
高橋揆一郎(たかはし きいちろう)は、昭和時代前期の1928年(昭和3)4月10日に、北海道歌志内市上唄の炭鉱長屋で生まれましたが、本名は良雄(よしお)と言いました。歌志内小学校卒業後、北海道庁の給仕をしながら、庁職員養成を目標とした札幌市の私立昭和中学校(夜間中学)を1946年(昭和21)に卒業し、歌志内国民学校の代用教員となります。
1948年(昭和23)に、代用教員を辞して、北海道第一師範学校(現在の北海道教育大学札幌校)入学したものの、中退して住友石炭鉱業上歌志内砿に入社しました。社内報の編集等の仕事に携わりながら、1950年(昭和25)に上歌砿の文学サークル「上歌文学会セナクール」を結成したほか、さまざまな同人誌を発刊、執筆し、『仮寓の半生』で炭労文学小説部門で入選しています。
1958年(昭和33)に赤平と上歌両地区の文学愛好者15人が集い「住友赤平文学会」を結成、雑誌『赤い崖』を創刊しましたが、1965年(昭和40)に札幌の住友石炭北海道支店に転勤、同人誌活動を中断される状況となりました。1970年(昭和45)に住友石炭鉱業を退職し、フリーのイラストレーターとなり、「財界さっぽろ」に時事漫画を連載、1971年(昭和46)には、「くりまの会」同人となり、文学活動を本格化します。
1973年(昭和48)に『ぽぷらと軍神』で第37回文學界新人賞を受賞、1975年(昭和50)に『清吉の暦』で第73回芥川賞候補となりました。1977年(昭和52)に『観音力疾走』で第11回北海道新聞文学賞を受賞、第77回芥川賞候補となり、『日蔭の椅子』で第78回芥川賞候補となりましたが、1978年(昭和53)には、『伸予』で第79回芥川賞、札幌市民芸術賞を受賞しています。
1987年(昭和62)に札幌歌志内会が設立され、会長を務め(~2001年度まで)、1991年(平成3)に北海道文化賞、1992年(平成4)には、『友子』で第11回新田次郎文学賞を受賞しました。1993年(平成5)に歌志内市内に「高橋揆一郎文学碑」が建立され、1997年(平成9)には、歌志内市名誉市民となり、歌志内市郷土館「ゆめつむぎ」の名誉館長となったものの、2007年(平成19)1月31日に、北海道札幌市内の病院において、肺炎のため78歳で亡くなっています。
1948年(昭和23)に、代用教員を辞して、北海道第一師範学校(現在の北海道教育大学札幌校)入学したものの、中退して住友石炭鉱業上歌志内砿に入社しました。社内報の編集等の仕事に携わりながら、1950年(昭和25)に上歌砿の文学サークル「上歌文学会セナクール」を結成したほか、さまざまな同人誌を発刊、執筆し、『仮寓の半生』で炭労文学小説部門で入選しています。
1958年(昭和33)に赤平と上歌両地区の文学愛好者15人が集い「住友赤平文学会」を結成、雑誌『赤い崖』を創刊しましたが、1965年(昭和40)に札幌の住友石炭北海道支店に転勤、同人誌活動を中断される状況となりました。1970年(昭和45)に住友石炭鉱業を退職し、フリーのイラストレーターとなり、「財界さっぽろ」に時事漫画を連載、1971年(昭和46)には、「くりまの会」同人となり、文学活動を本格化します。
1973年(昭和48)に『ぽぷらと軍神』で第37回文學界新人賞を受賞、1975年(昭和50)に『清吉の暦』で第73回芥川賞候補となりました。1977年(昭和52)に『観音力疾走』で第11回北海道新聞文学賞を受賞、第77回芥川賞候補となり、『日蔭の椅子』で第78回芥川賞候補となりましたが、1978年(昭和53)には、『伸予』で第79回芥川賞、札幌市民芸術賞を受賞しています。
1987年(昭和62)に札幌歌志内会が設立され、会長を務め(~2001年度まで)、1991年(平成3)に北海道文化賞、1992年(平成4)には、『友子』で第11回新田次郎文学賞を受賞しました。1993年(平成5)に歌志内市内に「高橋揆一郎文学碑」が建立され、1997年(平成9)には、歌志内市名誉市民となり、歌志内市郷土館「ゆめつむぎ」の名誉館長となったものの、2007年(平成19)1月31日に、北海道札幌市内の病院において、肺炎のため78歳で亡くなっています。
〇高橋揆一郎の主要な著作
・『ぽぷらと軍神』(1973年)第37回文學界新人賞受賞
・『観音力疾走 木偶おがみ』(1977年) 第11回北海道新聞文学賞受賞、第77回芥川賞候補
・『伸予』(1978年)第79回芥川賞受賞
・『狐沢夢幻』(1979年)
・『友子』(1992年)第11回新田次郎文学賞受賞
〇高橋揆一郎関係略年表
・1928年(昭和3)4月10日 北海道歌志内市上唄の炭鉱長屋で生まれる
・1946年(昭和21) 札幌の夜間中学(旧制)を卒業後、歌志内国民学校の助教諭となり、国民学校の教師たちによって同人雑誌「白楊」が発刊される
・1948年(昭和23) 北海道第一師範学校入学のため退職したものの、わずかな期間で中退し、再び歌志内へ戻り、住友鉱業所上歌志内砿に入社、社内報の編集等の仕事に携わる
・1950年(昭和25) 上歌砿の文学サークル「上歌文学会セナクール」を結成したほか、さまざまな同人誌を発刊、執筆し、『仮寓の半生』で炭労文学小説部門で入選する
・1958年(昭和33) 赤平と上歌両地区の文学愛好者15人が集い「住友赤平文学会」を結成、雑誌『赤い崖』を創刊する
・1965年(昭和40) 札幌の住友石炭北海道支店に転勤、同人誌活動を中断される状況となる
・1970年(昭和45) 住友石炭鉱業を退職し、フリーのイラストレーターとなり、「財界さっぽろ」に時事漫画を連載する
・1971年(昭和46) 渡辺淳一を輩出した「くりまの会」同人となり、文学活動を本格化する
・1973年(昭和48) 『ぽぷらと軍神』で第37回文學界新人賞を受賞する
・1975年(昭和50) 『清吉の暦』で第73回芥川賞候補となる
・1977年(昭和52) 『観音力疾走』で第11回北海道新聞文学賞を受賞、第77回芥川賞候補となり、『日蔭の椅子』で第78回芥川賞候補となる
・1978年(昭和53) 『伸予』で第79回芥川賞、札幌市民芸術賞を受賞する
・1987年(昭和62) 札幌歌志内会が設立され、会長を務める(~2001年度まで)
・1991年(平成3) 北海道文化賞を受賞する
・1992年(平成4) 『友子』で第11回新田次郎文学賞を受賞する
・1993年(平成5) 歌志内市内3つ目の文学碑として「高橋揆一郎文学碑」が建立される
・1997年(平成9) 歌志内市名誉市民となり、歌志内市郷土館「ゆめつむぎ」の名誉館長となる
・2007年(平成19)1月31日 北海道札幌市内の病院において、肺炎のため78歳で亡くなる
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