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 今日は、明治時代後期の1898年(明治31)に、船舶工学者山県昌夫が生まれた日です。
 山県昌夫(やまがた まさお)は、明治時代後期の1898年(明治31)1月4日に、東京において生まれ、東京府立第一中学、旧制第一高校を経て、東京帝国大学工学部船舶工学科へ入学し、船型学を専攻しました。1921年(大正10)に卒業し、逓信省に入って、逓信技師となります。
 運輸省に移り、1933年(昭和8)に日本造船学会論文賞を受賞、1937年(昭和12)に『船型試験法』を刊行し、1941年(昭和16)には、船舶試験所所長となりました。1943年(昭和18)に、運輸通信省船舶局長となり、『戦争と造船』を刊行し、太平洋戦争後の1947年(昭和22)にらは、東京大学工学部教授に就任します。
 1950年(昭和25) 運輸技術研究所の設立に携わり、1952年(昭和27)に『船型学 推進編』を刊行、1953年(昭和28)には、社団法人日本造船研究協会を設立に関わり、『船型学 抵抗編』を刊行するなど、船舶の設計に新分野を開き、日本の造船技術の進歩に大きな貢献をしました。1958年(昭和33)に東京大学工学部教授を辞め、名誉教授となり、1961年(昭和36)に日本学士院会員となり、1963年(昭和38)には、船舶技術研究所の設立に携わります。
 造船協会長、原子力委員会参与、日本海事協会長、日本造船技術センター会長などを歴任し、1967年(昭和42)には、造船工学界では初めての文化勲章を受章しました。1972年(昭和47)に勲一等旭日大綬章を受章、日本の学術、技術、行政面へも寄与してきたものの、1981年(昭和56)3月3日に、東京都内の東京大学附属病院において、83歳で亡くなり、従三位を追贈されました。

〇山県昌夫の主要な著作

・『船型試験法』(1937年)
・『戦争と造船』(1943年)
・『船型学 推進編』(1952年)
・『船型学 抵抗編』(1953年)

☆山県昌夫関係略年表

・1898年(明治31)1月4日 東京において生まれる
・1921年(大正10) 東京帝国大学工学部船舶工学科を卒業し、逓信省に入る
・1933年(昭和8) 日本造船学会論文賞を受賞する
・1937年(昭和12) 『船型試験法』を刊行する
・1941年(昭和16) 船舶試験所所長となる
・1943年(昭和18) 運輸通信省船舶局長となり、『戦争と造船』を刊行する
・1947年(昭和22) 東京大学工学部教授となる
・1950年(昭和25) 運輸技術研究所の設立に携わる
・1952年(昭和27) 『船型学 推進編』を刊行する
・1953年(昭和28) 社団法人日本造船研究協会を設立、『船型学 抵抗編』を刊行する
・1958年(昭和33) 東京大学工学部教授を辞め、名誉教授となる
・1961年(昭和36) 日本学士院会員となる
・1963年(昭和38) 船舶技術研究所の設立に携わる
・1967年(昭和42) 文化勲章を受章する
・1972年(昭和47) 勲一等旭日大綬章を受章する
・1981年(昭和56)3月3日 東京都内の東京大学附属病院において、83歳で亡くなり、従三位を追贈される

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1877年(明治10)地租軽減運動としての一揆頻発により、税率を地価の3%から2.5%に引き下げる詳細
1882年(明治15)「陸海軍軍人ニ賜ハリタル勅諭」(軍人勅諭)が発布される詳細
1888年(明治21)三井財閥、藤田伝三郎などの出資により、山陽鉄道会社(現在の山陽本線)が設立される詳細
1912年(明治45)公家・政治家・伯爵東久世通禧の命日詳細
1922年(大正11)小説家山田風太郎の誕生日詳細
1946年(昭和21)GHQが「超国家主義団体の解体の指令」(SCAPIN-548)を出す詳細
GHQが「公務従事ニ適シナイ者ノ公職カラノ除去ニ関スル件」(SCAPIN-550)を出す詳細