋳造させ、8月10日に、はじめて銅銭を使用させたと『続日本紀』に記述されています。直径24mm前後の円形で、中央には、一辺が約7mmの正方形の穴が開いている円形方孔の形式で、全国数ヶ所(近江国、山城国、長門国、播磨国など)で鋳造され、主に畿内およびその周辺で流通したとされます。
〇皇朝十二銭一覧
・「和同開珎」708年(和銅元)鋳造
・「万年通宝(萬年通寳)」760年(天平宝字4)鋳造
・「神功開宝(神功開寳)」765年(天平神護元)鋳造
・「隆平永宝(隆平永寳)」796年(延暦15)鋳造
・「富寿神宝(富壽神寳)」818年(弘仁9)鋳造
・「承和昌宝(承和昌寳)」835年(承和2)鋳造
・「長年大宝(長年大寳)」848年(嘉祥元)鋳造
・「饒益神宝(饒益神寳)」859年(貞観元)鋳造
・「貞観永宝(貞観永寳)」870年(貞観12)鋳造
・「寛平大宝(寛平大寳)」890年(寛平2)鋳造
・「延喜通宝(延喜通寳)」907年(延喜7)鋳造
・「乾元大宝(乹元大寳)」958年(天徳2)鋳造
☆『続日本紀』(巻第四)和銅元年の和銅に関する記述抜粋
・「和銅改元」に関する記述
和銅元年春正月乙巳。
武藏國秩父郡獻和銅。
詔曰。「現神御宇倭根子天皇詔旨勅命乎。親王諸王諸臣百官人等天下公民衆聞宣。高天原由天降坐志。天皇御世乎始而中今尓至麻氐尓。天皇御世御世天豆日嗣高御座尓坐而治賜慈賜來食國天下之業止奈母。隨神所念行佐久止詔命乎衆聞宣。如是治賜慈賜來留天豆日嗣之業。今皇朕御世尓當而坐者。天地之心乎勞弥重弥辱弥恐弥坐尓聞看食國中乃東方武藏國尓。自然作成和銅出在止奏而獻焉。此物者天坐神地坐祗乃相于豆奈比奉福波倍奉事尓依而。顯久出多留寳尓在羅之止奈母。神随所念行須。是以天地之神乃顯奉瑞寳尓依而御世年號改賜換賜波久止詔命乎衆聞宣。」故、改慶雲五年而和銅元年為而、御世年号止定賜。
<読み下し文>
和銅元年春正月乙巳。
武蔵国秩父郡[1]、和銅[2]を献ず。
詔して日く。「現神[3]と御宇倭根子天皇が詔旨らまと勅りたまふ命を、親王・諸王・諸臣・百官人等、天下公民、衆聞きたまへと宣る。高天原[4]ゆ天降り[5]坐しし。天皇が御世を始めて、中・今に至めまでに。天皇が御世御世、天つ日嗣[6]高御座[7]に坐して治め賜ひ慈しび賜ひ來る食國[8]天下の業となも。神ながら念し行さくと詔りたまふ命を衆聞きたまへと宣る。如是治め賜ひ慈しび賜ひ來る天つ日嗣[6]の業と。今皇朕御世に當りて坐せば。天地の心を勞しみ重しみ辱み恐み坐すに聞し看す食國[8]の中の東方武蔵国に自然に作成る和銅[2]出でたりと奏して献れりと。此の物は天に坐す神・地に坐す祗の相うづなひ奉る事に依りて、顯し[9]く出でたる寳に在るらしともな。神ながら念し行す。是をもちて、天地の神の顕し[9]奉れる瑞寳[10]によって、御世の年号を改め賜ひ換へ賜はく詔りたまふ命をもろもろ聞しめさへと宣る。」故、慶雲五年を改めて和銅元年と為て、御世の年号と定め賜ふ。
【注釈】
[1]武蔵国秩父郡:むさしのくにちちぶぐん=現在の埼玉県秩父郡。
[2]和銅:わどう/にぎあかがね=製錬を要しない自然銅。
[3]現神:あきつみかみ=現に姿をあらわしている神の意で多く天皇に用いられる。
[4]高天原:たかまがはら=日本神話における天上の国。
[5]天降り:あまくだり=天上から地上におりること。
[6]天つ日嗣:あまつひつぎ=皇位を継承すること。また、皇位。
[7]高御座:たかみくら=大極殿または紫宸殿の中央に設けられていた天皇の席。
[8]食國:おすくに=天皇の統治なさる国。天下。
[9]顯し:うつし=姿が見えている。実在する。この世に生きている。
[10]瑞寳:ずいほう=めでたい宝物。
<現代語訳>
和銅元年(708年)春正月乙巳(1月11日)。
武蔵国秩父郡が和銅を献上してきた。
(元明天皇は)次のような詔を下した。「現御神として天下を統治する天皇が詔として宣べられるお言葉を、親王・諸王・諸臣・百官の人々等、天下公民はみな聞き賜れと申し述べる。高天原から降臨されて、天皇の御世が始まり、中ごろから今に至るまでに、天皇の治世ごとに、皇位継承者として高御座に坐して治められて、人々を慈しんで来られ、天下統治のつとめとして、神ながらに思うというお言葉をみな聞き賜れと申し述べる。このように統治して慈しまれてきた皇位継承者の勤めとして、今は私が治世を担当しているので、天地の心を大切にし重く受け止めて畏み、恐れ多く思っていたところ、統治しているこの国の東方にある武蔵国に自然に生じた和銅が出たと奏上して献上してきた。この物は、天に鎮座する神と地に鎮座する神がともに愛でられ祝福されることによって、現出した宝物であるらしいと、神として思うのである。そこで、天地の神の現されためでたい宝物によって、御世の年号を新しく改元されると詔りたまうお言葉をみな聞き賜れと申し述べる。」そのため、慶雲五年を改元して和銅元年として、御世の年号を定められた。
・銭貨の鋳造を監督する役人の任命に関する記述
<原文>
二月甲戌。始置催鋳銭司。以従五位上多治比眞人三宅麻呂任之。
<読み下し文>
二月甲戌。始めて、催鋳銭司を置く。以従五位上多治比眞人三宅麻呂を以て、之に任ず。
<現代語訳>
二月十一日、はじめて催鋳銭司(銭貨の鋳造を監督する役人)を置いた。従五位上多治比眞人三宅麻呂をこれに任じた。
・銀銭使用に関する記述
<原文>
五月壬寅。始行銀銭。
<読み下し文>
五月壬寅。始めて銀銭を行ふ。
<現代語訳>
五月十一日、はじめて和同開珎の銀銭を使用させた。
・銅銭鋳造に関する記述
<原文>
七月丙辰。令近江国鋳銅銭。
<読み下し文>
七月丙辰。近江国に銅銭を鋳せしむ。
<現代語訳>
七月二十八日、近江国に銅銭を鋳造させた。
・銅銭使用に関する記述
<原文>
八月己巳。始行銅錢。
<読み下し文>
八月己巳。始めて銅銭を行ふ。
<現代語訳>
八月十日、はじめて銅銭を使用させた。
〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)
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