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 今日は、明治時代後期の1900年(明治33)に、駿河湾で官立商船学校(現在の東京海洋大学)の練習帆船「月島丸」が暴風雨により沈没(月島丸沈没事故)し、死者・行方不明者122人を出した日です。
 月島丸沈没事故(つきしままるちんぼつじこ)は、明治時代後期の1900年(明治33)11月17日に起きた、官立商船学校(現在の東京海洋大学)の練習帆船「月島丸」沈没事故です。練習帆船「月島丸」は、長崎三菱造船所(現在の三菱重工業長崎造船所)で建造され、1898年(明治31)5月に竣工し、試運転を行った後に、横浜港に回航されて、官立商船学校(現在の東京海洋大学)練習船となりました。
 1900年(明治33)11月13日に、122人(うち練習生79人)を乗せて室蘭港を出港し、静岡県清水港を目指したものの、同月17日突然、消息を絶ってしまいます。その日に起きた大暴風に遭遇したと判断し捜査が進められましたが、静岡県仁科村(現在の西伊豆町)沖でカッターが見つかり、本船は駿河湾内で暴風に遭遇し沈没したものと推定されました。
 その後、同県静浦村(現在の沼津市)海岸で船長と他の沿岸に給仕の死体が打ち上げられ発見されます。しかし、それ以外の学生を含め乗組員120人は行方不明のまま捜索は打ち切られました。
 詩人の横瀬夜雨は、以下の「石廊崎に立ちて(月島丸をおもふ)」を詠って、その死を悼んでいます。

〇詩人横瀬夜雨作「石廊崎に立ちて(月島丸をおもふ)」

  八重立つ雲の流れては
  紅匂ふ暁(あけ)の空
  夜すがら海に輝きし
  鹹(しほ)の光も薄れけり
  南に渡る鴻の
  聲は岬に落つれども
  島根ゆるがす朝潮の
  瀬に翻る秋の海
  牡蠣殻曝れし荒磯の
  巌の高きに佇みて
  沖に沈みし溺れ船
  悲しみあとを眺めれば
  七十五里の灘の上
  浪は白く騒げども
  玉藻の下に埋れし
  船は浮ばずなりぬかな

☆明治・大正時代に日本近海で起きた重大海難事故一覧(死者・行方不明者100人以上)

・1878年(明治11)12月24日 - 和歌山県太地村でセミクジラを捕獲するため19隻・総勢184名で出漁、荒天による集団遭難事故(大背美流れ)<死者・行方不明者100余人>
・1890年(明治23)9月16日 - 和歌山県樫野埼灯台付近で荒天下、トルコ海軍艦「エルトゥールル号」が座礁沈没(エルトゥールル号遭難事件)<乗員約600人中、死者・行方不明者587人>
・1891年(明治24)7月11日 - 白神岬沖2.8kmの津軽海峡で「瓊江丸」と「三吉丸」が衝突し「瓊江丸」が沈没<死者・行方不明者261人>
・1900年(明治33)11月17日 - 駿河湾沖で暴風雨により、官立商船学校(現在の東京海洋大学)の練習帆船「月島丸」が沈没<死者・行方不明者122人>
・1905年(明治38)8月22日 - 瀬戸内海姫島灯台付近でイギリス船「バラロング」と軍用船「金城丸」が衝突し「金城丸」が沈没<死者・行方不明者165人>
・1908年(明治41)3月23日 - 北海道恵山岬灯台北東沖で客船「陸奥丸」と「秀吉丸」が衝突し「陸奥丸」が沈没<死者・行方不明者212人>
・1922年(大正11)8月26日 - カムチャツカ半島で漁業保護任務中の巡洋艦「新高」がオジョールナヤ基地沖で停泊中に暴風に遭遇し走錨。海岸に座礁、転覆<死者・行方不明者327人>
・1926年(大正15)4月26日 - 幌筵島沖を航行中の蟹工船「秩父丸」が座礁沈没<死者・行方不明者182人>

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

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1986年(昭和61)将棋棋士・14世名人木村義雄の命日詳細
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