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 今日は、江戸時代中期の1730年(享保15)に、江戸幕府が上げ米の制を停止し、参勤交代の期間を元の1年おきに戻した日ですが、新暦では5月31日となります。
 上げ米の制(あげまいのせい)は、江戸時代中期に幕府の財政窮乏を救うため享保の改革の一つとして、1722年(享保7年7月3日)に八代将軍徳川吉宗が諸大名に「上げ米の令」を出して課した制度です。諸藩に1万石につき 100石の割合で上納させ、その代償として、諸大名の参勤交代で江戸に在府する期間を半分にし、負担軽減を図りました。
 反対する意見も多かったので、幕府財政が一応安定した1730年(享保15年4月15日)に廃止され、参勤交代制も以前に戻りました。
 以下に、「上げ米の令」の原文と現代語訳を掲載しておきますので、ご参照下さい。

〇「上げ米の令」 (全文) 1722年(享保7年7月3日)発布

 上げ米の令

 御旗本[1]ニ召し置かれ候御家人[2]、御代々[3]段々相増し候。御蔵入高[4]も先規[5]よりハ多く候得共、御切米[6]御扶持[7]方、其外表立候[8]御用筋[9]渡方[10]ニ引合[11]候ては、畢竟[12]年々不足之事ニ候。然共只今迄は所々の御城米[13]を廻され、或ひは御城金[14]ヲ以て急を弁ぜられ、彼是漸く御取続の事[15]ニ候得共、今年ニ至て御切米[8]等も相渡し難く、御仕置筋之御用[16]も御手支[17]之事ニ候。それニ付、御代々[3]御沙汰[18]之無き事ニ候得共、万石以上の面々[19]より八木[20]差上げ候様ニ仰付らるべしと思召し、左候ハねば御家人[2]之内数百人、御扶持[7]召放さるべくより外は之無く候故、御耻辱[21]をも顧みられず仰せ出され候。高壱万石ニ付八木百石積り[22]差上げらるべく候。且又此の間和泉守[23]ニ仰付られ、随分詮議[24]を遂げ、納り方の品、或ひハ新田等取立の儀申付け候様ニとの御事ニ候得共、近年の内ニ相調へがたく之有るべく候条、其の内年々上り米仰付らるる之有るべく候。之ニ依り、在江戸半年充御免成され候[25]間、緩々[26]休息いたし候様ニ仰せ出され候。

    『御触書寛保集成』より

 *縦書きの原文を横書きに改め、句読点を付してあります。

<現代語訳>

 将軍直属の旗本として任用された御家人(家臣)は、将軍の代ごとにだんだん数が増えてきた。天領の貢租収入も以前よりは多くなっているが、切米・扶持などの俸禄米やその他主要な経常支出の支払高と比較すると、結局毎年不足なのである。しかしながら、現在までは軍事や飢餓対策などのために、幕府が備蓄した米や金を使って急場をしのぎ、彼是しばらく財政収支を取り繕ってきたけれど、今年に至っては、切米なども渡すことが難しく、政治向きの費用にも支障が出てきた。そのため、代々の将軍からこのような命令はなかったことなのだが、一万石以上の大名たちより米を上納するよう命じようと将軍がお考えになった。そうしなければ御家人の内数百人を辞めさせるより他はないので、恥を忍ばれてお命じになったものである。石高一万石について米100石の割合で上納せよ。かつまた、この間水野和泉守に命じられて、随分吟味をして、年貢納入の増強、あるいは新田開発のことを申し付けるようにとのことではあるけれど、近年の内にきちんとした状態になるのは難しい状況であり、その間毎年上げ米を命じられることである。この代わりとして参勤交代の江戸滞在を半年ずつ免除されるので、(国元で)ゆっくり休息するようにと命令された。

