harutoshyura01
 今日は、大正時代の1924年(大正13)に、宮沢賢治著の詩集『春と修羅』(関根書店)が刊行された日です。
 『春と修羅』(はるとしゅら)は、宮沢賢治唯一の生前に自薦した口語詩集で、大正時代の1924年(大正13)4月20日に、関根書店より刊行されました。詩8章64編が、発想または第一稿の日付順に収められていて、方言や農民の日常会話を取り入れ、豊富な語彙でその独特の宇宙観、宗教観にもとづく詩的世界が展開されています。
 刊行時から、一部の詩人に深い衝撃を与えた近代詩の記念碑的一冊とされますが、作者の死後に評価が高まった作品でした。尚、没後『春と修羅』第2、第3、第4と、さらに三集が編まれ,それら全体をこの名で呼ぶこともあります。
 以下に、『春と修羅』序を掲載しておきますので、ご参照下さい。

〇『春と修羅』序

わたくしといふ現象は
仮定された有機交流電燈の
ひとつの青い照明です
(あらゆる透明な幽霊の複合体)
風景やみんなといつしよに
せはしくせはしく明滅しながら
いかにもたしかにともりつづける
因果交流電燈の
ひとつの青い照明です
(ひかりはたもち その電燈は失はれ)

これらは二十二箇月の
過去とかんずる方角から
紙と鉱質インクをつらね
(すべてわたくしと明滅し
 みんなが同時に感ずるもの)
ここまでたもちつゞけられた
かげとひかりのひとくさりづつ
そのとほりの心象スケツチです

これらについて人や銀河や修羅や海胆は
宇宙塵をたべ または空気や塩水を呼吸しながら
それぞれ新鮮な本体論もかんがへませうが
それらも畢竟こゝろのひとつの風物です
たゞたしかに記録されたこれらのけしきは
記録されたそのとほりのこのけしきで
それが虚無ならば虚無自身がこのとほりで
ある程度まではみんなに共通いたします
(すべてがわたくしの中のみんなであるやうに
 みんなのおのおののなかのすべてですから)

けれどもこれら新生代沖積世の
巨大に明るい時間の集積のなかで
正しくうつされた筈のこれらのことばが
わづかその一点にも均しい明暗のうちに
  (あるいは修羅の十億年)
すでにはやくもその組立や質を変じ
しかもわたくしも印刷者も
それを変らないとして感ずることは
傾向としてはあり得ます
けだしわれわれがわれわれの感官や
風景や人物をかんずるやうに
そしてたゞ共通に感ずるだけであるやうに
記録や歴史 あるいは地史といふものも
それのいろいろの論料データといつしよに
(因果の時空的制約のもとに)
われわれがかんじてゐるのに過ぎません
おそらくこれから二千年もたつたころは
それ相当のちがつた地質学が流用され
相当した証拠もまた次次過去から現出し
みんなは二千年ぐらゐ前には
青ぞらいつぱいの無色な孔雀が居たとおもひ
新進の大学士たちは気圏のいちばんの上層
きらびやかな氷窒素のあたりから
すてきな化石を発掘したり
あるいは白堊紀砂岩の層面に
透明な人類の巨大な足跡を
発見するかもしれません

すべてこれらの命題は
心象や時間それ自身の性質として
第四次延長のなかで主張されます

     大正十三年一月廿日

☆宮沢賢治(みやざわけんじ)とは?

 大正時代から昭和時代前期に活躍した詩人・児童文学者です。明治時代後期の1896年(明治29)8月27日に、岩手県稗貫郡花巻町(現在の花巻市)の質古着商の父宮澤政次郎と母イチの長男として生まれました。1903年(明治36)花巻川口尋常小学校に入学、1909年(明治42)には、岩手県立盛岡中学校(現在の盛岡第一高等学校)に進み、寄宿舎「自彊寮」に入寮します。
 在学中は、鉱物採集や星座に熱中し、自然に親しみ、短歌を作るようになりました。卒業後は、1915年(大正4)に盛岡高等農林学校(現在の岩手大学農学部)へ首席で入学し、寄宿舎「自啓寮」に入寮します。
 在学中は、友人らと同人誌『アザリア』を発行し、『校友会会報』へも短歌や短編を寄稿しました。卒業後さらに研究生として稗貫郡土性調査に従事し、この頃から童話を書き始めるようになります。
 1920年(大正9)に、田中智学の国柱会に入会、上京して布教活動等に加わりながら、童話を書き続けました。しかし、家の事情で帰郷して、稗貫農学校(後の花巻農学校)教諭となり、以後4年余り教壇に立つことになります。
 この間、1924年(大正13)に詩集『春と修羅』、童話集『注文の多い料理店』を自費出版しました。1926年(大正15)に農学校を退職し、開墾自炊生活にはいり、羅須地人協会を設立して農民指導に献身します。
 しかし、病気などのために挫折し、病状回復後、東北砕石工場技師となって石灰の宣伝販売に携わりましたが、無理がたたり、1933年(昭和8)9月21日に、37歳の若さで病死しました。代表作に童話では『風の又三郎』『銀河鉄道の夜』、詩では『永訣の朝』、『雨ニモマケズ』などがあり、1982年(昭和57)、花巻市に「宮沢賢治記念館」が開設されたのです。

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1546年(天文15)河越城の戦いで北条氏康が河越城包囲の上杉方を夜襲し勝利する(新暦5月19日)詳細
1651年(慶安4)江戸幕府三代将軍徳川家光の命日(新暦6月8日)詳細
1926年(大正15)「青年訓練所令」が公布され、在郷軍人や青年団幹部を職員とした青年訓練所が各地に設置される詳細
1947年(昭和22)飯田大火で4,010戸が焼失する詳細
1974年(昭和49)「日中航空協定」が調印(効力発生は同年5月24日)される詳細
1978年(昭和53)小説家橋本英吉の命日詳細
2005年(平成17)小説家丹羽文雄の命日詳細