イメージ 1

 今日は、昭和時代前期の1941年(昭和16)に、劇作家・小説家長谷川時雨の亡くなった日です。
 長谷川時雨(はせがわ しぐれ)は、明治時代前期の1879年(明治12)10月1日に、東京府日本橋区通油町1丁目(現在の東京都中央区)で、日本初の免許代言人(弁護士)の一人となった父・長谷川深造、母・多喜の長女として生まれましたが、本名はヤスと言いました。秋山源泉学校で寺子屋教育をうけて後、17歳の時に佐佐木信綱の竹柏園(ちくはくえん)に入門し、古典を学びます。
 1897年(明治30)に結婚したものの意に染まず、小説や戯曲を書きはじめました。1901年(明治34)に、「女学世界」誌に短編『うづみ火』を投稿して特賞に選ばれます。
 1905年(明治38)に「読売新聞」の懸賞に応募した戯曲『海潮音』が、坪内逍遙に認められて入選して逍遙に師事、翌年、戯曲『覇王丸』が日本海事協会の募集に当選して世に出ました。1907年(明治40)に離婚、翌年に発表した『花王丸』が歌舞伎座で上演され,女流劇作家としての地歩を築き、菊五郎、2世市川猿之助らと組んで新舞踊劇運動を興すことになります。
 1919年(大正8)に通俗小説家三上於菟吉(おときち)と世帯をもち、1923年(大正12)に岡田八千代(やちよ)とともに同人雑誌『女人芸術』を出しますが大震災のため2号で廃刊となりました。その後これを引き継ぎ、1928年(昭和3)に三上の援助で『女人芸術』を復刊し、女流作家の育成に努めます。
 林芙美子、円地文子らがここから育ちましたが、1941年(昭和16)8月22日に、東京において、61歳で亡くなりました。

〇長谷川時雨の主要な作品

・短編『うづみ火』(1901年)「女学世界」の特賞入選
・戯曲『海潮音』(1905年)「読売新聞」の懸賞入選
・戯曲『覇王丸』(1906年)日本海事協会の募集に当選
・戯曲『花王丸』(1908年)
・戯曲『操(みさお)』(1911年)のち『さくら吹雪』と改題
・小説『日本美人伝』(1911年)
・小説『臙脂伝』(1912年)
・戯曲『玉はゞき』(1913年)
・戯曲『江島生島』(1913年)
・小説『旧聞日本橋』(1935年)
・小説『近代美人伝』(1936年)