【注釈】
 [1]御旗本:おんはたもと=本来は、お目見以上の将軍直属の家臣のことだが、ここでは、将軍直属の家臣のこと。
 [2]御家人:ごけにん=本来は、お目見以下の将軍直属の家臣のことだが、ここでは、将軍家の家来という意味。
 [3]御代々:おんだいだい=将軍の代が替わること。
 [4]御蔵入高:おくらいりだか=天領からの貢租収入。
 [5]先規:せんき=以前。
 [6]御切米:おきりまい=春に1/4、夏に4/1、冬に1/2ずつ3期に分けて支給される旗本・御家人への俸禄のこと。
 [7]御扶持:おふち=月々支給された俸禄で、何人扶持(1人扶持持は1日玄米5合)という基準になっていた。
 [8]表立候:おもてだちそうろう=主要な。
 [9]御用筋:ごようすじ=経常支出のこと。
 [10]渡方:わたしかた=支出。
 [11]引合:ひきあい=比較すること。
 [12]畢竟:ひっきょう=結局。要するに。
 [13]御城米:ごじょうまい=軍事や飢餓対策などのために、幕府が備蓄した米のこと。
 [14]御城金:ごじょうきん=軍事や飢餓対策などのために、幕府が備蓄した金のこと。
 [15]御取続の事:おんとりつづきのこと=財政収支を取り繕ってきたこと。
 [16]御仕置筋之御用:おしおきすじのごよう=政治向きの費用。行政費。
 [17]御手支:おてつかえ=さしつかえること。支障をきたすこと。
 [18]御沙汰:おんさた=将軍の命令、指示、決定のこと。
 [19]万石以上の面々:まんごくいじょうのめんめん=大名のこと。
 [20]八木:はちぼく=米のこと。米の字を分解すると“八木”となることから来ている。
 [21]御耻辱:おんちじょく=はじ。はずかしめ。恥辱。
 [22]高壱万石に付米百石の積り:たかいちまんごくにつきひゃっこくのつもり=1万石に付き、米100石の割合で。
 [23]和泉守:いずみのかみ=勝手掛老中だった水野忠之のこと。
 [24]詮議:せんぎ=吟味。
 [25]在江戸半年充御免成され候:ざいえどはんとしあてごめんなされそうろう=参勤交代の江戸滞在を半年免除する。
 [26]緩々:ゆるゆる=ゆっくりと。

☆「享保の改革」とは?

 江戸幕府第8代将軍徳川吉宗が幕藩体制の安定と強化のため、江戸時代中期に、その在任期間(1716~1745年)を通じて行なった諸改革で、寛政の改革、天保の改革と共に、江戸幕府の三大改革の一つと言われ、その最初に行われたものです。内容は、幕政機構の再編、法制の立て直し、都市商業資本の統制などで、具体的には以下の主要な政策が実施されました。

<享保の改革の主要政策>

【経済政策】

・質素倹約の奨励
・定免制を施行
 年貢収納の強化をはかる
・「足高の制」
 各地位ごとに授与される給与を定め、地位についている時に元の禄高に足されて支給した
・「上げ米の制」
 1万石につき100石を上納させる
・「相対済令」
 金銭貸借についての訴訟を認めず当事者間の話し合いによる解決を命じたもの
・元文の改鋳
 貨幣の品位を低下させ、通貨量を増大させる貨幣改鋳策
・新田開発の奨励
 商人など民間による新田開発を奨励

【文教政策】

・キリスト教に関係のない漢訳洋書の輸入の緩和
・武芸奨励

【社会政策】

・町火消の制
 江戸「いろは」47組を結成させる
・目安箱の設置
 施政の参考意見や社会事情の収集などを目的に、庶民の進言を集めるための投書箱
・堂島米市場の公認

【法制整備】

・「公事方御定書」
 幕府の基本法典。判例を法規化した刑事裁判の際の基準となる刑事判例集
・「御触書寛保集成」
 幕府法令の集大成

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

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905年(延喜5)醍醐天皇の命により紀貫之らが『古今和歌集』を撰進する(新暦5月21日)詳細
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