「華族世襲財産法」(かぞくせしゅうざいさいほう)は、明治時代前期の1886年(明治19)4月29日に公布(施行は同年8月1日)された、華族所有の財産を保護するために公布された勅令(明治19年勅令第34号)です。華族は、幕末明治維新期の1869年(明治2)の「公卿諸侯の称を廃し改て華族と称す」(明治2年太政官達)によって、旧公卿・諸侯の身分呼称として定められ、1877年(明治10)5月21日には、華族銀行とも言うべき第十五国立銀行の創設による華族財産の特別保護と管理などが行われるようになりました。
さらに、1884年(明治17)7月7日に制定された「華族令」(明治17年宮内省達無号)で、日本における公・侯・伯・子・男の5爵による華族制度が確立し、1889年(明治22)制定の「貴族院令」により、公・侯爵全員、および伯・子・男爵は互選で貴族院議員となれる政治的特権が付与されます。しかし、中小の華族層の場合には、杜会的状況の変化や個人的理由によって、その所有財産の安定性は必ずしも確固たるものではなく、この勅令を公布し、華族所有の財産を保護しようとしたものでした。
これによって、華族は第三者からの財産差し押さえなどから逃れることが出来るようになり、公告の手続によって世襲財産を設定する義務が生まれます。世襲財産は華族家継続のための財産保全をうける資金であり、第三者が抵当権や質権を主張することは出来なかったものの、華族の意志で運用することも出来なくなりました。
尚、その後、債権者からの抗議もあって、1915年(大正4)には、当主の意志で世襲財産の解除が行えるようになっています。これらの特権によって、華族は、皇族と並ぶ特殊な身分を形成し、天皇制維持の一基盤となってきたものの、太平洋戦争敗戦後の1946年(昭和21)3月13日に「華族世襲財産法」は廃止され、「華族令」も、「日本国憲法」制定で、1947年(昭和22)5月2日限りで廃止されました。
以下に、「華族世襲財産法」(明治19年勅令第34号)を全文掲載しておきますので、ご参照下さい。
さらに、1884年(明治17)7月7日に制定された「華族令」(明治17年宮内省達無号)で、日本における公・侯・伯・子・男の5爵による華族制度が確立し、1889年(明治22)制定の「貴族院令」により、公・侯爵全員、および伯・子・男爵は互選で貴族院議員となれる政治的特権が付与されます。しかし、中小の華族層の場合には、杜会的状況の変化や個人的理由によって、その所有財産の安定性は必ずしも確固たるものではなく、この勅令を公布し、華族所有の財産を保護しようとしたものでした。
これによって、華族は第三者からの財産差し押さえなどから逃れることが出来るようになり、公告の手続によって世襲財産を設定する義務が生まれます。世襲財産は華族家継続のための財産保全をうける資金であり、第三者が抵当権や質権を主張することは出来なかったものの、華族の意志で運用することも出来なくなりました。
尚、その後、債権者からの抗議もあって、1915年(大正4)には、当主の意志で世襲財産の解除が行えるようになっています。これらの特権によって、華族は、皇族と並ぶ特殊な身分を形成し、天皇制維持の一基盤となってきたものの、太平洋戦争敗戦後の1946年(昭和21)3月13日に「華族世襲財産法」は廃止され、「華族令」も、「日本国憲法」制定で、1947年(昭和22)5月2日限りで廃止されました。
以下に、「華族世襲財産法」(明治19年勅令第34号)を全文掲載しておきますので、ご参照下さい。
〇「華族世襲財産法」(明治19年勅令第34号) 1886年(明治19)4月29日公布、同年8月1日施行
第一條 華族戸主滿二十年以上ノ者ハ此法ニ依リ世襲財産ヲ創設スルコトヲ得但滿二十年以下ノ者ト雖モ前代戸主ノ遺言アルトキハ世襲財産ヲ創設スルコトヲ得
第二條 世襲財産ハ總テ家督相績者ヲシテ之ヲ相續セシムルモノトス
第三條 世襲財産ハ左ニ掲クル所ノ二類ニ限ル但第十五國立銀行旅券ハ第二類ニ準シ世襲財産ト爲スコトヲ得
