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 今日は、江戸時代前期の1656年(明暦2)に、彦根藩士・俳人で蕉門十哲の一人森川許六の生まれた日ですが、新暦では10月1日となります。
 森川許六(もりかわ きょりく)は、近江国彦根城下藪下(現在の滋賀県彦根市)において、佐々木高綱を遠祖とする300石取りの彦根藩士の父・森川與次右衛門の子としてに生まれましたが、幼名を兵助または金平、本名は百仲(ももなか)と言いました。
 宝蔵院流の槍を得意とし、狩野派の絵画や漢詩にも親しみ、延宝の始め(1670年代前半)頃に和歌や俳諧は初め北村季吟・田中常矩などに学んだとされます。21歳から井伊直澄に仕え、30歳前後から俳諧に執心し、尚白、嵐雪、其角に指導を受け、1689年(元禄2)33歳の時に、父の隠居により家督を継ぎました。
 1692年(元禄5)に公務で江戸に出た際、松尾芭蕉に入門し、許六と言う号を授けられ、1年間懇篤な指導を受けるとともに、芭蕉に絵を伝授します。翌年帰郷する際に芭蕉から「柴門之辞」と俳諧の奥伝書を授けられました。
 1694年(元禄7)の芭蕉没後からは、蕉風の理論化につとめ、向井去来らと俳論をかわした往復書簡を集めたものが、『俳諧問答』として残されています。彦根風の一派を形成し、『篇突』(1698年)、『宇陀法師』(1702年)の俳論書(李由との共編著)、俳文集『風俗文選』(1706年)、『正風彦根体』(1712年)、俳諧史論『歴代滑稽伝』(1715年)などを著しました。
 門下として、直江木導・松居汶村・北山毛紈・寺島朱迪などを指導しましたが、1715年(正徳5年8月26日)に、彦根において、数え年60歳で亡くなっています。

<代表的な句>

・「十団子も 小粒になりぬ 秋の風」
・「秋も早か やにすぢかふ 天の川」
・「うの花に 芦毛の馬の 夜明哉」
・「茶の花の 香や冬枯の 興聖寺」
・「苗代の 水にちりうく 桜かな」
・「水筋を 尋ねてみれば 柳かな」
・「もちつきや 下戸三代の ゆずり臼」

〇森川許六の主要な著作

・撰集『韻塞 (いんふたぎ) 』(1696年)
・俳論書『篇突(へんつき)』李由との共編著(1698年)
・俳論書『宇陀法師(うだのほうし)』李由との共編著(1702年)
・俳文集『風俗文選』10巻9冊(1706年)
・『正風彦根体 (ぶり) 』(1712年)
・俳諧史論『歴代滑稽(こっけい)伝』(1715年)
・俳論書『青根が峯』
・句集『五老井発句集』
・俳論書『俳諧問答』
・『和訓三体詩』