
橋本治(はしもと おさむ)は、昭和時代中期の1948年(昭和23)3月25日に、東京都杉並区和泉の菓子店に生まれましたが、1951年(昭和26)の3歳の時に世田谷区に転居しました。杉並区立和泉中学校、都立豊多摩高校を経て、1967年(昭和42)に、東京大学文科Ⅲ類へ入学します。
在学中の1968年(昭和43)に、東京大学駒場祭のポスターで「とめてくれるなおっかさん 背中のいちょうが泣いている 男東大どこへ行く」というコピーを打って注目され、イラストレーターとしての活動をスタートました。1970年(昭和45)に「週刊新潮」で「ぽるの日本史」の挿絵を1年間担当、1973年(昭和48)には、卒論『四世鶴屋南北の劇世界』を書いて、東京大学文学部国文学科を卒業し、イラストレーターとなります。
1977年(昭和52)に、女子高生の風俗を超口語体で描いた『桃尻娘』で第29回小説現代新人賞佳作となり、文筆業に転じ、1987年(昭和62)には、『桃尻語訳 枕草子』がベストセラーとなりました。1990年(平成2)に『江戸にフランス革命を!』で第17回大佛次郎賞候補に選出されるも落選、1991年(平成3)には、米国で出版された現代日本文学のアンソロジー『Monkey brain sushi』に「愛の牡丹雪」の英訳が収録されています。
1992年(平成4)に小学館ヤングサンデーの主催するサマーセミナーで講師を務め、1993年(平成5)には、雑誌「芸術新潮」で連載「ひらがな日本美術史」を開始(~2005年)しました。1996年(平成8)にオウム真理教事件を題材にした『宗教なんかこわくない!』で第9回新潮学芸賞、2002年(平成14)には、『「三島由紀夫」とはなにものだったのか』で第1回小林秀雄賞を受賞しています。
2004年(平成16)に文化論『上司は思いつきでものを言う』がベストセラーになり、2005年(平成17)に短編集『蝶のゆくえ』で第18回柴田錬三郎賞、2008年(平成20)には、『双調 平家物語』で第62回毎日出版文化賞を受賞しました。2018年(平成30)に『草薙の剣』で第71回野間文芸賞を受賞しましたが、2019年(平成31)1月29日に、東京都新宿区の病院において、肺炎のために70歳で亡くなっています。
在学中の1968年(昭和43)に、東京大学駒場祭のポスターで「とめてくれるなおっかさん 背中のいちょうが泣いている 男東大どこへ行く」というコピーを打って注目され、イラストレーターとしての活動をスタートました。1970年(昭和45)に「週刊新潮」で「ぽるの日本史」の挿絵を1年間担当、1973年(昭和48)には、卒論『四世鶴屋南北の劇世界』を書いて、東京大学文学部国文学科を卒業し、イラストレーターとなります。
1977年(昭和52)に、女子高生の風俗を超口語体で描いた『桃尻娘』で第29回小説現代新人賞佳作となり、文筆業に転じ、1987年(昭和62)には、『桃尻語訳 枕草子』がベストセラーとなりました。1990年(平成2)に『江戸にフランス革命を!』で第17回大佛次郎賞候補に選出されるも落選、1991年(平成3)には、米国で出版された現代日本文学のアンソロジー『Monkey brain sushi』に「愛の牡丹雪」の英訳が収録されています。
1992年(平成4)に小学館ヤングサンデーの主催するサマーセミナーで講師を務め、1993年(平成5)には、雑誌「芸術新潮」で連載「ひらがな日本美術史」を開始(~2005年)しました。1996年(平成8)にオウム真理教事件を題材にした『宗教なんかこわくない!』で第9回新潮学芸賞、2002年(平成14)には、『「三島由紀夫」とはなにものだったのか』で第1回小林秀雄賞を受賞しています。
2004年(平成16)に文化論『上司は思いつきでものを言う』がベストセラーになり、2005年(平成17)に短編集『蝶のゆくえ』で第18回柴田錬三郎賞、2008年(平成20)には、『双調 平家物語』で第62回毎日出版文化賞を受賞しました。2018年(平成30)に『草薙の剣』で第71回野間文芸賞を受賞しましたが、2019年(平成31)1月29日に、東京都新宿区の病院において、肺炎のために70歳で亡くなっています。
〇橋本治の主要な著作
・戯曲『義経伝説』(1991年)
・『桃尻娘』(1977年)第29回小説現代新人賞佳作
・『蓮(はす)と刀』(1982年)
・『その後の仁義なき桃尻娘』(1983年)
・『帰って来た桃尻娘』(1984年)
・『革命的半ズボン主義宣言』(1984年)
・『無花果少年(いちぢくボーイ)と瓜売小僧(うりうりぼうや)』(1985年)
・『完本チャンバラ時代劇講座』(1986年)
・『無花果少年と桃尻娘』(1988年)
・『雨の温州蜜柑姫(おみかんひめ)』(1990年)
・『'89』(1990年)
・『古事記』(1993年)
・シリーズ『貧乏は正しい!』(1994~1996年)