第一類 田畑山林宅地鹽田牧場池沼等
第二類 政府發行ノ公債證書又ハ政府ノ保證若クハ特別ノ監督ニ屬スル銀行若クハ會社ノ株券
第四條 世襲財産前條二類中ノ一種又ハ數種ニシテ其總額毎年金五百圓ニ下ラサル純收益ヲ生スル財産タルヘシ但其財産中收益ナキ地所ヲ加フルモ妨ケナシ
第五條 世襲財産ノ所有者ハ時ニ世襲スヘキ建物庭園圖書寶器等ヲ以テ世襲財産附屬物ト爲スコトヲ得
第六條 負債償却ノ義務アル財産ハ世襲財産及ヒ附屬物ト爲スコトヲ得ス
第七條 世襲財産ノ所有者ハ宮内大臣ノ認可ヲ得テ其財産ヲ增加スルコトヲ得
第八條 世襲財産ノ所有者ハ宮内大臣ノ認可ヲ得テ第二類ノ財産ヲ更換シテ第一類ノ財産ト爲スコトヲ得但第一類ヲ第二類ト爲スコトヲ得ス
第九條 第一類ノ財産若シ災害又ハ其他ノ事故ニ依リ第四條ノ制限額ヨリ滅シタルトキハ五箇年以?ニ其缺額ヲ補充スヘシ
第十條 第二類ノ財産其元金ノ仕掛ヲ受ケタルトキハ一箇年以内ニ第一類又ハ第二類ノ財産ヲ以テ其缺額ヲ補充スヘシ
第十一條 世襲財産ノ所有者ハ其財産ノ純收益ヲ抵當トシテ負債ヲ爲スコトヲ得但毎年其純收益ノ三分一以上ノ償却ヲ爲スヘキ義務ヲ負擔スルコトヲ得ス
第十二條 世襲財産ノ純收益ハ如何ナル場合ト雖モ債主ヨリ毎年其三分一以上ヲ差押フルコトヲ得ス
第十三條 世襲財政及ヒ附屬物ハ之ヲ賣却讓與シ又ハ質入書入ト爲スコトヲ得ス
第十四條 世襲財産及ヒ附屬物ハ負債ノ抵償トシテ差押フルヨトヲ得ス
第十五條 世襲財産ハ左ノ場合ニ於テハ其效力ヲ失フモノトス
一 戸主死亡ノ後家督相續スヘキ男子ナキトキ
一 爵ヲ奪ハレ又ハ族ヲ除カレ家督相續者ナキトキ
一 第九條第十條ニ掲ケタル缺額ヲ其期限内ニ補充セサルトキ
第十六條 世襲財産及ヒ附屬物ハ其所有者ニ於テ之ヲ廢止スルコトヲ得ス
第十七條 世襲財産ハ宮内大臣之ヲ管理シ華族局ヲシテ其事務ヲ取扱ハシム
第十八條 華族局ハ世襲財産臺帳ヲ備ヘ置キ世襲財産及ヒ之ニ關スル事項ヲ記入スヘシ
第十九條 世襲財産ヲ創設增加更換又ハ補充セントスル者ハ其願書ニ財産目録ヲ添ヘ宮内大臣ニ差出シ其認可ヲ受クヘシ世襲財産附屬物ヲ設ケントスル者亦同シ
第二十條 宮内大臣ハ前條ノ願書目録ヲ審査シ第一類ノ財産及ヒ第二類ノ公債證書ハ所轄ノ地方廳ニ命シ株券ハ銀行若クハ會社ニ命シ世襲財産ト爲スヘキ旨ヲ官報及ヒ其地方一定ノ新聞紙ニ掲ケ一週日間之ヲ公告セシムヘシ
世襲財産附屬物ハ華族局ニ於テ之ヲ公告スヘシ
第二十一條 前條公告ヲ了リタル後三十日ヲ經テ該財産ニ關シ故障ヲ申出ル者ナキトキハ宮内大臣ハ世襲財産臺帳ニ記入セシメ第一類ノ財産ハ所轄ノ地方廳ニ命シ地券臺帳ニ記入セシメ地方廳ハ戸長ニ命シ公證簿ニ記入セシムヘシ第二類ノ公債證書ハ所轄ノ地方廳ニ株券ハ銀行若クハ會社ニ命シ帳簿ニ記入セシムヘシ
華族局ニ於テハ該地券又ハ公債證書若クハ株券ノ券面ニ世襲財産ト爲リタル旨ヲ記入スヘシ
第二十二條 世襲財産其效カヲ失ヒタルトキハ宮内大臣ヨリ地方廳又ハ銀行若クハ會社ニ命シ之ヲ廣告セシムヘシ
世襲財産附屬物ハ華族局ニ於テ之ヲ廣告スヘシ
第二十三條 第二十條及ヒ第二十二條ニ關スル廣告費用ハ其財産所有者ヨリ之ヲ華族局ニ納ムヘシ
第二十四條 世襲財産ニ關スル事件ヲ協議スルカ爲メ戸主及ヒ滿二十年以上ノ相續者若クハ後見人ト親屬三名以上トヲ以テ親屬會議ヲ組織シ豫メ宮内大臣ニ屆出ヘシ但親屬ナキトキハ宮内大臣ノ認可ヲ得テ一族又ハ他ノ華族ヲ以テ親屬會議各員ノ連署ヲ要ス
第二十五條 世襲財産ニ關スル願書屆書ハ親屬會議各員ノ連署ヲ要ス
第二十六條 此法施行ノ手續ハ宮内大臣之ヲ定ム
第二十七條 此法ハ明治十九年八月一日ヨリ之ヲ施行ス
「ウィキソース」より
〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)
〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)
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