海上警備隊(かいじょうけいびたい)は、昭和時代中期の1952年(昭和27)4月26日に海上保安庁に設置された日本近海の海上警備機関です。海上における人命・財産の保護、治安維持のためのもので、陸上の警察予備隊に相当しました。
発足時約6,000名の定員で、基幹兵力は、アメリカから貸与されたパトロール・フリゲートと上陸支援艇から構成されています。同年8月1日の保安庁の発足により、警察予備隊は保安隊に、海上警備隊は、保安庁警備隊として海上保安庁から独立しました。
さらに、1954年(昭和29)7月1日に、「防衛庁設置法」と「自衛隊法」施行に伴い、海上自衛隊となっています。
発足時約6,000名の定員で、基幹兵力は、アメリカから貸与されたパトロール・フリゲートと上陸支援艇から構成されています。同年8月1日の保安庁の発足により、警察予備隊は保安隊に、海上警備隊は、保安庁警備隊として海上保安庁から独立しました。
さらに、1954年(昭和29)7月1日に、「防衛庁設置法」と「自衛隊法」施行に伴い、海上自衛隊となっています。
〇海上警備隊関係略年表
<1950年(昭和25)>
・8月10日 - 「警察予備隊令」により警察予備隊が発足する
・10月30日 - アメリカ統合参謀本部において日本の海上警察部隊創設の勧告を承認する
<1951年(昭和26)>
・8月29日 - アメリカ国家安全保障会議で連合軍最高司令官の隷下での沿岸警備部隊の創設を承認
・9月8日 - サンフランシスコで連合国との「サンフランシスコ講和条約」が締結される
・10月19日 - リッジウェイ連合軍最高司令官は吉田首相に、日本での立法措置の必要性を踏まえた上で、PF18隻、LSSL50隻の艦艇貸与の申しでを行い快諾する
・10月20日 - アメリカ側の意向を受けて旧海軍から8名、海上保安庁から2名(その後3名)のY委員会が発足し、アメリカ海軍貸与のPFなどの運用体制に関する協議が開始される
・10月26日 - 正式会合に先立ちアメリカ海軍極東司令部にオフチー参謀長は、日本側委員(Y委員会)である5名(山本、柳沢、秋重、長沢、三田)を招く
・11月2日 - 日米合同委員会の正式会合が行われる
<1952年(昭和27)>
・2月4日 - アメリカ海軍極東司令部で日米合同委員会が開かれ、沿岸警備隊は海上保安予備隊の名称では不可、警備救難監の職掌は海上警備隊を除き、長官を助ける程度に改めることとされる
・4月26日 - 「海上保安庁法の一部を改正する法律」の公布・即日施行により、海上保安庁の機関として創設される
・7月31日 - 運輸省の外局である海上保安庁の組織・装備及び人員(本体組織を含む)を、新設される保安庁に移管するために「海上公安局法」の公布と共に海上公安局法附則第2項で「海上保安庁法」の廃止がなされる
・8月1日 - 総理府の外局として発足した保安庁(防衛庁の前身)に移管され警備隊となる
<1954年(昭和29)>
・7月1日 - 「防衛庁設置法」、「自衛隊法」施行に伴い、海上自衛隊となる
〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)
| 770年(宝亀元) | 称徳天皇が百万塔陀羅尼を諸寺に分置する(新暦5月25日) | 詳細 |
| 1885年(明治18) | 俳人飯田蛇笏の誕生日 | 詳細 |
| 1898年(明治31) | 映画監督内田吐夢の誕生日 | 詳細 |
| 1939年(昭和14) | 高等小学校・中学校に通学しない12~19歳の男子に、青年学校への通学が義務化される | 詳細 |
| 1954年(昭和29) | 黒澤明監督の映画『七人の侍』が公開される | 詳細 |
| 1956年(昭和31) | 「首都圏整備法」が公布される | 詳細 |
| 1970年(昭和45) | 「世界知的所有権機関を設立する条約」が発効し、同機関が発足する(世界知的所有権の日) | 詳細 |

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