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 今日は、江戸時代中期の1751年(寛延4)に、浄瑠璃作者並木宗輔(千柳)の亡くなった日ですが、新暦では10月25日となります。
 並木宗輔(なみき そうすけ)は、1695年(元禄8)に大坂で生れたともいわれますがはっきりしません。備後三原(現在の広島県三原市)の臨済宗成就寺の断継慧水という僧でしたが、30歳頃に還俗して大坂の豊竹座の浄瑠璃作者となり、並木宗助(のちに宗輔)と称します。
 1176年(享保11)に、西沢一風らと合作の『北条時頼記』で評判となり、以来立作者となって活躍しました。『苅萱桑門筑紫』(1735年)、『和田合戦女舞鶴』(1736年)などを合作または単独で発表、豊竹座を隆盛に導きます。
 1742年(寛保2)に、歌舞伎作者に転向し,『大門口鎧襲』(1742年)では大当りをとりました。1745年(延享2)には、浄瑠璃界へ復帰し、竹本座へ入座して千柳と改名し、『菅原伝授手習鑑』(1746年)、『義経千本桜(よしつねせんぼんざくら)』(1747年)、『仮名手本忠臣蔵(かなでほんちゅうしんぐら)』(1748年)などを2世竹田出雲・三好松洛との合作で発表、浄瑠璃全盛期の最高傑作を送り出します。
 1750年(寛延3)に再び豊竹座に復帰し、並木宗輔の名に復して、翌年9月7日に『一谷嫩軍記』を執筆中、病により大坂において、数え年57歳で亡くなりました。

〇並木宗輔の主要な作品

・『北条時頼記(じらいき)』(1726年)西沢一風らと合作
・『苅萱桑門筑紫(かるかやどうしんつくしのいえづと)』(1735年)並木丈輔との合作
・『南蛮鉄後藤目貫』(1735年)
・『和田合戦女舞鶴』(1736年)
・『安倍宗任松浦衣簦』(1737年)
・『釜淵双級巴』(1737年)
・『丹生山田青海剣』(1738年)
・『奥州秀衡鬠壻』(1739年)
・『狭夜衣鴛鴦剣翅』 (1739年)
・『鶊山姫捨松』(1740年)
・『大門口鎧襲(おおもんぐちよろいがさね)』(1742年)
・『夏祭浪花鑑(なにわかがみ)』(1745年)三好松洛・竹田小出雲との合作
・『菅原伝授手習鑑(すがわらでんじゅてならいかがみ)』(1746年)竹田出雲・三好松洛らとの合作
・『義経千本桜(よしつねせんぼんざくら)』(1747年)竹田出雲・三好松洛らとの合作
・『仮名手本忠臣蔵(かなでほんちゅうしんぐら)』(1748年)2世竹田出雲・三好松洛との合作
・『双蝶々曲輪(ふたつちょうちょうくるわ)日記』(1749年)竹田出雲・三好松洛との合作
・『一谷嫩軍記(いちのたにふたばぐんき)』(1751年)浅田一鳥・浪岡鯨児・並木正三らとの合作