『ハルマ和解』(はるまわげ)は、江戸時代後期の1796年(寛政8年2月18日)に、江戸において完成された、日本最初の蘭和辞典で、「波留麻和解」とも書かれ、通称「江戸ハルマ」とも呼ばれています。江戸の大槻玄沢の門人稲村三伯が、オランダ人フランソア・ハルマの『蘭仏辞書』(1729年第2版)を玄沢から借り受け、オランダ通詞出身の石井恒右衛門の教示、同門の安岡玄真や岡田甫説の協力を得て、約13年を費やして完成しました。
1798~99年(寛政10~11)に刊行(刊行部数は30余)されましたが、全13冊本と27冊本の2種があり、約6万語を収録しています。その後、1810年(文化7)に、稲村三伯の弟子の藤林普山により、『ハルマ和解』の収録語から約3万語を選び、簡略版『訳鍵(やくけん)』が刊行されました。
尚、1816年(文化13)にオランダ商館長ヘンドリック・ドゥーフが、幕府からの要請を受け、中山作三郎・吉雄権之助・山時十郎・石橋助十郎ら長崎通詞11人の協力を得て、1833年(天保4)に完成した、全58巻からなる『ドゥーフ・ハルマ』(長崎ハルマ)という、同じフランソア・ハルマの『蘭仏辞書』に基づいた辞典があります。
1798~99年(寛政10~11)に刊行(刊行部数は30余)されましたが、全13冊本と27冊本の2種があり、約6万語を収録しています。その後、1810年(文化7)に、稲村三伯の弟子の藤林普山により、『ハルマ和解』の収録語から約3万語を選び、簡略版『訳鍵(やくけん)』が刊行されました。
尚、1816年(文化13)にオランダ商館長ヘンドリック・ドゥーフが、幕府からの要請を受け、中山作三郎・吉雄権之助・山時十郎・石橋助十郎ら長崎通詞11人の協力を得て、1833年(天保4)に完成した、全58巻からなる『ドゥーフ・ハルマ』(長崎ハルマ)という、同じフランソア・ハルマの『蘭仏辞書』に基づいた辞典があります。
〇江戸時代の蘭和辞書関係略年表(日付は旧暦です)
・1796年(寛政8年2月18日) 稲村三伯らが、オランダの書籍商・ハルマの蘭仏辞典を訳出した蘭和辞書『ハルマ和解』(江戸ハルマ)が完成(全13巻)する
・1798~99年(寛政10~11年) 『ハルマ和解』(江戸ハルマ)が刊行(刊行部数は30)される
・1810年(文化7年) 稲村三伯の弟子の藤林普山は『ハルマ和解』の収録語から約3万語を選び、簡略版『訳鍵(やくけん)』を刊行する
・1812年(文化9年) 長崎のオランダ商館長であったヘンドリック・ヅーフは、長崎の通詞たちの語学力向上を目的として、フランス人のフランソワ・ハルマの作った蘭仏辞典の第2版を底本にして、蘭和辞典の作成に着手する
・1816年(文化13年) オランダ商館長ヘンドリック・ドゥーフは、幕府からの要請を受け、中山作三郎・吉雄権之助・山時十郎・石橋助十郎ら長崎通詞11人の協力を得て、『ドゥーフ・ハルマ』の本格的な編纂が開始される
・1817年(文化14年) オランダ商館長ヘンドリック・ドゥーフが帰国するが、通詞たちが編纂作業を引き継ぐ
・1833年(天保4年) 『ドゥーフ・ハルマ』(長崎ハルマ)が完成(全58巻)する
・1855年(安政2年) 『ドゥーフ・ハルマ』(長崎ハルマ)より、約50,000語を抽出した『和蘭字彙』(おらんだじい)前編が校訂刊行される
・1858年(安政5年) 『和蘭字彙』後編が校訂刊行される
〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)
1212年(建暦2) | 第86代の天皇とされる後堀河天皇の誕生日(新暦3月22日) | 詳細 |
1825年(文政8) | 江戸幕府が「異国船打払令」を出す(新暦4月6日) | 詳細 |
1889年(明治22) | 日本画家奥村土牛の誕生日 | 詳細 |
1908年(明治41) | 米国移民に関する「日米紳士協約」第七号が締結され、日本からの移民が制限される | 詳細 |
1929年(昭和4) | 写真家田沼武能の誕生日 | 詳細 |
1935年(昭和10) | 貴族院で菊地武夫議員が美濃部達吉の「天皇機関説」を非難し、天皇機関説問題の端緒となる | 詳細 |
1938年(昭和13) | 石川達三著の南京従軍記『生きてゐる兵隊』を掲載した雑誌『中央公論』3月号が発禁処分となる | 詳細 |
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