
後三年の役(ごさんねんのえき)は、平安時代中期の1083年(永保3)に、清原氏の族長、真衡(さねひら)が病死し、領土の配分をめぐって、家衡、清衡の異父兄弟が争った合戦です。弟の家衡に妻子を殺された清衡が、源義家に助けを求めて戦いの火ぶたが再び切られました。
戦の中で沼の柵に立てこもって、源義家を退けた家衡は、叔父武衡のすすめにより、難攻不落といわれる金沢柵に移りました。ところが、義家の実弟 源義光の参戦でますます意気あがる義家軍の執拗な攻撃と、兵糧攻めにあい、必死の防戦もむなしく、1087年(寛治元年11月14日)に、金沢柵は落ち、家衡、武衡は捕らえられようやく合戦が終わつさています。しかし、翌年1月に源義家は陸奥守を解任され、藤原清衡が奥六郡を与えられて陸奥押領使に任ぜらました。
尚、1105年(長治2年2月15日)には、後三年の役の戦没者を弔うため、藤原清衡が奥州平泉に最初院多宝寺(後の中尊寺)を建立しています。
戦の中で沼の柵に立てこもって、源義家を退けた家衡は、叔父武衡のすすめにより、難攻不落といわれる金沢柵に移りました。ところが、義家の実弟 源義光の参戦でますます意気あがる義家軍の執拗な攻撃と、兵糧攻めにあい、必死の防戦もむなしく、1087年(寛治元年11月14日)に、金沢柵は落ち、家衡、武衡は捕らえられようやく合戦が終わつさています。しかし、翌年1月に源義家は陸奥守を解任され、藤原清衡が奥六郡を与えられて陸奥押領使に任ぜらました。
尚、1105年(長治2年2月15日)には、後三年の役の戦没者を弔うため、藤原清衡が奥州平泉に最初院多宝寺(後の中尊寺)を建立しています。
〇後三年の役関係略年表(日付は旧暦です)
<1083年(永保3)>
・清原真衡が一族の長老吉彦秀武の怒りをかい対立する
・清原真衡が吉彦秀武を討つため出羽に出兵する
・清原清衡・家衡が真衡の館を襲撃する
・秋 清原真衡が急死し、源義家が奥六郡を清衡・家衡に分け与える
<1086年(応徳3)>
・家衡、清衡の館を襲い妻子同族を殺害する
・義家・清衡連合軍、家衡の本拠地沼柵を攻撃するが大敗する
<1087年(寛治元)>
・7月9日 朝廷では「奥州合戦停止」の官使の派遣が決定する
・8月 源義家の三弟義光が無断で義家のもとに下向する
・9月 朝廷は義光が勝手に陸奥国に下向したとして官職を剥奪、源義家・藤原清衡連合軍が沼柵から金沢柵に移った清原家衡軍を包囲する
・11月14日 藤原清衡・源義家の聯合軍が、清原家衡・武衡が立籠る秋田の金沢柵を攻略し、後三年の役が終結する
・12月 源義家の報告書「国解」の中で、後付けの追討官符を要請するが、朝廷はこれを下さなかった
<1088年(寛治2)>
・1月 源義家が陸奥守を解任される
・清衡、奥六郡を与えられて陸奥押領使に任ぜられる
<1105年(長治2)>
・2月15日 後三年の役の戦没者を弔うため、藤原清衡が奥州平泉に最初院多宝寺(現在の中尊寺)を建立する
☆中尊寺(ちゅうそんじ)とは?
岩手県西磐井郡平泉町にある、天台宗東北大本山で、号は関山、本尊は釈迦如来です。寺伝によると、平安時代前期の850年(嘉祥3)に、円仁(慈覚大師)が関山し、弘台寿院を開創したのが始まりとされ、859年(貞観元)に清和天皇から「中尊寺」の額を賜ったと伝えられてきました。
しかし、実質的には、平安時代後期の1105年(長治2)に、奥州藤原氏の初代・藤原清衡が、後三年の役の戦没者を弔うため、釈迦如来と多宝如来を安置する「多宝寺」を建立したのが中尊寺の創建と考えられています。
その後、1124年(天治元)には、金色堂が建立され、奥州藤原氏三代の栄華を象徴し、そのミイラを収め、平安時代を代表する国宝建造物として知られてきました。鞘堂内の金色の堂宇と仏像はまばゆいばかりで、古代人の阿弥陀信仰が目に浮かぶようです。
境内は、1979年(昭和54)に国の特別史跡に指定されました。尚、2011年(平成23)には、「平泉―仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群―」として世界遺産(文化遺産)に登録されています。
〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)
しかし、実質的には、平安時代後期の1105年(長治2)に、奥州藤原氏の初代・藤原清衡が、後三年の役の戦没者を弔うため、釈迦如来と多宝如来を安置する「多宝寺」を建立したのが中尊寺の創建と考えられています。
その後、1124年(天治元)には、金色堂が建立され、奥州藤原氏三代の栄華を象徴し、そのミイラを収め、平安時代を代表する国宝建造物として知られてきました。鞘堂内の金色の堂宇と仏像はまばゆいばかりで、古代人の阿弥陀信仰が目に浮かぶようです。
境内は、1979年(昭和54)に国の特別史跡に指定されました。尚、2011年(平成23)には、「平泉―仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群―」として世界遺産(文化遺産)に登録されています。
〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)
708年(和銅元) | 元明天皇が平城京造営の詔を布告する(新暦3月11日) | 詳細 |
1239年(延応元) | 僧侶・時宗の開祖一遍の誕生日(新暦3月21日) | 詳細 |
1858年(安政5) | 水産増殖研究家・十和田湖開発の先駆者和井内貞行の誕生日(新暦3月29日) | 詳細 |
1872年(明治5) | 明治新政府が「地所永代売買ヲ許ス」を発布、「田畑永代売買禁止令」を廃止する(新暦3月23日) | 詳細 |
1877年(明治10) | 薩摩軍の一番隊が鹿児島を出発し、西南戦争(西南の役)が始まる | 詳細 |
1930年(昭和5) | 野呂栄太郎著『日本資本主義発達史』が鉄塔書院より刊行される | 詳細 |
1938年(昭和13) | 実業家で「電力王」とも呼ばれた福沢桃介の命日 | 詳細 |
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