今日は、昭和時代中期の1951年(昭和26)に、日本放送協会(NHK)の歌謡番組「第1回NHK紅白歌合戦」がラジオで放送された日です。
NHK紅白歌合戦(えぬえいちけいこうはくうたがっせん)は、1951年(昭和26)から毎年、日本放送協会(NHK)が放送してきた男女対抗形式の大型音楽特別番組でした。当初は、ラジオの正月特別番組として放送されたのですが、1953年(昭和28)1月2日の第3回NHK紅白歌合戦でテレビでの実験放送が実施され、同年2月1日のテレビの本放送開始に伴って、同年の第4回から大晦日(12月31日)に変更されています。
その年に活躍した男女の人気歌手が白組(男性)と紅組(女性)に分かれて勝ち負けを競ってきました。会場は第1~3回まで東京放送会館第1スタジオでしたが、その後日本劇場、東京宝塚劇場等を経て、1973年(昭和48)の第24回からは東京・渋谷の NHKホールから生中継されています。
たいへんな人気番組となって、テレビ視聴率は、1963年 (昭和38) の第14回に、ビデオリサーチ社による視聴率調査が始まって以来の最高視聴率81.4%を記録しました。その後も高く、関東地区のビデオリサーチ社調査では、過去の視聴率ベスト10を独占していているものの、2006年(平成18)には 30%台にまで低下しています。
〇視聴率(しちょうりつ)とは?
あるテレビの番組が、一定地域内のどれくらいの人または世帯で見られたかを示す割合のことで、世帯視聴率と個人視聴率がありますが、一般には前者を指してきました。尚、ラジオの場合は聴取率と言っています。
調査方法としては、電話によるインタビュー、個人面接、日記による記録、特定の機械による方法などがありました。日本において歴史的には、1954年(昭和29)に「NHK放送文化研究所」が年に2回、訪問面接法による調査を開始したのが最初とされています。
翌年には電通が年に4回、日記式のアンケートによる調査を始め(1963年1月まで)、1958年(昭和33)には社団法人中央調査社が日記式のアンケートによる調査を年に4回開始し、翌年には毎月に拡大しました。
そして、1961年(昭和36)に外資系のニールセン社、翌年にはビデオ・リサーチ社が調査対象世帯に測定機を置く機械式調査を開始し、視聴率調査の主流となっていきます。
ところが、2000年(平成12)にニールセン社が撤退し、現在では、ビデオリサーチ社が関西、名古屋、札幌、その他大都市地域でそれぞれ実施している機械式調査が中心となりました。その中で、NHKの放送世論調査所では年5回、日記式の全国個人視聴率調査をしてきています。
2015年(平成27)から、関東地区においては、ビデオリサーチ社によるタイムシフト視聴率(録画して視聴するものも含めた視聴率)が提供されるようになりました。
ちなみに、視聴率1%はほぼ100万人が視聴していることに相当するといわれ、商業放送では、広告料金の決定や広告効果測定に重要な要素となっています。しかし、行き過ぎた視聴率競争の結果、番組の質が低下しているとの批判も出されるようになりました。
☆過去のNHK紅白歌合戦視聴率ベスト10(関東地区・ビデオリサーチ社調査)
・第1位 81.4% 第14回NHK紅白歌合戦 1963年12月31日
・第2位 80.6% 第23回NHK紅白歌合戦 1972年12月31日
・第3位 80.4% 第13回NHK紅白歌合戦 1962年12月31日
・第4位 78.1% 第35回NHK紅白歌合戦 1984年12月31日
・第4位 78.1% 第22回NHK紅白歌合戦 1971年12月31日
・第4位 78.1% 第16回NHK紅白歌合戦 1965年12月31日
・第7位 77.0% 第30回NHK紅白歌合戦 1979年12月31日
・第7位 77.0% 第21回NHK紅白歌合戦 1970年12月31日
・第7位 77.0% 第28回NHK紅白歌合戦 1977年12月31日
・第10位 76.9% 第19回NHK紅白歌合戦 1968年12月31日
〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)
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