・『桃尻語訳枕草子』上中下(1987、1988、1995年)
・『宗教なんかこわくない!』(1996年)第9回新潮学芸賞受賞
・『絵本徒然草(つれづれぐさ)』上下(1990、1993年)
・『窯変(ようへん)源氏物語』全14巻(1991~1993年)
・『双調平家物語』全15巻(1998~2007年)
・『「三島由紀夫」とはなにものだったのか』(2002年)第1回小林秀雄賞受賞
・短編集『蝶のゆくえ』(2005年)第18回柴田錬三郎賞受賞
・『双調 平家物語』(2008年)第62回毎日出版文化賞受賞
・『草薙の剣』(2018年)第71回野間文芸賞受賞
☆橋本治関係略年表
・1948年(昭和23)3月25日 東京都杉並区の菓子店に生まれる
・1951年(昭和26) 3歳の時に世田谷区に転居する
・1954年(昭和29) 杉並区立新泉小学校へ入学する
・1960年(昭和35) 杉並区立新泉小学校を卒業し、杉並区立和泉中学校へ入学する
・1963年(昭和38) 杉並区立和泉中学校を卒業し、都立豊多摩高校に入学する
・1966年(昭和41) 都立豊多摩高校卒業後、予備校に通う
・1967年(昭和42) 東京大学文科Ⅲ類へ入学する
・1968年(昭和43) 大学2年次に、「とめてくれるなおっかさん 背中のいちょうが泣いている 男東大どこへ行く」というコピーを打った東京大学駒場祭のポスターで注目される
・1970年(昭和45) 「週刊新潮」で「ぽるの日本史」の挿絵を1年間担当する
・1973年(昭和48) 卒論『四世鶴屋南北の劇世界』を書いて、東京大学文学部国文学科を卒業し、イラストレーターとして活動する
・1977年(昭和52) 女子高生の風俗を超口語体で描いた『桃尻娘』で第29回小説現代新人賞佳作となり、文筆業に転じる
・1987年(昭和62) 『桃尻語訳 枕草子』がベストセラーとなる
・1990年(平成2) 『江戸にフランス革命を!』で第17回大佛次郎賞候補に選出されるも落選する
・1991年(平成3) 米国で出版された現代日本文学のアンソロジー『Monkey brain sushi』に「愛の牡丹雪」の英訳が収録される
・1992年(平成4) 小学館ヤングサンデーの主催するサマーセミナーで講師を務める
・1993年(平成5) 雑誌「芸術新潮」で連載「ひらがな日本美術史」を開始(~2005年)する
・1995年(平成7) 雑誌「WIRED」の創刊2号(1995年3月号)で大友良英とトークセッションする
・1996年(平成8) オウム真理教事件を題材にした『宗教なんかこわくない!』で第9回新潮学芸賞を受賞する
・1999年(平成11) 東京・三軒茶屋シアタートラムで篠井英介の一人芝居『女賊』の作・演出を務める
・2002年(平成14) 『「三島由紀夫」とはなにものだったのか』で第1回小林秀雄賞を受賞する
・2004年(平成16) 文化論『上司は思いつきでものを言う』がベストセラーになる
・2005年(平成17) 短編集『蝶のゆくえ』で第18回柴田錬三郎賞を受賞する
・2007年(平成19) 小林秀雄賞の選考委員となる(~2018年)
・2008年(平成20) 『双調 平家物語』で第62回毎日出版文化賞を受賞する
・2009年(平成21) 「週刊新潮」2009年2月号に「巡礼」が一挙掲載される
・2013年(平成25) 東京都立西高等学校で「役に立たないことの大切さ」と題して講演会を行なう
・2018年(平成30) 『草薙の剣』で第71回野間文芸賞を受賞する
・2019年(平成31)1月29日 東京都新宿区の病院において、肺炎のために70歳で亡くなる
〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)
1293年(正応6) | 南北朝時代の公卿・武将・学者北畠親房の誕生日(新暦3月8日) | 詳細 | |||||
1634年(寛永11) | 江戸幕府が、各藩邸から出動して江戸市内の消火にあたる大名火消を設置する(新暦2月26日) | 詳細 | |||||
1879年(明治12) | 日本が国際電信連合(現在の国際電気通信連合)に加盟する | 詳細 | |||||
1905年(明治38) | 週刊「平民新聞」第64号が赤字で発行され、「終刊の辞」が掲載されて廃刊となる | 詳細 | |||||
1944年(昭和19) | 「中央公論」、「改造」の編集者が検挙され、横浜事件の一つ「中央公論・改造事件」の発端となる | 詳細 | |||||
1946年(昭和21) | GHQが「日本の行政権の行使に関する範囲の指令」(SCAPIN-677)を出す | 詳細 | |||||
1991年(平成3) | 小説家井上靖の命日 | 詳細 |
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